禁色の錬金術
勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、 敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む。「戦争は戦う前に勝負が決まっている」とも理解される孫子の兵法だ。
正しく真理だろう。
戦い始めてから勝機をなんて不可能かつ愚の骨頂と、もう身に染みて思い知らされた。
やはり兵を動かす段階で、明確な勝ち筋――あるいは妥協可能な負け方が用意されてるべきだ。
そして情勢は三竦みなものの――
東部のガリア王は、当然の権利とばかりゴート勢力の切り崩しに掛かった。
現状維持を選んだテオドリックを中心とした穏健派、南征に賭けたグンテルが率いる武闘派……しかし、どちらへも属さないゴート人派閥も存在する。
もちろんガリア王は彼らへ調略を仕掛けたし、下手をすればガリア王とテオドリック達――東ゴートで戦争すら始まりかねない。
それへ呼応するかのように西ガリアの皇太子は、南ガリア統一戦争へ干渉してきた。
……まあ、当たり前か。僕が彼の御方でも、ここで座視はない。
が、それでいて不明瞭な動きもあったし……エステルに言わせると――
「
らしかった。
つまり、外国との交渉? 帝国だろうか? それともエジプトやアフリカ? それに何を?
まあ、それが何処にせよ、僕は動けやしないのだけれど。
東ガリアに対抗して兵を動かせば、王太子は南部を陥としに動くだろうし――
かといって南ガリアへ援軍を送ったら送ったらで、その隙をガリア王に突かれるだろう。
つまり、どちらを優先しても二方面作戦を強いられる。
三勢力で争う最中なのに、南部に東ゴートと――立て続けに二ポイントも獲得するべきではなかった。
なぜなら誰かがトップに立てば、残った二人は共謀する。そのまま勝利を収めさせない為に。
当然の話だろう。僕だって同じ選択をする。
ただ、この二対一な窮地も――
見方を変えれば、僕の失策待ちともいえた。
僕が動くまでは、敵対者たちも動きだせないということで――
逆に考えれば好きなだけ時間を掛けられる。
重要な戦う前の準備を、たっぷりと。それも前世史の知識を遠慮なく注ぎ込んで。
しかし、悲しいかな
なにを為さんとしようとも、まず御金だ。なんでもは無理だけど、買える物なら購える。可能なら、なにごとも御金で解決してしまうのが一番だ。
もう「御金! 御金! 御金!」と、眉を顰めらてしまいそうだが……
それに戦う前の勝負――内政は御金だよ、諸兄!
などとポンドールの前で一演説やらかす寸前、ちょろっと溶鉄炉の建設費を強請ったばかりなことを思い出せた。
銃器の導入を見送った以上、この時代で最強の兵科は弓兵だ。
そして弓とは矢――ようするに鋼鉄を投げつける武器で、つまりは製鉄能力が戦果に直結する。
来る
でも、しばらくはポンドールに無心は控えねば!
とりあえず賄賂用に用意した薔薇の花を贈りつつ、急いでプランBを考える。
……贈り物にポンドールは凄く喜んでくれて、ちょっと心が痛かった。
だが、王は
ちゃんと敵陣営への攻撃となり、それでいて資金稼ぎにもなる一石二鳥の策――プランBも練ってあったし!
その進捗を確認に、新しく建てた工房を視察に赴くと――
職人の女性という女性の全員から、最敬礼で以って遇された。
もちろん俄かに王としての威厳を獲得などしていない。
むしろ僕自身の人徳や業績とは無関係――産屋の仕来りを変えたことが原因と思われた。
なるほど、たしかに分からないでもない。
この時代、初産で数割は死亡していた。さらに新生児も似たような悪い数字で。
それらを抜本的とはいえなかったけれど、もう目に見えるほどな改善――少なくとも半減程度には出来た。
自らの命を懸ける女性達にしてれば、奇跡にも等しかったのかもしれない。生まれてきた我が子にも天恵とすらいえたし。
でも、女性達から――妊娠や出産が身近で現実的な女性達から敬意を示されだすと……なんだか据わりが悪かった。
どこまでいっても凄いのは『
まあカーン教で聖人扱いされているのと同じく、この手の扱いに慣れねばならないのが、今生での定めか。
少しずつだけど世界は良くなっていると思うし……その代償としてなら安いだろう。たぶん。
そして工房の最奥、様々な薬品を調合する部屋でグリムさん
しかし、珍しくグリムさんは派手な装いというか……多種多様な原色を使った装いでカラフルな感じだった。
その両脇へ副官然と控えるヴィヴィとミミも、それぞれ深紅と貝紫の服で着飾ってたりするし。
どうやら順調らしい。三人共に成果を纏うことで示したかったのだろう。
「うん、奇麗だ」
「……え?」
たぶん僕は一生忘れない。
不意打ちに驚き、それから顔を真っ赤に染めたグリムさんのことを!
僕らを茶化すかのようにヴィヴィとミミは口笛を吹くけれど……いいぞ、もっとやれ! この空気を何とかしてくれるのなら、ボーナスを考えてもいい!
「王様も
「……御手当を弾んでくれたら、いまのことは黙ってる」
どうやら口でいっても駄目らしい。大人しく懐から財布を取り出す。
「って、二人とも! なにを!? 失礼でしょ!」
「……これは王様からの御褒美だよ、グリム」
「そうそう。リュカ様は染布の進捗具合に御満足なんだって」
なおも言い募ろうとしたグリムさんを、微笑みながら制する。
……グットだ、二人とも。凄くいい。もう普段と同じ空気へ戻れてる。
「いまのじゃ褒美に足りないくらいだよ、グリムさん。本当に鮮やかで……ここまでの発色は、大変だったでしょ?」
誉め言葉にヴィヴィとミミはドヤ顔が煩かったし、さすがのグリムさんも自慢げだ。
この時代、まだ染布技術は、かなり拙かった。
基本的に水か溶液へ染料を溶かし、それに浸して着色する。……場合によっては草木染め――適当に植物を煮込んだ汁だ。
そして判明していれば定着液を――色を鮮やかに固定する薬品を使うのだけど、まだ効果の見込める金属系は使っていない。高価すぎて試せてすらいないからだ。
よってベニバナなどの原材料があっても、その結果は芳しくなかった。
しかし、その単純な方法ですら、溶液が違えば捗る。……例えば重曹を使ったりすれば。
もう「また重曹か!」と憤る方も居よう。でも、事実だから仕方ない。この手の薬液として重曹は、強力な部類といえるし。
さらに定着液も、ようするに適当な酸で鉄を煮た薬液なのだけど――偶然の知恵として発見するには、それなりの年月が要る。
つまり、グリムさんやヴィヴィの服は、この時代ではあり得ないほど深く、そして鮮やかに染められていた。
「これで
特に発色の難しい深紅は、奪い合いとなるに違いなかった。
「それよりもシルクと人絹だよ、リュカ様! まさか貝紫を着れるなんて!」
ミミは魅せつけるかのように、その場で回り紫色の服をひけらかす。
まあ、そりゃそうだろう。本物の貝紫なんて、王侯貴族しか持ちえない希少品だ。
この時代、紫の染料は異常なまでの高級品といえた。
ほんの数百年前――一世紀頃には紫へ染めた羊毛が、七倍の重さな銀貨と交換されている。
それというのも原材料がシリアツブリガイという貝からだけ、それも非常に僅かしか採れず、なんと布一グラムに対し一〇〇匹以上を必要とした。
違う言い方をしたら紫の染料は、一グラムで七〇グラムもの銀に匹敵する。
さすがに多少は相場も落ちているだろうけど――
もし紫の染料を作れたら、それは金の錬成よりも暴利的といえた。
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