マスキアテル・カンプフヴェットベルブ(二)
神事用らしき刃引きした剣をテオドリックから受け取りつつ、ティグレは不敵に嗤う。
「筋違いと断ったのですが――
リュカ様は、あの者に勝たせたくない御様子。なれば意を汲んで動くが忠にございましょう」
なるほど。テオドリックは
剣匠ティグレの威名は、ゲルマンやゴートにも鳴り響いているし分らなくもない。
でも、僕が困っているようだからって、歴史の特異点レベルの大英雄と? それも試合形式とはいえ一騎討ちで!?
「よもや今宵に、ましてや、このような形でとは、思いも寄りませなんだが――
グンテルには、自分以外も策を巡らせられると知らしめたく。
ですが陛下の頭越しとなってしまい、この場で謝罪を――」
事情を説明するテオドリックを手で制し、とにかく現状の把握に努める。
……悪くないプランだ。大英雄を倒すという無茶に目を瞑れば。
でも、ティグレなら? だけど、その為にティグレの名誉を懸けてまで? それに僕の目的は――
「む、無理してない、ティグレ? い、いまからでも辞退しても……――
確かに困ってるけど、これから他の方法を閃くかもしれないし……――
とにかくグンテル達の謀を挫ければ、それで足りるし……――
絶対にジーフリートを打ち負かさなきゃ駄目って訳でも――」
僕の言葉にティグレは、不思議そうに首を捻っていた。
「リュカ様は、我が勝利を御疑いか?」
「そんな訳ないだろ!」
つい、大声を出してしまったけれど、それは心の奥底からな言葉だった。
確かにジーフリートは強そうだ。でも、剣匠ティグレが負けるはずない。
「リュカめが無礼でありました。許されよ、
御身であれば我らに必ずや栄誉を齎すと――確信しております」
「すべては御望みがままに、我が王よ!」
僕の祝福にティグレが奉剣礼で応じる。
……どうあれ賽は振ってしまった。こうなったら伸るか反るかだ。
観衆が固唾を呑んで見守る中、ティグレとジーフリートの両雄は無造作に間合いを詰めていく。
まるで散策へ赴くかのようで、まったく緊張感を覚えていない様子だ。
そのまま申し合わせたかの如く、互いに袈裟斬りの一撃を放つ!
……いまのが――あれが剣と剣の、ぶつかり合った音!?
鈍い衝撃音は、なにか重いものでも落ちたかのようだった。しかし、そんなことよりも――
鍔迫り合いながら両名共に酷く驚いて!? でも、なぜ!?
「……これは失礼を。よもや評判に偽りなしとは」
「そちらこそ若いのに……
互いを褒め称えだしちゃったけど、もしかして二人とも……いまの一撃を相手が堪えるとは、微塵も思ってなかったとか!?
さすがに不遜すぎる! だけど、それが許される力量を備えて!?
どちらからともなく鍔迫り合いを止めた両雄は、一転して空振りの応酬を始めた。
しかし、少しでも心得があれば分かる。分らさせられてしまう。
なんの外連味を感じさせない一撃一撃は、それでいて確実に相手の命を刈り取らんとしていた。
下手に受け損なおうものなら、それで決着だろう。
だから、どちらも徹して躱し続け、そして相手を倒さんと必殺の一撃を返す。
「テ、ティグレ様! 此度は神事に御座います!」
「そ、そうだジーフリート! 血を流すは拙い!」
青い顔でテオドリックとグンテルが、互いの代理人に警告?を与える。
それを潮に
しかし――
ふたたび息を詰めねばならなかった。
二人が一刀一足の間合いで留まり、互いに機を窺い始めたからだ。
尋常な技比べでは勝負がつかないと知れた。ならば秘技や奥義を尽くす他ない。
それは僕にでも分る。だが、しかし――
睨みあう両雄の
もう誰の目にも明らかだった。次の応酬で決着と!
「
対決から目を逸らさずブーデリカが――いやさ
吃驚して先輩
……ティグレの奥義? なんでブーデリカが知ってるの? それにフォコンの顔色も変わって!?
焦れたのか、それともティグレが誘ったのか、先に動いたのはジーフリートだった。
だが、しかし、驚くべきことに必殺の一撃は――
なんと剣を持っていない方の手で――手の甲で剣の腹を横へ押すようにして!
そんな馬鹿な!?
確かに、どんなに鋭い太刀筋だろうと、当たらないコースへずらせば無効化が叶う。いくつかの剣術流派に『落し』の術理として実在もするほどだ。
でも、それを無手かつ片手で!?
しかし、驚く僕を置き去りに対決は、さらに想定外な結末へと向かう!
剣を落とされた――体勢を崩されたジーフリートが、即座にティグレの横薙ぎを
それも背中を丸めて潜り込み、それで跳ね上げるようにして!
……もしかして見様見真似で、いまやられた技をアレンジ!?
だが真に怖ろしいのは、両雄共に崩れた姿勢のまま――片手で相手を倒しにいったところか。
互いに左手をダラリと垂らしたまま、再び剣を打合せ――
そこで神事を取り仕切っていたドル教の神官が勝負を止めた。
……例によって
「結果を神意と受け取り、勝負は引き分けとするようです」
身贔屓からか納得いかないけれど、まあ仕方なさそうだ。
打ち合わせた剣が同時に折れるなんて、僕ですら何者かの介入を疑えてしまう。
そして決着と聞き安心したのか、フォコンが大きな溜息を吐いた。
「ブーデリカが先代の技などと言うから、ティグレが片手を捨てるつもりと思うたではないか」
……もしかして本来は「片手を犠牲に攻撃を防ぎ、残った手で相手を斬る」だったとか?
「そんな一生に一度しか使えない技では奥義と呼べないでしょう。……先代から完成を託された訳ですし」
……先代――ティグレの
あと義兄さん! テンパった目で両手を動かしてるけど、あんな技は無理して覚えなくても!
なんといっても――
戻ってきたティグレの左手は、まるでグローブのように腫れ上がっていた。
さもありなん。振り下ろされた剣を横殴りで逸らすなんて、下手しなくても手の方が危うい。
重傷だろうと、もの凄く痛かろうと、完治は望めそうなのを感謝するべきだ。
「申し訳ありません、リュカ様。御約束していた勝ri――」
「御見事でした、
最初、皆はティグレを慰めているのかと不信そうだったのだけれど、すぐに本心と分かってくれた。
なにより僕は本当に満足していたし、もの凄く感動もしている。
結果としてジーフリートは勝てなかった。
つまり、グンテルの目論見は潰えたのだ。
それは大英雄であろうと――歴史の特異点であろうと、その意を挫けるという確かな証左でもある!
いや、そもそも御先祖様達はカサエーを――前世史でいうところのカエサルを倒していた!
あの人物が特異点で無いのなら、すべては単なるオカルトに過ぎず――
逆に歴史の特異点なんてものが存在しようとも、その排除は叶う!
この事実をティグレが身を以って示してくれたのだ。感動しない訳がなかった。
「でも、酷い怪我だね。あれを奥の手とするなら、鋼鉄製の手甲を常用したら? もしくは手じゃなくて短剣か何か使うとか」
驚いたことにティグレは、天啓を授かったかのようだった。
……大丈夫かな、この人。時々、信用ならないほど抜けてるんだけど?
「ま、まあ相手は、さらに手酷い痛手にございますれば!」
「あの青年も可哀そうに。肩甲骨を折ったのでは? あの分では、古傷となって痛みますよ」
などとブーデリカは、嫌味で混ぜっ返すけれど……大英雄ジークフリートの肩甲骨? それって不死身伝説の弱点じゃ?
……れ、歴史のッ! と、特異点とかオカルトの類だしッ! か、介入の余地だってッ!
とにかく今宵の峠は越えれたと思いつつ、ふと義兄さんを見てみれば心配そうな顔をしていた。
なにを憂いているのかしらと視線を追ってみれば――
蚊帳の外に放置され、恥辱で怒り心頭な様子のブリュンヒルダ姫が。
なるほど。よくよく考えたら、ほとんど物事は進んでない。
どうやら峠の降りは、長く困難なものとなりそうだった。
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