騒がしい朝

 開けて翌日、僕の天幕は大変な賑わいとなった。まさに千客万来だ。

 予想通りに朝一でダウウドがやってきたのは、まあ分からないでもない。面倒ではあっても、対応可能な範疇だし。

 だけどフン族商人のラクタが着いて来てたり、またも門閥派オプティマテスのガイウス・コリネリウス・スキピオが捻じ込みに、そして天幕市へ放流していた女商人のミリサも揃っちゃったり――

 その上、戦果の発表会めきだしちゃって、もう完全に意味不明だ。それぞれ僕と会話しながらも、物々交換に余念がないし。

「いやー……陛下に御許しを頂けて、胸の支えが――

 その絹織物、どこで手に入れはりました? 良かったら、この香料と交換を――」

「これは帝都で購ったものだ。品質によっては考えてやらぬでも――」

 ……僕と話をしたいのか、それとも商売したいのか分りゃしない。

「あの赤い宝玉と翡翠、あと絹の反物ね。義兄さん、なんとかして」

「……義妹の希望を叶えた者には、僕からの好意を」

「そんな殺生な! 陛下! それは、それ! これは、これかと!」

 ……ぐぬぬ。駄目か。

 でも、臨時の天幕市で買える少量の商品なんて、彼ら交易商人達には試供品程度だろうに! もう商売ゲームに負けるのが嫌だからとしか思えない!


 そして渋々に金貨を積み上げていたら、ミリサが吃驚して悲鳴を上げた。

「臭っ!? なんなんだい、これは? 馬賊の旦那?」

「これは遥か東方にて珍重されている保存食で、トーチジャと――」

「待った! それは――トーチジャとかいうのは、僕が引き取る」

 胸の高鳴りが止められない。ミリサは臭いといったけど……この香りは……もしや!?

 いそいそと僕の所へ回されてきた珍味の壺を覗きこむ。

 予想とはまるで違ったけれど、間違いない! これは――


 味噌の祖先! おそらくはトウチジャン――豆の塩辛だ!


 つまるところ豆の塩漬けだけど、香りからして麹で発酵をさせている! これは明確に味噌や醤油のルーツといえた!

 諸説あるも、この時代には中国で味噌の祖先が作られ始めていたから、フン族なら珍品として!?

 それに現物よりも麹菌が尊い! 種菌さえあれば、僕でも味噌や醤油が作れる!

 僕は詳しいんだ! 『異世界で味噌と醤油をつくろう!』というラノベも読んだことあるし! もう手間さえ惜しまねば――

 奇異の目で見られていたので、あわてて咳払いで誤魔化しておく。

 この分だと味噌や醤油造りは、こっそりやった方が良さそうだ。



 そんなこんなで商人達が満足した後、やっと話題は迫るウォーダ――部族会議へと移ってくれた。

「結局、それは我らの習性と呼ぶ他なさそうだぞ、リュカ王」

「派閥闘争で劣勢の時は、自ら単独勢力となるのが、ですか?」

 僕の当然過ぎるほどな疑問へ、老獪なローマの政治家は重々しく肯く。

「いかなる選択をしようと、それで割りを喰う者は生まれる。その勢力から支持を得られれば、ただ三番手となるよりマシであろう?」

 つまり皇帝は、ゴート族の問題で政治闘争に負けそうだったから、敢えて少数派の囲い込みを?

「となれば最終的に門閥派と民衆派は同盟し、この地で共闘を?」

「我らも民衆派も、ローマ市奪還の望みを譲れぬ。結果はどうあれ、手を結ぶほかあるまい」

 それ故に皇帝は、他の二派閥と反対の立場へ? ……ローマ人の政治は、複雑すぎないだろうか?

「さらに皇帝は、勝ち馬へ乗るを選んだのでしょう」

 まだ半信半疑な僕にテオドリックは、面白い見解を提示してきた。

 なるほど。武闘派ゴート閥が勝ってしまうのなら、まだ味方となった方がマシか。

 派閥力学に強いられ苦渋の選択な形――大義名分で門閥派と民衆派の同盟に圧倒されようと、現地で実利を拾える。

「でも、ローマ市奪還を確実視できれば、それを邪魔した皇帝は危うい立場へ追い込まれない?」

「もちろんだ、リュカ王。ローマ市奪還を、誰の目にも明らかとできればな」

 それが出来れば苦労はしないとガイウスは苦々し気に、テオドリックは申し訳なさそうに首を竦める。

「いや、そう諦めたものでもないと思う。僕が思うにローマ市返還は、それほど難しくない」

「……そうでしょうか? かなりの氏族に土地を諦めさせねば――」

「違うよ、テオドリック。土地は一番の問題じゃない。まあ台所事情にもよるけど……帝国にとって一番の懸案事項は、違うんだ」

 末期の帝国ならともかく、この時期なら余力を残していた……と思う。

「……ローマ市の返還と恭順を、ゴート人に迫る御つもりか」

 ローマ帝国といったら頭の固い戦争屋なイメージだけど、実は帰順を認める柔軟性も持っていた。

 ようするに版図となるを受けれれば、一応、その身分や所有地は保障される。決して悪い取引ではない。

 しかし、これを聞いたテオドリックの表情は暗いものだった。

「ですが、それを為すには、まずウォーダで主流派とならねば」

 なるほど。まさに缶詰の中の缶切りか。勝ちさえすれば、勝つ為の手段が使える。



 なにか妙案はないかと三人で唸っているのを、フン族のラクタは面白そうに眺めていた。

 おそらく秘密は余人へ漏らさないだろう。……ラクタが最終的な決断を下すまでは。

「ところで何をしてるんだよ、さっきから? 暇つぶしに服でも仕立ててくれるのか?」

「王に相応しい御召し物を用意しているのよ、義兄さん。今宵は神前で舞いの奉納が行われるのですって。

 ……略式の王冠は、ちゃんと荷物に入れてあるわよね?」

「本来はウォーダの閉会後に行う仕来りですが、此度ばかりは前倒しした方が良かろうとの声が多く――」

 よく分からないけど、公式行事かな?

 ゴート人には馴染みがない国の王だとしても、招待して箔をつけたいのだろう。

「なら露払いを騎士ライダーティグレと騎士ライダーフォコンに――

 ……サム義兄さんとルーバンは? ぜんぜん姿が見当たらないけど?」

 深夜というか明け方には帰ってきてたから、また出掛けたに決まっている。でも、何処へ?

「しかと分りませぬが……また、あの姫御前でありましょう。サムソンめは、どうやら納得がいかぬようで」

 いまだ監督役でもあるティグレが教えてくれたけど、なぜか嬉しそうだ。

 一応、ポンピオヌス君を確かめてみると、珍しく肩を竦めて返してくる。

 ……感心はしないけれど、止めはしないってこと? なら――

「なんだってティグレは、そうも嬉しそうなのさ!」

「我が弟子は、そろそろ逸脱を試みねばなりませぬ。時には教えすら疑い、自らの頭で考え始めねば」

 ……そういうことか。たしかに僕が口を挟むべきではなかった。

 ようするに守破離のを求められているのだ、サム義兄さんは。教えに従い学ぶだけの次期を卒業し、自分なりに模索を始める頃合いと。

「お主に比べればサムソンは、上手くやれている方だな」

 珍しくフォコンが同僚を揶揄うも、ティグレは言い返しもしない。……もの凄く図星か。

「私は、あの頃の素直なティグレ少年が好きですね。

 ……捻くれた大人になってしまって、悲しくもありますが」

 まあ姉弟子ブーデリカでしょうよ。


 というか義兄さんのレッスンは順調なの!? おそらくレヴ族のグンテルと、自らの輿入れを賭けた勝負に備えてだろうけど!?

 ……いや伝説通りなら、友人のジーフリートが代打しちゃうから無理筋!?

 でも、レヴ族とサリ族が政略結婚――堅い同盟で結ばれちゃったら、もう絶望的になってしまう!

「大丈夫よ、義兄さん。サム兄さんは、ブリュンヒルダ姫の奉納舞いにあわせて――最後の追い込みに付き合っているのよ、きっと」

「なんで義兄さんが舞いの練習に付き合うのさ?」

「馬鹿ね、ブリュンヒルダ姫が奉納するのは剣舞よ! 剣舞!

 昨夜も練習していたそうじゃない」

「違うぞ、ステラ。昨晩、ブリュンヒルダ姫が練習していたのは、舞いじゃなくて真剣勝負のだぞ?」

「そんな訳ないわよ。だって私はブリュンヒルダ姫御自身から聞いたんですもの。今夜はマスキアテル・カンプフヴェットベルブだって。

 そしてカンプフヴェットベルブって、舞踏会の意味なのよ。ヒルデブラント様にも御教え頂いたし間違いないわ」

 胸を張るエステルに、騎士ライダーヒルデブラントも請け合って頷く。

「はい、ガリア語でカンプフヴェットベルブは『ぶどうかい』です」

 ……ヒルデブラントはゲルマンの出身ドイツ系だけど、本当にガリア語古フランス語が堪能なった。

 それでも言わせて貰おう。

 正しい翻訳は舞踏会じゃなくて、武道会なのでは!? いや、勘違いしたエステルも悪い!?

 しかし! そんなことより!


 ブリュンヒルダ姫とグンテルの腕比べは、今晩ってこと!? 

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