月夜の残業

 実際にフン族と会ってみたら、大きな勘違いというか――見落としに気付かざるをえなかった。

 この男は――いやさ彼だけでなくフン族は、誰も彼もが文明人なのだろう。それも今生で一、二を争えるほどの。

 もちろん、科学力や技術力を指針にしてではない。

 知識という観点で僕に敵う人は希だろうし、世界水準でもローマの学者・哲学者魔術師たちが抜きんでている。

 そもそも学問という秤だとフン族は、ガリアぼくらとどっこいどっこいな拙さだ。

 しかし、それでも彼らは文明的といえた。

 なぜなら文明人かどうかは、その知識量に左右されない。育んできた世界観によってのみ規定される。

 おそらくフン族は――少なくとも目の前の男は、自身の目で中華帝国と中東帝国、ローマ帝国を観たことがあるのだ。

 つまり、文献や伝聞でなく、実体験として世界の広さを識っている! それも特別な個人がではなく、民族の平均的な見地として!

 なるほど確かに彼らは持たざる者だろう。

 しかし、だからといって蛮族と貶めるは、大きな間違いだったし――

 危う過ぎるとも言えた。



 フン族のラクタは、即座に僕が警戒したと気付き――

 なんと隠しもしていなかった野蛮人への侮蔑を引っ込めた! 彼らにとっては、ローマ人すら賢しいだけの田舎者だろうに!

「御国はデュノーと仰りましたか? あー……陛下?」

「なにガリア北方の片田舎で……」

 誰かが何かを口にしてしまう前に、適当にお茶を濁しておく。

 フン族を相手に所在地の説明なんて、不用心が過ぎる。先に相手の出方を窺っておきたい。


 そんな不穏ともいえる空気に天幕の主たるアスクム商人のダウウドは、目を輝かせ始めた。

 まだ理解はしきれないものの、面白そうな流れと察したのだろう。……これだから歩く厄介ごと製造機暇な交易商人って奴は!

 しかし、ダウウドを問い詰めるのは後でもいい。まずは勧められた馬乳酒で口を湿らせ、礼節を示しておく。

 ……控えめにいって癖の強い焼酎のカルピスソーダ割カルピスサワーだ。予め身構えておかねば厳しかっただろう。

「それより……なぜ御身らは、このような西の果てまで?」

 だが、この当然とすらいえる問い掛けへ、厳しき自然に育まれた戦士であろうラクタは窮した。

 そして気まずい沈黙の後――

「雨が降らなければ、振ったところへ行くべきだろう、リュカ王よ?」

 と諭すかの如く応じる。

 ……あまりに自明なことを問われ、本当に困ったとか?

 そしてフン族にとってゴート人の揉め事は、どう転ぼうと構わない些事とも悟らさせた。

 彼らは略奪者であり、さらには交易商人の顔も持ち……武力を商う傭兵でもある。

 つまり、ゴート人とローマ人の紛争も、彼らにとっては単なる商機に過ぎない。

 奪うか、商うか、戦うか……いずれにせよ、なんらかの利益を見いだせるのだから。

 もしかしたら旧ゴート国――黒海北岸へも豊かだったから雨が降っていたから赴いただけで、占領という結果は成り行きに過ぎない?

 さすがは陸のバイキングと準えられるだけはあるけど……一つに集い始めさえしなければ、まだコントロール可能とも思わせる。


「ダウウド? ラクタ殿には、我が国の名産品――燃ゆる酒や鏡を御見せしたか?」

 唐突な質問にアスクム商人は目を泳がせた。

 蒸留酒はともかく、まだ鏡は朱鷺しゅろ屋の専売品で、ダウウドに販売を許してなかったからだ。

 しかし、好奇心に負けたのか白を切るでなく――

「すぐに御持ちいたします!」

 と請け合った。やはり抜け目なく入手していたのだろう。

「……どうやら俺は、王と商談の機会を賜ったのか?」

「それは条件次第かと? 互いに損はしたくないでしょうし?」

 即興の判断だったけれど、少し早まった?

 だとしてもフン族とのチャンネルは必要に思えたし、「商人フン族となら、仲良くしてもいい」と意思表示も重要だろう。

 おそらく彼らは、僕のメッセージを違えずに受け取れる。侮っては拙い。

 価値ある商売相手と評価されつつ、一目置かれるような――将来的に禍根の残らない関係が望ましい。

 ……夜に訪れたのは失敗だった? これからタフな商談をせねばならぬようだし?

 ダウウドの運んできた葡萄の果実酒ぶどうのリキュールと鏡を眺めながら、そんなことを思った。




 天幕までの道案内を買って出たダウウドを追い払い、帰りの夜道を急ぐ。

 ……あんな煩いのがいたら、まとまる考えも纏まりゃしない。どうせ明日には、あれの方で釈明しに来る。

 それよりも状況判断だ。このままだと頭がこんがらがってしまう。


 まずゴート人の穏健派がザール族か?

 この派閥はテオドリックが中心的みたいだけど、一部版図の放棄も視野に入れていて、あまりゴート人からの受けが良くないようだ。


 そしてタカ派がレヴ族。

 世界が相手になろうと構わないほどな武闘派で、特に南部の――イタリア半島のゴート人に支持されている……らしい。


 このレヴ族をガリア王が支持している。

 おそらくゴート人とフン族の連合軍を帝国へ嗾け、ガリアの国益としたいのだろう。

 しかし、それではガリア南部を見殺しともなる。本質的には、その場凌ぎの悪手にしか思えない。


 また意外なことに当のフン族は、意見を決めかねているというか……どうなろうと興味がないとも知れた。

 もちろん最期には、利益を最優先した決断を下すだろうが――

 逆説的に状況が煮詰まるまでは、日和見を続けるはずだ。商売人プロとは、そういうものだろうし。


 さらに帝国の三大派閥が干渉している。

 現皇帝派はガリア王やレヴ族に――ゴートの武闘派閥に与しているようで、正直いって理解に苦しむ。

 そして対立する二派は――門閥派と民衆派は、やや後手を踏んだきらいがある。

 もしかしたら、まだ自陣営へ引き込んだ部族すら――現地での味方すら作れてない?


 ただ、どの派閥にしろローマ市の奪還は、絶対に譲れない条件と思える。……本当に現皇帝派の動きは奇妙だ。


 大きく遅れているのが王太子派で、かろうじてギーゼル族とのコネはあるようだけど――

 おそらくゴート人の派閥としては、泡沫に近いはずだ。そうでなければ王太子も配下のように扱いはすまい。


 だが、それより遅れているのが北王国僕らだろう。

 味方に引き込んだ部族はおろか……事情を把握できたのが、いまやっと。それも不明点を幾つも残したままだ。


 もうエステル的にいうのであれば、プレイヤーは増えに増えて九派閥?

 少なくとも半数の五派閥を自陣へ引き入れねばならないし、それだってプレイヤーがこれ以上に増えない前提でだ。

 しかし、それでもフン族と王太子は、故さえあれば寝返りそうで――



 月明かりの下、軽やかに舞う妖精がいた。



 いや、剣舞だ。月光を弾く剣を手に、金色の髪をした白い妖精が踊っている。

 しばらく見蕩れてしまっていたら、染み込むようにして事実へ思い当たった。

 ブリュンヒルダ姫だ。あの妖精は、昼間会ったゴートの姫君に違いない。

「あれでは! 師匠マスター! あれでは駄目です! 届きません!」

「……ふむ。どうやら行き詰まっておるようだな」

 不思議なサム義兄さんとティグレの言葉に、踊るブリュンヒルダ姫を見直してみれば――

 剣舞ではなかった!

 あれはボクシングでいうところのシャドーボクシング――対戦相手をイメージした実戦想定の鍛錬だ!

 また達人であれば、そのイメージした影を捉えられるというから、ティグレや義兄さんには、ブリュンヒルダ姫の戦う相手が視えたのだろう。

「ならば、師匠! あの娘に御指導を!」

「……弟子よ、その願いは奇妙であろう? なぜ本人から乞われもせぬのに、手解きを与えねばならぬ? そして――

 あの娘にであれば、お主でも足りる。なぜ自分で教えぬ?」

 揶揄するかのような問い返しに、義兄さんの顔は真っ赤だ。

 さすがに助け舟を――

 と思ったところで、真剣な顔つきのポンピオヌス君に袖を引かれ、無言に首を振ることで諭される。……もしかして口出し無用!?

「……師匠の手を煩わせようとは、自分が不明でありました!」

 言い負かされた義兄さんは、鼻息も荒くブリュンヒルダ姫の方へ歩き出す。

 ……え? 本当にブリュンヒルダ姫に一手教授してくるの!? さすがに突然過ぎない!?

 だというのにティグレは、愛弟子の失礼な振る舞いに御満悦!?

 あまりの驚くべき展開に開いた口が塞がらない僕へ、ルーバンが目配せを送ってくる。

 どうやら義兄さんに着いて行ってくれるようで……俺に任せておけってこと!? いや、ルーバンが一緒なら大丈夫だろうけど――


 一体全体、なにが起きているっていうのさ!?

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