指輪はない物語

 朝食後、腹ごなしに散策がてら天幕の街を探検しようとしたら、案内の名目でテオドリックを付けられてしまった。

 まあ、ゴート人の付き添いなしに出歩くのも剣呑だろうし、テオドリックの人となりも知っておきたい。考えようによっては好機か。

 しかし、いまや僕は王であり、平民に身を窶して御忍び?なんて許されるはずもなかった。

 ジナダンは金鵞きんが兵を護衛にといってきかないし、フォコンやティグレも露払いの役目を譲らない。

 行掛り上、大叔父上にも帯同して貰わねばならないし、アキテヌ侯キャストーにも調略の好機だろう。南部は直接的な利害関係にあるのだし。

 そして当然にキャストーが動くのなら、盟友たる騎士ライダーマティアスもだ。

 もちろんエステルも有無を言わせなかったし、そうなれば母上に護衛を頼まれたブーデリカもで――

 ちょっとした大名行列めいた有様といえる。

 実際、僕は大名――それも大大名メジャー・ダイミョウに相当するから間違ってもなかったり?


「さすがに華やかね、義兄さん。ゴート中の部族が集まっているのかしら?」

「国元が忙しい部族でも、代理人くらいは寄越してると思うな。子細は分からんけど……ウォーダを冠するほどの集いだし」

「ウォーダ? オーダン? オデン? とにかく一番偉い神様の名を冠するなら、特別な祭事なの?」

「特別な祭事というか……特別な集まりだから、権能に応じた神々の名を借りるのさ。

 これは部族の最高意思決定だろうから、相応しく主神ウォーダの名を冠しているんだろ。

 ガリア僕らだって部族やドル教の力が強かった頃は、光の神ルゴスとか戦争の神タラニスの祭事を開いてたと思うよ」

 あたりを見物しながらエステルに、当たり障りのない範囲で答えていく。

 ローマやギリシア、ガリアでは神格の統廃合が起きていて、専門的には複雑なのだけど……まあ、この程度の理解でも足りる。

 古代宗教の時代が去り、世界宗教が台頭する前の――隙間とも言うべき剣と鋼の時代ならではか。


「さすがリュカ様は博識で! ポンピオヌスめは、このように華やかな――

 市と呼べばよいのでしょうか?に圧倒されるばかりで!」

「これじゃ政の催しなのか、祭なのか……もしかしたら狩りの神ケルヌンノスの市より凄いんじゃ?」

 それはガリアで年に一回開かれる市のはずだけど、羨ましいことにルーバンは訪れたことがあるらしい。

 こうなったら北王国デュノーに定期市を――いやさ商業特区を興しちゃうか!? あれは商業系チートの最上位といえるし!?

「どこの部族にも出入りの商人がおりまして――

 その者らにとって此度は、またとない好機なのです。神聖なウォーダの祭事だというのに……」

 苦笑いをしつつもテオドリックは事情を教えてくれた。

 まあ、そりゃそうだろう。この場にポンドールがいたら、一日中でも市を廻るに違いない。

 僕にしても立場さえなければ、欲しかった色々を漁っている。……偉くなるって窮屈だなぁ。


「しかし、少しばかり妙ではないか? なんと申すべきか――

 この市の者達は、弛緩しておるような?」

「それは俺も同じ感想だな、ティグレ。だが緩んでいるというより――

 なにかを待っている様子に思えぬか?」

 これまた独特な感想をティグレとフォコンは、抱いたようだけど……それは腑にも落ちた。

 確かに人々は忙しなくしているものの、張り詰めてはいない。

 前夜祭というか……本番前日というか……とにかく力を貯めているかのような雰囲気を感じる。

「さすがの御慧眼で! 実は有力氏族の到着が遅れてまして……――

 それだけが理由でもないのですが、まだ部族会議は始まっておらぬのです」

 どこの部族も派閥の氏族を欠いたまま祭事を――話し合いを始めたくはなかろう。ある意味、当然の話か。

 ただ、なぜかテオドリックはティグレとフォコンに――とりわけティグレに関心があるらしく、少し心が騒めかさせられる。

 北王リュカに過ぎたるものは多いけれど、やはり剣匠ティグレとなんでもできるオールマイトフォコンの両名は外せない。

 そして有能な武将というのは、わりとヘッドハンティングの対象になる!

 ゴート系――いやさゲルマン系で最も立身出世を果たした偉大なるテオドリック大王が、二人に食指を動かして!?

 僕のような凡庸な人間では、君主としての力量差も歴然なのに!?



 実のところテオドリック大王は、あまり良いことのなかった中世ドイツゲルマン系に、夢と希望を与えるスーパーヒーローだったりする。

 なんといっても前世史では西ローマの副皇帝まで上り詰め、それから東ゴート王国を興すほどの偉人だ。

 それでいて覇王だとか暴君、猛将などの武辺者ではなく、その治世も評価に値するものだったらしい。

 そのせいかドイツ系で偉大な王様の雛型にもなり、とりあえずテオドリック自身が登場したり、彼をモチーフとした人物が出てきたり――

 日本でいったら信長クラスだろうか? その知名度というか、擦られ具合は?

 ……いまの内に処すべき? いい英雄は処された英雄だけと――



「ぶ、無礼者! お、御ひい様を、離すのです!」

「……勝手に触って、悪かったよ。でも、余所見をしていたのは、そっちだぞ?」

 騒ぎに振り返ってみれば、なぜか義兄さんが――

 女性の腰を掻き抱くように!?

 いや、落ち着いてよくみてみれば、女性が引っくり返ってしまいそうなところを、義兄さんが支えて?

 ただ、どうやら女性は高貴な身分にあるらしい。

 身に纏う装束も高級そうだし、義兄さんを叱責したのも御付きの女官のようだから、間違いないだろう。

 ……なのに、なぜ口笛で囃し立てる、ルーバン!

 可哀そうに顔を真っ赤にした女性は、掌で義兄さんの顔を押し退けるようにしながら姿勢を正す。……「グーじゃないとか優しい」と思った僕は、もう手遅れか?

 そして気丈にも女性は、礼の言葉を口にする。

「た、助けてくれたことには感謝しよう! わたくしはブリュンヒルダと申すもの。謹んでの御礼を申し上げたく、後ほど天幕にお越しいただきたい」

「そんなのいらないよ、ただ転びそうだったら、助けてやっただけなのに」

 すげなく義兄さんは断っちゃったけれど、僕にでも分かる。さすがに悪手だ。……隣のエステルも頭抱えてるし。

 でも、ブリュンヒルダ?

 よくよく観察してみると女性は、髪色こそ金と銀とで違うけれど、母上と同じように北欧系と見紛うほどな白い肌をしている。

 また高そうな装束もブーデリカみたいに男装の麗人といった雰囲気でありつつ――

 それでいて別解なヴァルキリーだとかアマゾネスなんかを連想させた。

 ……まさかね。名前や時代、人種もあってはいるけれど……そんな馬鹿な。


 僕が面食らっている間に、なにやらモゴモゴと口にしてブリュンヒルダは立ち去ったけれど――

「なにしてるの、義兄さん!? あれじゃ失礼でしょ!」

 エステルは許してくれなかった。

「ど、どうしてそうなるんだよ!? 俺は、あいつが転びそうだったから助けただけだし――

 そもそも向こうが余所見をしてたから、ぶつかることになったんだぞ!」

「……弟子よ? それはお主が油断していたからでは――」

騎士ライダーティグレは黙っていて! お願いですから!」

「ティグレ……貴方、まだ理解してなかったんですか?」

 なぜか口を挟もうとしたティグレは、エステルとブーデリカの二人から叱られた。

「ま、大丈夫ますらおならば、女性にょしょうに口を挟まぬものなのです!」

 小声でフォコンが僕に教えてくれるけど……どこからが『楽しみ』なのさ!? それが判らなかったら、意味をなさない助言だよ!


 そして義兄さんを叱り終えたかと思ったらエステルは、ブリュンヒルダの後を追っていく。……あれも口を挟まない方が良いんだろうなぁ。

「役得だったな、サム! 凄い美人だったぞ!」

「そ、それは、どうかと思いますが……まこと奇麗な女性にございました」

 囃したててるんだか、慰めてるんだか分らない『盾の兄弟』の言葉へ――

「どこに得があったんだよ! それに奇麗っていうのは、クラウディア様とかに使う言葉だろ、ポンピオヌス殿!」

 と義兄さんはやり返す。全然納得いかないみたいだ。

 いや、母上には及ばないとは思うけど……客観的に見て、同じ系統の美人ではあったよ、義兄さん?

「いまの女性――サリ族のブリュンヒルダこそが、ちょうど御教えするところだった――」


 しかし、その説明を遮るように、僕らへ挨拶してくる者達がいた。

「そこにいるのはザール族のテオドリックではないか!

 どうやら高貴な御客人を案内されている様子。我らにも拝謁の名誉を賜っては貰えぬものか」

 一応、作法――といっても、まだ正式な礼法は確立していないけど――に則ってはいる。

 ただ、対立的なニュアンスを消しきれていない。ザール族と敵対的な部族だったり?

「あの者はレヴ族が族長ハイルの息子グンテルに御座います」

 小声でテオドリックが教えてくれたのへ、機械的に頷いて返す。……断れなくもないが、それもそれで面倒臭そうだ。

 でも、グンテル? もの凄く雲行きが怪しいような?

 それにティグレと義兄さんが興味深そうに値踏みする、隣の武人もののふは誰?

「北王リュカ様! 御目にかかれて恐悦至極に御座います!

 やつがれはレヴ族がハイルの息子グンテルと申します。

 そして、この男は我が盟友の戦士ジーフリートで」

 おそらく肩書として『戦士』を名乗るのには、ガリアにおける騎士ライダーのように証を打ち立てねばならない。

 だが、そんな決して軽くはない称号も、この英雄には足らなかった。

 なんとなれば彼固有の二つ名は唯一無二にも等しく、けっして凡俗が勝ち得られる類ではない。彼こそは――

 竜殺しのジークフリートに他ならぬのだから。

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