ゴート人という勢力

 これから僕らは東ゴートで開かれるウォーダに向かうのだけど――

 なにをいっているのか御理解の頂ける人の方が少ないと思う。

 あまりにも事情が入り組み過ぎ、さらには現存する史料も少なく……半ば神話の時代とすらいえて、一般的な教養とは見做せないし。


 まず『東ゴート』という名称からにして、国名ではない。もう地名とすらいえないだろう。

 地域としての名称ならば、後々に東ゴートを統一した『ゴート王国』が相応しい。

 そもそもゴート国から――黒海北岸からみてイタリア北部は、西だ。東に建国したゴート人の国では、意味がおかしくなってしまう。

 この東は「フン族から逃げてきたゴート人達の、東側に留まったグループ」に由来している。

 つまり、別にゴート人の逃亡先があり、そちらは西ゴートと呼ぶ。

 ……紆余曲折ありつつ東西ローマ帝国を横断し、地中海沿岸沿いに西端まで――イベリア半島の南岸まで自主的に移民したグループだ。

 今生では、まだ行動を共にしているはずだが……厄介な集団という他がない。前世史通りなら、ガリア南部が餌食とされてしまう。


 またフン族に追われたゴート人は、正式に同盟者としてローマへ定住を許されいた。……ゴート戦争を――筋肉による話し合いを経て。

 しかし、この和平は、短期間で破綻する。

 ローマの懐柔策が失敗し、ゴート人を飢えさせたからだ。

 この理由に「ローマ役人の横領」や「寒冷期による世界的な食糧不足」などが挙げられているが――

 とにかくゴート人は反乱を起こし、帝国に反旗を翻し、ローマの各都市も略奪の憂き目に遭った。

 なんと、かのローマ市すら陥落してしまったほどだ。


 しかし、これはゴート系蜂起民衆という図式に当てはまらない。

 なによりゴート人は、まだ部族単位で行動していたし、むしろローマ人とゴート人の戦争の方が近く思えて――

 これにフン族も混じるので、それとも違っていた。

 どころかローマも一枚岩とはいえず、おなじみの皇帝派や門閥派、民衆派にはじまり、西ローマ系、東ローマ系、地元勢力と雑多な事情も関与してくる。

 もうローマ人ゴート人ときどきフン族ですらなく、あらゆる勢力がごった煮となってのバトルロイヤル状態だ。

 ゴート人とゴート人の部族紛争に、ローマがフン族を雇って武力介入したりと、敵味方がコロコロと入れ替わる情勢だったらしい。

 ……おそらく今生で西ローマ系の代役は、ガリアが担ったのだろうし。


 そして前世史では勢いのままガリアフランスへも攻め込み、そこで西ゴート王国を興す訳だが――

 今生では東ゴート――イタリア北部で足踏みをしているようだった。

 前世史と同じく東ローマ――ビゾントン帝国と和睦済みなようだけど、これも歴史のズレだろうか?

 それとも先の帝国とガリアの戦争にゴートも参加したのが、今生における西ゴート建国に絡んだ戦争と置き換わって?

 ……前世史との乖離が進み過ぎていて、もう細部や未来はサッパリだ。


 またビゾントン帝国もビゾントン帝国で、ゴートの扱いが奇妙に思える。

 さすがにローマ市は取り返すだろうけれど、イタリア北部にゴート人が建国程度は容認? そしてガリアへの尖兵かつ緩衝国として利用を?

 ……前世史でも東ゴート王国イタリア地域は、東ローマに再接収されたのだし?



 などと道々に馬を進めながら、僕の知識の補完や前世史との違いを確認していた。エステルへ説明の体で。

 ……よくよく考えたら今生だと東ゴートと西ゴートではなく、北と南で区分するべき?

 それでいうと東ゴートこと北ゴート、イタリア北部を……嗚呼、紛らわしい! 東ゴートでいいだろう! どうせ誰にいう訳でもないのだから!

「……つまりは帝国でもゲルマンが暴れ回っていたの?」

「違うって! ゴート人だよ!」

「だから……ゲルマンなんでしょ?」

 我が義妹ながら、どうしてこうなった!? 確かに間違っちゃいないけど、身も蓋もない!

「ゲルマンという括りじゃ乱暴すぎるんだよ! それを言い出したらヒルデブラントだってゲルマンじゃないか!」

 当の本人は馬を進めながら、もう慣れたとばかりに肩を竦める。

「ご、ごめんなさい、ヒルデブラント様」

「いえいえ、レディ・エステル。我らとゴートが親戚関係にあるのは、陛下の仰った通り事実ですし」

 やや話は逸れるけど、ヒルデブラントはガリアフランス語が上手くなった。やる気の問題だろうか?

ぼくらガリアヒルデブラント達ベクルギみたいな隣人関係でありつつ、より長い付き合いの友人ですらあるんだ。

 なんといっても帝国とゴートは、和平条約を結んだんだぞ? あのローマ市まで落とされたというのに? ゲルマン蛮族扱いされてたら、そんなは成立しないと思うな。それに――

 ゲルマンだとしても、最も文明的なゲルマンだよ。それこそガリアぼくらよりね。ドル教の権威だって強いはずなのに、ローマラテン語を使って記録を始めてるし」



 ゴート人は、もっともローマ化の進んだゲルマンといえて、前世史でも被ローマ支配側から文字資料を残した最初のゲルマンといえる。

 かの有名な『ニーベルンゲンの歌』も、ほとんどはゴート人の残した英雄譚が元ネタなほどだし。

 ちなみに、あの物語はジークフリートが主人公といえて、彼はゲルマン系最古にして最強格な英雄といえる。

 語弊を恐れずにいえば日本におけるヤマトタケルや、イギリスにおけるアーサー王に匹敵か。

 ……それ以前の文字資料に乏しいところまで類似しているし。


補足)

 混同されがちな『ニーベルングの指環』は、『ニーベルンゲンの歌』を下敷きとした戯曲。ようするに三次創作作品。それで似たような人物や品物が登場する。



「一向にフン族が話に出てこんぞ? どうしてリュカ殿は、そこまで彼奴等を恐れるのだ?」

 僕らと同行していた大叔父上――というか建前的には、僕らが便乗している――は、涸れた声で疑問を呈す。

 ……まるで世捨て人の目だ。それに白髪も増えて? なにか心労でも?

 それにフン族の恐ろしさを問われると困ってしまう。

 バルカン半島ギリシア辺りの海岸都市を軒並み略奪し、約八〇〇年振りにローマ市を灰塵へと帰したゴート人だが――

 これでフン族の前座に過ぎなかったりする。本当の民族大移動じごくはこれからだ。

 そもそもゴート人は半ばローマ人とも見做せるし、ゴート人の騒ぎにローマ人も便乗してたりで……まだローマの内乱と考えられなくもない。

 だが、フン族を名乗る武装集団が建国を始めたら――集団として率い始めたら、そこからは侵略戦争だ。

 もはや内乱や分裂とは全く違うし――

 今生でも運よく止められると決まってはいない!

 さらに僕は、まだ答えの出ていないジレンマをも抱えている。

 美大志望の若者が将来的に大問題を引き起こすからといって、彼が行動へ移す前に処して良いものだろうか?

 そして彼が、なぜ危険な人物かを? ……細かな説明は不可能だろう。


 なんとも言えずに口を濁していたら森を抜け、視界が開けてきた。草原へ出たらしい。

 そして視界一杯に――


 色とりどりの天幕が! まるで天幕で造られた街のように広がって!


「ど、どういうこと、義兄さん!?」

「いったじゃないか、僕らもウォーダに――大部族会議に参加するって。

 これらはゴート人の――それも族長格の天幕だと思うよ、ウォーダへ参加に来た」

 などとエステルにドヤ顔をしてたら、遠くへ目を凝らすルーバンが驚くべきことを口にした。

「御説明は全く分からなかったですけど、現状は俺にも判りましたよ、リュカ様。

 ここでガリア王や王太子と対決の御つもりですね?」

 ……な、なにをいってるだぁ、我が『盾の兄弟』は?

「どういうこと?」

「だってガリア王の天幕と、王太子の天幕があるじゃないですか?」

 なるほど。どうやら僕は出遅れていたらしい。ガックリだ。

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