英雄

「……念の為に言っておくけど、王太子は既婚者だからな?」

「ちょっ!? どういう意味!? 義兄さん!? そんなの知ってたし……でも、あんまり奥さんと上手くいってないって……」

 あ、嗚呼あぁアァッ!? いつの間にやらエステルがお年頃にッ!?

 それも「嫁と不仲」と同情を誘う手垢に塗れた策にコロリとッ!?

 いや王太子の事情を考えたら、理解者と巡り合うのは難しいだろうけどッ!

「あ、あの方は恐ろしい方だぞ? その身を焦がす野心が為に、血を分けた兄弟姉妹の謀殺を――」

「うん、知ってる。でも、ノワールには……それが怖いことだって分らないみたい。遠回しに聞いても『継承者争いには、軍を動かさないのが仕来りだ』って」

 確かに古今東西の後継者争いで、ほぼ不文律となっている。

 なぜなら候補者同士が軍を動かしはじめたら、たちまちに内戦やクーデターへ発展してしまう。我が子達のこととはいえ、当代の王も看過できない。

 踏まえるとライバルの排除は政治的謀殺が中心に。直接的な手段は、こっそりとが――暗殺などが中心となる。

 しかし、それが血を分けた肉親を悉く?

 悲しいことだと嘆くエステルの方に共感してしまうのは、僕が凡人だからか……それとも彼の御方が欠けている証か。

「そして御父上様の――フィリップ王の退位が、ノワールの目的みたい。

 でも、本当に……ノワールが言うような人っているの?」



 答えるのが難しい問題だった。

 まず理屈として『無能な働き者』は存在し得る。

 そもそもがドイツの軍人ハンス・フォン・ゼークトの唱えた組織論が初出と思われるで、妄想や理論ではなく、観測結果に名称を与えただけの実在だ。

 また簡単に特徴を説明すると――

『働かれると働かれた分だけ、新しく無駄な仕事を作る・増やす』

 で――

『見た目上は、組織の中で最も勤勉である』

 な人物だろうか?


 そして『ラッキーマン』は半ばオカルトでありつつ、その存在は根強く囁かれ続けている。

 別の表現をすれば『時代の寵児』や『歴史の特異点』あるいは『英雄』などとも評され――

「どうして成功できたのか、当時の人も後世の歴史家も首を傾げてしまうのだけど、その業績は否定しがたく偉大」

 が、特徴だろうか?

 実例を挙げれば……異論はあろうが今生のカサエー――前世史におけるカエサルは『ラッキーマン』と分類されることもあった。

 もちろん彼自身の才覚を無視はできないけれど、それを差し引いても、度々に不可思議な成功や勝利を収めているからだ。

 ……もう専属な勝利の女神を雇用しているとさえ?


 だが王太子は、フィリップ王を『無能な働き者』かつ『ラッキーマン』と示唆した。

 そんなのは彼自身が言ったように、まさしく化生の類だろう。紛れもない怪物だ。

 なぜなら味方をすれば『無能な働き者』に磨り潰され、かといって敵対すれば『ラッキーマン』と――『歴史の特異点』と戦う羽目になる。

 もう打つ手なしだ。対処方法も、それほどは思いつかないし。


 さらに敵対者の――王太子の主張を鵜呑みにもできない。

 これが詐術の一環とも限らなかったし――

「王太子が父親を『無能な働き者』かつ『ラッキーマン』と妄想」

 の可能性もある!

 高知能指数IQで権力をも握った人物が、奇天烈な考えに囚われて! これほど危険な状況が、他にあるだろうか!?


 王太子が正しければ、フィリップ王は緊急の排除対象であり――

 狂っているのであれば、彼自身が喫緊の大問題だ。

 ……いや、どちらにせよ両者共にしかない? 王が『無能な働き者』なのと王太子が『危険人物』なのは確定だし?



「……分らない。僕は主義主張からオカルト半分は認められないけど……腑には落ちた。少なくとも半分以上は正しい見解だと思う。

 それより! いつまで敵方の王子様と対局してるんだよ! 手紙のやり取りだって高価なんだぞ!」

 「敵方の」のところでエステルはビクッとしたりで、まるで虐めてる気分だ。

 でも、僕の方が正しい……よな? エステル用に連絡網の整備を進めてる訳でもないし。

「し、仕方がないじゃない! ま、まだクラウディア様も動けないんだから!

 それに私だって、ちゃんと義務は果たしてるし!」

「え? 母上が? 母上が、どうかしたの!? それに義務って何だよ?」

「もう確信を持って断言が可能。義兄さんはノワールとの争いで――

 『詰み逃し』をしている。それでノワールの動きが変だったのだと思う」

 真剣なエステルの表情に、こちらも姿勢を正さざるを得なかった。


 『詰み逃し』とは、将棋やチェスで稀に起きるボーンヘッドで、次の一手――王手を掛け続ければ勝利の状況を見落としてしまうことだ。

 さらに稀な場合は、負けの方だけが勝利への手順に気付いていることも!

 つまり、噛み砕くと――

「僕には、いつでも王太子を打ち負かす方法論があり、その策に王太子だけが気付いている」

 だろうか?

 そりゃ焦る訳だし、急ぐ訳だ。でも、僕は何を見逃して?

 さらにエステルもエステルで、それを手紙のやり取りから察したのか。……なんというか才能という他ない。


「そ、それが正しいとしても! いまは全員が『休み』だから! それまでに閃けば間に合うさ!」

「……騒ぎが治まるまで、ノワールが手を拱いているとは思えないけど?」

 混ぜっ返しには、怖い顔で応えておく。そりゃ、そうかもしれないけどさぁ!

 しかし、エステルは母上に代わって情報戦を仕掛けてくれてたようで、一方的に叱れそうにない。

 かといって火遊びをすれば火傷をするミイラ取りがミイラにの懸念もあるし、どうしても心配してしまう。


「子細は分からぬが……詰められる相手であれば、詰めてしまうべきだろう」

 威厳が溢れんばかりにガイウスは忠告してくれるけれど……王の駒を横へ倒しながら投了しながらでは渋さも半減だ。

「ですが最悪の想定だと――場合だと、優先順序は全く変わります」

「それほどの人物か、ガリア王は?」

 僕とガイウスのやり取りをポンドールやエステルはもちろん、ミリサやダウウドも聞き漏らすまいと耳を傾けていた。

 僕の諜報網は、それぞれで別々の思惑を持っているのが大きな欠陥といえる。

 だが、信用できても頼れないより、油断ならなくとも当てにできる取引相手の方が役には立つ。

「フィリップ王御自身より、馬賊と――フン族と結ぼうとしているのが厄介です」

 なぜなら彼らの頭領はアッティラ――神の災いとまで恐れられたアッチラ大王だ。



 語弊を畏れずにいうと前世史で三回ほど、騎馬遊牧民は世界を席巻しかけている。

 最初は騎馬遊牧民の王、単于が。

 次に騎馬遊牧民の頭領、アッティラ。

 最後にモンゴル帝国の創始者、チンギス・カンだ。

 単于は、かの漢帝国が事実上の朝献――お友達料を支払って勘弁してもらったので有名だし、モンゴル帝国は世界最大の版図を誇った。

 そして面白いことに――

 ある程度の騎馬民族が集まるとアッティラのような頭領を。

 それがさらに発展し、世襲も始まったら単于のような国家君主に。

 周辺国家も傘下へ治め始めたら帝国化する。


 つまり、騎馬遊牧民に『英雄』が――『歴史の特異点』が誕生すると、そのまま大帝国への可能性が!

 そして神の災いとまで西欧で恐れられたアッティラが頭領――複数部族を率いるリーダーで終わったのは、途上で殺されたからだ。

 ……恐ろしいことに、それ以外の理由は見当たらない。

 つまり、運命の匙加減によっては、千年早く騎馬民族帝国も興り得たのだ。


 しかし、そんな膨れ上がっていく風船にも等しいフン族と結ぼうと?

 王太子に言わせれば化生の類なフィリップ王が?


 もしかしたら僕は、ことの最初から順番を間違えていたのかも知れなかった。

 国家へ発展される前の今なら、まだ間に合う。前世史でも示された通りアッティラを――『英雄』を排除してしまえばいい。

 ……その方法論は、それなりに至難で限られているけれど。



「フン族?でしたか? 馬賊の方々は放置しとってもよろしいのでは?」

 意外なダウウドからの弁護に、目で問い返す。

「いえ……ガリアの辺りでシルクが手に入るとは、思てもいいひんかったもので」

 なるほど。商人的にはそうなるか。


 東西貿易はシルクロードだけではない。

 東南アジアやインド、シナイ半島の海岸沿いを経由する通称スパイス・ロード。

 そして学問的にはシルクロードの一部とも見做されるが天山北路――ユーラシアのステップロードも重要だ。

 これは東方と西方をダイレクトに繋ぐ交易路でもあり――

 その運用を担うのは騎馬遊牧民だったりする。

 よってフン族は、東方の珍しい物を持ち込む交易商人とも考えられた。


「何者かは知らぬが、痩せた砂漠ステップに住まう蛮zo――馬の民なのであろう? 懲らしめてやればよいではないか」

 なんともローマ人らしい発言だったけれど、これから災害を被るのはビゾントン帝国東ローマもなんだけどな。

「いえ、彼らは野蛮人じゃありません。そのように侮っては危う過ぎます。

 そもそもローマに追いやられた民がフランスガリアへ。この地で権力闘争に敗れた民がイギリスブリタニアドイツゲルマニアに。さらに負けた民はロシア北部で遊牧を。

 そこでも上手くいかなかった民が砂漠ステップで騎馬遊牧を始めたのです。

 つまり、祖先は我らと同じで、先達の知恵を全て知っています。分野によっては上回っていることすら」

 ……拙い。

 相手は同じ文明人だし一筋縄でいかないと注意喚起したかったのに、全員がキョトンとした顔をしている。全く響いてない。

 これは何か対策を考えねばならぬようだった。このままだと苦戦は必至だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る