財界との癒着
まだ仮設ながらも体裁の整い始めた
長い熟考の末、意を決したかのように駒を動かす。
対戦相手のエステルが満足そうに頷いていたから、妙手の類なのだろう。
「それで……どうする? 乞われるまま十艘もの船に、小麦を満載してきたが――これへ値段を付けての取引は、さすがに勘弁してくれ」
盤面から顔をあげ、こちらを向いたガイウスは、柄にもなく申し訳なさそうだった。
おそらくは
また外洋仕様かつ帝国でも最大の一万壺級――四百トン級の船を十艘もチャーターだから、その小麦の値段は推して知るべしだろう。
「船主に掛かった日数分の売り上げを補填。その辺が落し処ではなかろうか? 我らで捌いても、似たような売上は稼げようが……手間が掛かるし、寝覚めも悪い」
この時代に交易は、対重量コストパフォーマンスがシビア――というよりも、ほとんど博打にも近い利率だ。
高値で売り捌ける小麦だろうと、通常の交易と比べたら細やかな利益という他がない。
かといって食糧難で困窮している民衆に吹っ掛けるのは、さすがの帝国商人も気が引けたのだろう。
「ウチは、それでかまいません。でも、帰りは空荷やないのやから、そないに足元を見たらあかんよ」
ガイウス
……控えめながらも華やかに着飾っていて、なんだかドキドキする。なんでも
「ま、まあ! それこそ我が国の名誉に懸けて、船主への補填は約束するよ! ただ、あと何便か追加で頼みたいな」
ポンドール以外の聞き手は吃驚するけれど、これは単純に規模の問題だ。
小麦四百トンなんて百万食分でしかなく、人口百万の
つまり、無理を言って輸入したのに、たったの十日分でしかなく、年間でいうと三パーセント程度となる。
「その注文はアタシ達へもかい、王様? それと謎なんだけど、どうして大麦じゃダメなのさ?」
退屈そうにしていた女商人ミリサが、半ば雇い主ともいえる僕に確認してきた。
エジプトとの貿易で帰路に小麦を積めなくもないが、その分だけ利益は落ちる。それで面白くないのだろう。
「大麦でも構わないけど……かえって集めるのは大変だと思うよ? そんなに流通してないだろうし?」
日本の江戸時代は米の――穀物の流通システムが部分的に確立していた稀有な例といえるが、それでも
それを踏まえたら西欧でも、貧民食な大麦の流通なんて成立してないだろう。
「……仰せのままに、陛下。よくよく考えたらアタシだって、ガラス職人達が死んじまったら、
納得がいったのか、そう嘯いてミリサは肩を竦めてみせる。
現代人の感性だとインフルエンザと聞いて、拍子抜けしてしまうかもしれない。
だが、インフルエンザに罹ったので「緊急で病院へ駈け込んだ」や「点滴を受けた」、「注射を打ってもらった」、「処方薬を飲んだ」は、この時代だと高確率で死亡となる。
「高熱が出た」や「市販薬で治した」、「栄養ドリンクで持ち堪えた」などでも、極めて分が悪い。
もう「軽く熱が出たけれど、数日ほど安静にしていたら治った」より重い症状の場合、重篤な生命の危機といえる。
なぜなら対処法が二つしかないからだ。
それは「栄養を摂る」と「可能な限り安静にしている」であり、ようするに基礎体力頼みといえた。
そして働き盛りの男手が倒れ始めると、さらなる二次災害へ発展する。
食糧難だ。
ただでさえ食糧備蓄力が低い――これは技術力的にも、生産力的にも――のに、この危機を絶え凌ぐことすら不可能となってしまう。
また、これが三次災害をも呼ぶ。
栄養不足で倒れる者がさらに増え、かといって人手不足から安静にもしてられず、結果として耐えられたはずの流感に倒れてしまう。
当然、人手不足が加速すれば、四次災害も呼び込み……最後には負のスパイラルを起こし底なしとなる。
まあ、どんな疫病も人が減れば沈静化し、自動的に食糧難も解決するが……文明の発展という観点では、数十年単位での停滞もしくは後退だ。
そして発電ルートを諦めた――電気分解の使えない僕にサルファ剤は作れないし、ペニシリンは難し過ぎて手に負えない。
唯一、入手できた
もう打つ手なしにも等しく、胡乱な対処法に頼らざるを得なかった。
つまり、食糧輸入だ。
どれだけ高くつこうとも穀物を、被害のない地域から取り寄せてしまえばいい。食べ物さえあれば栄養補給は試みられる。
さらに並行して手持ちの蜂蜜や水飴も全土に放出しておく。
この時代、熱病患者にとって砂糖水――糖分は特効薬ともいえた。それだけで助かる命がある。
「俺も手伝います。陛下には、義理もありますし……この面白い国が疫病で終わるなんて、あんまりやし、つまらんですわ」
そう交易商人ダウウドは言ってくれたけど、義理というのは珈琲という商材を教えたことかな?
大人しく珈琲販路の独占に励んでいれば、世界でも指折りの金持ちと成れるものを。これだから
「ですが、その支払いは莫大なものと。大丈夫どすか?」
「心配はいらへんよ。背の……背のki……――
リュカ様の支払いは、うちが保証したる。どんだけ嵩んでもや」
僕に代わって自信満々なポンドールが言いきったのは、光の帝国を掌握し始めた証拠か。
おそらく彼女は、この場にいる大商人達の中でも、一番に財力がある。
ローマ帝国や中東帝国が覇権国家級――現代のアメリカと同等なGDPとして、現代の価格にして三〇〇〇兆円ほど。
そして有名財閥の資産なら一〇〇〇兆円ほどとなり、この時代だとローマ門閥貴族のトップや中東帝国の皇室、エジプトなど古参な金持ち国家のGDPと比類する。
一般的な財閥レベルが二〇〇兆円前後で、ローマの有力家系に相当し実はゴロゴロといるが……ここへポンドールの財力は迫りつつあった。
さすがに生きている内は届かないとしても、子孫の代には確実だろう。どころか上手くいけば有名財閥級だって夢ではない。
……やはり光というインフラを千年間も独占する計画は、かなり無茶苦茶な話ともいえる。
「でも、どうしてリュカは……その……手っ取り早く解決しちゃわないの?」
ずっとポンドールの後ろへ控えていたダイアナ女官長は、なんともいえない質問をしてきた。……義姉さん、貴女もか。
「そんなことできる訳ないだろ! というか……なんとかできるのなら、もうやってるよ!」
「だって……オラ様のご加護で、カーン教徒には熱病患者が少ないって噂よ?」
「カーン教は、食事の前に手を洗う戒律があるからだよ! いや厳密に言ったら、それを皆に教化したオラ様の業績かもだけどさぁ――」
「じゃあ、井戸水が熱病に効くというのは?」
「あああっ! そんなデマまでッ!? それは因果が逆で、川の水だとあらゆる病気がうつり易くなるんだよッ!」
「おトイレで紙を使うと良いっていうのも?」
「紙を使う人はトイレも使いがちだし、トイレには手洗い器を備え付けてるし、消毒も丹念にしているからだよッ! というか流感の最中に、不特定多数で便器を使うのは、むしろ避けるべきだしッ!」
ドゥリトル領は被害が軽微だったので、割と義姉さん達は暢気な感じだ。実感がないのだろう。
でも、それは僕がいるからだとか、カーン教の加護とかが理由ではない。
先んじて生産能力が向上していた分だけ、領民の栄養状態が良好だったからだ。
……やはり体力か? なにごとも体力で解決してしまうのが一番?
「それじゃ食べる前に手を洗うよう言って、できたら川の水は控えて、なるべく栄養を摂って、熱が出た人を大人しくさせておけばいいの?」
どうしてかエステルは、指折りにポイントを整理しだした。……入れ代わりに盤面へ向かうガイウスは、頭を掻き毟らんばかりだ。
「まあ、そんなところかな。あと可能な限り、発熱した者を隔離――まだ熱病に罹ってない者と接触させない。病人の汚物等に触れた場所は、必ず消毒する」
「消毒って……義兄さんの強いお酒で?」
「なければ石灰を水に溶いた物でもいい。ただ
嗚呼! エステルに目を逸らされた!
「ステラ! まだ王太子と文通を続けてるのか!」
「ぶ、文通って……義兄さん、そんな言い方……ただ、ノワールが……しつこく次の一手を送ってくるから……」
あの時の一局、まだ続けてたのかよ!? それにノワール!? ノワールって誰!? もしかして王太子のこと!?
言っとくけど義兄ちゃんは、悪魔王子なんて絶対に認めないからな!
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