転章・王太子との邂逅
「余の負けよ。しかし、最期まで分からなんだが――
御身は何を求め、ここへ赴いたのだ?」
……危ういところだった。もしエステルと会えていなかったら――もし僕が心を持ち直せてなかったら、この一言で膝を屈していたかもしれない。
そして王太子の悲劇をも理解してしまった。
この人は独りぼっちだ。おそらく友人どころか、対等と思える相手すらいない。
また取り繕っても無駄だろう。一切の偽りは通じまい。
「分りませぬ。いえ、分らなくなってしまった、が正確なところでしょうか」
「なるほど。では御身も、余と同じであるな」
固唾を呑んで見守る者達の騒めきより、興味を露わにした王太子の方が気に咎めてしまう。違う。僕は
「となれば余は、
尊き身の上なのに自ら過ちを認める型破りも、この貴公子には許される気がした。……母上が聞いたら卒倒するかもしれないけれど。
「それは殿下の責任とはいえぬかと。……自らを弁護するつもりではございませんが」
「いまは困るか? しかし、父上を討ち取る、またとない好機ぞ?」
これは僕の目的――誰も勝者にしないを理解している証拠だったし、王太子自身の動機を説明もしてくれていた。
でも、この目の前の人物が単純な怨恨で?
「いや、この状況こそ、余の立った理由に他ならぬ。
余も御身も、それぞれが異なる目的で軍を興した。
しかし、最期には互いで殺しおうている。紆余曲折あったとはいっても、本来の目的からは掛け離れた相手をだ。
我が父ながら、あれは化生の類ぞ?」
そんな馬鹿な! それでは……それではオカルトになってしまう!
だが、僕自身にしてからに、王を『無能な働き者かつラッキーマン』と準えたことがある!
「半信半疑ながらも、これへ耳を傾けるとは――
御身は真に稀有な男よ」
王太子は感心してくれたけれど、そりゃそうだろう。真偽を検討すら、とうてい正気とは思えない。
でも!?
王は統治者としては無茶苦茶だけど、その業績を考えたら――
大ローマ帝国の侵攻を退け、母国を守った稀代の名君だ!
当の本人は、せっせと味方へ迷惑をばら撒いているだけなのに! いや、だからこそ!?
理性と感情の葛藤に苦しんでいたら、さらに突拍子もないことを言い出した。
「どうだ? 余に仕えぬか? 領土――北王国を名乗っていたか?も全て安堵しよう」
……何処かで掛け違えていれば、在り得た世界線かもしれない。しかし――
「どうか御容赦を。それにリュカめでは足らぬのです。殿下が求むるには」
可哀そうだけれど、動かしがたい事実だったし……こんな大切なことで騙す訳にもいかない。
「余の求めを完全に理解し得たのは、御身が初めのことぞ?
しかし、その御身でも足らぬとは、真に残念でならぬ。
……あとは良いように。
そこまでいうと頬杖をついて、そっぽを向いてしまった。
王子様らしいワガママっぷりというか、それだけショックを与えてしまったというべきか悩む。
おそらく王太子は、かなり高いIQ――
そう聞くと長所に考えてしまいがちだが、もの凄く高い場合は欠点を伴う。それも重篤な。
俗にIQが三〇違ったら話は通じないというけれど……IQ二〇〇だった場合、話し相手にすらIQ一七〇以上を要求となる。
そして一般人がIQ一〇〇で犬が二〇相当なので……IQ二〇〇の天才にとって一般人は、
まあ人は言葉を使うので、そこまで意思疎通に困りはしないけれど……真の意味で理解されることは稀となってしまう。
さらに未開な時代では、この事情すら理解されてなかった。
本人も周りも理由が分らぬまま苦しむだけだったし、人口の少なさと文明力の低さも、幸運な出会いの邪魔をする。
そもそもIQ二〇〇となれば五〇万人に一人以下の出現頻度だ。
多い見積もりでも全ガリアの人口は四、五〇〇万人程度なので、同時代に
しかし、この者達は『話の通じない異常者』と扱われがちで、必然的に表舞台へ出てくることも稀だ。
結果、生涯を通じて彼らは、自分を理解可能な他人と巡り合えない。
どころか噛み砕けば話の成立する相手――IQ一七〇以上も五〇人に一人以下なので、その発見には非常な幸運を必要とする。
……生まれついての才能という独房へ閉じ込められた囚人。そう評しても、あながち間違いではない。
僕などは、この理屈を知っていたし、前世で高IQの人と知り合う機会もあった。……分り難いけれど、これも現代知識チート?
それで王太子を驚かせたのだと思う。
残念だけど君の全てを理解はできない。でも、僕は
そして分らないなりに思いやることはできるし、お互いに違うだけなら友情だって育めなくはない。
現代においては、標準的なスタンスか。
しかし、それだけのことすら感動的であり、だからこそ王太子なりの方法で……まあ僕を口説こうとしたのだろう。
互いに腰の引けた停戦交渉――どちらも自軍の負けと考えているので、言質を取られまいと警戒していた――を他所に王太子は、チャトランガ盤に興味を惹かれていた。
……なんというか自由な人だ。それに、まさか?
嗚呼、立ち上がったかと思えば、満面の笑みで駒を動かしやがった!
何とも不謹慎に思えるけれど、これで交渉の流れは把握しているのだろう。
むしろ皆がダラダラと話し合う理由を、これっぽっちも理解できなかったり?
どうやら天与の才は、常に人を幸せにはしないようだ。
とかなんとか思ってたら、今度はエステルが!? 何を思ったのか珈琲の給仕を!?
……うん? 会議の参加者を
そして駒の動かされたチャトランガ盤にも気付いてしまった。
眉根を寄せ考えていたかと思ったら、またも駒を動かす。満面の笑みだったから、会心の一手?
これに驚いたのは僕だけじゃなく王太子もだった。
豪胆にも敵軍の給仕した珈琲をチビチビ舐めながら――どうやら味は御気に召さなかったらしい――考えていたかと思ったら、またも駒を動かす。
それから
「実に趣向の凝らさられた御茶だ。厚かましいが、御代わりを頂いても?」
と褒め称えてくる。
僕以外には理解できなかっただろう。趣向も何も、いま部下に飲み干させていたではないかと。
しかし、言外の意図は「次は、そちらの手番ぞ」だろう。
……思っていたのと違う。なんというか……この王子様、ちょっと面白いぞ!?
でも、いつか僕は、王太子と雌雄を決せねばならない。
だからこそ、あまり人間的な触れ合いはしたくなかった。……それが責務とはいえ好意を抱いてしまっては、殺し合いがし難くなる。
やはり能う限り事務的に停戦交渉を終わらせ、無心で再戦に備えるべきか。
しかし、そんな甘い見通しは裏切られ、先行きは不透明となった。
なぜなら東部で流行していた疫病が全ガリアへ感染拡大し、どの勢力も戦争どころではなくなったからだ。
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