パリスィの戦い(五)

 大軍に兵法なしとばかりに、なんの外連味もない力押しだった。

 しかし、それが最も強い選択肢だったし、こちらの対応策も限られてくる。

 なぜなら数の優位を覆す作戦なんて存在しない。原理原則的に不可能事だ。

 ありとあらゆる戦術も『一時的に数の優位を封じる』だけで、根本的には何も解決できていない。

 そして誤魔化すことすら叶わないタイミングの力押しは、ほぼ詰めの一手とすらいえる。


 そんな大攻勢をベクルギ騎兵達が正面から迎え撃ってくれた。

 だが、しかし――

「……数が足りねぇですね。

 ――ルーバン、出るぞ! 馬を!」

 金鵞きんが兵の設営した防衛柵や堀があっても、数の優位は如何ともし難い。このままではジリ貧だろう。

「リゥパー! ルーバン! その……武運を!」

「若さm――陛下、こういう時は『敵将の首を獲ってまいれ』とか勇ましく送り出すもんですよ!」

 そんな師匠リゥパーの軽口に、弟子ルーバンもニヤリと笑い返してきた。

「それでは某達が右翼を受け持とう」

「……あいすくりんが溶けぬうちに戻りましょうぞ」

 師匠フォコンへ手綱を渡す弟子ポンピオヌス君も、いつもの?調子だし。

 窮地に在っても微笑めとは、このことか。いや、ここが死地だからこそ?



 勝ってくれと四人を送り出したものの、その実、迷っていた。

 そもそもが大誤算だ。なにもかもが想定外すぎる。

 どうして生きるか死ぬかの決戦を、こんなところで!?

 僕の参戦理由は、誰にも――王にも王太子にも勝たせたくなかった。それだけが理由だ。

 大仰に軍を動かしてはいるものの、念頭にあったのは示威行為に過ぎない。

 負けそうな方への助勢を仄めかし、いわば漁夫の利をせしめる算段だ。

 パリスィ近辺を――ガリア中央部を版図へ加える為じゃない。それどころか王や王太子の首級にすら興味はなかった。

 なのに、なぜ? どうして王太子と殺し合いを!?


 それに戦いの趨勢が決定的なら、これ以上の抵抗は無意味だ。

 どちらにせよ死ぬ――殺されるのであれば、友人や仲間の命が救える方がマシでは?

 王太子とて降伏すれば矛を収めるだろうし、僕には乱を起こした責任がある。

 名誉ある討ち死になんていう選択肢は、最初から与えられていない。その権利はもう、質へ入れてしまっている。


 だが、それだと僕の夢見た未来も潰えてしまう。

 飢餓との戦いも、大きな後退を余儀なくさせられる。それに――

 これまでに積み上げてきた犠牲の意味は? この手で殺めた無辜の人々に、無理だったと泣き言を? なにより僕へ捧げられた忠誠を裏切れる?



「……殿、そろそろ御準備を」

「なにを暢気なことを、トフチュ。落ち延びるとして、何処からというのだ?

 そんなことより稀代の英雄同士の戦いぞ? おのこであれば血が沸くであろう?」

 アンバトゥスの物言いは勇ましいというより、達観しているかのようだった。

「まだ間に合いますって! いまから機会を! 必ず御二方が抜け出る隙を作りますから!

 ――左翼! 持ち堪えろ! ありったけの矢を射かけて敵の足を止めるんだ!」

 アンバトゥス主従へ応じつつもシスモンドは、血相を変えて左翼へ走っていった。

 ……あれが血相を変えて……走る? かなり拙いかもしれない。

 その通りだと言わんばかりに、すぐ近くへ流れ矢が突き刺さる!

「大楯兵、前へ! 肉壁となってでも、陛下を御守りせよ!」

「いつも通り、多数で掛かれ! 三対一だ!」

 トリストンとジナダンが金鵞きんが兵を叱咤激励する。

 みれば防衛網を潜り抜けた敵兵が、金鵞きんが兵の密集戦術に狩られるところだった。

 敵軍はガリアの――時代の主流な散兵戦術で、乱戦へ持ち込めば本陣襲撃に成功する場合もあった。

 しかし、それは突出した個に過ぎず、数――密集戦術には敵わない。史実にも一対三で勝った例はだ。

 でも、流れ矢の心配したり、目の前まで敵兵が来たり……生涯でも屈指の窮地といえた。

 もしかしたら金鵞きんが城へ襲撃された時より、いまの方が危なかったり!?

 やはり、討ち取られてしまうくらいなら、この首で降伏を――


 軍気とでも呼ぶしかないものがある。


 ややオカルトめいて信じては貰えないかもしれないが、どうしてか注意を惹き付ける気配というか……不思議な何か。

 もう存在するとしかいえないし、それが僕に見せつけてきた。

 馬から崩れ落ちるリゥパーの姿を!

 信じられない。俄かに現実感は喪われていき、すべては白昼夢のようだ。

 隣の馬上で叫ぶルーバン。その騎馬隊の脇を――

 敵騎馬兵が駆け抜けていく! 正面が突破された! 目指すは本陣……いや、僕か!

 追い縋るベクルギ騎兵やルーバン達を振り払い、遮らんとする金鵞きんが兵を跳ね除け、ただ僕だけを目指して!

「ここが死に場所だ! 命に代えてでも止めよ!」

 ジナダンの号令と共に僕の前へ、大楯で即興の防壁が建てられた。

 だが、人力で何頭もの騎馬を止められるはずもない。無理矢理こじ入るように防壁を抜けた敵騎兵が槍で僕を――

「トリストン!?」

 身代わりになんて!? しかし、応えは言葉でなく大量の吐血で以って為され、また離すものかと自らを貫く槍を押さえていた。

「でかした、坊主!」

 いつの間に追いついたのか、背後からリゥパーが飛び掛かり敵騎兵と一塊に転げ落ちる。

「なっ!? リゥパー!? 貴様には三騎掛かりだったのだぞ!?」

「止めを刺さないのは手抜かりだったな、セルバン!」

 そう言い放つや、に持った短刀で敵騎兵――騎士ライダーセルバンの喉首を掻き切った。

 その様子を見て安心したのかトリストンは力を抜き、引っくり返ってしまいそうなのを慌てて支える。

 ……もう助けられない。血が流れ過ぎている。

「陛下……御恩を少しは……どうか大望の御成就をなされますよう」

 それが終の言葉だった。トリストンは満足そうだったけれど、こんな呆気なく!?

師匠マスター! いま手当を!」

 泣きながらルーバンがリゥパーの右腕を縛ろうとするも、当の本人に止められていた。

「無駄なことは止せ。腕だけじゃなくて、はらわたも掻き回されちまってんだ。もう痛みすら感じねえ」

 叱りつけるようにリゥパーは、ルーバンの頭を乱暴に撫でる。

「泣くな! お前には、この鎧を残す。……直せば使えるだろう。

 あとフォコンに謝っといてくれ。セルバンをとっちまって悪かった、と。

 陛下、残念ですが俺はここまでの様です。あとのことはルーバンに……」

 そこで緊張の糸が切れたのか、リゥパーは眠るようにして息を引き取った。

 


 左翼から戻ったシスモンドが本陣を立て直す中、まだ呆然としていたら――

「あの狼煙は?」

「……新手か? いや、でも……あの旗印は……」

 と謎の集団が発見され、さらに混迷は深まった。

 目を凝らしてるルーバンに目で問うと――

「南部のアキテヌ侯キャストー様の旗印と……おそらく金鵞きんがのですね」

 と教えてくれた。……目が赤いのには触れないでおこう。僕も同じだろうし。

「アキテヌの軍勢が? それに金鵞きんがの旗印は、まだ作ってないよ?」

「でも、青と黒と白の布を吹き流しにしてて……金鵞きんが兵の御仕着せと同じですよ」

 なるほど。まさしく旗ではなく、旗印だ。

「つまり、あの軍勢はアキテヌ勢で北王国僕らの味方?」

 二人して首を捻っていると、さらにシスモンドが奇妙な話を持ってきた。

「おそらく新手は、少なくとも敵じゃありませんね。南部から派遣された友軍では? ……段取りしてらしたので?」

 慌てて参謀長に首を振る。その手があったと気付いたのは、今さっきだ。

「ですが王太子の方は、我々より先に察知していたようで――」

 ……それで王太子軍は急いていたのか。

 よくよく考えると騎士ライダーセルバンの大攻勢も、有利側の取る選択肢ではない。

 つまり、僕らの援軍を踏まえてか。

「――あちらさんから正式な停戦交渉の打診がありました」


 なにを言っているのだろう?


 不利になったから降参? こっちは何百名もの兵士、さらにはリゥパーにトリストンまで喪っているのに?

 どうしてアキテヌの軍勢が戦場へ来たのかは分からない。それでも窮状を訴えれば、僕らに味方してくれるはずだ。

 同様にアキテヌの規模も分からないけれど、少なくとも王太子軍と似たような総数にはなるだろう。

 だが、それで――


 どちらかの軍勢が死に絶えるまで継戦を? それも仇討ちの為に?


 そんなの正気じゃないし、もちろん間違っている。

 なにより酷い背信行為だ。僕に捧げられたトリストンの、そしてリゥパーの、あるいは名すら教えぬまま逝った兵士達の忠誠を裏切っている。

 皆、僕を信じて戦ってくれた。如何なる理由があろうと志を曲げることは許されない。


 そして『国家に友人が居てはならない』ともいうけれど、この言葉が持つ本当の難しさは、逆にした場合だろう。

 つまり、国家に友人が居てはならないのなら、仇敵も居てはならない。

 好き嫌いはもちろん、恨み辛みで判断したら間違えてしまう。


「停戦の要請を受け入れるよ」

 そう血を吐く思いで口にした時、パリスィの戦いは終わった。

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