出陣
桟橋は大混乱に陥っていた。
……まあ当たり前か。ざっくり二千人近くが乗船しようと詰めかけている。明らかにキャパシティ・オーバーだ。
しかし、想定済みだったのか、ちゃんと下士官達は迷子対策をしていた。
「どの船に乗れば良いのか分からんだと? 貴様、右手の甲を見せてみろ!」
……冗談で「兵士の手に乗るべき船の数字を書いたら?」といったのを実施したらしい。
「怒らねえでくだせえよ、兵士長殿。ちょっと船に見とれてたら、仲間達に置いてかれちまって――」
「いいから手の甲の数字を見せろというのに……
ドゥリトルの正規兵や
本人が慣れてないのはもちろん、部下も臨時雇用や傭兵などが多く
……手綱は緩めない方が良さそうだ。思わぬ
「本当にあの者達も伴う御つもりですか?」
あまりな無秩序ぶりに、さすがの母上も苦言を呈された。
軍事関係、それも用兵上の問題へ口を挟まれるなんて実に珍しいし……それだけ食客達の酷い証拠ともいえそうだ。
「無論です! リュカめには、あの高貴な客人の方々から、尊き務めを奪うなんて、とてもとても!」
耐え切れなくなったのかウルスと
というのも
それは従軍の義務だ。
ドゥリトルが攻め込まれての防衛戦はもちろん、何処かへ遠征の場合も参加せねばならない。
そして参戦といっても着の身着のまま裸一貫などが許されるはずもなく、ある程度の武装や配下の兵が要求される。……用意できなかったら、以後は軽く見られてしまうし。
そんな訳で食客達の当主格は、息子や家臣に武装させ、ありがたくも従軍を申し出てくれたし……数の足りない分は臨時雇いしたり、適当に傭兵を集めたりだ。
「少し頼りないかもですが、あの人達はあの人達で出番の予定ありますし」
「ですが、ここまでの規模が本当に必要で? それに足手纏いとしかならぬ者を、置いていかれては?」
「大丈夫だって、ウルス。確かに大動員となったけど……いつもと同じだけ防衛戦力も残してある。それに今回は、帰りも船だから。どこかが攻めてきたって、僕らの戻る方が先だよ」
これは掛け値なしに事実だった。
手薄となった領都を攻めるとしても陸路だと、その準備や移動だけで一ヵ月はかかる。
しかし、一ヵ月もあれば勝ったにしろ負けたにしろ、どちらであろうと僕らは帰還済みだ。
これが河川や海――船舶を使った用兵の恐ろしさだろう。移動可能な範囲や速度が桁違いとなるのは。
「よく分かりませんけど、くれぐれも船から落ちたりしないで下さいよ、若様!」
先回りしての御小言だ。いつまでたってもレト義母さんには勝てる気がしない。
「御武運を、リュカ」
「ありがとう、義姉さん」
気丈なようでいて、やはり怖がりな所は相変わらずだ。僕の出陣には慣れてくれそうにない。
「御武運を、義兄さん。それと御供に、この子を」
なんとも面白いことにエステルは一匹だけ黒い仔犬を抱き、ベック族のイフィ姫と守り犬バァフェル、仔犬達と行儀よく並んでいて……厳かでありつつも、愉快な雰囲気を醸し出していた。
しかし、白、黒、白、黒と……また見事に産み分けたものだなぁ。
「戦場へ仔犬を連れてけって!?」
「でも、その子がタールムの後継ぎだし」
「……後継ぎって? 何の?」
「守り犬のに決まってるじゃない!」
「遊びじゃないんだぞ、ステラ?」
「もちろん弁えてるわ、義兄さん。でも、タールムが
「……常々不思議だったんだけど、ステラは犬の言葉が分るのかい?」
転生者がいるぐらいだ。妙な異能が存在の可能性はある。
「犬の言葉が分る訳ないじゃない! 義兄さんったら、おかしい!」
「いつもタールムの代弁してるじゃないか!」
「タールムは特別。私達が小さな頃、義兄さんは全く喋らなかったから、私とタールムは凄く困った」
僕が覚醒する前の話か。まあ迷惑かけちゃってただろうなぁ。
「でも一生懸命に観察してたら、なんとなく義兄さんやタールムの言いたいことが分るようなったの」
コミュニケーション能力の欠落した子供は、言葉を使わない意思疎通をはじめる。……受け取る側に非常な忍耐力を要求しがちだけど。
それに「犬の言葉が分る」ではなく「犬が人間に忖度」の可能性もある。なんとなく察した犬の方で、辻褄を合わせをしてたり?
どうやら超能力の類ではなく、それでいて謝罪案件のようだ。少なくとも感謝を表明するべき?
が、一瞬の逡巡をつくように鼻先へ
「はい。まだ歯が疼くみたい。たまに噛むけれど、あまり叱らないであげて」
取り扱い説明された当の本人は、僕の顔をペロリと舐めてきた。
「ご、御武運を、リュカ様!」
気恥ずかし気なイフィ姫の見送りが心に沁みる。……どうして僕は、いつも
しかし、いざ出発してみると単調かつ退屈で、乗客の僕らは風景を眺めるくらいしかやることもない。思わぬ落とし穴だ。
「船での出陣は、また趣きが違うのだな」
ランボの発言に、どうしてかポンピオヌス君が顔を赤くした。なにかあったのかな?
西からの食客には、彼の許嫁なジョセフィーヌ様も名を連ねているけど……まさかポンピオヌス君ってば、良い雰囲気で出立の別れを!? 僕が
ズルい! 僕も見たかった、そのオネショタ!
「いや過日の折、先遣隊は行進していったであろう? 縁者が兵士に声を掛けるのは同じでも、いささか風情が違うと思うてな」
確かに桟橋での別れは、長々と話しこめたりで違うと言えば違う。
「乗船作業が滞りなく進めば、多少は良いんだけどね。……見送りを制限とかしたくないし」
兵士や残された家族にすれば、今生の別れともなりかねない。杓子定規な対応は考えものだろう。
しかし、これを聞いてランボは何やら手帳へ書き付けていた。……もしかして真面目?
「それに小さな船が多く、また型も揃ってないのが気になったな」
「ああ、それは仕方ないんだ。商人達から借りた船ばっかりだし。ドゥリトル所有は……
おそらく
それで何処からともなく買い付けられた
この
「一ヵ月ほど船を貸して貰えたら助かる」
と商人達に
「それにしても船での進軍は……なんといいますか……単調に御座いますね」
赤面から立ち直ったポンピオヌス君が、もの足りなさそうに感想を漏らす。……後で問い詰めちゃうからな。
「まあ僕らは乗ってるだけだしね。だけど、これで五ノットぐらい――行進の三倍ぐらいな速度で進んでる。さらに休憩も要らないから……明け方には海へ着いてるよ」
「……ふむ? それでは陸路を行った場合、数日程度で?」
「それは騎馬だけの場合かな。行軍だと、もう少しかかる。一週間ってところだね。徒歩の者だけじゃなくて、荷車とかを伴うし」
またランボは、何やら手帳へと書き付けている。……かなり几帳面な性格だったらしい。
「船だったことを感謝するべきと思いますよ、従士ポンピオヌス。私もティグレの流儀を見習って、初陣で荷担ぎをさせるつもりでしたから」
珍しく軽口を叩きながら
「マ、
「冗談ですよ。そんなことをしても疲れてしまうだけでしょう。
しかし、従士ポンピオヌス。戦士であれば幸運は幸運と素直に認め、それを最大限に生かすよう努めねばなりません。ましてや自ら手放すようでは……。
そのあたりのコツは……従士ルーバンを見習うといいかもしれませんね」
さすが
「リュカ様。総員一九九五名、大過なく乗船とのことです」
ティグレに続いてフォコンも大抜擢――僕に次ぐ副将へ任命している。
そして何をしていたかと思えば、細々とした報告を取りまとめてくれてたのだろう。
しかし、早くも総員が若干名減っている。……理由は迷子だとか行方不明だったらよいのだけど。
「ありがとう。報告は承ったよ。全軍は、このまま船上にて待機。楽にするよう言ってあげて。飲酒は……夕食後に一杯だけを認める」
実質的な禁酒令に酒飲みのフォコンは怯んだ。
でも、酔っ払っての事故が怖い。皆には素面で居て貰わねば。
「……明日までの我慢だよ、フォコン。嫌でも酔えるさ、海だしね」
が、なぜか渾身のジョークは通じなかった。どうしてかフォコンは首を傾げている。
「そう海です、リュカ様! さっするに海とは酒精を含むので? ポンピオヌスめは、しょっぱいと聞き及んでましたが!?」
「俺も、しょっぱいとは耳に。しかし、でかい水溜りらしいが……どれほどなのであろう? さすがにガリアの森よりは小さかろうが……――」
なるほど。ほとんどが海は初見か!? 大丈夫か、これ!?
事前知識なしに海なんて見せたら、カルチャーショックを受けたり!?
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