交渉
まるで西ローマ末期だった。
前世史において西ローマ滅亡は四七六年とされ、そこから中世という時代に区分されるのだけど……事実としては、それ以前に滅んでいる。
日本史でいうところの室町幕府な滅亡パターンで、西ローマ皇帝が在位していても、名ばかりで統治者とは見做せなかった。
現地の武装勢力によって
西ローマ滅亡を四七六年と定義したのも、最後の西ローマ皇帝が追放された年だったというか……それ以降は西ローマ皇帝が任命されなかったからだろう。
ようするに前世史のガリアは、三世紀の危機と称される軍人皇帝時代から八世紀にカール大帝がフランク王国へ統合するまで、約五百年近く断続的に乱世だった。
……今生で東ローマ――ビゾントン帝国の侵攻が、ガリアの団結をもたらしたのは大きな皮肉といえる。
それも停戦の結果、喪われたというか……ガリア本来の姿へ――雑多な勢力が犇めく乱世へ戻ったというか。
まずフィリップ王を中心とした旧来のガリアだ。
王都――東ガリアを中心に依然として最大勢力なものの、背後に
そして笑い話の様だけど唯一、戦後補償が残っている。このままだと
次が僕ら北部同盟か。
東ゴートとの対決を優先したいフィリップ王とゲルマンの南下に悩まさせられてる北部は、当然に対立することになった。
しかし、王と同じく
そして王太子一派で、本拠地には西ガリアを選んでいる。
背後に同じく
よって最有力とは呼べずとも、地政学的な優位を確保している。
さらに数え切れないほど小さな勢力だ!
混乱の治まらない南部は、王太子の目論見通りに痺れてしまっている。
いつ彼らが動き出すかは、情勢を大きく左右するだろうし……いっそのこと王太子へ嗾けてしまうのも手か。焦土戦術で恨みを買っているだろうし。
……逆説的に王太子一派は短期決戦を考えて?
またポンピオヌス君の実家みたいに、孤立した小さな領地も多い。
ほとんどが王に仕える
まあ不用意な発言をすれば、次の日には攻め滅ぼされかねない。仕方のない仕儀だろう。
もう誰からコンタクトを求められてもおかしくなかったし、許されるのなら僕もガリア行脚を始めたいぐらいだ。
何処かと競合にでもなれば、交渉へ入った順番も重視されるし、それを突き詰めたら「早い者勝ち」となる。
つまり、いまは拙速になろうとも動くべき局面といえた。
「……でも、それはそれとして、やっぱり早過ぎな気がする」
「なんと!? まだ趣向を凝らす予定か?」
「いえいえ! そっちの話ではなく! えっと……独り言で!」
全裸で振り返るガイウス・コリネリウス・スキピオを安心させるように手を振って応じる。
……なんだってローマ人は、全裸に抵抗感ないんだ?
「しかし、このような削り氷の山を、いまの時分に御目に掛かれるとはな! いやはや眼福よ!」
風流な感想を述べていたかと思えば、突然に削り氷を掬い取って頭から被り始めた。
湯あたりしそうなほど熱い風呂へ浸かり、限界寸前に大量の削り氷を浴びる。もの凄い贅沢だろう、この時代にあっては。
さすがのローマ
「ご堪能されているようで、こちらも歓待のし甲斐があります」
「おお、実に満足よ!
そう応じつつもガイウスは、削り氷へ埋め込んでおいた
古代からの定番といえど、珍しい超高級品だ。接待として十二分なインパクトを与えられたか?
「そちらの白い方も御試しを。シャーベットとは、また異なった趣きが」
「おお! こちらは
そして堪能したのか、ざぶざぶと湯舟へ戻ってきた。手土産に
……こりゃ二周目へ突入か。
「レオン殿の話を聞いて、ただちに動いたのだ」
すぐには意味が分からなかった。もしかして「早過ぎる」という問いへの答え?
「それは、また……なんといいますか……とにかくドゥリトルは恩義に――」
「いやいや、こちらも欲得ずくよ。そう畏まらんでも良かろう。なにより俺は商人ガイウスでもあり――
……なるほど。まったく目が笑ってない。額面通りに受け取って構わなさそうだ。
ローマの帝政初期は、大まかに三つの派閥へ――門閥派、
皇帝は最高権力者なものの、まだローマ市民代表という体裁を維持していたからだ。
なので元老院の――上位公職者を選出し、立法もする最高議決機関の権力も喪われていない。
そして元老院は有力ローマ
ガイウスが
平和とは次の戦争への準備期間に過ぎないと説いたのは、誰だったか。
どうやら戦争帝国ローマは、もう次の準備を始めたらしい。つまりはガリアの調略を。
……『歴史の強制力』という
前世史でもガリア人は、ローマ人という自己認識を持ち得なかった。
いつまでも精神的には被征服民であり続け、ガリア人的な理由での部族闘争が絶えなかったという。……今生と同じように。
そして東ローマも懲りずに西ローマ皇帝を擁立し続け、その影響力を取り戻そうと足掻いた。……いまガイウスが画策しているように。
もちろん忘れちゃならないゲルマン達も、今生と変わらず頻繁に南征を試みてくるし……前世史では、それを阻み損なったほどだ。
本当に『あるべき歴史』とやらが存在し、それへの回帰は常に試みられて?
結局、帝国の
「いまごろは王太子のところへ皇帝の使者が?」
「それはないな。彼奴めは、やり過ぎた。皇帝陛下の覚えが悪い。誰ぞ差し向けそうなのは、民衆派であろう」
……拙いな。本気で帝国は二回戦目を考えている。
見据えての調略だろうけども、しかし、だからってドゥリトルを売り払う訳にもいかない。僕にだって譲れない線はある。
「父上は人質ということで?」
「そう考える必要は無かろう。……俺もポンドールに釘を刺されておるしな。
門閥派としては、北部の名門ドゥリトル家に恩を売りたいのさ。
俺としては傍観していてもよかったが、まあ知らぬ仲でもない。商売がてら仲立ちでもと思うてな」
つまり、通常の人質交渉でありつつ、若干の含みを持たせたいのだろう。……なんというかローマの政治は複雑だ。
「して父上の身代に、いかほど要求される御つもりで?」
「我らはレオン殿を大金貨十万枚で購った。
しかし、まだ交渉の余地は残っておるし、俺に全権も委任されている」
「つまり、ガイウス殿が納得されれば交渉の成立ということで?」
「その通りだ。門閥派のガイウス・コリネリウス・スキピオが十分と感じればな」
おそらく「門閥派の犬になります」とでも答えれば、支払うどころか逆に資金提供すら望めるだろう。
が、そこまでは求めていないようだ。
それこそ本当にガイウスを気持ちよく帰国させれば、上手いこと収めてくれるだろう。……老練なローマ
ならば――
「ガイウス殿には、この風呂を――人造温泉をお譲りしようかと考えております」
「この浴槽をか? いや温泉と申したな……つまり、湯が沸き出でるのか?」
「はい。この人造温泉は水車の力で、休みなく湯を湧き出すのです」
うん、まあ釣れた。実に他愛ない。なんだか申し訳なくなるほどだ。
ガイウスのような人種は、不思議や謎に魅せられ過ぎだろう。
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