ルゥシヨン港奪還戦
母上が僕の肩へ手を置かれる。もしかして引っくり返りそうになってた?
……あるいは御自身が崩れ落ちてしまわぬよう、支えを必要とされたのかもしれない。
だが、そうやって互いに身を寄せ合っていても、酷い孤立感で押し潰されそうになる。
もう頼れるのは自分達だけ。寄る辺もなく世界には母上と僕だけしかいない。
そんな迷妄に囚われかけ、慌てて首を振った。そうじゃない。母上と僕には沢山の味方がいる。
名代として真に才覚を求められるのだって、これからだ。勝負は、まだ始まってすらいない。
「まずは子細をと言いたきところですが……そちらの御仁は?」
しかし、紹介を求めただけで、さらに相手は深く平伏してしまう。
「……リュカ様、この者に直答を御許し下さいませ」
そう
僕が喋る姿に驚いてたり、全体的な流れに憤りも感じつつ……なぜか同伴者へ同情的のような?
釈明、弁解、言い訳――何であるにせよ、直接の機会を与えてやりたい。そんなニュアンスを感じた。
「直答を許します。……そう畏まられぬよう」
「御寛恕に感謝を!
まずはドゥリトル家および御当主レオン様へ、我が主キャストーより永久の友誼を!」
やや形式ばってはいるものの、一般的な儀礼の範囲ではある。……緊張のし過ぎに目を瞑れば。
それに
アキテヌとドゥリトルは家同士で盟約を結んでいる。南部と北部で直接的な利害関係は少なくとも、一応は親しい勢力といえた。
「また此度の苦難に際し、アキテヌはドゥリトルへ無制限の助勢を確約したく! 我が主も南部が落ち着き次第、当地へ馳せ参じまする!」
……やっぱり妙だ。
同盟家の当主が虜囚の憂き目に遭った。それは確かに一大事だし、他家の事とも流し難い。
だが、そう踏まえてもビュウフェの態度は奇妙すぎる。
堪らずソンギィエに目で問い質す。
「御屋形様に在られましては撤退に際し、自ら囮役を御引受になられたのです」
……なるほど。そんな事情では、アキテヌ家も畏まらざるを得まい。
全てはルゥシヨン港の奪還戦で起きたそうだ。
彼の地は
ただ焦土戦術の最中であり、急いで攻勢へ出るべき状況でもない。
焦土というコストを支払った以上、敵軍は内陸深くへ引き込んで対処し、海上戦力はゲリラ的に補給妨害を狙う。
それが安定して戦果の見込める方針だった。……むしろ、敢えて港の占拠を許したまで?
しかし、戦争終結が間近ともなれば事情も変わる。
帝国に足掛かりを残されたら困るし、終戦後に返還される見込みも薄い。なんとしてでも講和前に、ルゥシヨン港を奪還しておく必要があった。
……それが無理攻めであり、余剰戦力の全てを注ぎ込むことになってもだ。
ちなみに諸侯からは、猛反対を受けたらしい。
誰もが停戦の情報を得ていた訳ではないからだろう。……あるいは、これを契機に全諸侯へも停戦を知らせた?
とにもかくにも作戦は強行される。……他に選択肢も無い。
陸から主勢力の本隊と陽動部隊、海にも陽動と――大規模な反攻作戦だ。
そして激戦区は海となった。
陽動を仕掛けてからは、終了間際まで圧を掛け続けねばならないし……作戦が成功しても、一時的に敵船舶の退路を塞ぐ形となる。
引き時を間違えたら敗戦の憂さ晴らし、あるいは戦果稼ぎの的となりかねない。
「撤退中の敵方に追われる形となった某達は、命数尽きたと覚悟をすら……。
ですがレオン様は、まだ幸運に賭けてみるべきと――帝国軍とて、逃げながら
どうしてドゥリトルが――陸上戦力中心の父上が、その一部とはいえ海戦へ投入されたのかなど……いくつか謎な部分も多い。
しかし、それを加味してもビュウフェの態度は奇妙すぎる。一体全体、なにを気に病んで?
「リュカめには、そうも御身が畏まられる理由が判り兼ねます。
勝った負けたは武門の常。このような配慮をされては、むしろ我が父を軽んじられているようで――」
「決して、そのようなことは! そうではありませぬ、御名代!
レオン様は、我が主キャストーに後継の不在を御指摘され……二手に分かれるといっても……まるで御自身は囮役かのように……――」
「だとしても我が背は、盟約の求むるに従ったまでのこと。そのように平伏して頂く謂れはございませぬ」
平然と母上は仰ったように見えて、実は全く違う。
僕の肩へと置かれた手は、痛くなるほどの力が込められていたし……精一杯に堪えておいでだ。
……喚き散らしたかろうと、それは許されない。武家の本分は痩せ我慢にある。
「捕虜交換は!? 捕虜交換はしなかったの!?
虜囚の辱めを受けたといっても父上は、その命脈を繋がられた! そして命さえあれば、いずれ名誉挽回の機会も得られるというもの!」
「間の悪い事に御屋形様は、御健闘され過ぎたと申しますか……目論見通りに敵方を引きつけられまして……その結果、しつこく帝国海軍に追跡を。
そして我らに御生存の報が――身代金の要求が舞い込んできた時には、停戦直後の捕虜交換も……」
申し訳なさそうなソンギィエの報告に、黙るしか無かった。
現代人が捕虜交換といわれたら、式典の場で大人数を交換し合うイメージか。
しかし、それは文明的過ぎると言わざるを得ない。
そもそも捕虜を専用の施設へ収監したりは、近代からの習わしで……それ以前の時代は『殺す』か『売る』の二択となる。
……東洋では頻繁に万単位の捕虜虐殺が散見できるし。
そして、おそらくは『売る』が捕虜交換の母だ。
健康な男の市場価格は年収の半分以上と大金なものの、それを捕虜自身が支払い可能なこともある。
つまり、本人が「家の者に、少し上乗せした金額を持ってこさせる」とでも持ち掛けたのだろう。
……その証拠でもないが若きカエサルが自分を捕まえた海賊相手に、自ら交渉した逸話なども残されている。
さらに『売る』も維持コスト――捕虜を監視する人員や食費――の問題から、それほど時間的有余は与えられない。
下手をしたら当日の間に、どこからともなく集まってきた奴隷商人へ売却されてしまう。
逆説的にいうと、ほぼ毎日のように捕虜に関する交渉はされてたし、戦況が落ち着く度に捕虜の交換や釈放も行われた。
もちろん、誰も彼もが自己責任で自弁とはならない。
王には諸侯を買い戻す義務があった。そして諸侯は家中の
しかし、どの君主も戦争へ赴いた時点で経済的には苦しい。
なので臣下を買い戻す財源も、結局は『売る』に頼りがちで……つまり、それは原始的な捕虜交換と呼ぶしかないだろう。
「もしや我が背は見限られたのですか!? ならば急ぎ使者を!」
「交渉は開始されております! 御安心ください、御方様! さすがに王も、そこまでは!」
血相を変えた母上に、慌ててソンギィエは取り繕うけど……むしろ雲行きは怪しくなったような?
もしかして我らがフィリップ王は、相当の頼りとならない御仁!?
「相場通りに約定を交わせば、相手も納得するでしょう。なぜ
父上も平民と変わらず年収の半分強――大金貨換算で十万枚が相場となり、さすがに手痛い出費となる。
だが、ドゥリトルにだって
実際には半分も用意すれば足りるはずだ。……
「それが王は……王家の名誉に懸けて身代金は用立ててみせると……ただ、すぐには当てがないので、その分だけ御屋形様には、待って頂くと……」
「その間、ずっと父上には虜囚の身でいろと!? というか帝国兵を捕まえた分は、使い果たしてしまったの!?」
思わず喚いてしまい、それでソンギィエとビュウフェの両名も縮こまるかのように平伏す。
……よくないな。これじゃ八つ当たりだ。
「うん? 王が
もちろん父上の安否が判明する前……だよね?」
「いえ、あれは確か……――」
「帝国から身代金の要求のあった翌朝だったかと……――」
その最悪な答えを聞いて、思わず大きな呻き声が出てしまった。
下手したら徳政令の口実に、父上の身代金が使われかねない!
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