新しい光

 余熱用に置いた温石を取り出す。

 ……タンク部分は熱いくらいだ。十二分に温まっている。

 その証拠にバルブを捻ると微かなガスの噴出音がした。ある程度の燃料が気化してる証拠だ。

 急いで細く切った火つけ棒で、ガスの噴出口へ火を移す。

 小さな破裂音と共に無色透明な火が灯る!

 むしろ当然とも思えるだろうが、しかし、これは銅細工職人たちの涙ぐましい努力を抜きに語れない。

 極く単純な混合吸気式――空気の通り道があるだけなバーナーで、不器用な僕でも図面が描けるほどシンプルなのだけど……その理屈や細部の必要性を理解して貰えなかった。

 意味不明で細かな指示は、さぞかし職人達を困惑させたに違いない。

 そんな苦労の末に生み出された炎が――無色透明な炎が、それを覆い隠すように包む小さな網――を加熱していく。

 結果――


 眩いほどの白熱光が生まれ、煌々と金鵞城の研究室を照らす!


 期せずして立ち会った観客から賛辞の拍手が沸き起こる。

 ありがとう! でも、それは苦労した銅細工職人達へ!

「素晴らしいです、若様! でも……これは今までと、どこが違うんです?」

「全然違うんだよ、ポンドール! これは――

 売れる! 商品化に何の問題ないんだ!」

 それを聞いてポンドールは真剣に考え始めだした。

 けっこう僕は、この顔が好きなんだけど……秘密にしておいた方が良いかな? 妙に意識されて止めちゃったらガッカリだし。

「これは器具――ランプが凄いのやろか? それとも燃料? あるいは――

 火を包む網が?」

「一応は全部。でも、一番の肝は、この輝く網だよ」

「ほなら、この網は一つ、御いくらで作れますん?」

 問われて逆に僕とグリムさんは首を捻ってしまった。

「値段を考えたことはありませんが……この網は、一日にどれだけ編めるのでしょう?」

「……ちょっと待ちい、グリム! これ……ただ編んだだけなん!?」

「御指図通り、最初は綿で編みましたが……麻でも変わり無いと判ってからは、入手のしやすい麻で――」

「じゃあ……この光り輝く網は、タダ同然ちゅうことかいな!?」

 まあ手袋で例えたら親指だけ――それも第一関節だけぐらいだ。網そのものの代価で考えたら、限りなく安い。

「いやいや……編んでから特別な薬品に浸すんだよ。だから温めると輝くんだ」

「ほなら、その薬品代は、御いくらほどで?」

 しかし、再び僕とグリムさんは首を捻る羽目となった。

 ジルコンを塩酸で溶かすと塩化ジルコニウム水溶液と固体化した石英が作れる。


 ZrSiO4 + 4HCl = ZrCl4 + SiO2 + 2H2O


 この塩化ジルコニウム水溶液が特別な薬品の訳だが……はたして幾らなのだろう?

「前にジルコニアを――詐欺師の金剛石を探して貰ったでしょ? その時にジルコンも――結晶化してないのもあったよね? あれを使ったんだ」

「塩酸も……値が付くようなのは塩と硝石だけですから……つまるところ硝石次第では? まあ、それも小さな網へ染み込ませる程度の量で足りますけれど」

 聞いてポンドールは、ヘナヘナと崩れ落ちた。

「つまりはタダ同然やないの。硝石かて自分達で作っとるんやから……」

 それはそうかもしれない。

「でも、一つ問題がある。これの燃料はテレビン油なんだ」

「ああ、なるほど。そうやったんですか……」

 高級品でもないのだが、いかんせん大量生産が利かない。ポンドールも目に見えてガッカリしてしまった。

 


 テレビン油は化学式でいうとC10H16であり、前世史では美術や実用塗料などに利用されている。

 そして横になるもガソリン類はC4~10H10~22な石油製品の俗称だ。

 つまり、今生で入手可能な油の内、もっともガソリンに近いのがテレビン油となる。

 実際に代替ガソリンとして使われたこともあるし、ロケットエンジンでも採用実績があるくらいだ。

 しかし、その生産量は少ない。

 ようするに木の油で、松脂などから蒸留したり、油分の多い木材を蒸して摘出する。

 そんな生産方法――生産量では、さすがに日常的な消耗は耐え切れない。権力者が独り占めして終わりだろう。



「セカンドベストもあるんだよ!

 こっちがアルコール・バーナー式。こっちがオリーブオイル・バーナー式」

 紹介しながら点けていくも、残念ながら強くは光らなかった。

 いわゆる電球色だろうか? 明るくはあっても白熱ではなく、優し目な感じだ。

「リュカ様!? これも滅茶っ明るいやないですか!? それに器具も簡素になったような!?」

 仕組み的に60Wの電球相当ともいえ、同サイズの蝋燭とは比べ物にもならない。比較方法にもよるけれど、数値化すると約五百倍前後だ。

 またガソリンほど――テレビン油ほど工夫も要らないので、かなりシンプルなシステムで成立する。

 そして核心に気付いてしまったのか、ポンドールは滝のような冷や汗だ。

「あかん……あかんて……これからは畑で蝋燭が獲れてまう」

 さすがは一を聞いて十を知る才女。楽しくなってきたので、さらに囁く。

「あの網――マントルっていうんだけど、すぐ壊れちゃうんだ。もう下手したら一日に一個いるぐらい」

「そ、そんな! こないな商品が……何度でも……いつまでも売れるなんて……」



 明治時代の日本において電気の月定額料金は、現在の価値で三万円に相当したという。

 その用途は電球ぐらいしかなかったのに、ガス灯との比較検討に値した。もちろんランニングコストだけでなく、手間暇も換算してだけど。

 踏まえるとガス灯も似たような価格帯だったといえるし、今生でも一世帯ごとに月々三万円未満なら購入が見込める。

 ……ようするに劣化版ガス灯、あるいはガス抜きガス灯な訳だし。


 それというのもマントルは、近世のガス灯時代を支えた骨子だからだ。

 アセチレンバーナーや酸水素バーナーは、三千℃前後の超高温で強く物質を光らせる。

 拠って発光体となる物質は限定されない。必要なだけ温度が足りてるからだ。

 これとマントルは真逆の発想――低い温度でも強く光る物質を厳選した。

 ……前世史での初期は、トリウムなどの放射性物質ばかりが使われて剣呑だったりするけど。

 とにもかくにもマントルが発明された結果、ガソリンバーナーの千五百℃程度でも強い白熱光が。

 アルコールバーナーに至っては、たった千℃という極めて低温での発光が認められた。

 もちろん真価を発揮するには、石油の資源化や天然ガスの活用開始が望ましいけれど……蝋やアルコール、各種植物油などが主力でも実用に足りる。

 まさしく『新しい光』と呼ぶに相応しい未来技術だろう。


 そして今や南部からの難民などでドゥリトルの人口も増えて十五万、世帯数に直せば三万世帯前後だ。

 粗利で前世史の価値にして月々七億五千万円――年へ直せば九十億円相当が見込める。

 ガリア全体でなら十倍以上は堅い。つまり約一千億円か。

 さらにヨーロッパ全体の人口――約二千五百万人から逆算しても……なんと年商は兆の単位へ到達してしまう。

 十年も続ければ世界有数のお金持ちとなれるだろうし、下手をしなくても数百年は続けられる。

 ……近代からの商人が薄利多売へシフトしたのも納得だ。



「この前に怒られちゃったけど、少しは僕も悪かったと思っているんだ。そう――

 いわば……これは僕の気持ちだよ」

 まず男らしく謝罪を表明する。そういうのは大事だ。

「そ、そんな! と、突然に……き、気持ちとか……いうたって……」

「謙遜なんて要らないよ。僕とポンドールは――もう長い付き合いなのだし。

 さあ、二人で帝国を……光の帝国を築こう? それも永遠不滅のを!」

「二人で……光の……永遠……」

 うん? なぜだか分らないけど、どうしてか心在らずだ!? ひょっとして……


 予算を無心の大チャンス!?


「と、ところで! そろそろ四号溶鉄炉の建設に着手した方が良くない?」

「よ、四号炉!? この前、三号炉を立て始めたばっかりでは!?」

「いやドゥリトルにも船が……それも外洋へ出れる黒鉄船が要るなぁって――」

「あ、あきまへん! そないに御ぜぜを使うことばかり考えて! それに! この前に用立てたんは、もう使い果たしてしまわれたんですか!」

「……大丈夫だって。僕らには溶鉄炉があるんだよ? あれさえあれば幾らでも現金は作れるさ。ちゃんとポンドールの為にも山から石を拾ってきてあげるし!

 そうだ! また投資信託ファンドを組もう! 前と同じくポンドールの音頭で商人達を募ってさ!」

「あかん……あかんて……身の丈に合わない商いは、失敗の元なんですぅ!

 でも、リュカ様がお喜びになると思うたら……うち、用立ててしまいそう……

 嗚呼、ホンマに……うち……こないに意思の弱い女やったんや……――」

 もう少し押せばいける! 朱鷺しゅろ屋が後ろ盾になってくれれば、四号炉どころか造船ドックの建造すら!?

 全ては些細な問題に過ぎない。なんといってもポンドールは、光の帝国へ君臨する未来の女王だ。

 それを考えたらウン十億ぽっちの融資なんて――




【補足】 塩化ジルコニウムのマントルについて


 塩化ジルコニウムでマントルが作れる(本当)


 製品的には0.5~5%の塩化ハフニウムが混じっていると望ましいようです。

 しかし、そもそも天然のジルコンにはハフニウムが0.5~5%混在しているので、あえて追加する必要はありません(本当)

 これらはチタン精製に関する技術群らしく、色々と研究されているようです。

 またハフニウム濃度を変化させる――薄めたいのであれば、結晶化した100%のジルコン――ジルコニウムを使えば調整可能と思われます。


 本文中の化学式――

 ZrSiO4 + 4HCl = ZrCl4 + SiO2 + 2H2O

 は成立します。

 しかし、この塩化ジルコニウム水溶液が目指した薬品となるかは不明です。


 というのも塩化ジルコニウムのマントルは、それなりに新しい技術で、特許系や論文系の記述を解読するしかありませんでした。

(『ジルコンと塩酸でマントルを作ろう』みたいなDIY的情報を基にしてません)

 これは放射性物質が社会問題化してからの研究だからでしょう。


 ちなみに従来の方法だと硝酸で溶かして薬液を作るそうです。

 つまり、トリウムで作る場合、トリウムを硝酸で溶かしていた模様(やはり直接的な情報はつかめず。しかし、文意的に正解のはず)


 当初、ジルコニウム単品を硝酸で溶かし塩化ジルコニウムを入手するルートを考えていたのですが――

 いきなりジルコンを塩酸で溶かして塩化ジルコニウムの方が早くね?

 こっちのルートならマグネシウム精製もカットできるし?

 という着想で、本文の手順となりました。

 しかし――


 専門家から駄目だしされる可能性が!


 なにか技術的問題があった場合、リュカ達は迂回ルートではなく段階を踏んでいると脳内で置き換えて下さい。


 ちなみにパーマネント・マントルというのもありまして、プラチナ製のマントルも実在します。

 さすがに千℃台後半の熱が必要――ガスorガソリンを燃料とするしか有りませんが、現代科学チートとしては容易な部類でしょう。


 あとマントルは空焚きしてから――設置した後に炭化させて使う道具なのですが、その描写は割愛しました。


 そしてアルコールバーナーでのマントルですが、こちらは多数のDIY情報がありますし、ググれば実情も確認できます。

 意外と明るくて吃驚されるのではないでしょうか。


 さらに割愛してしまいましたが、蝋燭などの裸火と違って発光の仕組みが全く違います。

 よって光が揺れたり、明滅したりがありません。

 これも大きなメリットでしょう。

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