命懸けの手番争い
人払いをした機織り部屋は閑散としていて肌寒かった。
そして習慣なのか、それとも心が落ち着くのか……機織りの手を休めず母上が沈黙を破られる。
「南部で起きるという戦争ですが、心当たりは無くもありません」
「……おそらく南部沿海領でしょうな」
御尤もとばかりに
「先代が殉難されたトロザ領は、割れるやもしれませぬ」
「何か問題が?」
「いまのところは寡婦の身を押してオディーユ様が御名代に立たれ、なんとか家中を取り纏められておられますが……継承で一波乱ありそうなのです」
やはり戦争だ。領主の――武将の戦死もあり得る。
そして驚くべきことに、まだ長子相続が一般的ではなかった。
ヨーロッパでは
「焦土戦略で疲弊したところへ領主の継承問題もですか。これでは停戦となっても、南部は落ち着きそうにないですね。戦後処理だって残ってますし」
「若様、我らとて他人事ではございませぬぞ!」
「セバスト殿の仰る通りかと。我が領内にも殉難者が」
一般兵士とは違って
「しばらくはガリア中が大騒ぎだね、これじゃあ。
もしかして恩賞の土地が必要だったりする? 開拓村を一つか二つなら融通できるけど……賠償金は取れないだろうから、どうしたって苦しい財務状況になるね。
それに帝国と停戦になっても、
「
そうだった。母上の御指摘通りだ。
しかし、混戦の最中に脱落者が出た場合、生き残った何れかと組むのが定石といえる。絶対に孤立だけは――多対一の窮地へ追い込まれてはならない。
「ですが
「僕らの立場で、それを王に求められるかな? 僭越と受け取られやしない?」
「
「しかし、
偶然といわれたらそれまでだ。残念ながらセバストの読みが正しく思える。
「ならば北部が一丸となって王に翻意を促すまでのこと!」
鼻息も荒くウルスは主張するけれど、それは王の――部族連合代表な立場の弱さだったりする。
まだ絶対的な権威を持っていなかったので、諸侯と折り合う必要があった。
「ああ、それで王家は、北部に火種を作っておきたかったのか。やっと全体像が分かってきた」
しかし、三人共に怪訝な表情をしている。もう少し説明が要るようだった。
「北部に不利益な同盟を結びたかったら、先駆けて余力を奪ってしまえばいい。
具体的にはドゥリトル領が御家騒動の真っ最中とか……領主を自分の息が掛かった者に挿げ替えるとかで。
駄目押しで
そして南部は焦土戦術で弱っている上に、期せずして継承問題も発生した。
つまり、一時的に北部も南部も、自分達のことで手一杯だ。
その間に
――ようやく母上の御忠告が身に沁みてきましたよ。恐るべき人物ですね、我らが王太子殿は」
何手先を見据えての行動だろう? それにいつから?
あきらかに後発だった僕でさえ、事前に停戦を察知できた。ソヌア老人も独自に情報を得ていた節がある。当事者の王家なら、もっと早くにだろう。
しかし、そうだとしても五手から六手は先を読んでいた計算になる。
さらに踏まえての選択が『南部での焦土戦術』と『ドゥリトル家中に争乱を起こす』なのも厄介だ。
俗に将帥は心に鬼を棲まわすというけれど、それだけで説明のつく話ではない。
「……母は、吾子の讒言を看過しかねます」
「御案じの通り、確たる証拠はありません。しかし――
たまたま無関係に大叔父上が叛意を、それも『突然に人が変わったの如く』抱かられる。その手下としてロランなる無法者を雇い――
さらに偶然、どうしてか自らドゥリトル領を内偵されてた王太子も、このロランを使われて?
しかも人目を避けて『シリルの店』などという下賤な場所で密会を?」
ポンピオヌス君の見立ては正しかった。サム義兄さんに手傷を負わせたのは、現役の
王太子であれば、北部出身の
そして黒幕が王家であれば、むしろ叔父上の言動も腑に落ちる。
逆の視点で考えると、ドゥリトル一族が王家に疎まれる大災厄だ。軽はずみな対応はできない。
見込み違いと王家に謀殺されるか、造反してでも一族の存続を図るか。……大叔父上も、苦渋の末な決断だったらしい。
「おそらく問題は、現状で王家が満足するのか、でしょう。
いまのところ状況証拠ばかりの上、証人も信用を得られそうにもない
母上も仰った通り、これでは評議へ持ち込む以前の話で……徹底的にやらないのであれば、僅かな言質を取られるのすら芳しくありませんね。
これで手を緩めるような相手であれば、静観も選択肢に――」
「しかし、若! 傍観してしまえば、北部へ
「それに吾子……王はともかく、王太子は! 彼の御方は危険です!」
母上ほどの御方が、ここまで強い言葉を使われるとは……もう尋常ではない。
「となると僕はもちろん、父上にも御注意の喚起を……戦時中に武将を謀殺なんて考え難いですが、僕の方は前例ありましたし」
真剣な面持ちで
おそらく領内のセキュリティ・レベルを引き上げるのだろう。
さらに窮屈となるのは不可避なものの、暗殺されるよりはマシだ。
また父上には、停戦より先に帰国して頂く。
謀殺や暗殺の可能性があるなら、事前に難を逃れられるし……父上は去年、一昨年と国元へ戻られてない。さすがに帰国を咎める者はいないだろう。
「しかし、王太子ですが……その人となりに、大きな疑問があります。
なぜ自ら動かれたのでしょう?」
僕で例えたら単身王都へ潜入しての工作および諜報活動に当たる。
危険なのはもちろん、適切な人材配置とも思えなかったし、変人で済ますべきでもないだろう。
「彼の御方は、誰も信用なされぬのです。……御自分以外は」
戦略に長けて、師の狂気をも飼い馴らし、独善的だが行動力もある……いわゆる覇王? それとも狂王だろうか?
どちらにせよ諸侯の立場で主君と仰ぐのは遠慮したいところだ。
「……王太子に御兄弟はいらっしゃらないので?」
「吾子! そのようには――明け透けな言葉にしてはなりません!」
さすがに失言だったし、そして吃驚もさせられた。……論点が『不敬である』ではなく、『不用心すぎる』だったからだ。
「姉君が……
「男子の御兄弟は……色々と御不幸が重なって……いまは末のエドゥアー王子が。
しかし、いまだ乳飲み子にあらせられます」
姉は外国へ叩き売って政治的取引か何かに使い、後顧の憂いを断つとばかりに弟達は始末……そんなところか。
王権を巡る権力闘争では珍しくもないとはいえ、残念ながら情や道理へ訴えたりは期待薄といえる。
頭が痛くなるほど仕え甲斐のありそうな王太子様だ。もう泣けてくるほどに。
だが、やっと僕にも盤面の対峙者が
確かに何手か先行を許してしまっている。でも、取り返しがつかないほどではない。まだ勝負はこれから――
「奥方様! 若様! 神官リジード様が、火急の要件にて御目通りを願いたいと城へ! なんでも
出入り口で立番をしていたブーデリカが遠慮気味に取り次いでくれた。
……なるほど。まだまだ手番を渡す気はないのだろう。
あと一手か二手を凌がなければ逆襲どころか、下手をしたら詰みかねない。ここが正念場のようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます