化学の祭壇
温泉の独特な臭い――あの卵が腐敗したかのような臭いは硫黄泉特有であり、実際に含有もしていた。
その証拠に温泉やガスの噴出口付近で黄色く固体化したものは、硫黄由来の合成物だったりする。
もう地域によっては、硫黄の露天掘りが可能な程だ。さしたる手間も要らず、ただ拾うだけでいい。
そこまで火山運動が活発でなくとも、空気が匂うのだから、硫黄を含むガス――二酸化硫黄は発生している。
噴出口からトンネルか何かで受けてやれば、硫黄採集装置の完成だ。
この硫黄だが、当然に古代から存在は知られていたものの、中世末期まで大した用途は発見されなかった。利用されても薬や殺菌、限定的な肥料程度か。
しかし、錬金術が、硫黄の活用法を発見する。
それも理系科学の三柱神が一角、化学の神を呼び降ろす重要資源として!
結果からいうのであれば、硫黄から硫酸が作れた。
また化学に明るいと分かるのだけど、硫酸があれば、硝酸と塩酸にもアクセス可能となる。
もちろん個別に硫酸+α、硝酸+α、塩酸+αと……それぞれの発展もあるが、基本は硫酸だ。それで化学薬品の大半が作成可能になる。
そして硫酸とは、乱暴にいうと三酸化硫黄水溶液だ。
ようするに硫黄の燃焼ガス――二酸化硫黄を更に酸化させれば生成できる。……それが可能であれば。
しかし、燃焼という最も簡単な酸化方法は、硫黄の燃焼――二酸化硫黄の獲得に使ってしまっている。他の酸化方法が必要だ。
その為の工夫が錬金術の奥義といえた。
少し話は横へ逸れるけれど、最も化学反応させやすいのは気体だったりする。
これは元素同士の結びつきが弱いからで、例えるならば『構成する元素同士が接触しないで踊っている』状態か。
対するに液体や固体の場合、腕を組んでたり、手を繋いでたりとなる。
この『構成する元素同士が接触しないで踊っている』グループを混ぜ合わせると、最終的に全く違う集団が結成されることがあった。
それが化学反応だ。
つまり、『水』と『硝石』、『二酸化硫黄』をガス化させて混ぜ合わすと――
2SO2 + O2 → 2SO3
2SO3 + H2O → H2SO4
となり『硫酸』と『亜硫酸カリウム』が合成できる。
通常、『亜硫酸カリウム』は固体化するので、両者の分離も容易だ。
さらに触媒としてプラチナなどを使うと捗る。
プラチナちゃんは稀代のサークルクラッシャーで、気体化した環境に放り込みでもしようものなら、もう大惨事を引き起こしてしまう。
誰とでも手を繋ぎたがる癖に、誰とも化学反応は起こさないので、気体化した『水』と『硝石』、『二酸化硫黄』の三サークルは極めて不安定となる。
そんな状態で合同ダンスなんて始めてしまえば、より安定し易い大型サークルへ――結合部分の多い物質へ変化してしまう。
この時代の人にも判る言葉で説明したというのに、どうしてか観衆から白い目で応じられた。
「で、で! ま、まあッ! それでッ!
グリムさんには、この作業を監督というか……観察?して、もう少し使いやすい器具を
もっと大きくて、丈夫で、何回でも繰り返せて……とにかく大量生産できる道具を! ああ、もちろん道具も、生産物である薬品も!
そしてヴィヴィとミミには、誰か適格者――危険な薬品を取り扱えるぐらい慎重な人を! 当然に口が堅くて秘密を守れる人を集めて欲しいんだ」
どうやら僕は、またやらかしたらしい。なぜかグリムさんは寂しそうにしてるし!?
「御内密にと仰られてましたが……まあ……このような御用だろうと……」
しかし、なぜか涙目なグリムさんは微笑んでくれた! よく分からないけど優しい!
「つ、強い! グリム……貴女、強くなったんだね……」
「これは怒っても……いえ、殴っても許される案件だと思う」
まあ例によってヴィヴィとミミは意味不明なことを口にしてるけれど、それは二人の芸風だろう。
めげずに実演を続ける。
「そして予め濃縮しておいた硫酸――過熱して水分を飛ばしておいた物に、また硝石を混ぜる。
……濃硫酸は劇薬だし、そもそも酸だから肌に触れたら大惨事になってしまう。それに硝石だって、乱暴に扱い過ぎると爆発の可能性がある。
やはり、慎重かつ器用、さらには秘密も守れる技術者を育成したいところだね。
あと、もし酸に触れてしまったら、この粉で洗い流すこと。重曹はアルカリ性だから、ほとんどの酸を中和してくれる」
「どうしてリュカ様は素手で作業を?」
「手袋に薬品が染み込みでもしたら、上手く洗い流せないかもしれないでしょ?」
「しかし、もう何か所も火傷をしておられます! 父や職人たちの使う皮手袋です。お使いください」
有無を言わせぬ感じに差し出されてしまった。
でも、試してみるとピッタリとフィットするのに、なんらかの撥水性能もある。ワックスか何かを使って?
「よし! いいよ、グリム! 効果抜群だよ!」
「……うん。コツコツいこう! それとボディ! ボディを使って!」
ヴィヴィとミミは、セコンドか何かなの!? だとするとグリムさんは、誰と戦って!?
下町に居た縁からか三人は仲が良いみたいだけれど、いまいち女の子の
なぜか顔が赤くなってきたのを無視して、説明へ戻ってしまうことにした。
「で、混ぜ合わせたのを加熱……といっても、そうだな……湯煎でも十分だよ。今回は蝋燭で温めちゃうけど。
これで先に出てくる蒸気が硝酸――やはり酸で劇薬だから、要注意ね?
副産物は硫酸カリウムで、そのまま肥料にしてもいいし、他の物を作るのにも使える。
それに蒸留してるだけだから、銅細工職人がお酒用でノウハウを持ってる。ダニエルには、それをガラスで作って貰う訳だけど」
承諾の印にグリムさんは肯いてくれたのだけど……その後ろでヴィヴィとミミが意味ありげなジェスチャーを繰り返していた。
なるほど、それが『ボディを使う』か!
……二人とは、公序良俗について話し合いを持つべきかもしれない。
「そしたら再び濃硫酸だ。今度は塩を混ぜる。すると気体が発生するので、これを捕まえて水へ溶かし込む。もちろん、これも毒ガスだから気をつけてね。
この水溶液が目当ての塩酸。
残った奴は硫化水素ナトリウムで、霧吹きで噴霧すると冷却されて固体化する。
ちょうど火山灰被害の対策――土壌の酸性度を下げるのに使えるから、ドゥリトルだといくらあっても困らないね」
ほぼ硫黄と硝石だけで硫酸に硝酸、塩酸と――化学のスターターキットが手に入ったも同然だった。
さらに副産物である硫酸カリウムと硫化水素ナトリウムは肥料として有益だ。
そしてポンドールへ贈る『新しい光』だけでなく、直ぐ思いつく用途に『王水』や『過酸化水素水』などもある。
まさにやらない理由がなかった。……その技術が盗まれないのであれば。
この技術漏洩で何が問題かというと、まだまだ利用法がある硝石の存在を知られることか。
いつかは全ての肝が硝石と判明してしまうにしても、それは遅ければ遅いほど良かった。
もう可能ならば圧倒的アドバンテージを稼いで置きたい。
となれば機密保持にどれだけ気を配っても、やり過ぎということはないはずだ。
気付けばヴィヴィとミミは二人で何度も手を打ち合っていた。
「ありがとう、若様! 私達から永遠の忠誠を!」
「出世万歳! 私達はお妾さんにして欲しいとか言い出さないから!」
「そうそう! 御賃金で片が付くから安心!」
「できたらボーナスも弾んで欲しい!」
言いたい放題の挙句、どうだとばかりにポーズまで披露してくる。
しかし、二人を化学薬品部門の責任者にするのは、悪くないアイデアかもしれない。
なにより総責任者はグリムさんだ。二人とも友人が困るようなことは起こさないだろう。
「……そういう訳だから、しばらく頼めるかな?」
「リュ、リュカ様が! リュカ様が私をお求めなら! なんであろうと! 御望みのままに! 私は……私は……御賃金やボーナス
義理堅いグリムさんは、いつぞやの恩返しとでも考えてしまった様だった。
でも、潤んだ瞳で見上げながらで、ちょっと刺激が強すぎる! 目に毒だ!
「大丈夫だよ! 今回は財源に当てがあるんだ! だから賃金もボーナスも期待して平気だから!」
この労働者にとって夢のような台詞は、どうしてか女の子達の深い溜息で応じられる。
……ちょっと意味が分からない。さすがに酷すぎやしないだろうか?
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