顛末と次への展望
「……若様? ホンマに借金も右へ書き込むん?」
「うん。この表記法だと、借り入れも貸方なんだ」
「借りたのに貸すん? けったいな考え方やな。そいで同じだけ左にも?」
「いや。本来ならそうすべきなんだけど、もう紙工房だの反射炉だのになっちゃってるから」
ポンドールに手伝ってもらいながらの帳簿付け――というより
……止せばいいのに、うろ覚えの知識で複式簿記に挑戦したからだ。
「なんとなーく若様の狙いが、分かってきたかもや。右側は
「左側は要するに資産だから……持っている物、かな?」
「そいで右側だけ足していけば、これまでに若様の使うた
しかし、どうやら慣れないアラビア数字に手間取っているようだった。
ポンドールならローマ数字でも計算できるはずだけど、それでは僕が困ってしまう。……桁数が多くなるとローマ数字は把握が難しくなるし。
「この『あらびあ・すうじ』いうんは、まだ便利かどうか分からへんけど……『ゼロ』いうんは凄いで! なんていえばいいんやろ……とにかく凄いんや! なかなか説明されても呑み込めへんのやけど、分かってしまえば便利やし!」
満面の笑みでポンドールは、総投下資金の合計を覚えたてのアラビア数字で記していく。
「
あまりの放蕩ぶりに呆然と空返事を返す。……こんなに使ったっけ?
しかし、この時代は魔術師扱いな数学者――それも後世に名を残せるレベルでもなければ『ゼロ』を認識できていない。
数学で最も偉大な発明であり、ぞんざいな扱いは不適当なんだけど……それも理解できる人がいてこそか。
「それより若様! 左側! これ酷すぎです! もう一目で分かる!」
「へ? 左は普通というか……むしろ凄いだろ?」
「確かにガラス工房・一棟、駱駝・一五匹、硝石丘、公衆便所・二十箇所、反射炉・一基、紙工房・一棟、氷販売所・一店、トロナ石卸問屋・一店……色々とお増やしになられてますけど、それだけやないですか!」
「な、なんでさ!? むしろ増やす為に頑張ってるんだよ!?」
「儲けの上がっている施設が少な過ぎです! ガラス工房に紙工房、氷販売所ぐらいやないですか、目ぼしい収益を上げてるのは!」
……それもそうか。入ってこないから、資金繰りで困っている訳だし。
「いや、でも! 硝石丘は、もうすぐ収益化できるはずなんだ! 肥料として飛ぶように売れるだろうからね! そしたら関連事業の公衆便所も黒字化といえるし!」
「……なら、どうして北の村以外へ卸されへんのですか」
「も、もう少し硝石をプールしておきたいんだ。あれは開拓団や他の用途でも使うし」
「そんなことばっかり言うてはるから、いつまでたっても首が回らんのです! あの妙な窯だって、もっと稼げるはずでは!? うち、腰抜かすかと思いましたし!?」
確かにポンドールは反射炉を見て、口から泡でも噴き出すんじゃないかってぐらいに驚いていた。
商人目線だと錬金術――山で拾ってきた石を金に変えてる様なものだし、その価値も分かり易い方か。
「ま、まだ作りたい色々が……それにウルスと
「なら二号基からは、商いを優先して頂きます! うちが資金を出すんやし! それにウルス様とセバスト様が何かを御造りになったら、つまりはドゥリトル領で御買い上げということです! 御代は貰わないと! どんぶり勘定はあきまへん!」
……なるほど。スポンサーへの分配金と製品の代金は、別に考えるべきか。
「それは北の村へ卸した硝石?の代金もです! というより若様? 北の村の予算と若様の私財をごちゃ混ぜに扱うと、それこそ把握できんようなりますよ? この複式帳簿?ですか?も、北の村領主と若様個人とで分けるべきです!」
財務状況を分かり易く整理したら、その分だけ的確な御説教をされてしまった。……こういうのも自業自得というのだろうか?
しかし、僕なんかは前世の知識を元に
生まれた時から英才教育されたポンドールに及ぶはずもない。
「あー……うん……その……良い感じに頼むよ」
「……そういうとこです! まったく! これじゃウチが見張ってな、すぐ悪い方へ!」
安心できてしまうから僕も油断してしまうのか、あまりに不甲斐なさすぎてポンドールも世話を焼いてくれるのか……なかなかに因果関係の究明は難しそうだ。
「その『らくいちらくざ』ですか? それホンマに必要やろか?」
説明を聞いてポンドールは、書く手を休め首を傾げた。
「必要ないよ。というか、その前提である座が――ギルドができてないし」
「そっちの
けれど高評価を下した割に、その表情は苦々しかった。
「あまり良く思ってない?」
「そんなことないんやけど……ウチが小さい頃、お父はんはドゥリトル城下へ商いの場を移しました。でも、その頃にギルドがあったら……きっと失敗してたやろなって」
座やギルドが常に新参排除へ動くとは限らないものの、ポンドールの指摘も正しい。
既得権益を保護すれば、その集団は保守的になるからだ。
「でもギルドの発足を匂わせれば、いま領都に出入りしている商人達を抑制できる」
「そうやろか? どこぞの御店から名義だけ借りるとか――」
「短期的には、それで十分なんだ。素性の知れない商人の炙りだし……もしくは素性を隠し続けたがる商人の特定。それだけやってあげれば、あとはフォコンが何とかしてくれると思う」
かつて『楽市楽座』という政策は、商業を振興し、その従事者も集めたという。
つまり、真逆の政策をすれば――
「そやかて長期的には悪手です。ウチには――
「そうなの? てっきり楽市の逆――関税強化に反対するかと思った。それに『逆・楽市楽座』は
「関税なんてウチらにとっては面倒なだけで、そのツケを支払うんのも御客さんで……結局、税金が高いと文句を言われるんは、若様や御領主様なんです。裏の御考えはともかく、
腕組みで怖い顔なんてしちゃって、珍しくテコでも考えを変えない様子だった。
「でも、不審な商人の締め出しは急務なんだ」
「全体的には、悪うないと思ってますよ? せやから……ギルドですか?の発足や関所の増設に動くんは、ウチとこのお父はんが。そして若様が成果を得られたら、悪事を戒める体にすればええんです。それなら最後にしたいことも通り易くなりますし」
「それじゃマリスは泥被り役じゃないか。さすがに悪いよ」
しかし、目を爛々と輝かせたポンドールは、憤懣を露わに見せた。
「ええんです。お父はんは、やりすぎです! 悪いと思うとるのなら、少しは若様に恩返しをせな!」
……なるほど。ペナルティを支払う場を与えるのも、それはそれで必要か。
プランの修正に首を捻っていたら、しかし、ポンドールが妙なことを言い出した。
「あの……リュカ様……怒ってはります?」
いつもの口煩くて強気な様子は、すっかり影を潜めていた。
むしろ弱々しくすら見えて、なんというか……どうしてか心を騒がしくさせてくる。
「え? なにを?」
「ガイウス小父さんは、ウチのこと生まれる前から可愛がってくれてるんやけど……とにかく一つ所にジッとしてられん困った人なんです。今回やて、きっとドゥリトルの噂を聞いて、居ても立ってもおられんようになったんかと」
分からないでもない。悪い人じゃないけど迷惑な親戚というのは、誰にでもいるものだ。
しかし、俯いて溜息を漏らすポンドールは、なぜか儚げで……いつもの物おじしない感じすら、すっかりと鳴りを潜め……――
「ウチ、リュカ様の邪魔にだけはなりたくないねん。……御願いやから、言うてな? リュカ様がウチのこと……じゃ、邪魔やと御思いになられたら! いつでもウチは! ウチは……――」
と感情の抑えが効かなくなってしまったのか、黙り込んでしまう。
お、おかしいぞ!? な、なにかが変だ!?
ぼ、僕にとってポンドールは年下の子供に過ぎなくて……いや今生では年上のお姉さんだけど、精神的には
どうしてドキドキしてるんだ!? こんなの転生して以来、初めてじゃ!?
でも、涙を必死に堪えるポンドールは健気で……なんというか……もう少女というより一人の女性として、支えてあげるべきな様な……――
いや、待てよ! それはそれで
それでは僕も『一人の男として対応』ってことだぞ!? まだ数えで十歳になったばかりなのに!
しかし、新たな扉を開けるべきか躊躇した僅かな間に、現実のそれが開かれる。
助かった! 誰であろうと、この奇妙な空気を吹き飛ばしてくれるのなら大歓……い?
「義姉様よ、入るわよ」
「珈琲をお持ちしました」
「……む!」
誰かと思えば、なぜか一様に満面の笑みを張り付けたダイ義姉さんにエステル、グリムさんだ。
そして不思議なことに――
「はい、珈琲よ。……お好きなだけ、どうぞ」
「御給仕して差し上げられなくて残念です。私達は
「……む!」
と僕に珈琲セットの載った御盆を押し付けてくる。
そして事態の急転に吃驚してたら――
「堪忍や! 堪忍したってや! 悪気はなかったんや!」
と顔を赤らめたポンドールが闖入者たちに身柄を拉致されていく。
助けてあげるべき、だよな? でも、誰を誰から? そして如何なる理由で?
などと根元的な悩みに思いを馳せていたら、独り部屋へと残された。正直、意味が分からない。
……とりあえず珈琲でも点てて落ち着くか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます