やっと通報してもらえたのである!

 なんというか滅茶苦茶な事態だ。

 しかし、頭を抱える僕を尻目に、タールムはガイウスの臭いを検め首を傾げる。

 さすがに撫でてやろうと手招きされても近寄らなかったけれど、危険な人物とも思えなかったらしい。

「御身ら野ばバーバ――ガリア人は、物事を一緒くたに考え過ぎではないか? なるほど確かに我らが皇帝は、御身らの王と争っている。しかし、軍役から退いてる以上、私は一般市民だぞ?」

 ……野蛮人バーバリアンと言いかけたのは、いいだろう。

 この期に及んで細かく言い争いをしてたら、話が進みやしない。



 厳密に分類すると帝国は、古代的な徴兵制といえる。

 帝国市民は貴族にも近い特権階級――『戦士』の身分であり、国防の義務を課せられているからだ。

 ……まあ貴族に近いといってもピンキリで、貧困層だっているにはいるが。

 そして貧乏な市民には、色々と変遷もあったのだけど……ガイウスのような富裕層は、太古の昔から変わらない。

 崇高な義務にして権利と従軍し、年季を務めあげたら軍を退く。なぜなら糧を得る術ではないからだ。

 むしろ義務を果たし一人前といったところで、やっと自分自身の人生といってもいい。……ローマの政治家や偉人に、やたらと中年が多い理由だ。

 その第二の人生も家業が政治な者は、退役後に政界へ。商売をしてれば、商売を始めるなり受け継ぐなりか。


 しかし、僕らガリアは国力の差から、一足先に封建制へ片脚を突っ込んでいた。

 まだ帝国が市民と奴隷に外国人というシンプルな身分感覚なのは、ひたすら国力に拠るところが大きい。

 総合力に劣る国では専門家を育成し、その者が死ぬまで役職へ封じるしかなかった。

 それは領主の息子な僕だって違わない。

 生きてる限り騎士ライダー――いまは従士だけど――であり、『引退』や『退役』なんて概念はなかった。

 この時代、ガイウスの主張を容れられるのはローマ人だけだろうし、主流派とも呼べないはずだ。



「妙な屁理屈を! それが武士もののふの口上か! 恥を知れ!」

「あれはいくさであろう! それに当方とて、あの勇士を仕留めるに三人もの騎士ナイトを喪ったのだぞ! 三人も!」

「我が師であれば、例えその倍がいようとも! 嗚呼、病さえ! 病さえ得てなければ……――」

 むき出しの感情も露わにティグレは歯噛みしていた。

 おそらくティグレが従士だった頃、師匠がローマとの戦役で?

 でも、ローマの騎士ナイトを三人も討ち果たした末であれば、それは『誉れ』と呼ぶべきのような? ……それはそれとして仇ではあり続ける?

「ティグレ! 彼奴らとて、あの折には筋を通してきたではないか! 先代の名を貶める気か!」

 そうフォコンが強く揺さぶると、驚くべきことにティグレは姿勢を正した!

「……貴殿らの見せた礼節に感謝を。いまは師も奥方様と共に安まられておられる」

「いずれ名のある御仁と御見受けした迄。……あの勇者を野ざらしに捨て置くは、忍びなかったでな」

 アブラハムの宗教一神教ほどではないが、ローマ人も埋葬に拘る方だ。

 遺体や遺品を返してきたのであれば、ティグレの師匠は敵にすら感銘を与えたらしい。

 かなりの敬意を示されたといえる。……死骸の辱めも発想の内にあったりするし。


「なら、それで休戦しててよ! でも、まだだよ? まだ考えてるところだから! ――なんだってマリスは、こんな珍しい客人を迎えたのさ?」

 ずっと捧げ持ったままだった短剣を受け取り、返さず尋ねる。……我ながら、少し意地悪か。

「帝国に居りました頃、ガイウス様には妻とポンドールの命を――」

「なに、少しばかり融通を利かした迄よ。あの者らは、身重の女を攫うような外道。斟酌する理由もなかったでな」

 なるほど。子細は分からないものの、命の借りか。……まてよ?

「いつだか硝子板を――窓や鏡を欲しがった帝国の貴族って、ここにいるガイウス殿? 葡萄や林檎の手配もしてくれた?」

 困ったように肯き返すマリスへ、捧げられた短剣を祝福して返す。

 ……ドル教式だったけれど問題あるまい。これでも僕はカーン教の聖人だし!


 そんなことより考えるべきは、目の前の偉そうな大迷惑だ。

 王や父上に内緒で、元ローマの軍人と密会?

 事が露見したら廃嫡程度で収まる話じゃない。下手したら反逆の意志ありと極刑はもちろん、ドゥリトル家ごとの処罰すらあり得る。

 ……何もかも見なかったことにして、処分してしまうのが一番に思えてきた。もの凄く深い穴の底とかへ。

 しかし、僕にとってもガイウスは上得意というか――非常に得難い知遇ではある。……毒にも薬にも成り得そうな。

「そもそも何をしに来たの!?」

「な、『何をしに』と問われるか!?」

 ……うわぁ。このオッサン、恥ずかしがりやがった!

「そう訊かれてしまったら……その……『御身を拝見に』だ」

 唐突に全く関係ないことが腑に落ちた。

 有名な登山家のマロリーは、その動機を問われ「そこにエベレストがあるから」と答えたらしい。

 これは色々な解釈をされてきたけど、おそらく僕ら凡人は考え過ぎだ。

 マロリーやガイウスのような人種にとって、それで十分な理由と成り得るのだろう!

 しかし、僕の立場でいわせてもらえば迷惑でしかない! 暇なら独りでアルプスでも登ってればいいのに!

「お、御曹司殿は御機嫌が悪いようだな! な、ならば土産話を一つ献じようではないか! ――この城下に、銀鳩屋の番頭がおるぞ? 誰ぞをつけておくのが良かろう?」

 『銀鳩屋』の名で、マリスは驚き。ティグレとフォコンは首を捻っていた。

 ……うーん? おそらく種別名の『銀鳩』ではなく『銀の鳩』かな?

 ギリシャ・ローマ系の神話だとメリクリウスも商売の神とされる。その御使いには鳩がいるし、水銀や銀とも因縁が深い。

 つまり、銀でできた鳩の看板なり像なりが屋号となった商人か。でも、それの何が問題なんだろう?

「忠告をくれた意味が分からないな。どこの商人?」

「銀鳩屋は王と懇意な商家に御座います。その番頭であれば……どうして教えて下さらなかったのです、ガイウスさま!」

「まあ、許せ。いま教えたではないか。なんせ着の身着のままであろ? 嵩張らない手土産が欲しかったのよ。他にもイベリアスペイン属州で見た者もおったな。さすがに小物の名前までは知らんが」

 なるほど。僕にとっての朱鷺屋マリスが、王にとっての銀鳩屋か。

 ……どう考えても拙い。なぜかは知らないけれど、僕らドゥリトルを探りに? 西方イベリアからもは、いまいち分からな――


 嗚呼、そういうことか! やっと分かった!


 どうしてダビデダウウドは遥かなアスクム王国中東から最北西な辺境のドゥリトルへ?

 ガイウスが命懸けで敵国へ潜入という危険を冒した理由は?

 それは『僕を見たかったから』だろう! まず間違いない!

 交易商人というスリルとロマンに魅入られたにとって、謎や不思議は命懸けの冒険に値するのだ!

 しかし、『何かが起きている』と察知はしたものの、その震源地を僕と特定できなかった者は?

 現場へ――ドゥリトル城下へ人を送り込むに決まっていた。それも能う限りに使える人材を。

 また交易商人は、当然だが商人でもある。

 つまり、交易商人の気を惹く出来事には、一般の商人も注目するに決まっていた。

「もしかして城下には、かつてないほどの行商が押し寄せてる?」

「……確かに見慣れぬ余所者は、商人が多かったかと。ですが銀鳩屋ほどの大店であれば、その手下であろうと気付かぬはずも」

 ここ最近、城下を熱心に捜査していたフォコンが教えてくれる。

 ……余所者が多く流入していて問題ありと、警告されてたんだった。とんだボーンヘッドだ。

 それに人口の増えた城下では、どこにでもあるような日用品が飛ぶように売れて、どこにもない吃驚するような特産品を買い漁れる。

 行商人たちの間で、ちょっとしたブームになっていてもおかしくなかった。どこまで噂話が広がったか考えたら、もう眩暈すら起こしてしまいそうだ。


 事件は、これから起きるんじゃない。どこかで起きるのでもなかった。

 他でもない、ここドゥリトル城下で、もう起きている!

 

 人目が無ければ「ちくしょー」と、寝転んで叫び出していただろう。

 やはり小火ぼやのうちに対処するのと、大火事になってからでは、その労力は段違いだ。……下手したら消せないかもしれないし。

 あまりにガックリしていたらしく、珍しくターレムがしきりと身体を擦りつけてきた。「なんだか分からないけど元気出せよ、兄弟」といったところか。

 ……うん。それもそうだ。大事なのは、これからするかだろう。


「忠告に感謝を。でも、ちょっと釣り合ってなく思えるけど?」

「そのように申されてもな。いまは奴隷に身をやつしておるのよ。正真正銘、着の身着のままな身の上。何を約束しようとも、空手形にしか――」

「いや、もう少しだけ土産話をして欲しいんだ。もちろんガイウス殿の話せる範囲で構わない。例えば……ビゾントン帝国とペルシア帝国の切迫した情勢とかを」

 この要求にガイウスは、少し驚いたようだった。

 そして面白がりつつも、こちらを真剣に値踏みし始める。

「意外よな。てっきりの事情を訊ねてくるものかと」

「教えてくれるのなら、そっちでも良いけど?」

「いやいや! いくら退役した身とて、利敵行為はできん」

 敵国で暢気に観光している人の台詞じゃない……といったら、もはや無粋か。

「なら、まあまあな落としどころでしょ。ガリア僕らと関係ない東の情勢だし」

「そうは思えぬな。だが、対価次第ともいえそうだ!」

 ニヤリと笑い、わざとらしく盃を掲げ示してくる。

 硝子杯に透けて見えたのは、だった。もちろん御代わりの意味だけではない。

 ……製氷技術は存在すら秘匿しておきたかったのに。こういうことが多いから他人の盤面を引き継ぐのは好きじゃない。

 しかし、「そうは思えぬ」のならば、ガイウスの情報には価値がある。

 どうにかして『製氷技術』を交渉のテーブルから引き揚げつつ、東部の情報開示と速やかな帰国を呑ませねばならない。

「マリス、御客人の盃が空いておられる。良い機会だから、試してみて貰ってはどうか」

「違うものもあるのか! しかし、この酒は、とても美味いの! できうるのならを多くしてくれまいか!」

 ……酒宴の形を借りた交渉が始まった。

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