純鉄

 これでダウウドも注意事項立ち入り禁止を守るようになる、かな? まあ少しは懲りてくれるだろう。

 しかし、フォコン師匠に置いて行かれまいと必死なポンピオヌス君が萌える!

 二人とも僕の遠征中に、不審人物の捜索を続けていたらしい。それで捜査官と少年助手なスタイルも確立と思われる。


 また、それで新たな問題も発覚していた。

 やはり人口が増した分だけ、不審な人物も目立つ。フォコンの捜査網に引っかかった怪しい人物も増加の一途だ。

 しかし、この時代に急激な人口流入は、それこそ大帝国の首都レベルでしか発生しない。

 つまり、ドゥリトル側に対応のノウハウがなかった。

 それでセバスト爺やにも怒られてしまったのだけど、ちょっと拡大政策へ舵を切り過ぎたようだった。

 領都は賑やかになったともいえるし、妙に浮足立ってしまったともいえる。

 そして隠蔽工作でも留意するべきか。このままじゃ国家機密を垂れ流しているにも等しい。

 特に今日などは、『鋼鉄の量産』に着手するのだから。



 僕を認めた職人達が一様に腰を浮かしかけたのを、手で押し止める。

 どうやら職人達も食事中だったらしい。各自が思いおもいな場所でカレーをかきこんでいたし。

「気にしないで! 食べていてくれていいから! 何はともあれ、まずは腹ごしらえっていうしね?」

 一度火を入れたら炉というものは、終いまで作業をするしかない。停止スイッチなんて無いからだ。食べながらの仕事が日常なのだろう。

 それでも皿を脇へと置いた親方が尋ねてくる。

「ちょうど御呼びに上がろうかと。少し早いですけど、もう流せなくもないですぜ?」

「うーん、どうしようかな? とりあえずジュゼッペに進捗を聞かないと。もう出来てるはずなんだけどなぁ」

 応じながら吊り下げられた鉄管を辿るように、ジュゼッペ達の方へ向かう。

 そちらには、なんど見ても「やり過ぎちゃったな」と思わせる鉄の樽があった。

 高さは大人の背丈を超えるほどで、横幅も同じくらい。

 それを形作る鉄の厚みも凄くて、なんと一センチもある! もはや軽戦車並だ!

 ざっくりと重さを計ったら、なんと一トン半もあったし!



 こんな物が作れるはずがないと思われるかもしれない。

 しかし、反射炉なら可能だったりする。

 なぜなら溶かした鉄を型へ流すだけという、もっとも技術力の要らない方法で作ったからだ。

 ……さすがにはがねを一トン半は難しかったので、鉄――まだ鍛えていない炭素含有量の多い鋳鉄で妥協はした。

 それでも十分以上の強度はあるはずだし、鋼鉄の量産に成功したら、折を見て換装してもいい。



 反射炉から辿ってきた鉄管は、すでに一つしかない樽の出口へ接続されていた。

 接続方法はトイレの配管と同じく、溶かした銀で隙間を塞ぐ方法――銀メッキ溶接だ。

 同じ様に一つしかない入り口からも鉄管が伸びていて、妙なハンドルがついた鉄の箱で終わっている。

 その鉄の箱の近くには、大きな油鍋。そしてサイズを合わせた変なフライパンもどきがあった。


「――若様! お早いおこしで!」

 口の中の食べ物を急いで呑み込みながらも、満面の笑みでジュゼッペが出迎えてくれた。

 どうやら完成済みらしい。

 なんだかんだいってジュゼッペは技術者であり、物を作るのが好きだった。そして一番に威張れる瞬間は、新作を披露する瞬間だ。

 といっても今回は、試作一号から数え切れないほど改良を重ねたものだけど。

「ばがざま! ぜんぞうにがっだんだっでな! おめでどう!」

 ジュゼッペの弟子である不良少年ゲイルは、殊勝なことを口にした。……カレーを口一杯に頬張りながらだけど。

「この馬鹿! 食べるか喋るか、どっちかにしろい!」

 と指導するべく繰り出された拳骨は、見事に空を切った。さすがに素早い。

 そして挨拶のやり直しより、そのまま食事の続行を選んじゃうし!

「あー……べつに食べながらでもいいよ。それより?」

「すいやせん。あとで厳しくいっておきやす。そんなことより、若様! 完成しましたぜ! とにかく駄目だったところは、軒並み手を入れやしたから……あとは動かしてみねえと?」



 ならばと実働実験は開始された。

 まず油――ラードを温める。今回は菜種油やオリーブオイルだと用を足さない。

 温度管理をしたいからだ。風味や美味しさに拘っているからじゃない。

 湯煎ならば水の沸点な百度となる。同様に煎ならば、四百度未満へ調節可能だ。……四百度を超えるとラードは自然発火してしまうし。

 もう慣れたらしくジュゼッペは微かに白煙が上がる寸前、火加減を調節し温度をコントロールした。

 これで煎されたフライパンは三百度前半……のはずだ。

 そこへ鉄の容器ごと素材を入れてしまう。これで素材も三百度前半へ温められる。

 可能な限り慎重に。なぜなら中身は爆発物――硝石だ。

 なぜなら四百度を超える辺りから爆発の可能性があった。なんと五百度超からは、危険と明記されるほどだ。

 しかし、それでも冒険するだけの価値があった。

 なんと硝石を融点まで加熱すれば、純酸素を摘出できるからだ!

 化学式的には――


 2KNO3 → 2KNO2 + O2


 であり、純酸素を放出しながら溶けて亜硝酸カリウムへ変化する。

 純酸素を得る方法は数多くあるけれど、これが最も簡単だろう。なんといっても二手だけ――硝石を収集し、温めるだけなのだから。

 この理屈を使って前世史では、世界最初の潜水艦すら作られている。爆発の危険さえなければ、簡単すぎるテクノロジーだ。

 それに爆発といっても密閉空間でもなければ、大惨事ではない。……おそらく惨事程度で済む。

 そして亜硝酸カリウムというのは、例によって放置しておくと勝手に硝石へ戻る。空気中の酸素を勝手に吸収するからだ。

 つまり、焚き火程度の燃料と作業中に蒸発して減ったラードが、純酸素の原材料といえる!


 さらに酸素も危険物にして毒物の類だけども、短期間的にはラフに扱えた。

 穴でも掘って流し込めば、そこへ集めておける。空気より重いからだ。

 ただ、それではあんまりなので今回は、目張りをした木箱へと流し込むことにした。中には鉄樽の入口――妙なハンドルのついた鉄箱だけとして。

 ……おそらく御想像は正しい。

 この鉄箱は手動ポンプであり、つまりは自転車の空気入れなどと同じ仕組みだ。

 信じられないかもしれないが、ようするにポンプとは逆止弁のことであり、非常に簡単な理屈で成立している。

 ストローか何かを咥え、反対側の口を紙か何かで塞いでみればいい。吹くことはできても、吸うことはできなくなるはずだ。

 これが逆止弁の原理であり、自転車のタイヤへ空気が入ったまま――戻ってこない理由でもある。

 さらに前世史では要所々々にゴムパッキンなどで気密性を高めていたが……実のところ革パッキンでも代用可能だ。

 むしろ代わりになるどころか、気密性だけなら革パッキンの方が優れている。前世史でゴムに取って代わられたのは、量産性と耐久性で難があったからだし。

 また自転車の手押しポンプが空気を入れるのは、周りが空気で充満しているからだ。周りに酸素しかなければ、酸素だけを送り込んでくれる。


 ちなみに工業用酸素ボンベの注入圧は十五メガパスカル前後と高圧なものの、これでも五メガパスカル程度の気密性は期待できた。……下手したら十メガパスカル超すら?

 そしてパワーに劣る部分は、スケールで補う構想だ。

 半分から三分の一程度のパワーしかなくとも、十倍以上の容量でゴリ押してしまえばいい。

 ……限定的でも鉄の溶接に手が届いた以上、より強力な酸素ボンベを作ってもいいし。



 酸素ボンベの完成――正確には酸素ボンベを完成させるための、酸素ボンベもどきか?――に嬉しくなって、即座に製作可能な色々を作っていたら、ずいぶんに反射炉の方を待たせてしまっていた。

 急いで溶かした鉄鉱石を受けた耐熱樽へ向かう。

「ああ、ごめん! 嬉しくなって、つい夢中に! もうスラグは掻き出した?」

「へ、へぇ! 申しつけられた通りに!」

「なら、耐熱樽を――を噴出口の下へ!」

 一瞬、男衆は何か言いたそうにしてたけど、諦めたかのように従ってくれた。……奇妙な指示に慣れてしまったのだろう。

 まあ今回は、非常に助かる。理屈は理解しているといっても、その説明は難し過ぎた。基本に終始ながら、それなりの科学知識が要る。

「よし、ジュゼッペ! 吹きかけて! でも、止めてといったら、すぐに止めるつもりで! ――あと全員! 土嚢を盾に隠れて!」

「いきますぜ!?」

 全員が固唾を呑んで見守る中、勢いよく酸素が溶けた鉄へ吹きかけられる!



 何をしているかというと、脱炭素だ。

 炭素含有量の多い鉄とは化学式で表すとFeCであり、純鉄――Feが稀な以上、ほとんど全ての鉄はFeCだったりする。

 しかし、溶けてしまうまで熱したFeCへ、酸素を勢いよく吹きかけると、鉄と二酸化炭素に分離できた。

 化学式的には――


 FeC + O2 → Fe + CO2


 となる。

 素人考えだと酸化してFeO――酸化鉄になると思えるが、どうにも高熱過ぎて鉄と酸素が結合できない……らしかった。

 胡乱に思われるかもしれないが、決して『とんでも技術』ではない。立派に前世史で研鑽されてきた製鉄法、それも最終結論だ。

 古来より人類は、炭素を抜いて調節――鉄を鍛えてきた。

 しかし、いつしか逆転の発想が生まれる。

 全ての炭素を抜いて純鉄としてから、希望の炭素を溶かし込む方法だ。つまり、引き算を足し算へ変えた。

 なるほど純鉄と二パーセント分の炭素を反応させれば、全てが高品質の鋼鉄となる。

 これならハンマーと職人の勘に頼る必要はない。燃料と材料の続く限り、一定の品質で、さらには量産すら可能だ。

 しかし、いくつか問題点もあって――



「ストーップ! 止めて!」

「わ、若様!? 鉄が煮えたぎっておりまする!?」

「いま止めますぜ! ――おら、ゲイル! 根性入れろ!」

 ジュゼッペとゲイルが、二人がかりで落とし戸式弁ゲートバルブを力ずくで閉めていく。

 テコ式で危なっかしく見えるかもしれないが、これでも性能は足りてる。……なんだかスチームパンクの機械めいてはいるけれど。

「間に合ったね。やり過ぎると鉄が煮えたぎって、耐熱樽転炉が割れちゃうから! ……休み休みいこう!」

 聞いてないとばかりに皆は不満げだけど、おかしいな? 最初に言ったはずなのに?

「あ、あの若様? 一体全体、何をしておいでで?」

 落ち着かなげに作業の様子を見ていたウルスが、不審感たっぷりに問い質してくる。……大事な反射炉を壊されかねないと、心配なんだろう!

 しかし、聞かれても困ってしまう。一応の説明はできなくもないけど、『相手が理解できるように』は難しそうだ。

「うーん……鉄を鍛えている……が一番に近い……かな? これで耐熱樽転炉の中身は全て鋼になったんだ。まだ一工程残ってるけどね」

 聞いてセバスト爺やとウルスは、開いた口が塞がらないとばかりに呆れ返ってしまった。

 ……少し失礼じゃなかろうか?

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