かれえなる金鵞城の日常

 母上と違ってレト義母さんは、なぜか僕を太らせると決めたようだった。

 でなければ僕の頼みであっても、わさわざ金鵞きんが城まで足を運んではくれなかったと思う。……いまだって玉杓子を片手に、御代わりさせるべく圧が強いし。

「お、御代わりを貰おうかな……半分くらい?」

「遠慮なんて要りませんよ、若様! 沢山作りましたからね!」

 満面の笑みでレトはを山盛りにし、これでもかとを回し掛ける。

 ……懐かしき文明こきょうの味でなければ、この時点で心が折れていたかもしれない。

 そして待ちかねたとばかりに、御代わりの列へ少年達も殺到する。

 なるほど。すぐに御代わりの必要があったのか。もしかして三杯目も、僕待ちになるとか!?

 ……都合の悪い事は後で考えることにして、とにかく二杯目へ取り掛かる。エシャロットのピクルスらっきょうも用意しとくんだったなぁ。



 もしかしたら白米やカレーを、眉唾と思われるかもしれない。

 だが実のところ、そろそろヨーロッパでも珍しくなかったりする。……カレーは材料が、だけど。


 まず前世史でのトルコアナトリア半島――今生におけるイラン帝国北西部は、ちょうど民族大移動が起きている最中だ。……同帝国内での話だから平和的にだけど、全方位から。

 これで混血が進み最終的にトルコ人――コーカソイドと呼称される訳だけど、そのルーツには中央アジアも含まれる。

 この移住したアジア人達は稲作も持ち込んでいて、それで中東にも米文化が根付いた。世界三大料理うち一つ――トルコ料理にピラのある理由だ。

 残念ながらインディカ米――細長い形をした、いわゆる外米――やジャバニカ米――日本の米ジャポニカ米の近親種――だけど、まだ色の残ってる原生種に比べたら遥かに白米だろう。十分に美味しいし。

 そして中東人も日本人に劣らず米への欲求が強く、支配下地域へ稲作を広めた。

 なので四、五百年もすれば――中世中期頃にはイタリアやスペインイベリアでも稲作が始まる……少なくとも前世史では。

 まあ現時点だと輸送費で値が張る珍品に過ぎないけれど、それでも『ある』のは間違いない。


 そしてカレー――ここで指すのは日本式のカレーとなるが、ようするに『肉と玉葱、ニンジンのスープ』へカレー・ルーを溶いたものだ。

 肉と玉葱、ニンジンはあるのだから、あとはカレー・ルーだけとなる。

 さらにカレー・ルーを――それも最低限度の材料で考えるとレッドペッパー、ターメリック、コリアンダー、クミンシードの四つだけでよかった。

 このうちコリアンダーとクミンシードは地中海原産種が存在する。

 レッドペッパーは唐辛子のことだし、胡椒とも輸入ルートが同じだ。胡椒の安価版としても使われている。

 残るターメリックはウコンのことで、これまた原産地インドだけど……実はサフランでも代用可能だ。

 そしてサフランはクレタ島原産と推察されてるから、ようするに地中海原産といえる。

 実際の手順だって、かなり簡単な方だろう。

 例の飴色となるまで炒めた玉葱へ、上記のスパイスを同量ずついれるだけ。以上、終了だ。

 他に生姜や大蒜、胡椒などを入れたり、各種スパイスの配分を変えたり――色々と工夫の余地はあるけれど、必要最低限度なカレーでよければ、これで成立する。

 ……カレー色を諦めれば、ターメリックやサフランすら省略可能だし。



 そして女商人ミリサの持ち帰った穀物の中には米もあって、あまりの嬉しさにカレーを義母さんに強請って今に至る。

 残念ながら北部フランスで稲作は厳しい。たまに口にするのが精一杯だろう。

 しかし、それでも世界を席巻した日本式カレーだけあって、一瞬にして少年達の心を掴んで離さないようだった。

 サム義兄さんを筆頭にポンピオヌス君や従士ルーバン、常備軍一期生として訓練を続けるトリストンやジナダン達――全員が満面の笑みで口一杯にカレーを頬張っている。

 カレーはともかく、カレーを兵糧に加えるのは手かもしれない。

 とにかく何でもいいから汁物を作り、そこへカレー・ルーを放り込んだら御馳走だ。

 食べることしか楽しみの無い戦場において、大いに心を慰めてくれる気がする。

「若様! この『からいらいす』ですか? こりゃ結構ですけど……こっちの瓶詰とかいうのは駄目だと思いますぜ?」

 同じくカレーを頬張りながら、シスモンドは首を振った。

「……やっぱり?」

「ガラス瓶が高価なのはもちろん、このように繊細な品物では、持ち運びに適さぬでしょう」

 同意とばかりにティグレも感想を口にする。



 二人が玩ぶ瓶詰だけれど、最も原始的な形式だ。

 つまり、シンプルなガラス瓶に食料品を詰め、コルク栓で蓋をし、その上から蝋で封じるだけ。

 しかし、これでも長期保存に耐え得る。原理的に缶詰と同じものだ。

 それに金属製の蓋やガラス瓶側へ螺子細工などは、さすがに技術レベルが高すぎて再現不可能に思える。

 ……一つ二つなら作っちゃいそうなほど職人達は変態揃いだけど、量産は無理だろう。



「ふーむ……ですが個人的な荷物とする価値はあるかと。こちらの『じゃむ』とやらは、疲れた兵士が喜びましょう」

 カレー・ルーの瓶詰ではなく、甘いジャムの方を試しながらフォコンは取り成してくれた。……どうやら気に入ってくれたらしい。

 甘いものに目を細める同僚に軽く呆れながら騎士ライダーリゥパーも――

「ガラスではなく、何か他の素材で御造りになられては?」

 と提言してくれた。

「ああ、そうか! 鉄か何かで入れ物を作って、内側を金か錫でメッキすればいいんだ! ジュゼッペ達ならできるだろうし! ナイスアイデアだよ、リゥパー!」

 残念ながら個人で携帯の適う大きさに収まりそうもないけど、兵糧として運ぶなら問題はない。

 何よりも腐る心配がなく、開ければすぐ食べられるのは重宝する。開封後に回収しての再利用だって、その前提で作れば可能だろう。

 ……それとも缶詰を開発した方が早い?

 だがブリキ――錫メッキした薄い鉄板の量産は難しかった。そもそも金属を使い捨てにできる時代ではないし。

「何の相談か分かり兼ねますが……このような糧食を毎日頂けるのなら、例え『世界の果て』へであろうと御名代に付き従いましょうぞ!」

 やや離れたベック族がいる辺りで、族長アンヲルフがお道化てみせた。

 ガリアフランス語は解らずともニュアンスで察したのか、ベック族からも賛同の歓声があがる。

 彼らはドゥリトル領民とならずベック族籍のまま、この金鵞きんが城へ客分として滞在中だ。

 いずれ領地奪還へ赴くとはいえ、あと数年は僕の食客であり……選りすぐった精鋭百人ほどが指揮下へ入ったともいえる。

 やはり、まだ育成中なトリストンやジナダン達と違って、即戦力に勘定できるのは心強かった。

 北方でフン族が暴れている以上、急行可能な戦力は、どれだけあっても十分とはいえないし。

 ただトリストンやジナダン達だって、シスモンドからプロの教官を斡旋して貰っている。……具体的には、現役を退いた軍曹数名を。

 足りなかったノウハウを教授され、常備軍一期生達も急速な進歩を始めていた。ある程度の格好がつくのも、そう先の話ではないだろう。

 しかし、色々と順調でありつつ――


「どうしてこうなったんだ?」


 との思いが、どうしても拭い切れない。

 そもそも金鵞きんが城は、秘密基地というか秘密実験室を移転しただけだ。

 先代の倉庫は手狭となってきてたし、色々と大掛かりな施設も作りたかった。それに公衆便所の増設を続けていけば、糞尿の処理施設――硝石丘も必要となる。

 ようするに最初から最後まで軍事施設としての構想はしてはなかった。

 なのに今や、訓練兵まで含めたら二、三百近くも詰める立派な砦となっている。

 下手をしたら父上に叱責されるどころか、叛意を疑われたっておかしくない。……骨肉の争いも珍しい時代ではないし。


 なんだろう?

 この発車ベルに急かされて駆け込み乗車したら、それが反対方向――それも特急だったような失敗感は?


 などと首を捻っていたら、僕に助けを求めるウルス師匠セバストじいやの悲鳴まで聞こえてきた。

 なぜに二人とも、金鵞きんが城にいる時は駄目々々なの!? ちょっと気を緩めすぎじゃない!?

 おそらく、またアクスム商人のダウウドと衝突でもしたのだろう。

 ダウウドもダウウドで、どうして客人としての節を守らない!?

 交易商人ってのは、皆が奇特なのか!? もうスパイの類なんじゃないかとすら思えてくる!

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