Sランク戦略・上
「あの駱駝は、決して無駄遣いじゃないんです!」
「唐突に、どうしたというのです、吾子?」
最近の常で、早くに自室へと戻られていた母上は、ひどく驚かれた。
「ですから! ミリサの持ち帰った駱駝は、決して高く――」
「駱駝――あの面白い顔をした獣ですね。少し前に領都で大騒ぎになったと……そういえば、いまは何処へ?」
勧められるままに席へと着くも、間違えたかもしれない。
なんと母上は、駱駝のことを気にされてなかった。まさかの藪蛇!?
「いまは
「なにを気にされているのか分かり兼ねますが、まず落ち着いてはどうでしょう? いま母が、珈琲?ですか?を立てて進ぜますゆえ」
そう仰られると難しそうな顔で慎重に量り、砕いた珈琲豆を小さな薬缶へと御入れになられた。
……あれだと非常に薄い珈琲――それこそ本場アメリカンとなるだろう。
「吾子にパオンの話はしてませんでしたか?」
「パオン……ですか?」
「なんでも馬の何倍も……それこそ北部の野生馬と比べてすら何倍も大きく、さらに凄く鼻の長い獣だそうです」
……象のこと……かな?
かの有名なアルプス越えに大英雄ハンニバルは、戦象三十七頭を伴ったという。
「カタルゴが誇った英雄
「いいえ。見立てるに、そのまま飲むのが相応しいかと」
底が透けて見えそうなほどに薄い珈琲は、まるで焙じ茶だった。
しかし、これこそ新大陸のカゥボーイ達が紅茶の代用品としたアメリカン・コーヒーだったりする。
……まだ身体が子供な内は、アメリカンの方が良いかもしれない。貴重な珈琲豆も節約できるだろうし。
「蜂蜜とミルクを入れぬのなら、もう少し薄くても良かったかもしれませんね。まだまだ熟達の余地があるようです。しかし、ウルスがいうに、パオンは扱いにくいとのこと。頑として買ってもくれませんでしたし。あの駱駝は、パオンの様に戦で?」
駱駝十頭ほどで大金貨一万枚だ。パオン――象の金額なんて予想すらつきそうになかった。
「いえ、あれで戦には……少なくとも
「あれほど大きな獣なのに、人は乗せれぬのですか?」
「軍駱駝という使い方もありますし、二人ぐらいなら乗せられるのですが……――」
「あまり良くない?」
「駱駝は大きすぎて、乗り降りが容易ではないのです。あと頑固で、なかなかに言うことを聞きません」
何か思い出されたのか母上は、微かに微笑まれた。
「確かに、あの獣は言うことを聞きませんね。あれなら、まだラバの方が聞き分けは良いでしょう。しかし、それでは何ゆえに、あの獣を?」
「駱駝は、毎日のように水や食事を取らずとも良いからです!」
「その様な生き物が、居るはずがないではありませぬか。それに王都では毎日、欠かさずに餌を与えておりましたよ? もちろん水もで?」
不用意な発言で、見識を疑われてしまった。
まあ馬の親戚と思っていたら、そう考えるのも無理はないか。
「言葉が足りませんでした。人が絶食しても三週間は持つかのように、水を飲ませずとも十日は耐えきれるのです! 水があっての絶食なら、もっと長い間すら!」
いくら駱駝といえど、日常的に絶水や絶食はしない。止むを得ない場合だけだ。
しかし、逆をいえば、一週間程度なら無補給でも動けてしまう。
また丸一日程度の絶水絶食なら、酷く疲れさせてしまうこともない。
そして馬の倍の荷物を、馬の倍の速度で運べるので……兵站という観点では、異常な成果を上げられた。
数字でいえば一頭の駱駝で三十
そして一回の運搬ごとに長期休養を与える前提ならば、いわゆる馬車限界を超えた先へも物資の集積が叶ってしまう。
伊達に陸を征く船とまで称えられていない。まさに中東文明を支えた柱だ。
しかし、稀有な長所を持つ分だけ短所も多い。
使役獣としては頑固過ぎなことも欠点といえるし……乾燥への耐性が強すぎて、逆に湿気が弱点――湿潤な地域では病気に罹り易かった。
また繁殖の難しさもネックだ。
生殖可能となるまでに年数が要り、発情期も年に一回だけ、さらには十二ヵ月の妊娠期間と……生物的特徴に繁殖が難しいと明記は伊達じゃない。
さらに山岳地帯や岩場なども苦手だ。
ただ原産地の一つがモンゴルだったりで、べつに砂漠限定の生物ではない。
ある程度の乾燥が必須なだけで、寒冷地でも生息可能だ。というより激しい寒暖の変化にこそ耐性を持つ。
そして
なにより羊や山羊と一緒に飼われるほどで、環境が不適切とはいえないだろう。実際、前世史でもフランスの動物園では、飼育できているし。
「あの獣が戦に役立つのか、
意外なことに母上が気にされていたのは、珈琲豆のようだった。
「よくないと御思いですか?」
「正直、御値段次第でしょうか? あまりに高価であるようなら、それこそ蕎麦?ですか?あれのように種を求めては?」
「蕎麦の種は、次の取引までに。もしアクスム商人のダウウドが難色を示したとしても、女商人ミリサが用立てることでしょう」
今回、正解の分からなかったミリサは、目につく限りの穀物を持ち帰るしかなかった。
しかし、それで蕎麦を特定できたのだから、大金星ともいえる。
「あれが痩せた土地でも育つのであれば、領民も助かるでしょう。……もし手元に御不自由されているのであれば、ドゥリトルからお出ししても?」
「いえ、それには及びません。おそらくは他の物――それこそ駱駝の
ミリサだって板ガラスや鏡のエジプト販路から外されたくはあるまい。野心の高い者は扱いに困り易いけど、その分だけ卒の無さを期待できる。
……でも、また人単位だったり!? 蕎麦育ての名人とか!?
「ですが珈琲の種だとか苗は、難しいかと。あれは
ヨーロッパが珈琲の苗を確保するのは十七世紀頃で、それも温室などが用意できてからだ。
露天環境では、俗にいうコーヒーベルト地帯でもなければ栽培できない。
「しかし、私が思うに……これは胡椒に匹敵する高級品かと。そうではありませぬか、吾子?」
「いまのところ珍しいだけですが……可能性としては、十二分にありますね」
我ながら迂闊すぎる。母上に指摘されるまで、まったく問題点に考えが及ばなかった。
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