昼下がりのコーヒーブレイク
まだ子供な僕の身体にカフェインは刺激的過ぎるかもだけど、前世から数えれば十年ぶりな
……現実逃避も捗るし。
真剣な様子で僕の一挙手一投足を窺っていた女性へ、軽く微笑み返す。ありがとう。もう御代わりは要らないよ。
しかし、「我が君の意は得たり」とばかりに作業を始めてしまう。どうやら、もう一杯の流れとなったらしい。
……この女性――確かニアラと名乗った――の処遇も、考えておかねば。
確かに女商人ミリサへ、珈琲豆があったら確保するよう頼んだ。
でも、原産地の商人を連れ帰ったり、珈琲を点てる職人も伴っての帰国は考えてなかった。
……奴隷の身分で奴隷制度の無い国へ移動した場合、その身分はどうなるんだろう?
そもそもアクスム王国――前世史でいったらエチオピアの北東部出身で、言葉も通じない。
語族から違うアフロ・アジア語族だし、それが通じるのは地中海の南岸側からアラビア半島まで――ようするに中東の言葉で、互いに意思疎通すら困難だ。
さらに奴隷という言葉から相手を下に見てしまいがちだけど、実はニアラの方がバリバリの文明人だ。
アクスム王国はエジプトの真南に隣接してて、どちらも紀元前に建国済みというか……エジプトの有力者が、落ち延びていく第一候補だったりする。
ほぼエジプトの親戚――古代文明の直系といっても過言ではない。
なのでニアラの立場だと「文明圏の言葉すら通じない寒い北の果てまで連れてこられ、ガリアを名乗るオバケに売られてしまった」だろうか?
……やはりアクスム商人のダウウドと一緒に、故郷へ帰してあげるべき!?
などと現実逃避に腐心してたら、我が守り犬こと弟分なタールムが、本日何度目かの冒険を試みていた。
……意外と懲りない奴だ。
女の子達が座る椅子を縫うように進み、目指すは新顔のお嬢さん――イフィ姫の守り犬バァフェルだろう。
タールムとは対照的に全身が真っ黒で毛並みの美しい
そしてイフィ姫と同い年だろうから、二、三歳は年下なんだけど……――
軽く歯を剥いて威圧されるだけで、年上なはずのタールムは尻尾を撒いて逃げ出した。
いまだ犬同士で挨拶も済ませられないとか、我が弟分ながら駄目な奴だなぁ。
口をポカンとさせて驚くイフィ姫へ、苦笑いで応えておく。
イフィ姫は人前で大口なんてと羞恥を覚えたのか慌てて姿勢を正すも、その顔は真っ赤だ。
育ちの良さを窺わせるし、素直な感じがいい。……素直な感じが。
それにゲルマン系の
このイフィ姫だけど、まあベック族から差し出された人質だ。
建前上は、貴婦人として評判も高い母上の元での行儀見習いだけど……額面通りに受け取っている者はいない。
両陣営共に人質と認識している。おそらく本人もで。
しかし、ベック族を武装解除もせず客分扱いとしたから、待遇が甘すぎとの意見もある。
なのでイフィ姫も差し出してきたのは、アンヲルフなりの誠意だろう。たぶん。
「兄ちゃ! ステラ、これにするかも!」
茶色な
……ミント・ジャムなんか作るんじゃなかった。
そしてエステルは、なぜにミントが大好物なんだ? 前もミント・アイスに御執心だったような?
とにかく義妹が手ずから差し出すクレープを拒否なんてあり得ない。ありがたく頂く。
「うん、甘い。ステラは、これに決める?」
しかし、エステルは逃げ帰ってきたタールムを上の空で撫でながら、なぜか
……
「やっぱり若様ってアレなんじゃない?」
「そうね……『神の国』で学ばれたといっても、結局は男の子だし……つまりはアレなのよね」
『街の子』から紙梳き職人へ転身したヴィヴィとミミが熱心にジャムを選びつつも、妙なことを口にする。
……食事への転用も考えたのか、それぞれサーモン・ジャムにハム・ジャムが気になっているようだ。
魚や肉のジャムと聞いて、眉を顰めた方も居られるかもしれない。
だが原理的にジャム――糖分漬けは、なんであろうと保存できるし、塩漬けやオイル漬け、酒漬けが可能なんだから、糖分漬けだって『あり』だろう。
少なくとも前世史では、その研究が始まっていた。決してゲテモノではない。
それに味見している女の子達も、肉や魚のジャムだろうと奇怪に感じてなかった。
なぜならジャムそのものが貴重品過ぎて、口にしたことがないからだ。彼女達にとって、全てのジャムが未知の味といえる。
こんなことをいうとジャム――砂糖漬けの保存食は紀元前からあったと反論もあるだろう。
確かに、かのアレキサンダー大王もジャムが好物だったと記述が残っている。
でも、それは東征――インドから大量の砂糖を持ち帰ったからだ。ヨーロッパで一般人が砂糖を口にするには、十字軍遠征――十一世紀まで待たねばならない。
そしてジャム作りには、それこそ同じ重さの金より高い砂糖が必要だけど、蜂蜜や水飴でも代用できる。
ちょうど『北の村』では蜂蜜の増産が始まったし、水飴はいくらでも生産可能だ。
となれば、この世界でもジャムを一般化する好機だった。保存食が増えれば、餓死せずに済む確率が高まる訳だし。
その栄えある一号作品群を、御守りのお礼として贈る。
僕にしては冴えたアイデアだったと思う。女の子達は、なんだかんだ言いつつも甘いものに目がないし。
さらに公平を保つべく皆を集め、味見を兼ねた試食会まで開いたのに……一体全体、皆は何が気に入らないんだ?
「ウチとしたことが、失念してた……増えることもあるて……」
「ただリュカ様は、御屋形様の跡取りとして……」
「そやね……若様にとって、遠征は御役目のひとつ。そしてウチら女は、信じて待つことしか許されへん」
「でも確かに、増えるとは思わなかったわね」
よく分からないけど、拙い!
なんでかダイ義姉さん、ポンドール、グリムさんの三人が
信じてくれて大丈夫だ。あんな顔を義姉さんがしている時は、憤懣やる方ないほどに怒っている。
しかし、だからといって直接に問い質したりは悪手だ。
矛盾しているようだけど、正しい振る舞い方は唯一つ!
「もちろん僕は怒らしてしまったと気付いています」な態度で、「だからといって、それを曖気にも出す気はありませんけどね」と振る舞うこと!
見落としてもアウト! そして過剰な反応をしてもアウトといえる!
「さ、三人ともッ! こ、好みのジャムは見つかったかな?」
睨み返された!
これでも僕は凱旋将軍なのに!
「私は……これにしようかしら? 急かされちゃったし」
「そんな意地悪をなされないと思いますよ、若様は。でも、それなら私は、こちらを」
そう当て擦りながら義姉さんとグリムさんが選んだのは、林檎と葡萄のジャムだった。
酸っぱかったり、未熟な内に摘まねばならなかった分を利用してはいるものの、むしろ製品としては安定している。成功作品といえるだろう。
「ウチは、これとこれに……これやな」
何か面白くないことでもあったかのような表情で、ポンドールは瓶詰を選り分ける。
意外なことに肉のジャムと魚のジャム、そして果物の皮で作ったジャムだった。
「この三つは、もう少し工夫せなあかんと思いますわ。持ち帰って、ちょっと考えときますさかい」
なんだろう? まるでベテランOLが、自宅へと持ち帰る書類を選んでいるかの如くだ。
「あー……野菜――玉葱とか? 他に胡椒や塩も要るかもだし……生姜とかでアクセントをつけても――って、仕事じゃないんだよ? 御返しというか……無事に戻ってきたという報告というか……――」
しかし! そこまで口にしたら! なぜか!
申し合わせたかの如く見事に揃って、女の子達は大きな溜息を返してきた!
唯一参加してないイフィ姫も、可哀そうな子を見る目で僕を!? なぜに!?
「……色々と夢を見てしまった私共が、愚かと申すべきなのしょう。それより! 私共を気に掛ける余裕がおありでしたら、先に御方様と!」
「は、母上に何を言えばいいっていうのさ」
そう言い返しはしたものの、グリムさんの指摘は図星をついていた。
どうしてか帰還以来、なぜか母上の御機嫌が宜しくないからだ。
「訳なんか分からないけど、リュカが悪いに決まってるでしょ! さっさっと謝ってきなさい!」
年長のきょうだいらしく、そう僕を叱るけれど……理由が分からないのは拙い。
たぶん母上は「よく分からないけど、ごめんなさい」といったら、それを理由に御怒りとなられる。
「若様が無駄遣いされた
なるほど。あまりな息子の放蕩ぶりに、御立腹されて?
たしかに
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