夜話
「……今日も何もなかったな。あいつら、やる気ないんじゃないか?」
「シスモンドに言わせると、最大のチャンスは僕らの到着直後だったらしいよ。でも、様子を見ているうちに、ゼッションからも援軍が間に合ったじゃない? うちと同じく四百の大規模で? それでこっちは城内の男手も勘定に入れたら千八百。対してあっちは千ぐらいだから、もう簡単には仕掛けられない。それで僕らから攻めてきてくれないかなって、しつこく挑発してるんだよ」
僕の説明に耳を傾けていた義兄さんは、「僕らから攻めて」というフレーズに過剰反応をした。
期待に満ちた眼差しで僕を見てくる。
「いや、こっちから仕掛けたりしないから! それに相手は同盟相手にフラれたみたいだしね。対して僕らは、さらにフィクスとスペリティオからの援軍で増えていく。つまり、もう待ってるだけで勝てるんだ」
「でも、こんな……その……お互いに悪口を怒鳴り合ってるだけなんて……あー……変だよ! まるで猫の喧嘩じゃないか! 俺達の栄えある初陣なのに!」
それは義兄さんらしからぬ絶妙な例えで、思わず笑ってしまった。
でも、確かに猫の喧嘩だ。
お互いにウニャウニャと威嚇しあいつつ、それでいて肉体的接触へは滅多に踏み切らない。
しかし、それは野生の叡智な気もする。
確実に勝てる相手としか戦わない。そして可能な限り、紛れを避けるという。
「従士サムソン! 話しててもいいから立つな! 隙間ができて寒い!」
反対側から――
「ご、ごめん。その……悪かったよ」
義兄さんも素直に謝って、また隙間なく毛布に包まる。うん、やはり隙間風は無い方が暖かい。
しょげ返る義兄さんをみて、とりなすようにルーバンも話に乗ってきた。
「でも、猫の喧嘩は傑作だな! ゲルマン訛りは、怒鳴られてるみたいで気分良くなかったけど……猫の唸り声と思ったら我慢できるかも」
「だろ! あいつらが『みぃなぁみぃのー、にゃんじゃあくぅ、むぉのどぉもぉがぁー』って怒鳴る度に、笑いを堪えるのが大変で――」
「だから! 立つなって、サムソン! 隙間空くだろ!」
……また怒られてる。
でも、サム義兄さんと同い年というのに、ルーバンは落ち着いてるなぁ。
ちなみに僕ら三人は、初陣の従士という括りで一緒にされていた。
二人が夜警の当番でもなければ、寝所も一緒だ。僕が二人へ分け与えているという体で。
これも武門の知恵だろう。なにかと人と人とを結びつけるのは。
それに形式的とも思ったけれど……義兄さんに落ち着けと注意のできる同僚なんて、かなり貴重な人材では!? 義兄さんも大人しく言うことを聞いてるし!?
「ゲルマン訛りもアレだったけど、俺は青銅信仰の方で笑っちゃったなぁ。鎧なんて明らかに青銅製ばっかり! あいつら重くないのかな?」
などとルーバンも呆れているけれど、しかし、それは事情のあることだ。
まず溶鉄の出来ない時代、鉄を叩いて成形するといったが……その間は高温に保ち続ける必要があった。柔らかい状態を保持する為にだ。
そして大きな塊を温め続けようとしたら、途端に難易度が跳ね上がっていく。
つまり、大きな鉄製品は技術的に存在できない。
さらに当たりハズレが大きいという問題すらあった。
下手な鍛冶屋が叩くと脆くなるのだ。鉄という材料は。
これは硬度と靭性の違いを理解する必要があり、分かり易くいうと粗雑な鉄製品は折れたり割れたりする。
科学的にいうと炭素を含まない純鉄が最も硬度は高いものの、非常に脆い。
炭素を二%ほど含有させると靭性も両立できて、それらを鋼と呼称するが……調整は職人の勘だけが頼りという時代だ。
なので鍛えすぎて脆くなったり、足りな過ぎて柔らかめな製品が多く出回っていた。
対するに青銅は原材料のスズが高価といっても、発見された時から溶かせれる。というよりも銅を溶けやすくするのに、青銅という合金技術は発達してきた。
その溶解温度は、なんと七〇〇℃!
さすがに焚火では難しいが、炭火なら空気を送ることで楽に届く。
そして鋼と青銅で、硬度に大きな違いはない。どちらもモース硬度四だ。
型へ流し込むことで大きな製品――両手持ちの大剣や胸当て、樵の鉞――なども作れるし、硬度と靭性はスズの含有量に依存する。職人の勘で作る鋼とは全く違って、常に一定の品質を期待できた。
問題点は高いこと。そして単位容積辺りで重いことだが、頑なに鋼より青銅を信頼する者もいる。ルーバンのいうところの青銅信者だ。
「あれは青銅に拘ってるというより……貧乏だからじゃないか? 指揮官っぽい人でも、青銅の胸当てだったりするし」
義兄さんらしからぬ穿った見解だったけど、さすがに偏見も入り過ぎている。
確かに
……鋼鉄製に比べて重いだけだ。ほんの一〇パーセントほど。
それに似たような技術格差は、帝国側と
時代的に考えて、そろそろ鋼鉄製プレートメイルの試作品群へ着手している。一世代は差が開いているだろう。
「
帝国にいわせたら
……大誤算だ。完全に間違えた。
前世史で西ローマ帝国が滅んだ原因は複合的とされるけど、真に時代を革新して滅びを呼び込んだのは、他ならぬ大マリウスだろう。
荷運びに奴隷を用意していた古代、一万の兵を動かすのに同数以上の奴隷が必要だ。
つまり、都合二万のマンパワーを投入できる超大国だけに一万の戦力投入――本格的な征服戦争が許される。
これこそ古代帝国期が成立した遠因だと思う。
しかし、マリウスの軍政改革は、万人に知らしめてしまった。……貧乏人や小さな勢力でも征服戦争を始める方法を。
いつの時代でも新しい戦術思想は戦争を激化させ、結果的により多くの兵数を要求する。
一万の軍隊を動かすのに一万のマンパワーで済ます妙案は、全世界で小競り合いを生む土壌となった。
……誰も彼もが、それ以前より
もはや大戦争は
乱世の始まりだ。
時代の風に乗ってゲルマンも民族大移動を開始する。
フン族襲撃という後押しがあったにせよ、時代の革新こそが大きな理由……そう勘違いをしていた。
しかし、今生の
前世史ではラインの北へ封じられたけれど……それ自体が異文明との接触でもあり、当然に
またライン川が防衛ラインとなったということは、裏を返さば何度かは南部への侵攻を果たしてもいる。
つまり、日常的に
そして前世史の
侵略は阻止されようと略奪に成功するだけで、全てが手に入る大躍進のチャンスといえる。
なのに今生の
比べれば南下を阻む力が弱いといっても、トータルでは損失の方が大きい。……なぜなら奪うべき土地は、まだ開拓されてないからだ。
切り取る程でもない未開な蛮族の地。それが
「御先祖様達も、ついでにゲルマンの奴らへ、勇敢さを教えておいてくれればよかったのに!」
「そうかぁ? 奴らが腰抜けだから、こうして俺達も暖かい寝床でぬくぬくとできるんだぜ? それに明日辺りにやる気出されたら最悪だぞ? きっと雨だし」
やや斜に構えた物の見方だけど、その分だけルーバンは落ち着いている。……義兄さんに良い影響を与えちゃったり?
「とにかく! そろそろ寝よう! これは勘に過ぎないんだけど、明日辺りから忙しくなりそうなんだよね」
早合点した義兄さんは身体を起こしかけ、またルーバンの溜息を誘う。
これ以上怒られたら可哀想なので、無言で義兄さんの肩を押さえる。やはり隙間風は寒いし。
「義兄さんが期待しているようなことじゃないよ。僕の細々とした雑用」
それどころか義兄さんには、つまらない結末――僕の目指した予定通りの苦い結末だ。
……万事抜かりなく進行した以上、その責任は誰かが負わねばならない。
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