若き総大将の悩み

 再び翌日から進軍となるも、どうしてか空気が激変していた。

 いや、普通に考えて当然か?

 開拓村よりも北へ進めば、そこは他所の領地だ。

 確かに家同士で盟約を結んでいるし、同じ王を仰ぐ僚友格でもあるが、明確に他人でもある。

 語弊を恐れずにいえば、前世史の外国にも近い。

 また深きガリアの森は拓くに難く、潜むに容易かった。……当然に待ち伏せもで。

 もちろん、万が一に備えての用心はしている。斥候へ出される兵だって、僅かな痕跡すら見逃さない達人ぞろいだ。

 しかし、そんな指揮官の警戒、察した下士官の叱咤、ようやくに状況を理解した徴用兵の緊張と……目に見えて空気は張り詰めていく。

 若干一名、場違いなまでに騒々しくて明るいけれど。

 もしかしたらシスモンドは、豪胆というべきなのかもしれない。下手をしたらピクニックへ赴く程度の感覚だ。

 でも――

「御曹司! 戦場なんてのは、男の遊び場なんです! これから馬鹿比べに洒落込むんですから、もっと御笑いに!」

 なんて言われても返事に困る。

 ……若手の騎士ライダー達からも大顰蹙を買っちゃってるし。

 ただ、「笑え」という忠告は、一理あるかもしれない。

 鹿狩りの時にも感じたことだけど、僕は全員の中心点にいた。まず僕を守るのが、第一義と考えられている。全てが僕を最優先だ。

 なのに不安そうだったら、皆も心配するだろう。

 いかなる時でも大将は悠然と。そして戦場の花形騎士達は勇ましく。

 結局のところ思想へ人は殉じれないのだから、上に立つ者が守るべき義務とすら思える。……象徴として光り輝くことが。



 そんな訳で強いて虚勢を張っていたものの、想定外にスムーズな道行となった。

 さすがに領境が十字を描く辺りは未開で道も粗末だったけれど、カサエーの街道へ戻ってからは捗ったからだ。

 さすがは偉大なるローマ帝国の遺産か。

 逆侵攻されることさえ考えなければ、隈無く整備された街道というのは優れものだ。

「御曹司、総員へ戦闘準備の御命令を。それから少し行軍速度を緩めましょう。場合によっては、すぐに走り出すんですから」

 内容を吟味しながらも、即座に肯く。そろそろフィクスの街に到着か。

 僕は御飾りの総大将だから、なにもかもイエスと答えるのが正しい。……よほどに変な献策でなければ。

 それより無意味な逡巡で足を引っ張ったりしたら大事だ。

 視界の隅ではブーデリカが馬首を巡らせていた。正式な持ち場へ――騎馬隊へ合流するのだろう。

 数日前から再び騎乗を始めたティグレと義兄さんも姿勢を正す。

 ……そういえば剣ではなく槍を持たされるとかで、不満を漏らしていた。

 でも、伝統的に従士のポジションは騎士師匠の後ろだ。そこで師匠の予備の武器として槍を運び、さらにはそれで戦ったりもする。

 意外と伝統に拘るティグレらしい指示だったし、なるべく新兵を殺さない知恵か。

 口数の少ない質な騎士ライダータウルスは黙って肯き返してくる。

 どうやら準備は良いようだ。

「前進せよ。ただし、可能な限り静かに。そして余力は残して」

 心得たとばかりにシスモンドが腕を振り、前進は再開された。


 森を抜けると唐突に視界が開けてきたし、先ほどから漏れ聞こえていた物音もハッキリしてくる。

 まず煤の臭いが鼻を刺激した。それから焼き払われたスラムが目に入り、火事の臭いと悟らされる。

 これは戦争に先駆けて敵方へ利用されぬ様、城壁周りを処理したからだろう。

 そうやって開かれた場所へ、微妙にガリア僕らとは違う装束の男達が陣取っていた。

 中心はガリアフランスゲルマニアドイツの伝統的な兵装――大きな歩兵盾に槍、剣といった歩兵だ。何名かは、顔や身体へ戦化粧ペインティングもしている。

 パッと見では、それほど騎兵がいない。……これは文明ローマ化してない弊害か?

 前世史と違ってゲルマニアドイツはカサエー侵攻で苦汁を呑まされなかった分、戦訓を受け取り損ねてるようだ。

 下手したらガリア戦記の記述通りに、馬から降りて戦闘――騎乗戦闘は全く訓練してない可能性すら?

 そして勘違いに気付かされた。

 どう間違えたのか言語化は難しいのだけど、とにかく思い違いをしている。でも、何をだろう?


 ゲルマンの軍勢から百五十歩前後――おおよそ百メートルほど先にフィクスの城壁が聳えている。

 やはり石造りと木造が入り混じった――ガリア僕ら特有なローマ遺産の流用だ。……もうガリア様式とでも名付ける他ない?

 そして城壁より高い物見櫓からは、しきりに僕らを指さして大声を上げている。

 僕らとゲルマン以外の集団が城外に居ないので、増援では一番乗りか?

 戦闘の跡――攻城兵器などの残骸も見受けられないし、まだ戦端は開かれていないようだ。

 ……打ち捨てられた死体なども、まだ見当たらないし。

「間に合ったのかな?」

「それは何を期待していたかで変わりますぜ? とにかく『突撃』だけは、御命じなっちゃいけません。残念でしょうけど」

「なんだよ、それ! どうして僕が『突撃』させたがると思ったのさ!」

「……御存じないんですかい? 血気盛んな貴い身分の若様ってのは、とにかく『突撃』が好きなんでさぁ」

 真面に相手をしていたら際限がなさそうだ。

「とにかく! 相手は、どう動く?」

「いまからでも遅くねーですから、俺らに突撃ですかね。奴らは俺らより多そうですし、戦果も見込めるでしょう」

「なら僕らは防衛陣を布く?」

「街道まで引っ込んじまった方が、確実ですけどね。でも奴さん達は、日和ったようですぜ? ……援軍の当てでもあんですかね?」

 なるほど。相手にしてみれば僕らの到着は戦況悪化であり、逆説的に攻めるべき瞬間か。……分かってる範囲では、好転の材料も無いはずだし。

 それでも動かないのであれば、向こうも向こうで何かを待っている?

「若様! フィクスからの使者が!」

 僅かに開かれた城門から、白旗を持った騎兵が駆け出て来ていた。おそらく伝令だろう。

「……いいんですかい? あいつが到着する前なら、無茶な突撃でもやっちゃえますぜ? 偉い人達の間じゃ、初陣で突撃を命じなかったら低く見られんですよね? 軽く突撃しときますか?」

「なんだよ、それ! まずはフィクスとの連携を最優先とする! とりあえず良さげな防御陣でも考えてよ!」

「ええ!? そんなしみったれた方針を!? 確かに手堅いかもしれませんが、まるで爺さんじゃねーですか!? ここは若い偉い人らしく突撃を――」

「いいから陣を組んで!」

 どんだけシスモンドは突撃に恨みが!?

 もう意地でも突撃するもんかと思えてくる。……それが狙いか!?

 また騎士ライダー達の支持を得られない理由も、なんとなく分かってきた。

 若くして指揮官へ任じられるような騎士ライダーは、おそらく全員がシスモンドに弄られたのだろう! よく分からないけど、この『突撃』を巡って!

 どうやら想像以上に賢いのかもしれないが、その分だけ扱いに困る類の人物だ! 間違いない!

 そして馬鹿な漫才には付き合っていられないとばかり副将のタウルスが命令を下す。

「全軍、あと二百歩ほどフィクス側へ。そこで方陣――いや、半方陣を組む。よろしいですね、若様?」

「……もちろん。全て良いように」

 なんだろう?

 急を告げる使者が到着した夜から、すでに一週間以上も経って……ようやくに貧乏籤を引いたと、言葉でなく心で実感できた!

 この遠征、思ってたのと違う!

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