資本主義と、そのカウンターカルチャーな共産主義を産んだもの

 実のところ生産性を高めるだけでは、産業革命を起こせない。

 親戚筋ではあっても、直接の親子関係にないからだ。

 そして生産性だけに注目すれば、かなり早い世紀で東洋は、産業革命直前の――一七六〇年代のイギリスより高い。

 これは米と小麦の優劣が原因で、収穫量だと十倍、必要な仕事量も勘案すれば五倍前後の差という。

 このハンデを総合的に埋めたのが『輪栽式ノーフォーク農業』であり、それ以前の西洋は東洋に大きく水をあけられていた。

 さらに『輪栽式ノーフォーク農業』の導入は産業革命と同時進行で、まだ改善の恩恵に与れていない。

 また長らく生産性が高いはずの東洋は、家内制手工業や問屋制手工業に留まり、産業革命の前身な工場制手工業マニュファクチュアへ発展する産業は珍しかった。

 これらを踏まえると生産性の向上だけでは、史実のような突然変異的発展を望めないことが分かる。



 意を決して始めた。

 危険なほどに大きな炎は、それを御せた時の見返りも大きい。

「羊毛はある? いや毛糸用に整えたものじゃなくて、洗っただけの……ああ、それ」

 不審そうなレトから大きな袋を受け取り、作業を始める。

 まずは左手で羊毛を鷲掴みにし、右手に持ったブラシ――タールムの犬用だから、かなり厳つい――で梳く。

 残った羊毛を左手から右手へ持ち替え、もう一度だ。

 この作業で長い羊毛だけが選り分けられ、同時に方向も整えられる。

 成果は丁寧に机へ並べていく。一本一本を同じ向きに、横へと並べていく感じだ。この際、それほど厚く重ねたりはしない。

 何回か繰り返して三十センチほどの幅になったところで、手近にあった編み棒を芯に巻いていく。

 ……まるで羊毛で作ったマカロニだ。それも凄く長い。

 最後に端を指で抓むようにしながら、慎重に紡ぐ。……可能な限りに細くで、髪の毛ほどのイメージを持って。

「若様? そんなに細く羊毛は紡げませんよ? そんなことしたら途中で千切れて

――」

 しかし、義母さんの忠告へ逆らうかのように、髪の毛ほどの細さで羊毛は紡がれていく。

 長い羊毛だけを選り分け、さらには方向も整えたことで、細く紡げるようになったからだ。

「……って、失敗しちゃった。レトが途中で話しかけてくるから!」

「吾子が紡ぎに慣れておられないからではないでしょうか?」

 千切れた部分を調べながら、手厳しいことを母上は仰るけれど……その顔は驚愕に満ちていた。

 そのまま無言で続きを紡がれ始める。

「代ろうか? クラウディア?」

「いえ……私でも、このまま。……問題ないように思えますね。普通に紡げます」

 羊毛マカロニの厚みが均等となるよう丹念に調整した後、そう母上は断言される。

 どうやら無事に最強最悪な現代科学チート――『梳毛ウーステッド』の伝承に成功したらしい。



 羊毛を使った織布は、二種類存在する。

 一つは特別な作業を行わず、多少は太くなっても糸へ紡ぎ、それを織った物――フランネルだ。毛織物とも表記される。

 想像が難しかったら、俗にネルシャツなどと呼ばれる服――たいていはチェック柄で厚い――を思い浮かべれば正解だ。

 あれに使われている布がフランネルだから、シャツと呼ばれている。

 しかし、フランネルを羊毛で作る場合、布の厚みから春夏物は絶望的なのが欠点だった。

 そこで賢い人が『梳毛ウーステッド』を閃く。

 細く紡げば、なんと羊毛で薄物すら可能だ。もう歴史的な大発明といえる。

 よく分からなかったら、上等な背広などを思い浮かべて欲しい。

 あの薄めで手触りの良い服は羊毛百パーセントだし、その生地や糸は『梳毛ウーステッド』で織られている。

 これは羊毛で春夏物が作れるようになっただけに止まらない。交易に足る布が生産可能になったことを意味した。

 つまりは微妙資源が高級資源へ昇格で……恐れていた著しく商業的な品目の確立でもある。



 俄かに全員で羊毛梳きとなるも――

「ねえ、リュカ? これって凄く大変じゃない?」

 とダイ義姉さんにキレられた。

 義姉上にしてみれば、機織り助手から解放されたと思ったら……より面倒臭そうな仕事になって戻ってきたのだ。不満を覚えて同然だろう。

 しかし、その気持ちは、僕にも分かる。

 再び少年少女が労働へ駆り出されそうな流れは、甚だしく不本意だ。

「でも、素晴らしい神々の叡智では? ……どのような布へ織り上がるか確かめてからでなければ、迂闊なことは申し上げられませんが」

 忙しなく手を動かしながらも、グリムさんが感想を漏らす。

 ……このひとに褒められたりすると、なぜ全身がむず痒くなるんだろう? どうしてか訳もなく大声で叫びながら、全力疾走したくなってくる。

「どないやろ? ウチには、これが正解と思えへん。確かに若様の仰っていたなんやろうけど……こないなペースで帳尻を合わせられるんやろか? もっと、こう……ガァーッとやらなあかんような?」

 ポンドールに至っては、初見で回答へ辿り着きそうな勢いだし! 



 面白いことに『梳毛ウーステッド』は、かなり正確に発明された時期を特定可能だ。

 まずイギリスはノーフォーク県ウーステッドでの発祥に因み、『梳毛ウーステッド』と名付けられた。

 さらにウーステッドという地名は時の権力者の命名に拠っていて、一〇六六年からと記録にも残っている。

 当然、それよりも前にウーステッドは存在しないから、『梳毛ウーステッド』の発明も一〇六六年以降と推理可能だ。

 また文献に初めて登場するのが一二九三年なので、その時点では発明済みともいえる。


 そして話は前後するも、イギリスで起きた奇妙な流行があった。

 羊の放牧を目的とした囲い込み――資本家の祖先商人による農地の買い占めだ。

 イギリス人だけが牧羊に熱中した。

 ちょうど一五〇〇年前後の話で、時の知識人が「羊が人間を喰い殺している」と嘆いたほどだから、深刻な社会問題だったことは疑いようもない。


 さらに当時のイギリス資本家の祖先商人も、ポンドールが言うところの「ガーッとやる」へ――同じ結論へ到達している。

 誰だろうと羊毛を梳けれれば構わないので、賃金の安い順に片っ端から雇い、『梳毛ウーステッド』の大量生産――工場制手工業マニュファクチュアを始めたのだ。

 その理由は、雇えば雇うほど儲かるから。あるいは工場を増やせば増やすほど潤うからだ。

 もちろん、大量生産される『梳毛ウーステッド』の糸を狙った織布工場も乱立したことだろう。……やはり同じく、建てれば建てるほど儲かるからだ。

 おそらく一二〇〇年代のどこかで起きたムーブメントは二百年以上をかけて、ついには国内の羊毛生産で賄えなくなる規模へ膨れ上がった。

 イギリスでだけ牧羊目的の囲い込みが起きたことから、この推察が可能だ。


 踏まえるとイギリスは、生産性と無関係に工場制手工業マニュファクチュア時代へ突入したことになる。

 また、この時期に各工場で発明された様々な技術が、織り機や糸車の発展を促し……いくつかの工場では、水車動力を利用した半機械化まで成し遂げた。

 産業革命を工場制手工業マニュファクチュアと蒸気機関の悪魔合体と見做せば、当然、それに先駆けての半工業化が必須だ。

 ここまで符合してしまったら奇妙な見解というより、全ては起きた出来事の補完とすら見做せてしまう。

 

 が、「羊が人間を喰い殺している」と嘆かれたように、けっして喜ばしい進歩とはいえない。

 ……むしろ歴史的な大人災が正しい評価だろうか?

 まず賃金の安い農村の若者が使い潰された。

 同時に農村の基礎体力も損なわれる。次世代を間引かれれば、どんな業種だって衰退せざるを得ない。

 そして弱った農村は資本家の祖先商人によって買い占められ、全農地が牧羊へ転換させられる。悪夢の農村崩壊だ。

 当然、土地を失った農民は無職となり、さらに安く買い叩かれてしまう。

 そうして潤った資本家の祖先商人は資本の再投下を行い、負のスパイラルは農村と伝統を壊し続ける。

 これはイギリスの断絶の始まりともいえた。

 数百年間――親子数世代に渡って工員として使い潰されれば、郷土料理すら知らない層が生まれても不思議ではない。



 しかし、色々と危険な『梳毛ウーステッド』だけど、その分だけ見返りも大きかった。

 さすがに希少性ではシルクに劣るも、かわりに量が見込める。

 語弊を恐れずにいうのであれば、ほとんど羊毛からきんを梳き採っているのにも等しい。資本家の祖先商人も夢中になって当然だ。

「と、とりあえず! 当面は……というか、しばらくはドゥリトル家で独占するつもりだし! どこかに工房を建てて、傷痍兵や戦災未亡人を――生活に困っている人を雇ってさ! あと許可のない『梳毛ウーステッド』の製作や販売も、布告で禁止にして!」

 いまいち女性陣には理解が難しい様子だった。

 でも、実のところ僕だって怖い。

 コントロールし損ねて軽い農村崩壊程度なら御の字で、大失敗した産業革命後の世界――とんでも技術のないスチームパンク的大廃頽すらあり得る。

 だが、制御さえすれば! もう永遠不滅の黄金期さえ夢ではない! かの大英帝国の如く!


 ただ、それそれとして言外に――

「でも技術開発は、私たち任せで……つまり、しばらく羊毛梳きの毎日なわけね?」

 と不貞腐れる義姉さんや――

「こないなもんを見せつけて、独占的先駆は禁止とか殺生ですぅ」

 と不満げなポンドールの説得には、ちょっと時間がかかりそうだ。

 不思議そうに抱き付いてきたエステルの頭を撫でながら、そんな感想を覚えた。

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