カーン教レポート

 せっかくの懇談会は、まったく締まらない感じでグダグダに終わった。

 色々と仕方なくはある。

 僕は僕で下手なことを口走ったら聖人デビューしちゃいそうだったし、それだけは阻まんと母上は母上で無言のプレッシャーを掛けてこられるし。

 ……ちなみに危険水域からは完全に無口となられるのを、これで初めて知った。

 母上のような美人が無言になられてると、超コワい。実子でもビビる。

 それに不完全な結果といっても、及第点は確保できたと思う。

 やはり基本プランを――互いに監視させつつ政教分離を目指すを決められたのは大きい。

 ……神官リジードからは言質を引き出せず、尾を引くかもしれないけれど。


 だが、それはそれとして、ある程度は察しているべきだった。

 まず『魂が神の国へ行ってしまった子供』というのが便利すぎる。……僕のような転生者を、ここの人達が理解するのに。

 これが僕の時に初めて論じられ、色々な検討の末に辿り着いた結論なら矛盾はない。

 だけど僕が生まれる前から――この世界へ転生する前から『非常に珍しいけど起こりえる事象』と認識されていた。……還ってきた子供が、不思議な知識を持っているのもセットで。

 誰かが僕の為に御都合を用意したのでもなければ、それ以前に類似例があったと考えるべきだろう。

 つまり、僕以外にも、この世界には転生者がいる。もしくは、いた。

 おそらくオラ様と僕は、幼年期が酷似しているのだろう。誰にでも同じ現象と類推が可能なぐらいに。

 それで『魂が神の国へ行ってしまった子供』という荒唐無稽な話が罷り通ったのだ。

 やはり、予測して然るべきだった。僕自身も色々と違和感を覚えていたのだから。


 そしてオラ様は、かなり昔の人だった。……二重の意味で。

 現時点から遡ること約八百年も昔の人というから、なんと釈迦や孫子と同級生となる。……ちょうどローマ王国が建国される頃――ギリシア都市国家時代で、半ば神話の時代だ。

 さらに女性かつ日本人で一人称が『オラ』、奴隷制度よりはマシな奉公システムを知っていたあたり、その前世は江戸時代か明治、大正の人だろう。

 そして『いただきます』と『ごちそうさま』の習慣があったことから、明治末期か大正の可能性が高い。……あるいは戦前も視野に入れるべきか?

 しかし、ここで大正と仮定しても、僕の前世からは百年程度離れていない。

 前世では百年前の人が、今生では八百年前の人に?

 また八百年間で明確に転生者といえるのは僕とオラ様だけらしいから、その出現率は低そうだ。

 つまり、極めて珍しい事象で、起きても数百年に一人程度なんだろう。……あるいは転生者として覚醒にする事例は、が。

 ……ちなみに二人の転生者が偶々同国人というのも、けっこう稀なケースといえる。適当に人口比から考えても、百回繰り返して一回あるかないかだ。


 ただ僥倖にも同じ日本人だからこそ、よりオラ様の功績が素晴らしく思える。

 『食器文化の導入』や『手洗いなどの基礎衛生習慣』、『からの基本的道徳』と――この時代にあるはずがない概念は、きっとオラ様の尽力に拠るところが大きい。

 ……突然変異的で奇妙な逆向きの発想も、だろうか。

 例えば椀物文化は東洋的だ。

 そもそも西洋は鍋で煮た料理を口へ運ぶのに、個々で匙を使う方向を選択した。

 当然、その流れでは鍋を持ったり、直接に口を付けるのは最大のタブーとされる。

 現代でもスープ皿は持ち上げないのが西洋式マナーだし、もちろん皿へ直接口を付けるなんて以ての外だ。

 対するに東洋では――特に日本では、鍋から個別の食器へ取り分ける方向を選択した。

 着想の時点からスープ皿を手に持っただろうし、スープ皿へ直接に口を付けて飲みもしただろう。

 だが、これは最初に踏み出す足を右としたか、あるいは左としたか程度の違いでしかない。

 それでいて最終形で互いに正反対となるし、異文化同士の比較で非常に多いパターンだったりもする。

 ……ようするに時々に見受けられる西洋的でない奇妙な発想は、おそらくオラ様の影響だろう。


 さらにオラ様は、とにかく信じられないぐらいに無謀な人だ。

 ここで「未来から現代へ転生してきた」と称する未来人を思い浮かべて欲しい。……真贋鑑定とかは無しに、とにかく信用はできる前提で。

 その未来人が涙ながらに――

「人を雇用して就労させる!? なんて野蛮な! そんな人権を無視した蛮習は、ただちに廃止するべきです!」

 と訴えるのを想像して欲しい。

 これを言葉としては解読できたとしても、理解はできないはずだ。

 なのに未来人は主張するだけに止まらず、摩訶不思議な未来技術を駆使して解放運動を始めてしまう。

 施政者側からすれば、まるで狂人がみた白昼夢だ。

 ドラえもんがテロリスト組織を立ち上げるようなもので、映画版『のび太と解放戦線』を地でいかねばならない。……もちろん悪役側で。

 そして現代において雇用システムを否定できないのと同じで、古代や中世において奴隷制度を否定も難しい。

 なぜなら必要だから。全人類が生き延び、さらには発展するために。


 だが本来なら僕もオラ様を見習って、奴隷解放運動に身を投じるべきだった。

 前世では先人達の血で購われた自由を謳歌したのだから、その支払いから逃れたら卑怯者だろう。

 しかし、だからといって失敗に意味はない。

 きっとオラ様は、悪いことを悪いという方法しか知らなかったから、そうせざるを得なかった。

 幸いなことに奴隷制度の解消法も『』は記述がある。……かなり眉唾ではあるけど。

 偉大な失敗者であるオラ様には敬意を払いつつも、僕は僕で地道に搦手を進めるのがよさそうだ。

 ……自由の神という柄でもないし。




 暖炉の暖かさにウトウトしそうになるのを堪えつつ、再びを睨む。

 中央には世界で一番有名な長靴――イタリア半島が鎮座していた。その脛の辺りには、この世界の言葉でロウムとも書いてある。

 ……うん。ローマだね。間違いようがない。

 しかし、なぜかイタリア半島の真東――前世でいうところのバルカン半島か?――に『ビゾントン帝国』と記してあり、なぜかロウムは帝国の版図外となっていた。

 ……そういえばローマ帝国が東西に分裂したのは有名だけど、その後に東ローマはどうなったんだろう?

 世界史というより中世ヨーロッパ風ファンタジーの知識が中心だと、東ローマの行末に詳しくなれないのはネックか。東西分裂後は、フランク王国成立を注視しがちだし。

 でも、この『ビゾントン帝国』は、どちらかといったらギリシアになってしまうような?

 いま父上達が戦争している帝国で間違いなさそうだけど、もし最初に地図と名称で示されてたら、東ローマとは思わなかったかもしれない。

 しかし、色々と考えるにローマ帝国の後継で間違いなさそうだ。

 カサエーことカエサルがガリアから帰れなかった結果、歴史が歪み始めている? それとも地図の精度が低い?

 たぶん、この地図は二世紀頃に記された『プトレマイオス図』の写し、それも左半分だけだ。

 左端にはイベリア半島――前世でのスペインがあるものの、右端は黒海の辺りで切れてしまっているし。

 また地図として、かなり適当だ。

 イベリア半島の真東にフランスがあったり、イギリス――グレートブリテンとアイルランド島――なんて全く違う形をしている。

 でも、ばっちりフランスの北に位置していた。憎たらしいことに位置関係は正しい。

 そして前世でフランスな位置には『ガリア』と明記され、ご丁寧なことにドゥリトル山まで追記されている。

 ……これだけインクが新しかったから、親切のつもりなんだろう。

 とにかく親切な誰かのおかげで、ドゥリトルの大まかな位置が判明してしまった。よりによってフランス北西部だ。


 つまり、いま現在は四世紀で、場所はガリアフランス、そして衰退していないローマ帝国の後継『ビゾントン帝国』と戦争中になる。

 追記するに一度もローマ化していないので、前世と比べて開拓は全く進んでおらず、全体的な文明力も数段低い。


 ……判ったぞ! これ夢だ! いわゆる難易度最高設定ナイトメアってやつ!


 誰だよ、ノリで難易度設定したの! 最低だな!

 せめてガリア帝国として一度はフランク人が統一されてないと! これだと帝国と戦う前に、ガリア平定の必要性すら!?

 日本史で例えたら元寇がくるのに無政府状態だよ!? ようするに負け確の無理ゲー!

 でも、これが現実でなくゲームなら話は簡単だ。

 幸いにも手元の地図には『紅海』らしきものが記されている。

 この『紅海』南西部沿岸の山間で――エチオピアのシミエン山脈でコーヒーは発見された。

 偶然にもコーヒー豆ばかり食べる偏食家で有名なジャコウネコという狸の生息域だし、判別も楽勝だ。特別な知識はいらない。

 つまり、探せばある! すぐに見つかるはずだ!

 転生して以来、ずっと恋焦がれているカフェイン飲料を嗜みながら、のんびりガメオペラと表示されるのを――



 などと辛い現実から逃避してたら、母上に呼びかけられ――

「ここに居られたのですね、探しましたよ。なにを御覧に――……吾子? このような物……如何しました?」

 さすがの母上も世界地図に絶句だ。

「あー……これは……そのー……聖母殿に献上してもらって。あーっ! 駄目です、母上! それは良い物ですから!」

 ニコニコと笑顔なまま貴重な地図をべようとされたのを慌てて止める。

 ……ぷぅと頬を膨らませた顔を見ていると、こっちが悪いんじゃないかと思えてくるから美人は得だ。

 とにかく地図を守るべく丁寧に折り畳んで懐へと仕舞う。

 オラ様は生前に世界地図を欲しがっていたとか、その知識から庶民なら明治以降の人で確定だとか、没後もカーン教団は収集を続けたとか色々あるんだけど……さすがに二枚目を強請るのは難しいはずだ。

 いくら母上に疎まれようと、断固として死守させてもらう。

「そ、それより! こ、このリュカめに御用ですか、母上?」

「ああ、それです! 先ほどレオンより書状が届きました! 吾子も母と一緒に、御父上からの手紙を拝見いたしましょう!」

 ……なるほど。それで母上は丸めた羊皮紙を持っていらっしゃるのか。

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