消去法で選択される政教分離

 そして言葉に詰まったファスティス司祭を、すかさず神官リジードが揶揄う。

「指導者が逃げ隠れしているとは、なにか後ろめたいことでもおありか? それともとやらは、信徒の救済にご興味がない?」

 こちらは唯一と言い張る神を認めなくもないのに、むこうは自分達が信じる神々を全否定と……多神教の観点だと、唯一神という教えは不愉快だったりする。

 が、意外にも聖母テチュは理解を示した。

「ロウムの迫害は過酷を極めたと、我が教団にも伝わっております。いまだ野蛮な奴隷制度を改めぬ者どものこと。そのピエールの代理人とやらが隠れるのも無理もないことかと」

 どうやらカーン教も、過去に排斥を経験しているらしかった。

 そして神官リジードだけ全く共感してない様子だけど、それは皮肉としか思えない。

 前世のドル教はヨーロッパ全土から邪教として叩き出され、その贖罪を求める子孫すら残らなかった。他人事と冷笑している場合じゃない。

 また唯一神教だって前世と同じなら、その産声を上げた頃には酷く弾圧され、預言者を筆頭に初期メンバーほぼ全員が処刑の憂き目にあっている。

 宗教者であれば、その宗派の垣根を越えて弾圧へ団結するべきなのに――

「あれはオラ様とか仰る方が、無謀だったからでは? 奴隷を解放するまで説教とか酷すぎるでしょう。さすがに我らが神の子も、そこまでは……。あと、いつも謎で仕方ないのですけど……崇めているのはオラ様なのですか? カーン様なのですか?」

 助け舟を出して貰ったくせにファスティス司祭は、即座に聖母テチュへ反撃した!

「オ=ラ様は聖なる日に『オ=ラは皆のオ=カーンだから』と宣言され、遍く子らの母親と――カーンとなられたのです! そして説得には、たまたま朝まで時間が必要だっただけです!」

 ……なるほど。

 期せずしてカーン教の全貌が判ってきちゃいつつあるけど、つまりはオ=カーンに朝まで説教か。それは確かに強力というか……ある意味で暴力だろう。



 そして理解した。これは対処しないと駄目だ。

 さきほどから母上が呆れ果てられて、何も仰られないのがよく判る。納得できてしまった。

 百害あって一利なしというほどではない。それなりに長所や利点もある。

 でも必要不可欠だとか、存続に協力すべきとかいわれたら……やはり首を捻らざるを得ない。

 おそらく『教え』というのは、前提を踏まえれば常に正しい……のだと思う。

 しかし、それ以外の『教え』が――別の視点や立場が混ざったら、もう駄目だ。互いが互いの矛盾点を照らす光となってしまう。

 かといって史実を鑑みるに、一つの『教え』が勝利してしまった世界は最悪だ。

 批判どころか、変更の方法すらなくなる。政治と同じで、一党独裁を長く続けるようなものか。


 といっても前世の唯一神教ですら、唯一の宗教と定められてから最高権力となるまでに千年かかっている。

 その苦労して握った至高の身分も、二百年も経たない内に内部分裂で失った挙句、近代からは科学の光に照らされて権威も減る一方だ。

 その証拠に現代では耳にしないだろう、立身出世の為に聖職を志す話を。

 つまるところ宗教は、権力獲得や維持の道具として不適当すぎた。

 なぜか前世では誰も彼もが宗教アレルギーめいた気質を誇っていたけれど、それは不勉強な扇動者に騙された結果でしかない。

 たまたま共産主義が生まれた時、まだ宗教勢力に力が残っていただけだ。

 なのに成り上がりで物を知らない田舎者な共産主義者は誤解し、打倒するべき既存勢力と考えてしまった。

 ……そんなことせずとも放置しておけば、徐々に現実への影響力を失っていくはずだったのに。


 しかし、僕に許される対応も放置しかなかった。

 まず弾圧は悪手だ。

 叩けば叩くほど結束し、大きく育ち、却って目的を損なう。

 かといって保護もメリットが薄い。

 前世でもローマ帝国が治安維持目的で唯一神教を国教に採用した結果、軒を貸して母屋を取られる顛末になった。

 ……自分から『一つの教えが勝利した世界』へ向かうようなものだろう。

 つまり、あらゆる宗教が互いに監視しあっている現状がベスト!?

 あと二千年も経てば、無理なく共存できるようになるし!?



 ただ、現在進行形で大きくなっていく癌だけは取り除いておくべきか。

「常々僕は、母上と神殿の不仲を憂慮しておりました」

 ……せっかちなことに母上は頬を膨らまし、神官リジードは期待に目を輝かさせた。

 落ち着かれるよう気持ちを込めて母上の手を握り返し、やや声音を強めて続ける。

「リジード殿? 僕はすぐにでも神々の御許へ帰るべきなのですか?」

 物言わぬ赤ん坊として世界を眺めていた頃、その様な神託を僕は告げられていた。母上と神殿の不仲だって、それが原因だし。

 でも、少し意地悪だったかな?

 自然崇拝に由来する神々は、全知全能な神と違って間違える。

 しかし、だからといって失点を神々へ押し付けたら、後々に神殿内での立場が揺らぐだろう。

「あれは卦を読み間違えた儂に責があること。正式な謝罪と撤回を受け入れてはくれまいか?」

 素直に非を認めてきた。正直、意外だ。

 そして神々が間違えたのでなく、人との橋渡し役――ようするに通訳な神官の失敗とすれば、その信仰への影響もない。

 横目に母上の御様子を窺った感じだと、まだ御怒りにはなられてはいるものの、謝罪と撤回が為されれば吝かでもない……かな?

 でも、それだけだと僕には足りない。どうしても変えたいことがある。

「爺やら文官の者を、いつも神官殿らは虐められている。可哀そうだとは思わないのですか? 母上の御寛容に免じ、もう止めていただきたい」

 非常に婉曲な表現だったにも拘らず、正確に神官リジードは理解したようだった。



 ドル教といったら『ルーン文字』などが有名だろう。

 北欧神話と重複の部分もあるが、ようするに文字そのものが魔力を持ち、適切に書き記せば魔術きせきを顕現せしめる。

 当然、精髄にして奥義だから、その知識は限られた者達だけで秘匿された。

 遠く太古の時代、みだりに秘密を漏らした者は、その命を以って購わせたとすら伝わる。

 だが、ここで文字を秘匿する最善の方法を考えてみて欲しい。

 色々な折衷案を思い付かれるだろうが、結局のところ最も手堅いのは文字を使わせないことだ。

 つまり、ローマ化以前な西ヨーロッパでは、文字による記録がドル教によって疎まれていた。

 そんな馬鹿なと仰るかもしれない。でも、これが史実だったりする。

 事実、西ヨーロッパの人々は紀元前から確認されているのに、彼ら側から記述した文献が極端に少ない為、ローマ化するまでの全貌はよく判っていない。

 あの有名なアーサー王伝説で、異常なまでに当時の文献が少ないと思われたことはないだろうか?

 彼に実在モデルがいたとしても、ブリテン人かサクソン人であり、どちらにせよドル教徒で、つまりは文字によって記録されてないのだ。

 似たような事例に日本史の大空白時代がある。

 これは邪馬台国から大和朝廷までの詳細不明な時期を指すが……『言霊信仰』の影響で文字を残す――言霊を文字かたちへ縛るのを忌み嫌ったという説もあるぐらいだ。

 また現存する記録が先行文明視点ばかりなのも類似点といえる。

 ようするに『ルーン』や『言霊信仰』なども、ロマンチックな側面ばかりではない。太古の謎を、永遠の闇へ閉ざす程度には厄介だ。 

 ……もし無責任なラノベ書きが聞けば、何をやっても反証は出ない時代と小躍りするかもしれないけれど。



 が、僕にしてみれば文字の使用を煙たがられては、ひたすら煩わしい。

 爺やら文官は仕事――ただ政治的な記録や帳簿を付けているだけで、しつこく神官達から嫌味を言われる。

 街に看板などがないのも当然だろう。

 もし文字を使った看板――といっても街の人には読めないだろうけど――なんて掛けた日には、下ろすまで店の前で説教を続けるんじゃなかろうか?

 しかし、もう我慢ならんと和解の条件に付け加えたものの、予想通りに神官リジードは困り果てた様子だった。

 これはドル教などの古い宗教が持つ共通の欠点か。現世に一番偉い人が存在しないので、誰にも教義の変更権がないのは。

 驚くべきことに頑固で有名なユダヤ教やキリスト教、イスラム教ですら、そのシステムに自己変革の機能を有している。

 人間で一番偉い人が決まっているから、その人が決断すれば教義も変わるのだ。

 いずれは進化論や地動説も認めるだろうし、全人類との融和すら可能といえた。

 今生の唯一神教ですらピエールの代理人一番偉い人がいるようなので、教義の変化は起こりうる。

 隣人に持つなら唯一神系統の方がベターなのは、実に驚きだ。なぜなら二千年ぐらい我慢していれば、平和的に理解しあえる。


 心を鬼にして窮地の神官リジードを追い込む。ここは譲れない。

「『北の島』は常に人手不足だとか。冬が厳しいせいでしょうか? 隣人として援助を考えなくもないのです」

 噛み砕けば「聖地『北の島』へ所払い栄転しちゃうぞ?」という恫喝だ。

 しかし、宗教勢力が王権を――武力を上回るのは、前世ですら十二世紀の頃第二次十字軍以降から。それまでは常に剣の担い手が上だ。

 ようするに本気になれば、聖職者の島流しも不可能ではなかった。

 感極まられたのか母上は強く手を握り返されてくる。積年の恨みが晴れ、さぞ御満足かと思いきや――

 もの凄く警戒されていた。どうしてか聖母テチュのことを。

 そして聖母テチュも聖母テチュで、なぜか共犯者めいた笑顔を僕へ向けていた。

 またファスティス司祭も激しく動揺している。まるで恐れていた事実を目の当たりにし、激しく驚愕しているかのようだ。


 ………………うーん?


 しばし考え、やっと見落としに気が付いた!

 もしかしたら僕は――


 カーン教の聖人として扱われかけて!?


 テチュにしてみれば「天?から遣わされた聖人候補が、長年の宿敵である神官リジードをやり込めている」ところか!

 そして母上からだと、やっと自分の元へと帰ってきてくれた息子が、またも『神の国』に奪い去られそうに?

 ……おそらく間違いない。

 調子に乗って「オ=レは皆のオ=トーンだから」とでも口走れば、オ=ラ様二世の誕生!? それともカーン教トーン派の旗揚げか!?

 想定外にカーン教も問題を隠していた! それも大問題を!

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