進捗

 冬へと差し掛かりだした頃、『北の村』株式化計画は頓挫しかけていた。

「若様の御希望が、那辺にあられるのか判りかねると申しますか……理解の外にあると申しますか……結局、難しくしているだけでは?」

 代官のトマは仕組みを理解できても、その意図は難しいようだ。

「確かに明文化することになるし、多少は難しい言い回しにもなるけど……でも、基本的には変わらないはずだよ? そうでしょ、村長?」

「へっ!? オ、オラ――私に難しことは。でも、決め事は、村の集会で用も足りているかと。その……いままで困ってませんし?」

 それはそうなんだけど、しかし、これからは通じなくなる。

 だからこその改革でありつつ、残念ながら説明は難解だった。

 ……理解できるのは顛末を予知できる未来視か、僕のような転生者だけだろうし。

「いまだって家長だけに投票権。そして集会の仕切りや、揉めた時の決定権は村長に一任。その村長にしても、皆からの賛同を得ての就任。そうなんでしょ?」

「それは若様の仰る通りですけんど……でも、どうして野良仕事をしたからって、おっ母や倅達にお金を支払わねばならねぇんで? そんなの聞いたことねぇです!」

「不公平だからだよ」

「でも、オラは家族の皆を食わしているですだ! 一人として腹減って眠れねぇなんて目には遭わせてませんし、ボロ屋でも雨風は凌げて暖かいですし、何年かおきに服だって仕立ててやっています!」

「そっちの意味でじゃないよ。これからは株式を持っている人で収益を山分けにするっていったでしょ? でも、それだと家族の多い家は――働き手の多い家は損をするじゃない? 少ない家より? たくさん頑張った家が、より報いを受けられるシステムであるべきなんだ」

 この当然すぎる指摘に、トマと村長は黙った。尤もだと感じたのだろう。

「確かに若様の仰る通りかもしれないぞ、村長? 怠け者のエリックと働き者のフレッドが同じなのは正しくない。でも、若様の方法なら、フレッドはエリックの倍は稼ぐだろう」

「……オラの家は働き手が七人いるけんども、ジョージの家は三人だ。それなのに同じだったら、確かに腹も立つわな。うちのおっ母は働き者だし」

 ようやく二人はに気づいてくれたらしい。

 だが、真の狙いは違う。

 単純に「タダと思われている労働力に値段を付けてしまう」のが本命だ。

 全員がタダだと思っているから、将来的に農村の労働力は安く買い叩かれ、それが原因で崩壊にまで至ってしまう。

 そして開拓の終わった中世末期ならともかく、中世の序盤で農村崩壊が起きたら……下手をしなくても国家が滅ぶ。断固として拒否だ。

「それに働き者のフレッド?は、意外と働かなくなるかもね」

「いやいや! あいつは農作業をする為に生まれてきたような男で!」

「なら、なおさら、かな? 村の農地が増えたら、応じて株も増やすといったじゃない? それは基本的にお金でやり取りするつもりだけど……やっぱり自分で開拓した人を優先してあげたいな」

「……なるほど。確かにフレッドがこれを聞けば、開拓作業に精を出すかもしれません!」

「どころか村人をフレッドが雇う可能性もあるね。村の仕事をしても銀貨一枚。フレッドを手伝っても銀貨一枚。なら、フレッドの人望次第じゃない? フレッドも村の仕事で銀貨を――財源を得ているだろうし?」

 それで二人は、首を捻って唸りだした。心に届いたのだろう。やっとこ検討の開始だ。



 話の限と思ったのか、僕にぴったりと抱き着いて離れないエステルから催促された。

 いわれるがまま試作ビスケットを、その小さな口へと持っていく。

 ……どうやら御満悦の御様子だ。

 街での冒険を聞いて、とにかく置いて行かれない工夫……なのだと思う。物理的だけど、それなりに効果的か?

 ついでに僕も味を見ておく。

 上手い。まさにスウだ! 小気味よくバリンと割れて食べやすいし!

 ちなみにビスケットは一万年前から存在するけど、現代人が知るそれとは別物だったりする。

 この時代のは一度焼いたパンを乾かして、さらに二度焼きした保存食をさし……人を殴り殺せるほどに堅い。

 翻訳によっては、堅く焼いた乾パンとも称される。とんでもない語感詐欺だろう。

 それを兵糧の体験学習まで忘れていて、慌てて作ったのが近世に発明される現代式ビスケットだ。

 こちらはベーキングパウダーを使っていて、もう全くの別物といえた。

 いわゆる膨らし粉であり、生地へ空気を含ませられるからだ。

 ……『あずきバー』と『ガリガリ君かき氷バー』の違いといったら伝わるだろうか? 含有する空気は、それほどに堅さを左右する。


 そしてベーキングパウダーがまた、答えを知っていれば馬鹿々々しいほど簡単に作れてしまう。

 重曹とクエン酸――レモン汁を、ほぼ等量で混ぜ合わせるだけ。

 そして調合具合も味見で簡単に確認可能だ!

 重曹のえぐみが強かったら重曹が多すぎで、レモンの酸っぱさが残っていたらレモン汁が多すぎる。

 ……お疑いになられるだろうが、そうなんだから仕方がない。


 今日のは普通に小麦粉とベーキングパウダーで練り、蜂蜜を加えただけのシンプルな品だけど――

 例によって粉ならなんでも作れてしまう。もちろん収穫の見込める大麦や燕麦だろうと。

 無理に大麦を使って黒パンを食べるぐらいなら、大麦ビスケットの方が色々と便利かな? 日常食になら塩味でも良いわけだし?

 それに卵やバターの代わりとして、羊の乳で繋ぐのも手かもしれない。

 収穫の見込める大麦や燕麦をベースに、比較的入手しやすい羊の乳で繋ぎ、ベーキングパウダーで膨らまし、味付けは安価な水飴か塩。

 貧困救済に打って付けな上、兵士に持たせる兵糧だって、こちらの方が良いに決まっている。

 早々に改革へ乗り出そう。少なくとも次の兵員入れ替えで間に合わせねば。


 などとと考えていたところで、義姉上がハーブティの御代わりを注いでくれた。

 うん。表面的にはニコニコしているけど、まだ超怒っている! 間違いない! 僕は詳しいんだ!

 やはり街への冒険で仲間外れにされたのが面白くなかったらしい。

 分からないでもないのだけれど、しかし、いまや実務に弊害すらある。

 なぜなら僕だけじゃ客人を招く――例えば『北の村』から村長と代官のトマを召喚し、応接間で話し合う――のすら難しいからだ。

 さすがにメッセンジャーの手配などはセバストじいに頼むけど、いまや身の回りの差配については義姉さんの方が詳しい。

 もう来客ともなれば義姉さんに頼りっきりだ。あるいは最近、厨房で忙しくしてる義母さんに。

 ……僕なんて場に相応しい服装の区別すらつかないし。

 これは早急の対応が必要か。ダイ義姉さんの御機嫌を直すという難題を!



 心の中で懸案事項のトップを書き換えつつ、借りてきたのように畏まっているプォール親子へ話しかける。

「どう? 養蜂は上手く広がってる? それに城の部屋はどうだった? 家を用意するより良いだろうと思ったんだけど?」

「は、はい! へ、部屋はありがとうございます! おいra――私には勿体ないぐらいの贅沢な部屋で! ……しかし、若様の養蜂は、なかなか信じて貰えませんで」

「ふーむ? 予算は足りてる? それに人手も? 助手の一人や二人、必要なら増やしてもいいし……なにか入用なら、それも?」

 息子の方小プォールを臣下へ受け入れた時とは、僕自身の財政状況が違う。

 彼には大事業を任せているのだし、年俸や予算は組みなおすべきだった。……あるいは何かの成果に託けて、褒美の体とするかで。

「四の五のいう奴には、実物を見せてしまえばいいものを。なにの倅ときたら、秘密を守らねばとか何とか、細かいこと細かいこと」

 父親の方大プォールは威勢の良いことを口にするけれど、ある意味で正解かもしれない。

「小プォールが信頼できる人に『北の村』で現物を見て貰うでもいいかもね。親父さんの方は、どうなの?」

「越冬も二度目です! 今度は失敗しやせん! でも、若様の教えてくださった水飴?ですか? あれを作るのが……その……いまいちなようで」

 実のところ蜂の群れを越冬させるのには、寒さ対策はもちろん、食糧事情にも気を配らねばならなかった。

 人間が蜂蜜を採りすぎてしまった場合、越冬用の食糧が足らなくなって餓死してしまう。その補填に砂糖水などを与える必要があった。

「ああ、そうか! 親父さんのところにも温度計が要るね。水飴作りが捗る道具をあげるし……厨房へ行けば誰かが――レトなら使い方を教えられると思う。……おそらく僕より上手に。あとで顔を出してみて」

 貴婦人レトの名前で驚いたようだけど、この城で一番に新技術へ精通しているのは義母さんだ。

「親父さんのところで弟子?を増やすのでもいいんだよ? それこそ各村々から見込みのある若者を集めるとか? 実は果樹園を作る予定があるんだ。……けっこう大掛かりな。そうなると養蜂も必要となるから、その時までには人を増やしておいて欲しいんだ」

 意外なことに息子の方小プォールは首を捻り、父親の方大プォールは成程ばかりに唸っていた。

「分かる?」

「昔から蜂を果実園の近くで捕まえられたら、その年は豊作と。ってこたぁ……最初から果実園の傍で、あっしらが養蜂をすれば……もしかした毎年のように豊作になるんじゃ? あっしらの蜂は、どこへも行かねぇんですし」

 さすが蜂蜜名人父親の方大プォールだ。

 僕のようなにチートずるをしていてすら、その道一筋何十年の積み重ねに負ける。

 ついでに果実園は『北の村』の人手を当てにするだろうから、ここで一声かけておこうと――


 ……嗚呼、駄目だ、こりゃ。

 やけに静かだと思ったら村長も代官も――二人ともに、あんぐりと口を開けて固まっている。よほどに驚いたらしい。

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