伝説の商法
あっという間に結構な量を紡げた。
ちょうど一曲が歌い上げられたところで、切りよく終わろうとエステルへ声を掛けようとしたら――
先に満面の笑みで振り向かれる。もの凄い手柄顔だ。
なんというか義きょうだいの中でもエステルは、僕の心が読めるんじゃないかってぐらいに解ってくれる。ちょっと不思議だ。
とにかくありったけの感謝の意を示すべく、抱きついてきたエステルの頭を撫でる。……もし猫だったら喉を鳴らしかねない喜びようだ。
「素晴らしいわ、リュカ! これからは寸暇を惜しんで糸独楽を回さなくても良くなるのよね?」
ダイ義姉さんにも手放しで褒め称えられる。
「なにを言い出すかと思えば、我が娘ながら情けなくて涙が出てきそうだよ。それは怠け者の考え! 糸紡ぎが早く終わったら、他の仕事をしなさい!」
「レトのいう通りです。糸紡ぎが早く終わるのであれば、その分だけ余計に機を織れますよ?」
母上や乳母上は大人な見解だったけど、それを聞いて義姉さんとエステルは凹んだ。
……機織りの助手で借り出される流れと悟ったからだろう。
「でも、これは凄い品物ですわ、奥方様。ホンマに……えぐいほど凄すぎて……えっと……二、三〇倍ぐらいとして……庶民の女房は、一年にどないなくらい糸を紡ぐんやろ……」
癖なのかポンドールは親指の爪を噛みながら、なにやら考え込む風だ。
どこまでの結論へ到達できるかな? 少しだけ助け舟を出してみよう。
「城の女衆に聞いて回った感じだと、糸紡ぎは年に
これで三着分の布に相当する。
つまり、六人家族なら順番は二年に一回で、九人家族なら三年に一回だ。……全てが家族用へ賄われたとして、で。
「ほなら、これを使えば
「おお! ならば残りの……十一週?を機織りするとして――」
「必要な糸も増えますから……後追いするとして……
なおも首を捻っているけれど、とりあえず限界点らしい。
これ以上の発想は、世界経済とでもいうべき巨視的観点が必要だから……やはりポンドールには才がある。毒にも薬にもなり得る程の異才が。
それに僕は紙を使って筆算したのに、ポンドールは暗算だ。
というかローマ数字でも暗算って可能なの? それとも脳内に数学語とでも呼ぶべき言語があるとか?
ちなみに僕の感想を述べるのなら――
年に
それを税収で考えると日本円換算で二十五億程度、ドゥリトル家の年間予算にも匹敵だ。
……労働時間と領内総生産は比例しないけど、まあ目安程度にはなるだろう。
「便利そうな道具ですね、若様! これは『糸車』?と呼ぶのですか?」
「これは……ホンマ凄すぎて……どないなっているんやろ?」
ポンドールもレトに続くが、理解しやすい左側の糸紡ぎの部分ではなく、右側の『はずみ車』に関心を寄せていた。……やはり、要注意か。
実のところ『はずみ車』やウォームギアは、『糸車』に必須ではなかった。
初期型は大きな車輪を手で回す方式だし、停止させたい時には直に大きな車輪を止める方式だ。
それだと右手で動かして、右手で捩って、右手で材料を手繰り寄せて、右手で一時停止させてと……もの凄く忙しくて効率も低下するけど、無理でもなかった。
横回転を縦回転へ転換しているのだって、絶対条件とはいえない。横回転なままでも『糸車』は作れる。
もちろん、より手間やパーツの増える最終形を選んだ大きな理由は、その方が捗るからだ。
しかし、裏の狙いもある。
『はずみ車』は碾臼、回転式研磨機、ふいご、千歯扱き、もみ殻飛ばし、機械式ハンマーと……僕が知っているだけでも、多種多様な道具へ転用可能だ。
でも、それは『はずみ車』やウォームギアという実物を見せられた、この時代の天才達にも発想可能だろう。
僕や『
……導火線は
「前後したけど現時点を以て、この『糸車』は機密とします。領外への持ち出しはもちろん、部外者へ製法などを漏らすのも禁止だよ。……先回りした投資とかもね」
僕の宣言は大げさと笑われるようなことはなく、厳かに全員からの正式な返礼――カーテシーで応えられた。
「ですが、この『糸車』?ですか? これは私への贈り物ということで? しかし、吾子は、私に何やら知恵を借りたいと?」
「いずれは数多く作るつもりですが、まだ試作品なのです。このまま量産を始める前に、使う人の立場で母上に御意見を頂こうかと」
……逆に母上を忙しくして、修練場への訪問を減らす目的もあるのは内緒だ。
「なら、若様! 糸巻を大きなものに代えて下さらないと! なんだってこんなに小さくしたんですか? すぐに一杯いっぱいですよ?」
『糸車』相手に悪戦苦闘するレトから納得の駄目を出された。
それなりに大きくしたつもりだけど、ようするに母上達は業務サイズな仕事をしている。常識的な大きさで足りる訳ないか。
ちなみにレトは『はずみ車』を安定して回すところでつっかえていた。すぐに理解は難しいから無理もない。
しかし、僕が説明に乗り出すまでもなく、ポンドールを中心に試行錯誤も始めている。
……そのうち上手くいっちゃいそうだ。
「了解です。糸巻を大きく改良しましょう。ジュゼッペ、覚えておいて。あと、あの隅へ放置されている織り機を頂きたくて」
「……織り機を……ですか? それは少し、困りましたね」
「どうしてです? あれは長く放置していた気がしますし……壊れているんですよね?」
「す、少し調子が悪いだけです! 壊れてなどおりませぬ! それに……あれは使う当ても立っているのです」
どうしたのだろう? 母上にしては珍しく、少し照れた感じな御様子だ。
「若様、御母上様はマノンに下賜される御つもりなのですよ。 ――でも、クラウディア? あの子の赤ん坊は、そろそろ一月じゃない? 贈るなら急がないと! ――それと若様! 御下がりを待ってる子がいるんです。妙な意地を張らないで乗馬靴の新調を!」
レトに掛かっては僕ら親子も肩無しという他ない。
さらに危なっかしくとも『糸車』を動かし始め、なんだか御満悦な様子だ。
「マノンの赤子は跡継ぎとなる長子ですし、前々から大きな織り機も欲しがっておりました。まあ、いまは調子が悪くて贈り物といきませぬが、折を見て誰ぞに見て頂こうかと」
その通りとばかりに母上も御認めになられる。
ただ予定通りに進んでおらず、それで恥ずかしく思われたのだろう。我が母ながら律義というか、生真面目過ぎるというか。
そして放蕩もまた
まず未開な時代だから、何もかもを再利用する超リサイクル社会だ。
年長の者から御下がりなんて当たり前だし、派手に壊れた物でも分解して原材料へと戻して使い倒す。
新品の服、御下がり、仕立て直し、ボロを繕った、布として継当て……さいごの最後に捨てられてしまうまで、一着の服は何人もの持ち主を経ていく。
しかし、その輪廻転生の長い旅にはスタート地点――最初に新品で入手する者が必要だった。
もちろん、全階層で何もかもが新しく作られはする。その財力に見合った新品の入手は、喜びや楽しみですらあっただろう。
けれど高級品、それも高価な材料と熟練職人の技量を必要とする半ば贅沢品めいた品物は事情が違った。
足りないのだ。市場の要求に対して、明らかに新品の供給が追いついていなかった。
そう考えると僕なんかは、毎シーズン二、三足ずつ乗馬靴を新調して丁度よいぐらいか。子供用乗馬靴というレアな代物が市場へ出回る訳だし。
当然、織り機のような大型で高級な家具も、同様に品薄で入手困難となりがちだ。
そして無いから大変ならば、誰か余裕のあるものが作らせればよい。……これが放蕩推奨論の骨子だ。
「とりあえず乗馬靴は新調しましょう。靴職人を城へ呼んでおいて下さい。でも、そのマノンという母親には他の物を……あー……不要となった金属鏡でも下げ渡すというのは?」
「そんな高級品を贈ったら、マノンが腰を抜かしてしまいます! それに価値が落ちると決まった物を贈るのは、相手に失礼というものでしょう」
「……それもそうですね。でも、あれが僕らには必要なんですよ。『糸車』と違って『織り機』は、ジュゼッペに参考品を見せてあげないと」
それで母上は納得とばかり、何度となく肯かれた。
「どのみちマノンへ織り機は良い考えではなかったようです。これから価値が落ちてしまうのでしょう?」
「そうなるよう尽力するつもりです」
「判りました。あれは御持ちになって結構ですよ。吾子の成果を楽しみとしつつ、マノンには何か他の物を見繕うこととしましょう」
そう母上が微笑まれ交渉は成立した。まずまずだろう。
……一人ポンドールだけが青い顔をしているのは、さらに凄いことが起きると察したからか。
ちなみに、その想像は正しく、そして足りない。起きることは大激変だ。
「これは良いものですね、若様。御褒美の大金貨なんて要りませんから、これを一つ下さい! これがあれば御役御免となっても、サム達三人を食わせていけるでしょうし!」
『糸車』に納得いったのか、意外にもレトが『糸車』のポテンシャルに気付いたようだった。
ポンドールは首を捻っているけれど、『糸車』があれば糸紡ぎで生計を立てることは可能だ。
「なにを無茶苦茶なことを。レトを城から下げる訳ないだろ!」
「でも、あたしは運よく城勤めにありつけましたけど……
とりあえず怖い顔で返事に代えておく。
しかし、さすがにレトは珍しくも職業婦人であり、発想が現実的だ。
連れ合いに先立たれた母親でも――今風にいうのであれば、シングルマザーでも可能な商売ではある。……だからこそ世界は激変を余儀なくされたのだし。
「まだ考え中だったけど……それこそレトのいうように、旦那のいない母親を優先した方が良いのかな? でも、無料で配れるものでもないんだよな……」
それだと秋に大量発生する戦災未亡人の救済にもなる。
「ならば若様? 報奨金以前の母親へ、優先して『糸車』を買う権利をお与えになられては?」
「『買う権利』を与える!? 実物をじゃなくて!?」
控えめなグリムさんの提案には、正直、びっくりだ。
いや、でも悪いアイデアでもない? 勲章や茶器みたいなもので、特権的な栄誉に人は弱かったりするし?
……それに僕側で追加の出費が不要というメリットは捨てがたい。
「良い考えですよ、若様! あたしならサムの分で、この『糸車』とかいうのを! ダイアナの分で、これから作るとかいう……何かを? ステラの分は……使わないでとっておいて!?」
義母さんの喜びようは嘘に思えなかった。
……なら妙手だったりするの? 『買う権利』なんてものを扱うのが!?
いや、確かにこれなら、不公平と不満を爆発させた母親達に押し掛けられなくて済みそうではある。むしろ名誉を授けた形となって、感謝される可能性すらあった。
でも、本当に? マジで『買う権利』なんていう如何わしいものを!?
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