糸紡ぎの聖域

 その部屋には絶えず歌声が響いていた。

 いまもダイ義姉さんとエステルの二重唱が心地よい。

 おそらく先祖から受け継がれてきた歌と思われ、ところどころ古語で意味の分からない部分があるほどだ。

 そんなメロディに合わせてか、それとも独自のリズムなのか、母上は機織り機の綜絃リードを――縦糸を上下に操る。

 呼吸を合わせてエステルが糸巻を――横糸を、やはり逆側で待機していた義姉さんへと渡す。もちろん綜絃の作る隙間を通してだ。

 その新しく通された糸を、母上が専用の大きな櫛――おさで詰める。

 再び綜絃を上下にと……この繰り返しで布へと織り込んでいく。

 しかし、この面倒な一工程で、糸一本分の長さ――一ミリ程度でしかない。

 ちなみに単衣の上下を仕立てるのに、幅一メートルの反物が四から五メートルぐらい必要といわれる。

 一工程を二〇秒と考えても、四五〇〇回だと九万秒――二五時間かかる計算だ。

 もちろん助手の手間も計上せねばならず、単純に三倍と考えたら――

 一人分を織るのに、のべ七五時間が必要といえた。

 他に染色や裁縫などの手順も残っているし、下準備の糸紡ぎにだって膨大な手間はかかる。

 もし一ヵ月で家族一人分の服を増やせたら、その主婦は勤勉な上に作業の早い人だろう。それぐらいの大仕事だ。


 しかし、人の環境適応能力は凄いというか、女性のマルチタスク能力は侮れないというか……作業中なはずの女性たちは、手を休めることなくお喋りにも興じる。

 そもそもダイ義姉さんとエステルからにして歌いながらだし、母上に至っては僕と政治の話をしながらだ。

 礼儀正しく黙っているように見えて、レト義母さんやグリムさん、ポンドールも要所要所で思ったこと口にする。やはり手は止めずにで。

 ……この手の能力差で女性に勝てる気がしない。



「我が子の献策に不平不満を述べるというのも、母親の喜びなのでしょうか?」

「……ご不満が?」

「もちろんです。吾子は新しく子供が七歳を数えた母親に褒賞といいますが、それだと私は頂けないではありませんか」

 そう主張する母上は、こちらを揶揄うような表情だ。どこまで本気なんだか。

「ですが新しい仕組みを導入すれば、誰かしら損をするというか、貧乏くじを引く破目に――」

「でも、若様? 私の場合は三人分で……えーと? 一人につき大金貨一枚と仰いましたっけ? 大金貨三枚は大金ですよ。それだけあればサムやダイアナの支度金はもちろん、ステラの分だって賄えるでしょうし」

「義兄さんの礼金はともかく、まだ義姉さんの支度金なんて早いよ! ステラは言わずもがなで!」

 ……絶対、二人は僕を揶揄ってる! そもそも大金貨三枚で足りる訳ないし!

「でも、リュカ? 私、持参金のない花嫁になりたくないわよ?」

「そんな心配は義姉さんには早いって! それにどうしても必要となれば、『北の村』を質に入れてでも用意してあげるよ! 頼むから、話を脱線させないで!」

 僕の訴えへ否定的に義姉さんは肩を竦める。信用無いなぁ!

「それに領内で新しく子供が七歳を数えた母親というと、結構な人数に思えますが?」

「……ざっと三千人弱ですね。爺やの話だと」

 大金貨一枚を日本円にして十万円と考えれば、総額で約三億円相当となる。結構な大金だ。

 隅の方でしょぼしょぼと糸紡ぎをしていたポンドールも顔を上げる。

「御祝儀も結構ですけど……いま一つピンときまへん。さすがに、やり過ぎではありませんか?」

「それほど珍しい政策でもないのですよ? かの帝国では、三人の子を成すよう奨励されているとか」

 母上が仰ったのは、ローマ帝国で施行された少子化対策のことかな?

 でも、あれはローマ市民きぞくに少子化問題が起きたからで狙いが違う。

 新生児への贈り物という体で報奨金を出した国も少なくないし、他帝国の空似って奴だろう。……そうに決まっている!

「これは子供が健やかに育つよう、母親の方へ干渉するのが狙いです。結局、小さな子供は母親の頑張りに懸ってますから」


 僕の発言は、皆に様々な感想を抱かせたようだ。

 先に言っておくと道徳的な観点からの政策ではない。どちらかというとシニカルな考えに基づく。

 まず歴史的に『人口が増えず成功した内政』の例がなかった。

 逆に人口が増えたという理由での成功例は、驚くほどに多い。

 ようするに人口が増えるよう心掛けてさえいれば、どんなに盆暗な施政者でも、それこそ訳が分からないぐらいに独裁や弾圧をしようと成功の可能性はある。

 そして僕の提示した――『』の推奨する政策は、最も多く原因へ――新生児や幼児の死亡へ狙いを定めていた。

 しかし、医学や栄養事情の向上無しに、これの改善はできない。ひたすら運と母親の献身に懸っているのが、未開文明での現実だけど――

「それなら、もっと母親に頑張って貰えば良いのでは?」

 という、まるで頓智のような政策ともいえる。


「でも、養子の場合はどないする御つもりで? 養子は勘定外にしないと、下手したら養子を集め始める輩も……――」

 ポンドールは失敗して切れてしまった糸を、なんとか繋ぎ直すべく悪戦苦闘していた。

 ……きっと僕も修練場では、こんな顔しているんだろうなぁ。

「それで区別する気はないよ。むしろ養子縁組は、推奨したいぐらいだし。もちろん、ポンドールのいうようなズルを認めるつもりはないけど」

「それだと母は、毎年大金貨数枚を頂けそうですね! さすがに使い道に迷ってしまいそうで……そうだ! 吾子の乗馬靴を新調しましょう!」

「母上は駄目ですよ! そもそもあの子達は、ドゥリトルの予算で育てているんですから! あと、まだサイズは合っているから平気です」


 僕の指す『あの子達』とは、ドゥリトル城下で捨てられた子供達だ。

 中世の場合、特にローマ化された文化圏だと捨て子は、自動的に各都市首長の奴隷とされる。

 このドゥリトル城でも年に何人か捨てられ、その子達は父上の奴隷ボーとして城内で育てられていた。

 なんとも乱暴な方法と思わなくはないけれど、しかし、奴隷といっても慣例的な生存権が認められていて、少なくとも大人になるまでは食わせて貰える。……所有者側にも、守るべき義務があるからだ。

 それに孤児院というシステムや理念が誕生するのは、中世末期か近世へ入ってから。それまでの受け皿として考えれば、マシな部類ともいえる。

 さらに、こればっかりは西洋人を手放しで褒め称えるべきなのだけど、伝統的に養子という考えが根付いていて、あまり捨て子は発生しない。

 ……誰も彼もが顔見知りという狭いコミュニティ内で捨て子なんてしたら、たちどころに誰の子か判ってしまうからかもだけど。

 とにかく「育てられないようなら、育てられそうな人に頼む」という、きわめて合理的な方法論が根付いていた。

 そして捨て子の一部も、子が授からずに困っていた夫婦に養子として貰われたりで、意外と善性に溢れた世界というべきか。 

 ちなみに養子縁組は教えに反するので、キリスト教圏下だと推奨や歓迎をされていない。容認されているだけだ。

 それを踏まえると、誇るべき祖先から受け継いできた精神性といえる。

 ……東洋では「育てられないようなら、減らすべき」に落ち着きやすいことを鑑みれば、掛け値なしに素晴らしい発想なのだから。


「ポンドール様が御指摘されているのは、浮浪児のことかと。それこそ若様を騙す為だけに、あの子らを集めるような輩もでてきかねません」

 一人用の織機を操るグリムさんが、別方向の問題点に気付かせてくれた。

 ほんの数か月前まで下町に隠れていて、その折に実情を知ったのだろう。

「『街の子』達かぁ……あの子達には、べつの事を考えていたんだよね。それ以前の話で、家出とかも少なくしたかったし」

 なんとはなしにグリムさんを眺めながら唸る。

 ……もちろん手元の方を! 豊かな実りの方ではなくて!

 ちなみに一人用の織機は全て一人でやらなきゃならないのに、作れる幅は三分の一と、かなり効率が悪かった。

 それでも一人で完結できるのは便利らしく、いまも現役だ。

「でも、若様? 『街の子』も本人が悪いばかりではないと聞きますよ? 家を出ていくまで叩く酷い親もいるとか」

 レトのいうように、あの餓死した少年も、あるいは実の親に疎んじられて城下へ逃げてきたのかもしれない。

 良くない事だからと制限してしまえば、却って弱者の数少ない居場所を奪ってしまう?

「街の悪ガキどもは、なんだかんだカーン様の所で御厄介になってるでしょうから、聖母様なら細かい事情を知っていると思いますよ? それと組み立てが終わりました、若様」

 それまで僕の背後で作業をしていたジュゼッペが、意外なアイデアを提示してきた。

 カーン教って『街の子』の面倒をみてるの!? 初耳なんだけど!?

「……聞きそびれていたのですが、吾子? 私の機織り部屋で、一体全体なにを始めようというのです?」

「それはもちろん、母上に贈り物をというか……お知恵を御借りに」

 正直、カーン教に興味を惹かれなくもないけど、いまは作戦の遂行を優先するべきだろう。

 ならば予定通りにの説明を開始だ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る