たった一つでもなく冴えてもいないやり方

 実のところ一日は二十四時間じゃなかった。

 ……なぞなぞや精神論的な心構えではなく、実測の話をしている。

 一年を通じて伸び縮みしているし、二十四時間と再定義されたのも通年の平均からだ。

 正しく二十四時間――千四百四十分であり八万六千四百秒の日なんていうのも、年に四回しか訪れない。


 まず念頭に置かねばならないのは、地球が約二十三時間五十六分で一回転していることだろう。

 二十四時間に足りない四分は、地球が公転したことで巻き戻された分――余計に回転しなければならなくなった分だ。

 誤魔化されているように感じるかもしれないが……感覚的に人は太陽が南中――真南に到達し、次に再び南中するまでを一日と考える。

 ただ一回転するだけでは、まだ太陽の方へ向けていない――南中していないので足りなくなってしまう。


 よく判らない場合、自分が時計版の上にいると仮定すればよい。

 まず十二時の位置から時計の中心を向いている。

 とりあえず一回転。三百六十度を回れば、再び中心を向いた状態だ。何の問題もない。

 だが、その回転をしている間に、文字盤の十二時の位置から十一時の位置へ動かされていたら?

 三百六十度で一回転したはずなのに、なぜか中心を向いてはいない。その為には追加で三十度ほど余分に回らねばならないだろう。

 そして数値は細かくなるものの、ほぼ同じ理屈のことが地球の一回転でも起きている。

 ……感覚的な一日とは三百六十度回転ではなく、三百六十度プラスαに要した時間と言い換えるのもありか。


 さらに地軸が傾いている――太陽を周る公転軌道に対し傾いていることで、この追加分は伸び縮みしてしまう。

 影響を最も受けていないのが二至二分――春分、夏至、秋分、冬至であり、逆に最も変動しているのは四立――立春、立夏、立秋、立冬の頃だ。

 これは天の黄道と赤道を公転一日分で巻き戻された量で比べれば、実際に長さが違うことで説明されるが……かなり理解は難しい。

 天の黄道といったところで実際に太陽は動いていないのだから、それは地球が回転した量の写し……が、一応は最も短い説明となる。


 もう一つの理由は地球の公転軌道が、ごく僅かながら楕円を描いていることだ。

 そして限りなく正円に近かろうと、楕円である以上は中心点からの距離も変化する。

 だが、それで一日の長さも変わってしまう!

 なぜなら角運動量保存の法則により、地球の公転速度そのものが変わるから!

 地球が急いで回れば足りない四分はさらに多くなるし、ゆっくり回れば少なくなる。自明の理だろう。

 ……まあ、それを体感するのは非常に難しいのだけど。 

 専門的にはケプラーの第二法則で「惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は一定である」と定義されていて――

 ようするに「惑星は太陽に近いときは速い速度で、遠いときは遅い速度で動く」と言い直せる。


 この二つの理由で――各々の周期数が一と二な波を合成させた周期で、一日の実際の長さは伸び縮みしていた。

 最大で十四分六秒ほど長く、最小で十六分三十三秒ほど短くだ。

 当然だが現代では日時も決まっていて、それぞれ二月十二日と十一月三日。

 そしてピッタリと二十四時間なのは四月十五日、六月十三日、九月一日、十二月二十五日と決まっている。


 日付でいわれても、特定のしようがない。そう仰る方もおられるだろう。

 しかし、現代の日付は基準が太陽――公転軌道上のどこに地球がいるかを基準とした太陽暦だ。

 当然、夏至や冬至なども常に同じ位置――日付となる。夏至を例にとれば、夏至は常に六月の二十一日か二十二日だ。

 ……常に同じが二日も該当するのは、一年が正確には三六五.二四二五日だからで閏の発生による。

 とにかく基本的に夏至が六月二十一日、たまに二十二日であるのなら……ぴったり二十四時間な六月十三日は、夏至の八日前だ。

 そして一日程度を間違えていたところで、それで生じる誤差は最大でも一分程度――精度九九.九三%以上が確約されている。当面の目安としては十分だろう。


 ちなみにドゥリトル領で使われている暦は、おそらく古代ローマ歴かその親戚で……僕にとっては不吉だ。

 まず古代ローマ歴というのが困った奴で、かろうじて一月と二月は発明されて――なんと『無い時代』もあった!――いるものの、一年を三百五十五日と考えているから、もう盛大にズレる。ズレまくりだ。

 そして前世では「また君か」な大英雄カエサルによって、一年を三百六十五日と四分の一と考える太陽暦へ――かの有名なユリウス暦へと移行したのに、なぜかドゥリトルは古代ローマ歴なままだったりする。

 というか、そもそも今生でカエサルの風評すら耳にしたことがない。我らが宿敵カサエーについてなら、数えきれないほどなのに。

 またユリウス暦制定は、カエサルの晩年――ガリアやブルタニア、ゲルマニア、ヒスパニアと西欧を平らげた後だったりもする。

 もし前世でのカエサルが今生のカサエーであり、いま僕がいるのはガリアかゲルマニア、ヒスパニアだったとしたら……――

 カサエーことカエサルは、帝国ローマへ帰れなかったことになる。御先祖様達が倒しちゃったからだ。

 当然、ルビコン河は渡れなかったし、賽も投げられてない。もちろんユリウス暦の制定もで。

 ……どう考えても拙い!

 それだと自動的に現在絶賛紛争中な帝国は偉大なる東ローマであり、大英雄カサエーを殺され激怒したままといえる。

 怒り狂う没落してない東ローマ帝国と戦争とか、なんて罰ゲーム!? というか、勝てるの!?

 

 く、くだらない妄想はさておき!

 話を戻せば太陰暦――月の満ち欠けを中心とし、数日の閏を神官が適当に調整する暦でも、まあ生きてはいける。

 しかし、それだけだと困るのも事実なので、夏至や冬至は重要な情報だった。……というか経験則オンリーな時代であれば、確実視できるのはこれだけか。

 なにより春分、夏至、秋分、冬至は正確に一年を四等分してくれるし、閏を端数としたら次は九十一日後と確定もしている。

 そして夏至と冬至は、文明レベルが低くても確実な測定が可能だった。

 なぜなら夏至は一年で一番影が短い日、冬至は逆に一番長い日だ。

 つまり、影を定点観測していれば、最悪でも「昨日がそうだった」との結果を得られる。

 ……おそらく人類が発見した知識としては、農業あたりと同級生だろう。


 夏至が判ってしまえば一日が二十四時間丁度な日――均時差のない日も判明だ。

 そして均時差がないのだから、日時計でも正確な時間を測れる。

 まず一五度角で一時間。その半分は三〇分。そのまた半分で一五分。さらに半分は七分半――四五〇秒。それをさらに半分で――

 日時計の影が〇.九三七五角度動けば、二二五秒だ。

 今回は大きな日時計なので、この〇.九三七五角度も数センチほどの長さなのが心強い。

 なぜなら三センチを計測する時に〇.一ミリ間違えても、結果は九九.六%の精度となる。

 そこまで盛大に失敗はしないだろうし、まあ九九.九%程度は見込めるだろう。


 しかし、このままだと扱い辛いので、まず水時計へと移す。

 ただ精巧な水時計でも精度は九九.五%程度しか見込めないので、すこし工夫した。

 今回のは水滴計といった方が正確かもしれない。

 俗に『ピタゴラスの杯』と呼ばれる、一定の速度で水滴が落ちる装置を作ったのだ。……といっても単なる銅製の円錐と瓶だけど。

 ようは逆さにした円錐の先から水滴が漏れていく設計で、そのままだと円錐内の水量が微妙に速度へ影響を与えてしまう。

 それを避けるべく満水にした瓶を逆さにして、注ぎ口だけ水面へ沈めるのだけれど……当然、これでは給水されない。

 瓶から出ていく水と同じ分だけ、代わりに入る空気の通り道が無いからだ。

 そこで注ぎ口の側面へ、小さな空気穴を開けておく。

 こうすると空気穴が水中にある時は給水されず、露出したら給水と――自動的なオンオフを繰り返して、結果として円錐内の水面が一定へ保たれるようになる。

 当然、滴下される水の速度も同様にだ。

 また釘で円錐の穴を調整し、手頃な数値を狙う。ベストは二二五秒の間に四五〇滴だろうか?

 そして念の為に四倍の時間でも計測する。

 一五分の間に一七九九から一八〇一滴の間に収まれば、四五〇滴に対して誤差〇.二五滴以下であり九九.九%以上の精度と見做せるからだ。


 小一時間ほど粘った結果、数に対してゲシュタルト崩壊を起こしかけつつ、なんとか滴下装置は完成した!

 こいつは一秒につき水滴を二滴たらす! 万歳!

 だが、まだ終わりではなかった。

 でも科学四天王最強である『秒』を倒したのなら、あとは『メートル』と『グラム』だけ! もはや消化試合とすら!

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