科学四天王戦

 面白くなってきたのかサム義兄さんとポンピオヌス君は、氷作りに熱中しだした。

 そして感心なことにというか、驚くべきことにというべきか……冷却能力が弱まったら、壺を扇ぎ直してもいる!

 もちろん二人に科学的な理屈が判るはずもない。

 だが、一連の流れから推測は可能だ。

 常識に囚われず見たままに吸収できる子供のような感性だと、物事は理解しやすいのかもしれない。

 そして現代科学チートを見せた程度じゃ、意外と驚かないというか……順応しちゃうというか。

 魔法とか信じている分だけ、現代人より『なんでもあり』な気すらする。


 だが、男の子が無邪気に遊ぶ風景で和んでいる場合じゃなかった。……父性がキュンキュンと刺激されてもだ。

 わざわざ高コストな方法で氷を作ったのだから、是が非でも目的を達成しなければならなかった。

 義兄さん達は小ぶりなバケツ一杯分も作ってしまったけど、それには壺一杯分のアルコールを使っている。

 当然、蒸留に手間暇や燃料もかかった。そもそも水飴からの醸造で、エールより一工程多いし。

 それでも時代なりの価値観だと、どっこいどっこいか? もの凄い人件費をかけて氷室とか作ったりするんだし?


 とにかく積み上げられた氷の一部を取り分け、氷過剰な冷水を作る。

 残りが入ったバケツの中には、厨房から借りてきた金属容器を無理くりにねじ入れていく。

「どうするんだい? この中へ新しいのを入れればいいのか?」

「いや、そろそろ氷作りは終わり! このままだと壺のお酒を使い切ってしまうかもだし。それよりも二人で、この中身をかき混ぜて!」

 説明しながら金属容器へ羊のミルク、フレッシュチーズ、蜂蜜を入れる。現代人には定番のアイスクリームの材料だ。

 そして冷却能力を高めるべく、氷へ大量の塩を振っておく。

「うへぇ……なんだか騙されてる気がしてきた。修練より、よっぽど大変そうじゃないか?」

 義兄弟の気楽さからかサム義兄さんは、軽口めいた不平を漏らすけれど……それでポンピオヌス君は挙動不審となった。

 気まずさからか僕やフォコンの様子を窺うあたり、実に育ちが良い。

「主を諫める理由が面倒だからとは、不心得にもほどがあるでしょう」

 などとフォコンは二人を叱るけど、大事そうに壺を手元へ引き寄せながらで説得力に欠けた。

「とにかく頑張ってみれば? 二人は僕に感謝すると思うよ? それにドゥリトル家は友軍アミを大切にする。聞いたことあるでしょ、この評判?」

 そういいながら二人に木のヘラと泡立て器を手渡す。

 サム義兄さんは少年らしく面白い顔で返事をし、ポンピオヌス君は可愛らしく照れた。

 ……彼を城へ上げたのは大正解だったかもなぁ。


 とにかくアイス作りは二人へ任せ、僕は本命の作業へと移る。

 まずダニエル苦心の作なガラスの細い管を何本か取り出す。

 これは下端へ小指の先ほどに膨らませた液止めがあり、中へ水銀を入れた後、上端も溶かし直して封じてある。

 おそらく現代人なら、即座に名称を答えられるだろう。水銀温度計と。

 ただし、この労作には肝心要の目盛がついておらず、いまのところ意味不明なオブジェに過ぎなかった。


 氷過剰にした冷水へ、温度計を漬していく。

 ここでのポイントは、氷を多くすること。そして混在している部分で測定することだ。

 水は〇℃となった後、凝固熱分の冷気を吸収してから固体化する。その間、ずっと〇℃だ。

 氷は凝固熱分の冷気を放出しながら液体へと戻る。その時の液体は〇℃だ。

 つまり、〇℃を測りたかったら氷になる寸前か、氷が解けた直後を調べればよかった。

 まだ細かくは色々とあるのだけど……単なる氷水を、それも容器の下の方で計測すると〇℃以上なので駄目だったりする。


 それぞれに〇℃の印を刻み、水、ぬるま湯、お湯と温度計を温めていく。

 この後、竈で沸騰中な鍋の温度を測るのに、急激な温度変化を避けるためだ。

 もちろん沸騰している水の温度は一〇〇℃である。

 なぜなら、そう定義したから。

 正確には水が凍る温度を〇℃とし、そこから沸騰する温度までを百分割したもの。

 それが℃――セルシウス度の定義だ。水が一〇〇℃で沸騰するのは、決して偶然じゃない。

 これを実測する場合、沸騰している水面から、やや下の辺りが一〇〇℃といえた。

 なぜなら鍋の中では対流が起きていて、温度が一定ではない――というか底の方は低い。

 さらに計測中に蒸気や加熱器具の熱に曝され、誤差の発生も考えられた。

 可能な限り一〇〇℃の部分を狙い、他の影響も少なくなる様に配慮するべきだろう。


 しかし、これは定義がハッキリしていて再現性もあるので、多少の計測ミスは問題なかったりもする。

 ようするに後世――

「この一リュカ℃は、我々がいうところの〇.九九℃である」

 なんて問題は発生しないのだ!

 ツッコミを受けたところで「多少の誤差も見受けられるが、これは当時の計測技術が未熟だったから」程度か。

 ……石鹸を作った時の『一リュカ杯』という単位に比べたら、凄くマシだろう。

 あれはようするに『その時手元にあった鍋』という、全く再現性のない定義だったし。

 もうファッキン・ポンド・ヤードと子孫に呪われること間違いなしだ。


 とにかく、これで念願の温度計を入手したぞ!

 ……完成は百分割した目盛を入れてからだけど、もう手に入ったも同然だろう!

 これで水飴作りやアルコールの蒸留なども、相応に成功率は高まるだろうし……他の人へ作業を任せられるようにもなる!

 この温度計は細くて儚いかもしれないけれど、人類にとっては強固な指針だ!

 などとの成功に打ち震えていたら――

「若様! 仕上がりましたぜ! 御確認を御願いします!」

 午前中から一心不乱に作業していたジュゼッペに呼ばれた。……いよいよ本命の開始か。



 ジュゼッペが作っていたのは、ようするに土間――土がむき出しなままの床だった。

 今回は露天で使い捨てとなってしまうが、その技法を使っている……そうだ。

 さらに、これは金持ちの家へ作るような上等な土間……らしい。

 ……まあ、判らないでもない。

 最初に土間とする部分を掘り、その土は捨ててしまう。扱いにくいからだ。

 代わりに篩で粒を揃えた土を用意する。それを多めな水と捏ねて滑らかな泥状にし、広げ直しだ。

 まずはドロドロなままの泥を、トンボのような工具で均して広げる。

 表面が乾ききった後も左官コテで水平に、そして奇麗に均し直し続ける念の入れ具合だ。

 僕が説明で挙げたのは筆記用の粘土板なんだけど、正しくそのものだろう。……縦横が数メートルで地面と一体化した。


 しかし、そもそも水平な床というのは、それはそれで作るのが難しいはずだけど……ジュゼッペは、僕が手順を教えなくても達成している。

 「溝を掘って水を満たせば、それが水平です」といわれたら、僕としても「そうだね」と返すしかない。

 ……実は大工の基本テクニックなのだろうか?

 さらには土間の――大きな粘土板の中心へ、屋根ほどな高さの直角三角形が立てられている。

 垂直な棒でも良いのだけど、工業力の問題で強度が足りない。垂直と強度を両立させるには、これが一番だ。

 むしろ問題は、これを正確に垂直とできるかだったけど――

 「重りをつけて紐を垂らせば、それは垂直。これで全方向から調べる」と説かれたら「嗚呼、人類は紀元前にピラミッドを建設していたのだよなぁ」と応じる他がない。

 よく考えたら古代ですら建築物の柱は垂直だ。ジュゼッペにとっては簡単な部類なのだろう。

 ……この時代だと大工の知恵は、かなりの最先端科学に属するのかもしれない。少なくとも僕が予想していた数倍は。


 話を戻すと、土間には隅壺――インクに浸した紐を使って線を引いてある。

 まず中心を通って東西南北へ交差する直線で十字に。

 そして、こればっかりは僕が知恵を授けた三〇度角――正三角形の角度をコンパスで割ったものを。

 さらに割って一五度角、もう一度で七.五度角、さらにさらにと三.七五角度、まだまだ割れるぞ一.八七五角度、これが限界か〇.九三七五角度と細分もされている。


 おそらく現代人であれば、即座に日時計と看破しただろう。

 そして目敏い者であれば、この規模は角度分割に必要だからとも。

 実際、〇.九三七五角度など、影が指し示す辺りでは指一本分程度の幅しかない。

 普通の卓上サイズでやったら、ここまで二分割なんて不可能というか……できたところで幅がミリ単位以下で計測不能となるだろう。


「……御曹司、このようなもので何を?」

「うん? 全てを測るんだよ。全てをね。今日が晴れて良かった! 今日じゃなきゃ駄目だから、凄く心配だったんだよ!」

 フォコンは開いた口が塞がらないといった様子だったけれど、まあそりゃそうだ。

 僕だって自分でなければ正気を疑う。『』が孕む狂気の象徴にも等しいし。

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