四等分の模範解答

 結局、マリスは秘密を守る誓いを立てることで許された。

 もし破れば愛娘たるポンドールが命を以て贖うと言い出しちゃってるし、約束は守られるだろうし……なんというか一人娘の父親は可哀そうという他ない。完全に暴君だ。

 あと、ダイ義姉さんとエステルはを悟ったような表情をしない!

「それなりに期待してたけど、ここまでとは思わなかったなぁ」

「……なんのことよ」

「いや、板ガラスのことさ。評価されるとは知ってたんだ。でも、本命は鏡だったからね」

 いまいち板ガラスの評価額を信じられないのか、義姉さんは同意とばかりに肯くも――

「はい? 若様、いま……鏡……と仰いました?」

 意外なことにポンドールは、鏡という単語で過剰反応した。

「うん。この板ガラスは、そのまま鏡にしようと思ってたんだ。鏡なら高級品……だよね?」

「ひ、品質にもよりますが……この大きさの鏡であれば……それこそ計り知れない価値が!?」

 それで母上の大事にされてる鏡――金属鏡が脳裏に浮かんだ。

 たいして写りが良くない割に、すぐ曇るので頻繁に磨き直さねばならず、それでいて貴婦人しか持ち得ぬ超高級品だったりする。

「品質で負ける気はしないね。それにメンテフリーだよ。おそらく同レベルの鏡を見たことがあるのは誰も――」

 そこでポンドールが卒倒しかけ、あわや大混乱となりかけた。

 ……どうしてこうも話が進まないんだ!?


 しかし、感心なことに自力で立ち直ったポンドールは、そのまま話題の軌道修正をやってのける。さすがな才女だ。

「と、とりあえず! 順を追って教えてくんなはれ! ま、まずは板ガラスの秘密を!?」

「じゃあ、鏡の準備をしながら、板ガラスの作り方を説明するね。……持ってきてくれた品物に水銀はある?」

 いいながらマリスの献上品を漁ろうとしたら――

「若様、素手では危のうございます。宜しければ、これを」

 とグリムさんに伸ばした手を押し止められ、皮手袋を差し出された。……反射的に顔が赤くなったのが判る。

「へっ!? え、遠慮するよ! ぼ、僕が使っちゃったら、グリムさんはどうするのさ!」

「数ならぬ身にすら御気を遣われるとは、若様はお優しい。ですが、私は婢女にございます。この身の全ては若様の為にあり、御身の思うままに役立てて頂ければ」

 そう優し気に微笑むのだけど、なんだろう?

 濃厚なナニカが津波のように押し寄せてくる! 男の子としての正門を、暴れ太鼓のように敲く! そしてお馴染みとなった脇腹の痛み!

「そ、そうだ! 銀の粉も欲しかったんだ! ジュゼッペ! 金鑢で銀貨を削って! あと、マリス! どれに水銀が入っているの?」

 声が裏返らなかったことは、魂の尊厳にかけて誓おう! ……だからニマニマ笑いを止めろおっさん共!


 とにかくジュゼッペに銀の粉を作って貰いつつ、板ガラスの作り方の説明となった。

 ……やっとだよ!

 まず風船――台所にあった太いソーセージ用の腸袋で急ごしらえしたものを提示する。

「吹きガラスってのは、ようするに風船と同じでしょ?」

 そのまま実演とばかりに膨らます。細長い風船の完成だ。

「で、コップとかグラスを作る時は先っぽを切ったり、穴をあけて広げたり――」

 説明に合わせ先端を鋏でバッサリと切る。

 風船は柔らかいのでフニャフニャとなってしまうが、まあ理屈は伝わるだろう。

「板ガラスを作る時は、さらに逆側の方も切り落としちゃうんだ」

 左手で押さえていた吹き込み口の当たりで、同じように切り落とす。

 ぐしゃぐしゃに床へ落ちた腸袋を皆に見えるよう拾い上げ、筒状となるように持つ。

「こんな風に――いわばガラスの筒となったら、さらに縦へ一回切る」

 それから新しくできたを摘まんで広げる。無事に長方形だ。

「ほら、板ガラスの完成だよ」

 しかし、予想通りに皆は狐に抓まれたような顔をしていた。ポンドール以外は。

「……当たり前じゃない? どこが凄いのよ?」

「そう当たり前なんだ。それに、どこも凄くない」

 だが、この発見に人類は二千年も費やしている。簡単な位相幾何学トポロジカルに過ぎなくとも、その難易度は高い。

「す、凄いことです、これは! この板ガラスは、つまり……コップやグラスと大差ない材料や値段、施設で製造可能ということで!?」

 ……ポンドールは本当に賢い。

 大量生産にはさらなる未来技術が必須だけど、この吹きガラス展開式でも、それなりの量は作れる。

 ただ問題がなくもなかった。

「うーん……ダニエルも成功に半月ぐらい掛かったんだから、それなりの技量を求められると思う。まだ熱くて柔らかいガラスを、こんな風に切ったり開いたりは、熟練工でも難しかったんじゃない?」

「いずれは必ずや若様に満足して頂けるだけの数を! ですが御指摘の通り、難しくもあります。弟子を仕込むとしても、それなりの歳月は掛かることでしょう」

 所在不明の重要素材が必須だとか、手に負えない程の高度技術が必要とかでもなくマシではあるけど……色々と習熟で解決しすぎな気もする。

 この時代に特有な病的資質だろうか?

「まあ、当面は板ガラス制作技術の安定化というか……熟成を? 平行してもっとましな工房を――ああ、機密保持の問題で城に作るようかな。悪いけど二人は城住みね。それからお弟子さんの募集も考えよう」

 予想の十倍は儲かりそうなんだから、いくらでも対応は可能だ。


 ちょうど話が一段落したところで、ジュゼッペが作業を終えた。

「若様! できやしたぜ! 銀の粉に水銀というと、銀メッキをするんですか?」

 大工のジュゼッペが知っているとは思わなかったけれど、予想通りに銀メッキは既知の技術だったらしい。

 まあ奈良の大仏や中国の黄金剣などと同じ技法だから、中世どころか太古レベルで一般化済みだ。

「うん。この板ガラスに銀メッキしたい。下地液フラックスは……アルコールを代用でいいや」

「さすがにメッキは外でやった方が良いですぜ? 煙が毒ですし?」

 それもそうか。でも判っているみたいだし、後はジュゼッペに任せて平気かな?

「おい、ジュゼッペ。銀メッキってなんだよ?」

「何にでも銀箔する技法だぜ。この水銀に銀の粉を混ぜて、銀箔にしたい面へ塗ってやってだな、蝋燭で焙ったり焼いた石を押し当てるんだ」

「はぁ!? 焼いた石を押し当てる!? そんなことしたらガラスが割れちまうぞ!?」

「じゃあ、蝋燭で焙るか?」

「蝋燭で焙るのも……あー……焙るのは俺がやる。必要なことを教えてくれ」

 なにか問題があったようだけど、専門家同士で解決したらしい。うん、このまま二人に任せてしまおう。



 いまからやろうとしている銀メッキはアマルガム法と呼ばれ、水銀を利用した最も古い手法だ。

 まず水銀には多種多様な貴金属などを溶かし、液体の状態を保つ性質がある。

 しかし、それは見た目だけの問題で、その液体中で貴金属は変化していない。……簡単に化学変化しないからこそ、貴金属は貴い金属と呼ばれている訳だし。

 そして沸点や凝固点なども、それぞれの数値のままだ。

 つまり、貴金属を溶かした水銀を加熱すると、水銀の沸点である六三〇℃で水銀だけが蒸発していく。

 当然、後には溶かした貴金属だけが残る。

 これは金や銀の精製でも使われた原理だし、塗料の如く使ってメッキにも使われた。

 またガラスにメッキが、それも銀アマルガム法で可能かというと、これも実在する技法だったりする。

 古い映画などで女性が服毒自殺に鏡を割るけれど、あれは銀アマルガム法で作られている――その裏面へ猛毒の水銀が塗布されている証拠に他ならない。

 というか電気メッキが開発されたのは一八〇五年で、それ以前の鏡は全て銀アマルガム法による製品だ。

 現代では安全性などの観点から廃れただけで、歴とした正統の技法といえる。



 マスクをして外へ出たダニエルは、慎重に遠火でゆっくりと板ガラスを熱していく。

 なんでもガラスは高温にではなく、急激な温度変化に弱いらしい。なので高温へ晒すのなら、時間を掛けねばならないそうだ。

 それでも暫くすると、非常に毒性の強い煙が立ち上がり始める。水銀の沸点へ到達したのだろう。

 量産する時には考えねばならないかもしれない。ガスマスクとか、排気に配慮の工房だとか。

「できました! 少なくとも水銀は乾きましたぞ!」

「じゃあ、裏を触らないで済むよう……あー……板かなんかへ引っくり返して! それから中へ! 中で検品しよう、寒いでしょ?」


 それもそうかと再び隠れ家へと板ガラスが持ち込まれた。

 ……最初と違い運び手はジュゼッペとダニエルのおっさん二人だ。

「あの、若様? 煤で真っ黒ですやん?」

「わ、私めが口を挟んだのが!?」

「いやいや。煤なんてどうとでもなるよ」

 まあ例によって重曹なんだけど、だいたいの汚れに効果あるんだから仕方がない。ほぼ万能だ。

 案の定、水と重曹で優しく拭くと、無事に鏡面が姿を現していく。うん、鏡だ!

 ドヤ顔で自慢しようと思ったら、やっとに気付く!

 ダイ義姉さん、エステル、ポンドール、グリムさんと――


 女の子達の目の色が変わっている!


「若様? この最初の一枚は、どないするおつもりで?」

「え? そうだね……裏へ触らないで済むよう、それから淵で手を切ったりしないよう、ジュゼッペに木枠か何かを作って貰おうかな」

「いつもながら察しが悪い子ね! そうやって完成させた後に! 最初の一枚をどうするのか聞いているのよ!」

 珍しくイライラを隠そうともしない義姉さんがコワイ!

 でも、言われてみると悩みどころだ。公共物として食堂にでも飾っとくか? いや、そうじゃない!

「もちろん最初の一枚は、母上に献上するよ! 今回のことで御尽力していただいたし!」

 うん、百点満点の答えだ! なのに――

「その次は、どうしゅるの?」

 とエステルが追撃とばかりに継続させる!

 ああ、我が天使が小首を傾げる様子には、心が溶かされていく。カワイイ!

「二枚目は当然、僕らの義母さんに贈ろう!」

 我ながら今日は冴えてるなぁ。

 ……うん?


 いま誰か舌打ちしなかった!?


 そんな行儀の悪い! ここにいるのはドゥリトル領でも屈指のお嬢様方だよ!? となれば幻聴!?

! その後の三枚目は、誰へ御贈りになられるのですか、御曹司様!」

 ひい! 義姉上が怒ってる! なぜにブチ切れ寸前!? ホワィ!?

 それに注視するべきは、ダイ義姉さんだけに留まらない。

 むしろ彼女は我々の崇高なる代弁者と残る三人も――エステルやポンドール、グリムさんも肯いていることだ!

 つまり――


 鏡を作ったら、女の子達から締め上げられそうになっている!


 なにを言っているのか理解してもらえないと思うが、僕にもさっぱりだ!

 陰謀とか根回し、謀反、反逆……それらとは全く異なる恐ろしいものの片鱗がッ――

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