前時代的な科学も魔術と区別されない
……本当に大変だった。
言葉にすれば「母上に仲裁の労を取って頂いた」だけなのに、予想の数倍は困難だったと思う。
結局は母上の発案通りに義母さんが使者として立ったし……なぜか僕の責任と見做されもした。
きょうだいたちは生まれて初めて母親と離れて暮らす事実に動揺し、もちろん不安や不満の矛先は僕へ向けられる。
それは我が子と離れる義母さん側も同じで、僕を含めて全員が何度も同じ注意をされたりもした。
お腹を出して寝ないとか、外から帰ったら手を洗うとか……まあ世の母親達が良くいうような類のことを。
でも、乳母上? 母上の旅行服を借り出したのは、やり過ぎだった気もしますよ? それはそれとして旅を楽しむおつもりでしたよね?
さらに思い返してみると、義姉上が僕付きな女官みたいに振舞いだしたのは、レト義母さんが出立してからだ。
いまいち現代人の感性だと共感できないけど、やはり時代的に旅は大事なんだろう。
きっと僕のきょうだい達は、色々と思うことがあったのだ。それが何なのか僕には分らないけれど、変わるに値するだけのことが。
……義母さんが無事に戻って来てからも、新しい習慣を続けてるし。
そして僕も義母親がいなくて寂しいと、せっかくの好機にしょんぼりもしてられない。前倒し的に色々と開始した。
具体的には
そんな努力の結晶が、いまグリムの掲げ持つガラス板だ。
幾つもの挫折を乗り越え、やっとの成功だった。もう涙なしには語れない。おっさんたちの昴が流れ出しても、おかしくないだろう。
門外漢なりにジュゼッペが、友の成功に大喜びなのも納得できる。これはそれに値する大成功だ!
……うん?
どうして、この場にいる最後のおっさん――マリスは中腰でプルプル震えているんだろう? まるで生まれたての仔馬のようだ。
さりげなく娘のポンドールの様子を窺う。
特におかしな点は……無いはずがないな。
うん、この娘もおかしい。辛うじて椅子には座ったままだけど、その茶碗を持つ手は小刻みに震えている。
「若様……その……その御盆の上へ乗せられているものは、なんでございましょう? もしや氷でしょうか?」
なるほど。生まれて初めてガラス板を見た者は、氷の親戚と考える訳か。
「いや、違うよ。これはガラスで作った板。もちろんガラスだから溶けて無くなったりもしない。だけど氷の板と同じように――ほら、向こうが透けて見えるんだ」
厳密にいうとガラスは自然に解けていく物質だけど、そんな説明はポンドールに不要だろう。……僕も完全には理解できてないし。
それよりも透明であることをアピールするべく、御盆の上で立ててみせる。透明だ。
しかし、ここで驚愕の事実に気付いた! ダイ義姉さんとエステルは、まったく感銘を受けていない! これの凄さを理解できてない!?
「なるほど。ガラス板?と呼ぶのですね。して、それはどのように……例えば神の国では如何に使われて?」
「……実例が先に要るのか。そうだなぁ、やっぱり窓かな。これで窓を作るんだ。例えば、そこの窓で考えてみて。開けたら陽の光が差し込むよね、いまは風が寒いから閉めているけど。だけど板ガラスで窓を作れば――」
「風は吹き込まず、それでいて明るく?」
さすがポンドールというべきか、この有用性に気付いてくれたらしかった。
「でも、若様? そんなに小さかったら窓も小さくなりやすぜ? その……小さいは言い過ぎたかもですが、ダニエルの精一杯な大きさですし?」
「何枚か作って縦横に並べて……それこそジュゼッペが木枠を作ってあげれば良いじゃないか。大工なんだし」
なるほどとおっさん二人は頷くけれど……想像以上にガラス板文明を広げるのは難しそうだ。
「うん、決めた! まず食堂の窓を作ろう! なんだかんだでダニエルは新参者だし。皆の見る場所に作品があれば、自己紹介にもなると思う」
「まっておくんなはれ、若様! いっとう最初には! 最初は謁見の間を! それこそ日中、陽の光が背を輝かすように!」
「……どうしてさ?」
「それで若様は――リュカ様は、光を従えし
大袈裟な、と答えかけて気付く。
決してポンドールの想像力は豊か過ぎたりしない! 前世では実例すらあった! 窓は光を――太陽を御すという、魔術的な意味をも秘めている!
「娘の申し上げた通りでございます! 諸王はこぞってガラス窓を欲することでありましょう! そして我らに任せて頂ければ、最初の十枚へ大金貨千枚をお約束いたしまする! さらに次の百枚へ百枚を!」
………………はい?
大金貨千枚って、敢えて日本円に換算したら一億円だよ!? それが窓一枚? いや最初の十枚に対してか。
「もちろん一枚あたり、当然にリュカ様の取り分として、でございます。 ――もう! お父はんは言葉が足りな過ぎや!」
もの凄く勘違いしていた。どうやら最初の十枚は、一枚を大金貨数千枚で売れると踏んだらしい。
そして契約を結んだ瞬間、とりあえず大金貨二万枚の確保だ。
……とにかく動揺を隠さねば!
「あまり謁見の間は、乗り気しないなぁ。最終的には父上や母上とも相談だけど。契約の方も、とりあえず前向きに考えておくよ」
前向きも何も僕の伝は
「しかし、さすがは
「いえ、いえ! これはリュカ様から『神の国』の御英知を授かってのことで!」
「なるほど! しかし、さぞかし難しい知恵なんでございましょう。きっと私のような浅学の商人には――」
「それが驚くことに、私のような職人ですら即座に理解が! まっこと『神の国』の英知には驚かさせられるばかりで!」
そこでダニエルは僕の方へ助けを求めてきた。
上手いこと契約に漕ぎつけようとマリスも必死のリップサービスなようだけど、ダニエルのような職人には面映ゆいのだろう。
とりあえず相手を変わるか。唯一の契約相手なんだし、お互いに気持ちよく営業されるべきだ。
「そんなに難しくはないんだよ。誰だって一回見れば、すぐに理解でき――」
「あの、若様? なにを始めるおつもりで?」
なぜか呆れ顔なポンドールに話の腰を折られた。
「え? 板ガラスの作り方を説明してあげようかなぁ、と」
すると深く大きな溜息を漏らされる。なんだか失礼!
「それって、うちでもガラス職人に説明したら伝わります?」
「うん。たぶん。でも、理解より再現の方が難しいみたい」
「では、うちのお父はんが秘密を聞いて、どこかで腕の良いガラス職人をみっけてきたら……若様抜きでガラス板の商売を始められますよね?」
うーん? 話の筋は通っている……かな?
「それであっていると思う。問題ないよ」
「なら、お父はんに秘密を教えたら駄目やないですか」
………………その通りだ!
「若様? 『レシピが盗める』ままでは、商売が成り立たんのです。誰よりもまず、若様に気を付けて頂かないと。そして秘密を教える者も、厳選せなあきまへん ――というわけで、お父はん! 帰りぃ! うち、秘密を聞きとうて堪らんの! ここまでなんて殺生やわぁ」
「ちょっと! なんでマリスさんは駄目で、その娘のアンタは良いのよ!」
そこで皆を代表するかのように義姉さんがツッコむが――
「うちは、いいんや。いざという時は、自分で始末つけるつもりやさかい。 ――リュカ様? もしうちを邪魔と思われた時には、死を賜りとうございます。リュカ様の命であれば、いついかなる時であろうと喜んで従います」
人見知りなはずのポンドールが、真っすぐに僕を見据えて言い放つ。その不思議な迫力には気圧されそうだ。
「そこまでの覚悟とは思わなかったわ。仕方ない、認めてあげる。 ――さ、はやく教えて!」
「え? 認め……? 誰が? 誰を? それに教えるって?」
「その『ガラス板の秘密』とやらを! 私、なぞなぞだけ出されて答えは教えて貰えないの、大っ嫌いなの! 知ってるでしょ!? それとも、なに? 義姉である私がリュカを裏切るとでも!?」
そうエステルと二人、姉妹で胸を張る様子には逆らえるはずもなかった。
どうやら僕の今生は、気の強い女の子に囲まれる定めにあるらしい。……なんの因果だ?
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