本音と建前、そして結果
「ちょッ! なんなん、
「な、なによ……聞いてないも何も……ダニエルさんの娘よ。ほら、
「うちが用立てたのは、若さんにや!
などとダイ義姉さんとポンドールは、何やらヒソヒソ話しているけど……さすがに行儀が悪すぎる。
少し注意しておこうかと思い掛けたところで――
まるで叱るかの如くエステルが抱きつく力を強めてきた。
おお、兄ちゃんは、ここにいるぞ!
どうしてか最近になって、まるで赤ちゃん返りでも起こしたかのようだ。なにか不安でもあるのだろうか?
それに一瞬、エステルがズルそうというか……してやったりとでも言わんばかりな表情になった気もするけど……たぶん目の錯覚だよな?
馬鹿な考えを振り払うべく軽く頭を振り、とにかく問題へ集中しようとしたところで――
偶然にグリムと目が合った。
……ジュゼッペの友人なダニエルの娘にして、隣のスペリティオ領主から側室にとまで請われ、いまやドゥリトル城を騒がす渦中の人物とだ。
反射的に顔が赤くなってしまったのが良く判る。
なぜならグリム
数えで十一というから、義姉さんやポンドールと同い年なんだけど……信じる者は誰もいまい。少なくとも二つ三つは離れている印象を与える。
……もう割り切って、判り易く下世話に説明してしまおう。
デカいのだ。
いや、探せば同じくらい豊満な女性も見つかるだろう。それほど苦労もしないはずだ。
しかし、まだ少女というべき年齢な持ち主の場合、俄然として背徳感は増す。
幼気な少女
って、痛い! 義姉上! 右脇腹を抓らないで! わりと本気で痛い!
そしてエステル! 力を緩めて! ダイ義姉さんは後で宥めるから心配いらないよ!
……どうにも義姉上は固くて困る。少しでも下世話なことを考えると、すぐに御仕置だし。
だが、確かに豊饒の実りへ思いを馳せてる場合でもなかった。
徹夜を続けていたのか、かなり
グリムの掲げ持つ御盆には、板ガラスがクッションへ乗せられて鎮座していた。
もちろん吹きガラス職人ダニエルの力作だろう。それも『
大きさは一辺が二、三〇センチ程で、ほぼ正方形だ。
もし現代人が見たら、なんと小さなと感想を持つかもしれない。
しかし、この時代の人々にとっては、積年の夢どころか――発想の埒外な画期的アイデアだったりする。
そもそも板ガラスという概念がない。
あっても溶けたガラスを型へと流し込む製品で、それすら最先端技術に近く、さらには透明ともいえない。かろうじて光は透過する程度だ。
完全に透明な板ガラスというものを、この時代の人々は考えたことすらない。発想の外にあった。
……語弊を恐れずにいえば、もう魔法にも等しい衝撃だろうか?
しかし、その完成までの道程は困難を極めた。
まず母上のお手を煩わせたし、多大な政治力をも消費していただくことにもなった。
なぜならダニエルが大工ではなく、吹きガラス職人というレアな技術者だったからだ。
僕がその事実を知ったのは、湯気を吹き出さんばかりにお怒りになられた母上が、関係者全員を召喚した時だったりする。
もう「ジュゼッペはもちろん、初めて城へ上がってきたダニエル父娘すら即座に跪いて顔を伏せた」ぐらいだったといったら、御理解いただけるだろうか?
……小さな手に羊皮紙を握りしめ、さらにはブンブンと振り、全身で感情を表現されていたしなぁ。
「どういうことですか、リュカ! ダニエルなるものはガラス職人だというではありませぬか!」
「えっ本当ですか!? なんてラッキー――……な訳ありませんね。えっと、その……どういうことでしょう? 何か問題が?」
もしかしたら母上にジト目で睨まれたのは、この時が初めてかもしれない。
「ガラス器の交易は、スペリティオの主要な産業! その職人を我が領で預かるとなれば、最初から引き抜くつもりの謀略と思われてしまいます!」
むむむ? そうなるのかな?
確かに太古から、いわゆる上級職人――鍛冶屋などは、その存在が戦争や揉め事の原因ともなっていた。各地の神話にも、枚挙の暇がないぐらいだ。
そしてドゥリトル領にガラス職人はいないし、この時代で最先端で最新鋭な技術を盗んだと思われてもおかしくはない?
「いや、でも! 我らはいわば、善意の仲介役ではありませぬか! 義を見てせざるは勇無きなりとも申します。これを傍観していては、ドゥリトルの名が廃るというもの!」
「志は立派ですが、我らの評判は蛮勇で勝ち取ったものではありませぬ」
そう母上は斬り捨てられるけど、まあそりゃそうだ。
武家といったら御先祖様に一人や二人は豪の者がいるはずなんだけど、そんなの聞いたことないし。
「ですが……あまりにといえば、あまりにもの仕打ち! 我らが盗人と誹られる謂れもないではありませんか!」
「あの女も、そこまで性根は曲がっておらぬようです。それについては嫌味を臭わす程度でした」
母上が小さな手で握り潰さんとしている羊皮紙は、あの女――スペリティオ領主夫人からの書状かな?
そして御二人は仲が悪かったような気がする。
どうやら古い諍いの真っ只中へ、僕やジュゼッペ、ダニエル父娘は飛び込む羽目になったらしい。
「という訳だよ。どうして先に教えてくれなかったのさ?」
「へっ? あっしは……最初から『職人仲間』と」
「わ、私めは……その……よく事情も解り兼ねますが……スペリティオからの出奔は命懸けでありまして」
この時代、職人階級という概念があり、その中でも大工や石工、ガラス職人など――上級職人と呼ばれる括りも存在した。
そして一応はジュゼッペも元・大工の棟梁だし、上級職人の友人がいてもおかしくはないだろう。
また移動を監視されがちな上級職人であろうと、まだ平民の移動は禁止されていない。
ヨーロッパがそうなるのはローマ化され、さらには没落が始まり、農奴制へと舵を切ってからだ。
それに禁止されていたとしても、ダニエル父娘にとっては逃亡こそが唯一の手段となる。他の事情を気にしている場合じゃなかった。
「そなたがダニエルですね? シュザンヌは、そなたの身柄か……両の手首を要求しております」
身体刑も時代なりと納得するべきなんだけど、さすがに容認できそうもなかった。
「母上? そのような要求を呑むおつもりですか!?」
「そんな訳が、あろうはずがないでしょう! 非道ですし、ドゥリトルの沽券にも関ります!」
まずは一安心だけど、逆に母上共々追い詰められてしまった。
問題に関わってしまった以上、ダニエルの身柄を返したりはできない。……身体刑は言わずもがなで。
だけど、それでは僕らに打つ手も無くなる。
このままだと永久に話は宙ぶらりんのままだし、それはそれで相手にとって悪くない着地点だ。
期せずして行方不明となった人物を捕捉できた上に、まあまあな監視役もセットで確保ときてる。
「何もかも私が悪いのです! 私さえ生まれてこなければ! 御領主様も惑わされずに済みましたし、父も工房の主として悠々自適に過ごせていたでしょう。どうか! どうか私めを御手打ちに! 父に罪はないのです!」
「いえ! 私めがスペリティオへと戻れば! 娘さえ安全であれば、他には何もいりませぬ! なに、これでも多少の価値はあるようです。あちらでガラス器を作り続ける限り、そうそう酷い仕打ちもされないでしょう」
堪えきれなくなったのかダニエル父娘は、それぞれに異なる嘆願を始めた。
……どちらでも落着はするだろう。
あとは領主夫人同士での合意とすれば、大抵のことは押し通せなくもない。
「駄目だね。僕は両方共に欲しい。
「お義母様の『あの人が
謎の表現で母上は慄かれた。どういう意味だ!?
「母上! スペリティオ領主夫人――シュザンヌ様と交渉をして頂きたく存じます!」
「いくら吾子でも、そのように屈辱的な――」
「そうですね。使者には土産として
上手い具合に母上の興味を惹けたようだった。
「あと返信に使う紙も、僕が用意しましょう。上品な真っ白な紙を。なにか母上のお好きな押し花でも漉き込んで」
「……そのようなことができるのですか?」
「造作もねぇことでございます」
僕の目配せに応じ、抜け目なくジュゼッペが答える。
「母上を思い起こさせる香料を含ませてもよろしいかと。たくさん御作りなられて、余っているのでしょう?」
「どうやら返答には、さぞかし粋を凝らして貰えるでしょう」
握りしめた羊皮紙を見ながら、母上は人の悪そうな笑いを浮かべられる。
瀟洒な紙で届けられた手紙へ、ダサく羊皮紙で返信は屈辱だろう。貴族階級ならではの意趣返しだ。
「しかし、吾子? 初めて
実例を前にすれば馬鹿でも理解できるし、より悔しがるという寸法か。我が母ながら、実に
でも、これは義母さんから文句を言われるパータンだ。間違いない。
そんな不吉な予感と共に、とにかくスペリティオとの交渉は開始された。
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