戦い

「お客様をお連れしたわよ、リュカ」

 ノックの音共に義姉上の声がした。……時間だ。

 急いで作業を終わらせ、とにかくランプを消す。

「入って貰って! いま手が離せないんだ」

 小さな罵り声と共に扉が――ジュゼッペに増設して貰った通用口が開く。

 明るい。薄暗くなった倉庫からだと、差し込んでくる陽の光は眩しいぐらいだ。

「……灯もつけないで、何をしてたの?」

「お、お邪魔しますぅ? 若様、どこに居られるんで?」

 皆は文句を言いつつも中へと入ってくる。

 予想通り! 掛かった! そして先手必勝だ!

「暗い? ああ、集中していて気付かなかったよ! 灯を点ける!」


 大袈裟に右手を掲げ、そのまま親指で蓋を跳ね上げる。

 金属と金属が擦れ合う音は、官能的なまでに小気味よかった。

 公平に考えて、銅細工職人の技量は褒め称えるべきだろう。……色々と難のある性格ではあっても。

 蓋を跳ね上げた親指で、そのまま撃鉄ハンマーを――連動しているゼンマイを引き絞る。

 ジュゼッペと二人がかりで三日もかかった労作は、折れることなく力を蓄えていく。

 ……これの焼き入れ加減の習得には、本当に苦労させられた!

 万感の思いを込めつつ、親指を離す。

 設計通りに撃鉄ハンマーは、ゼンマイの力で――バネの力で勢いよく打ち金を叩く。

 その先端へ仕込まれた火打石――石英は打ち金を削り飛ばし、火花が芯へと向かう。

 常に似たような力や角度と判っていれば、その到達範囲は絞り込める。

 そして少ない火花であろうと、命中さえすれば問題ない。

 さらに的となる芯の周辺は、揮発した燃料が充満している。

 つまり、混合吸気された燃料へ火花が接触し、微かな音とともに発火――小さなの炎が生まれた!


 ……のに、なぜか誰もが黙ったままだったし、まったく微動だにしなかった。

 おかしいぞ!? なぜ偶にジュゼッペが見せるのと同じ表情を! あれは必死で呆れているのを隠している顔だ!

 どうして!? 生まれて初めてライターを見た人なら、ここまで残念な顔をするはずないのに!?

 未開部族の人は百円ライター一つで、それこそ放送コードに引っかかるとすら聞いてたよ!?

 などと愕然としている僕へ、ダイ義姉さんが皆を代表とばかりに指摘する。

「ねえ、リュカ? なんだって、その火は暗いの? なんというか……慎ましすぎて困るほどじゃない?」

 くっ……さすがは義姉上! 唯一の欠点を瞬時に見破るとは!


 

 いま見せびらかそうとしたのは、ようするにオイルライターだ。

 日本では最大手メーカーのブランド名から、ジッポーなどと称されている。

 この現代では珍しくもなんともなく、もう陳腐ですらある道具は、実のところ人類が発明してから百年も経っていない。

 それまでは条件を満たせなかったからだ。

 オイルライターの絶対条件は、引火点の低い燃料があること。それに尽きる。

 近代となるまで燃料の大半は木材や植物油、獣油などで、引火点が高かった。

 そして木材や植物油へ火花を散らしても、絶対に発火しない……とは言いきれないけれど、絶望的に成功率は低い。

 火花から火へ育てるのには、もう少し段階を踏まないと駄目だ。

 通常は大鋸屑おがくず、乾燥させた植物やキノコ、木材を細く裂いたものなどを――火口を用意しておく。

 この工程は大変に手間がかかるもので、世界各地で工夫の跡も見受けられる。

 僕の採用したゼンマイ式点火装置も、江戸の発明王たる平賀源内の力作だ。

 しかし、残念ながら江戸時代の人に引火点の低い燃料なんて発想の外で、オイルライターに発展しなかった。

 それには引火点の低い燃料の在りふれている時代――石油文明の幕開けを待たねばならない。

 しかし、僕は、その必要がなかった。なぜなら、すでに所有しているからだ。

 実のところ四〇度以上のアルコールには、もう一つ特記すべき性質がある。それは発火可能となることだ。

 そして引火点も低い。

 事実、オイルライターの燃料に代用されたりもする。

 ならば後は密封できる容器や点火装置だけで再現可能……とはいかない、残念ながら。

 蒸留酒が発明されて二千年以上というのに、それまで燃料として利用されなかったのは、その火が無色で暗いからだろう。


 黒体放射の理屈に従えば、なんであろうと温めれば発光する。

 その時、燃えているかどうかは考慮されない。問題となるのは温められる物質の性質と温度だけだ。

 例えば電球のフィラメントは燃えていないのに、温められているから眩しく光る。

 これは二千℃を超えているのもあるけれど、光りやすい物質なのも大きい。

 そして蝋燭、植物油、アルコールを比べても、個々の温度に大して差はなかった。どれもが千℃程度でしかない。

 それでも明るさが違うのは、それぞれの黒体放射率が異なるからである。


 とかなんとか『』では説明していた。

 ようするにアルコールは光りにくいとか、光が弱いなどと理解してもOK……と思う。少なくとも僕は、その程度だし。

 そして鵜呑みなままに別の方式で――炎色反応の利用で明るくした。


 炎色反応とは輝線スペクトルによる発光であり、温度ではなく燃えていること――物質がプラズマ化していることが条件だ。

 そして黒体放射率と逆に温度は関係なく、それでいて同じく物質の性質で発光の色や強さも変わる。


 とかなんとか『異世チ珍』では説明していたけれど、つまりは一緒に明るくなるものを燃やせばOK……らしい。

 そうすれば輝線スペクトル光線が、ジュワっと出るんだろう!

 この炎色反応で有望なのが、偶然にも発見済みな炭酸水素ナトリウム――重曹だ。

 しかし、残念ながら重曹はアルコールに溶け難いので、燃料ではなく芯の方へ染みこませて燃やす。

 ……ちなみに理科の実験で使ったアルコールランプに色がついていたのは、同じ仕組みだ。


 とにかく、これで明るく光るオイルライターをゲット!

 ……といえたら、さぞかしドゥリトル領も潤ったことだろう。

 これからは畑で蝋燭が採れるとなれば世界も激変だけど、そうは問屋が卸さなかった。

 残念ながら、それほど明るくない。

 蝋燭一本から一メートル離れた場合の明るさが、一ルーメンと定義されている。シンプルな白熱電球で百ルーメンだ。

 対してエタノールの火は、黒体放射率に影響の大きい含有炭素数から単純計算すると〇.一ルーメンでしかない!

 もう便乗で散発的に燃える重曹の炎が主力といっても過言ではなかった。

 どうあがいても蝋燭に敵わないし、灯り代わりなんて夢のまた夢だ。


 でも、これさえあれば、もう「火熾しもできない軟弱な坊や」と言われないで済む!

 一日一回は、一年で三百六十五日、人生五十年なら一万八千二百五十回!

 一回十秒としたら、なんと人生で火熾しに五十時間も費やす計算だ!

 どうですか、お客さん! これ、とっても御買い得!

 ……まあ庶民十日分の日当に当価値かといわれると、さすがの僕でも首を捻らざるを得ないけど。

 それでいて十日分では、制作費すら賄えないし。

 だけど、みんな揃って通用口の辺りで困った顔をするのは酷い!

 誰も彼もの顔に――

「この御坊ちゃんの機嫌を損ねず話題を変えるには、どうすれば良いのだろう?」

 って書いてあるし!

 

 そんな、やや不貞腐れかけちゃったところで、義姉上が手を差し出してきた。

「ほら、貸して! その変な火打石?を。火が消えちゃわないうちに、ランプを点けちゃいましょ」

 というなり僕からライターを取り上げて、再び倉庫内を――先代の遺産保管所を明るくした。

「これでよし、と。お二人共、どうぞこちらへ。 ――ステラ、お茶を差し上げるのを手伝って」

 まず客人である朱鷺しゅろ屋の二人――マリスとポンドールの父娘を席へと案内し、そのままエステルにも用を言い付ける。

 そして自分は鼻歌を歌いながら、お湯の支度を開始だ。

 ……助かるけど、ここは僕の隠れ家なのになぁ。でも、不満を主張したら、きっと酷く折檻される。黙っていよう。


 それに今日は戦いプレゼンが控えている!

 残念ながらライターを見るなりマリスとポンドールの二人が腰を抜かし――

「さすが若様! よく分からないけど、凄い商品です! 是非とも専売契約を!」

 とはならなかった。

 ……凄く不思議だ。正直、思っていたのと違う。

 だが、まあいい! まだ策は用意してある!

 今日は何としてでも朱鷺しゅろ屋から追加融資の約束を!

 少なくとも当面、返済の催促をされないぐらいに立場を強くせねばならない!

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