異なる世界へ転じて生まれるということ
御祖母様に痛み止めをお渡しする暇があればこそで、僕らは慌ただしく領都への帰路についた。
本来ならば数日は細かく薬の使い方をレクチャーし、経過の無事も確認しておきたいところだけど、母上だって長く城を空けていられない。
……なんといっても我が国は戦争中な上、父上は出征中――単身赴任の真っ最中だ。
これはゼアマデュノが領都から遠くないのも理由の一つか。
徒歩でも頑張れば一日の近所というか……実際、日本人が思うほどヨーロッパは広くないというかだったりする。
例えばパリからローマは直線距離で一〇〇〇キロ程だけど、それは日本でいうと東京から大阪までの倍でしかない。
そして江戸時代の飛脚は三日で大阪までというから――ようするにパリ・ローマ間ですら、健脚の者が走れば六日だ。
語弊を恐れず表現するのなら、広いといっても日本の倍程度な距離感だろうか?
さらに帰りは拓かれているカサエー街道だし、行きとは比較にもならない。
まあ『北の村』まで一日、そこからプチマレまで一日、さらにはゼアマデュノまで一日と――往路だって、それほど時間は掛かっていないけど。
僕にしても、やっとこ同乗のコツ――それほどお尻が痛くならない座り方を体得できたかどうか。
体感では九ヶ月ぐらい旅路にあるように思えても、実のところ六泊七日の短い旅でしかない。
……もしかしたら長く感じてしまうのは、延々と続く代わり映えのない風景が影響してたり?
またカサエー街道は格別に酷い。
几帳面なまでに真っすぐだし、飽きもせず森ばかりだし……もう無限ループと思えるほどだ。
さらに先ほどの言葉を覆すようだけど、やっぱり大陸は広い。島国とは違う。
そもそも距離感で二倍なら面積は四倍だし、日本に比べたら起伏も隠されているから――
朝に出発してから、まったく変化を見受けられないなんてことも起きる。……今日のように。
まあ歩きの人達にしてみれば、難所なんてないのが一番か。昨夜の寒さを取り返すような晴天で過ごしやすい春日和だし。
結局のところ、日本人が思うほど離れ離れではないけど、それでいて想像の数倍は広いが正解かもしれない。
しかし、それが分かったところで荷物よろしく運ばれる身としては、暇で暇でしょうがないというか……もう午後ともなれば、眠気と戦うのに精一杯というかだったりもする。
自然、目下で最大の問題――御家騒動に関心は彷徨っていく。
今回の結末は、ある意味で大きな収穫といえた。
僕は――父上や母上、そして僕は、暗殺の対象となり得る。
もう本当に不幸中の幸いで、これを誰の命も喪わずに理解できた。これは見方を変えれば、僥倖ですらある。
……別行動中なフォコンの無事が確認できれば、だけど。
まあ僕が注意警戒をしたところで、次を防げるか疑問ではある。それでも備えないよりはマシだろう。
それに僕やサム義兄さんは男だからともかく、母上や義母さん、ダイ義姉さん、エステルと――差別的であろうと、女は男が守らねばならない時代だし。
……あとシャーロットもか。
出立前の挨拶でもないけど、ランボ兄妹の待遇を調べに立ち寄ってみれば、なんだか寂しそうにしていた。
「どうしてか皆が意地悪なの」と嘆いていたから、彼女には何も理解できなかったのだろう。
でも父親は謀反を失敗し、あまつさえ逐電中だ。
置いていかれた子供達なんて親切には扱われないだろうし……それまで蝶よ華よと育てられていただけに、そんな周りの変化も理解できないのだろう。
失敗だったかな? 少なくともシャーロットは城へ連れて行った方が良かった?
いや、御祖母様がいらっしゃるし、おそらく僕より上手く差配してくれる。
……というかランボ兄妹と会うまで、ゼアマデュノに居ると気付けなかった僕よりマシだろう。
御祖母様が二人へ話をされるということは、あの時点で呼び寄せられる場所に居たか――あるいはゼアマデュノ滞在中に決まっている。
……御祖母様は領都への移動すら厭われたくらいだ。逆説的に、それくらいは予想できてしかるべきだろう。
なんというか我ながら暢気というか、恵まれた環境に甘えてボンヤリしていたかというかで……さすがに自嘲を禁じ得ない。
やっぱり油断大敵火が亡々だ。……火熾しが苦手なら、なおさらで?
とにかく話を戻せばランボやシャーロットには、これから困らない様に贈り物でも――
などと考えていたところ、控えめなブーデリカの咳払いで現実へと引き戻された。
慌てて辺りを見渡せば、いつの間にかドゥリトル城とカサエーの橋が見え始めている。
外から眺めるのは初めてな風景なのに、どうしてか驚くぐらいにホッとさせられた。
嗚呼、ここは僕の家だ。そして古郷であり、帰るべき場所だ。
それを頭で理解するより先に、いつの間にか心が認めていたらしい。
苦笑いを隠しつつ、心の中で「ただいま」と呟く。
が、だからといって直ぐに城へは入れる訳もなく、来た時の逆をなぞった。
つまり、アイドル一家ドゥリトルによるパレード再びだ。
ただ僕の方でも娯楽が少ないことや、ドゥリトル領を心配させていたことも理解できたので、それほど吝かでもなかった。
強いて微笑ながら手を振る。
さすがに色々と思わなくもないけれど、これはこれで必要……なはずだ。
子供時代を経ず大人へなれないのと同じで、文明も健やかに育まれるべき……と思う。
うーん? また施しを? パンとか嵩張るのは配れなさそうだけど、それでも用意してたのかな?
あの杖をついた少年は元気だろうか?
そういえば『炭水化物バー』を作ろうと思って、いまだ果たせないままだった。アスピリンのついでに作っておけば、子供たちに配ることも――
きっと僕が馬上にあったからだと思う。
それとも馬に乗った子供という、微妙な目線の高さだったからか。
とにかく僕は、あの杖をついた少年をを発見していた。
粗末な家々の狭間。
おそらく彼の家だったのだろう。色々と板やら藁やらが持ち込まれ、なんとか雨露だけは凌げるかどうかな空間があった。
そして僕にですら見間違えようもなく、彼は死んでいた。
「ブーデリカ!」
「……なんとも哀れな」
しかし、僕が指示した先を見たブーデリカは、手近な兵士を呼び寄せ――
「あの隙間を子供が家としていたらしい。私の代わりに弔って貰えないだろうか?」
と貨幣を与え命じるだけだった!
いや、ブーデリカも兵士も共に沈痛な表情をしている。
それに態々大騒ぎして、この場に集まった者全員へ知らしめるようなことでもないのかもしれない。
しかし、それでも冷淡すぎやしないだろうか!?
「どうしたのです、吾子?」
愕然とする僕を心配されたのか、母上も近くへ来てくださったけど……なんとお答えすれば?
「その路地裏で子供が横死しておりまして」
「きっと凍え死んでしまったんでさぁ……昨晩は寒の戻りが酷かったですし……」
絶句してしまった僕に代わるように、ブーデリカと兵士が答える。
そんなことで? そして、それだけ?
しかし、説明に母上は悲しまれている。もちろん、ブーデリカと兵士だって同じ様にだ。
ここに冷血漢は誰一人としていない。誰も彼もが心を痛めている。
そして、ようやくに違いを認識できた。
この時代は――世界は人が飢えて死ぬ。凍えても死ぬ。それも呆気ないほど簡単に。
でも、それは僕にとっては単なる言葉でしかなかった。
けれど母上達にとっては違う。無慈悲な現実であり、付きまとう隣人で、逃れられぬ定めだ。
きっと誰もが最後には諦めさせられる。
なぜなら死に打ち勝てる者など、誰一人としていない。ただ受け入れ、静かに悲しみ、屈するしかなかった。
……それが異なる世界の理だ。
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