権力者たちのオセロ

 もちろんエステルじゃない。明確に別人だ。というかエステルは僕を「天使ちゃん」なんて呼ばない。

 ……うーん? もの凄く色々と間違って把握しちゃったかな?

 勘違いを質すべく、急いで記憶を巻き戻す。

 ダイ義姉さんを庇いつつ、矢面に立つサム義兄さん。その隣で唸るターレムに、なんとか抑えようと必死なエステルだ。

 ……うん、きょうだい全員いるね。でも、さらに一人倒れていたような!?

 そもそも僕らきょうだいへ手をだしたら、ターレムを止められるはずがない。

 もう一番に従うエステルですら抑えきれないだろうから、まだ威嚇に留めていた段階で察するべきか。

 でも、倒れていたのは誰!?

 改めて僕へ抱きつく女の子を観察する。

 本来の多数派な金色で真っすぐな髪と碧い瞳。そして僅かに北方系の血が反映した白い肌。

 うん、紛れもなくドゥリトルの血筋だ。

 そして勿体ぶらずとも僕は、この子の名前を知っている。

 我が従妹叔母じゅうしゅくぼたるシャーロット。つまり、いとこ違いであり、ギヨームの娘、ランボの妹だ。

 ……というか僕を「天使ちゃん」などと呼ぶのは彼女だけだったりもする。

 しかし、そのシャーロットが兄しゃま――つまりはランボをイジメるなと訴えてるけど……どうなんだろ?

 サム義兄さんが女の子へ暴力を振るう訳がないし、ダイ義姉さんはもっとあり得ない。

 そもそも僕やエステルと一つ年上なだけで、二人は懐かれていた気もする。

 しかし、現実問題としてシャーロットは誰かに投げ飛ばされていて、いまも鼻血が痛々しい。……領内唯一人の姫君が台無しだ。

 もう消去法で犯人は特定できちゃうし、それでも尚と考えたら切ない気分になりそうだし……とにかく鼻血だけでも拭ってあげようとしたら――

 何の疑いも持たず、顔をこちらへと預けてくるし! 育ちが良いなあ、もう!

 そして――

「ありがと! やっぱり天使ちゃんは優しかった! シャーロットが思っていた通りなの!」

 と満面の笑みを惜しげもなく披露してくれる。

 ……生え替わりの最中か歯が一本抜けているけど、それすらシャーロットの良さを損なっていないと思う。


 そんな風に感動していたら、軽い衝撃と共に逆側へエステルが抱き着いてきた。

 「嗚呼、怖かったんだね」と残る片手で迎え入れたら――

 ……何故だ? どうしてエステルは無言のまま頬を膨らまして?

 さらに背後から手を震わせながら肩へと掴まるのは、もちろんダイ義姉さんなんだけど――

 どうしてか怖がってるだけじゃなく、殺気もはらんでいるような!?

 しかし、それらを気に掛ける暇などなく、次なる爆弾発言が続く。


「でも、天使ちゃんだからって、兄しゃまにいじわるすると結婚したげないのよ!」


 ………………おうふ。

 どういう脈絡なんだ!? そして力を緩めてダイ義姉さんとエステルふたりとも!

 しかし、ティグレは納得の表情で感心してた。それも顔で。

 ……なるほど。大叔父上は、僕とシャーロットを結婚させるプランも検討していたのか。

 僕の廃嫡には拘らず、その立場は娘の婿として保障し、自分か息子が摂政として実権を握る。

 それでシャーロットとの間に子供が産まれれば良し。できなかったらできなかったらで、ランボ自身かその息子を後継とすれば済む。

 『魂が神の国へいった子供』に外部と婚姻関係を結ばさせるのと比べたら、ベストではなくともベターな計画といえる。なにより譜代の有力家系も容認してくれそうだ。

 おそらくシャーロットは父親に言い含められていたのだろう。何れは世継ぎの――僕の嫁と。

 ……それでいて結婚してという体なのは、小さくとも女性な証拠か。


 溜息を隠しつつ、ティグレに頼み込む。

「シャーロットに免じて、その辺で許してあげて。……実は御祖母様にも頼まれているんだ」

「しかし、御曹司……これは我ら騎士ライダーの領分にございます」

 ……ようするに「騎士ライダー以外の発言は認められない」といったところかな?

 もう少し噛み砕くと「いまだ従士サーバントですらない僕の介入は越権行為であり、必ず問題とされる」だろう。

「もちろんだよ。もちろん、ティグレの言いたいことは理解できてる……と思う。だから僕は、お願いしてるんだ。まだ子供だからね」

 それなりにティグレの顔を立てたつもりだけど、なぜか深い感銘を与えたらしかった。

「御曹司は大人――では、問題ありますね。そのー……考え深くあられる! 確かに騎士ライダーたるもの、剣持たぬ者が代弁者であるべき」

 突き詰めると争点は騎士ライダー従士サーバントの――ようするに師弟関係の問題だ。

 なので身分を盾に――君主の息子だからと横車を通したら、むしろティグレは納得してくれなかっただろう。それこそ決闘になろうともだ。

 ……いや、こんな理由では、誰も代理人を引き受けてはくれないか?

 しかし、弱者の嘆願の形であれば、ティグレも『戦士』として耳を傾けない訳にはいかない。

 というか、むしろ逆に義務ですらある。

 なぜならティグレ達騎士ライダーや『戦士』は、「戦えない者の代理人」と大義名分を掲げているからだ。

 ……実情はともかく建前はそうだし、だからこそ中世騎士物語などでも姫君達から無茶ぶりされまくっているし。


 とにかく後はランボ次第だった。

 目を伏せて「自分が心得違いでした」とでも謝罪し、不貞寝でも決めこめばよい話だろう。

 その内、御祖母様が何か考えてくれるだろうし、僕が骨を折ってもいい。

 余計な事さえ言わなきゃ、きっとティグレだって不問と流してくれる。

 ……嗚呼、駄目か。

 ランボの目が据わっている。

 もう自棄っぱちなのだろう。この瞬間の為に全てを賭けてきそうな雰囲気だ。

 でも、公然と歯向かわれたら、もうティグレだって温情は掛けられない。となれば更なる制裁も不可避だ。

 しかし、そんな風に悩んでいたら、さらに話は意外な方向へと転がっていく。


「坊ちゃん! 何を出歩いておられるのですか! お部屋にいるよう、言い付けられていたでしょう!」

 誰かと思えば、領内最年少騎士ライダーのルーだった。

 ……相変わらずに麗しい。

 そして見計らってきたかのようなタイミングで颯爽と登場とか、ズルくない?

 さらに――

「おはようございます、御曹司。そして騎士ライダーティグレ。あー……私の従士サーバントが何か不手際でも?」

 と小首を傾げる。

 ……美形なら何をやっても様になるとか、絶対に不公平だ!

「なっ!? 君がランボ殿の指導役チューターなのか!? 失礼だが御身は証を立てられたばかりであろう?」

「拝命し、やっと三年目の若輩者ですが……色々とありまして……栄えある指導役チューターの務めを」

 ティグレが驚くのは尤もだろう。

 ようするに新人教育だから、一人前となったばかりな者へ任せる仕事じゃない。酸いも甘いも噛み分けたベテランにこそ相応しい役目のはずだ。

 ……となれば押し付けられたのかな?

 ルーの態度からは伝統的な試練監督というより、我がまま貴族の子守りみたいなニュアンスしか受け取れないし。

 それにランボも我こそは次代の君主と従士サーバントらしからぬ態度で、騎士ライダー達から顰蹙を買っていたとか?

 まあ騎士ライダー達も人間な訳で、面白くない仕事は下っ端へ投げたりもあるのだろうけど……さすがに問題あり過ぎだろう。


でありましょう! そして、しばらくは部屋で大人しくしておられるようにとも!」

 この形通り過ぎるほどなルーの叱責に、しかし、ランボは強い衝撃を受けたらしかった。

 もう傍目からも判るぐらいに悄然としている。

 ……うーん?

 ルーが言っているのは、おそらく事の顛末――ギヨームが謀反を試み、いまも逃走中なことだろう。

 そこまで考えて、やっと気が付いた。

 たぶんランボにとっては昨夜、下手したら今朝になって初めて聞かされた話だ。

 朝起きたら――

「非公式ながら父親は反逆罪で指名手配された上、家族を見捨てて逃亡中。自分達は部屋から出ること罷りならぬ」

 といわれ、すぐに信じる方がおかしい。

 しかし、そんな馬鹿なと抜け出してみれば、まさかの事態――なんとを受けるという青天の霹靂だ。


 二人の兄妹にとって世界は変わった。

 よろよろとルーに助け起こされるランボにも、ようやくそれが納得できたらしい。

 ……恨まれたかな?

 僕を見る目には、隠しようもない憎しみの光が宿っている。

 これでも一応、いきなり投獄とかせず配慮している訳だけど……そう思ってはくれなさそうな目付きだ。

「あっ、待って! 置いてかないで!」

 ルーに促され部屋へと戻る兄に、慌ててシャーロットもポテポテと付いていく。暴力を振われようとも、たった一人の兄と頼っているんだろう。

 そして僕を振り返り――

「またね、天使ちゃん!」

 と屈託のない笑顔で手も振ってくれる。

 もしかしたらシャーロットが僕へ笑いかけてくれるのは、これが最後となるかもしれない。

 そんな悲しみを覚えながら、僕も手を振り返した。

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