諍い
気付いたら走り出していた。
怒りで喉が詰まりそうなほどに息苦しい。
ダイ義姉さんを庇うように身構えたサム義兄さんがいる。
同じくエステルを護りながらも、相手へ襲い掛からぬよう抑えられたタールムが。
そして地に付す女の子!
……あの赤い染みは、血か!? でも、誰の!?
全員の視線が集まる先には、十代も半ばほどの少年が立っていた。
見知った顔だ。
ギヨームにそっくりな――もう、ただ若くしただけとしか思えぬ相貌……情の薄そうな目付きまでもが似通っている。
実は覚醒以前に一度しか顔を会わせていない。それでも間違えようもなかった。
我が
その口の端に、まるで張り付けたような嘲笑が見て取れる。明確に見下されていた。間違いようもない。
しかし、なぜか逆上するでもなく、不思議に冷静だった。
ただ素直に拳を握る。
前世では知りもしなかった、正しい理に則った
そのまま憤りを叩き付けんと、走るというより踏み込む動きへ転じていく。
……駄目だ。
驚く義兄さんの表情で判ってしまった。もっと修練に励んでおけば!
僕の拳は届かない。それが確実視される未来で――厳然たる事実だ。
どうしてか時間の流れが遅くなったかのように、あらゆる全てを明確に認識できる。
嘲笑いながら身構えるランボ。
あいつより僕の腕は短い。後出しですら、奴が先に当てられる。
……いつだって弱さは罪だ。
僕は身内に暴力を振るわれても、その犯人である獣を殴ることすらできない!
悔しくて、ただ奥歯を噛みしめる。
なぜか首筋に軽い衝撃があって、その後に奇妙な浮遊感を感じた。
同時に僕の前へ割り込む義兄さんの――義兄さんの旋毛が見下ろせて!?
そして腹を抑えて蹲るというか……倒れ込むランボの姿もだ!?
さらに高く吊り上げられたかと思ったら――
「御曹司! なにをやっておられるのですか!」
同じ高さな目線でティグレに叱られた。
どうやら猫の子よろしく僕は、襟首あたりを引っ掴んで持ち上げられたらしい。
視線が高くなって遠くまで見えるせいで、やっとこドタドタ向かってくるジュゼッペも目に入ったし。
おそらくランボに僕が殴られる寸前、ティグレが引き戻してくれた……のかな?
その隙間とタイミングへ義兄さんも割り込んでくれて?
「いや、なんというか……ほら、ついカーッとなって――」
「なにが『カーッと』ですか! 何のために我らがお仕えしていると!」
「判るよ! やっぱり、まずは話し合いから――………………はい?」
「我らこそドゥリトルが剣! もし誰ぞを御手打ちにと思し召しなら、ただ我らへ命じられれば宜しいのです!」
……えーっ!?
なんだか予想外の理由で怒られたぞ!? いや、でも……ティグレが正しい!?
よくよく考えてみれば、何もかもを自分でやろうとする君主やその後継者は困りものだ。
習慣化したら自ら最前線へどころか、意味のない突撃や特攻すら始めかねない。
やはり群れとしては、相応な心構えというか自重を要求なんだろうけど……こんな場合でも!? いや、だからこそ!?
てっきり僕は、子供へ諭すのに相応しい『暴力は最後の武器だ』的なお説教をされると思っただけに、もう吃驚というほか――
「無礼だぞ! 俺を誰だと思っている!」
蹴られて?怒り狂うランボに阻まれ、僕への御小言は中止された。
しかし、なんというかティグレの逆鱗へ触れてもいる。
辛うじて僕は優しく下ろしてもらえたけど、その表情は不快感を隠しきれてない。
「無礼? いま私が礼を失していると? 礼節を問うのであれば、まず己からであろう、
現役
実のところ従士制度は、ローマで
古ゴートか古ゲルマンに由来し、もはや詳細は不明なものの、おそらくは原始的な徒弟制度と見做せる。
つまり、見込みある有力者の子弟は、戦士階級から
そうやって受け継がれた伝統や武術を学び、一人前となった暁には戦士団の一員として――いま現在のドゥリトルならば
これは世界的な傾向でもあるから、武門はありとあらゆる業種に先駆け、教育制度を重く見ていた証拠か。
……中世になって誕生する徒弟制度とは、この従士制度を模倣と考える者すらいるぐらいだし。
「それに
「俺を閉じ込めたりはできない! 誰にもだ! そんなことは許されない! それに謹慎!? そんな必要はない! 俺の名誉を汚す者には、決闘をしてでも判らせてやる!」
「許されない? 許されないだと!? そして証も立てていない半人前が決闘を求めるか!? 思い上がるな、小僧!」
……拙い。これは大事になるかもしれない。
ランボの奴、拗らせ過ぎだ! そういう系統と噂は聞いていたけど……ここまでとは!?
ようするに中世風厨二病なんだろうけど、酷すぎる! 自我を肥大させすぎだろう!
「なんだ怖いのか、ティグレ? 名高き剣匠の誉はペテンか?」
「……よかろう。誰だろうと好きな者に代理人を頼むがいい」
しかし、ティグレの方が何枚も上手というか、大人というか……意地が悪いというかだ。
中世騎士物語などでは定番といってもよい『決闘』だが、正しく『戦士』という
そもそも『戦士』とは『戦う
決して『戦う技能を持つ者』や『その戦闘能力で糧を得る職業』を意味しない。
さらに『決闘』も『裁判の代わりともなった』などと曲解するから、その本質を曇らせてしまう。
なぜなら『決闘』とは『戦争』の別名だからだ。
揉め事があり、話し合いで解決できず、戦争となり、勝者が我を通した。
しかし、なぜか『戦争』を『決闘』へ言い換えると、突然に奇妙な風習と受け取られ始める。両者の差は、戦闘の規模だけなのにも関わらずだ。
これは過大解釈でも何でもなく、事実として未だに奥地の部族などは、決闘形式で戦争を行う。
つまり、互いの村から戦士を選出し、その勝敗を以て裁定とする。
当然、女子供や戦士ではない男など――非戦闘員を殺すことはタブーとされていたし、恥とも見做された。
おそらくは人類が発明した最も古い戦争様式のうち一つだろう。
そして古代都市国家期など、全世界的に『戦士』だけが代表して戦争をする時代も確認されている。
これらを踏まえると『戦士の戦う権利』を現代人に説明するのであれば、『戦争を起こす権利』に他ならない。
逆にいうと『戦士』以外には権利がない訳で、もう圧倒的な身分差といえる。
なぜなら『戦士』の裁定へ異議を唱えられるのは、同じ『戦士』だけだからだ。
……最終手段――『戦争』が許されていないのだから、結局は
さらに当然だが、勝手に『戦士』となることはできなかった。
強いだけでも、武器を持っているだけでも……場合によっては軍勢を動かせたとしても駄目だ。
その帰属する社会で認められねば、決して『戦士』として扱われることはない。
つまり、従士として先達に指導を受け、戦士のコミュニティから一人前と受け入れられる必要がある。
そして僕やランボは戦士階級の生まれであっても、まだ戦士ではなかった。
……余程のことをしなければ従士として受け入れてもらえるし、ほぼ確実に
しかし、とにかく戦士として認められていない以上、決闘を申し込むことも、逆に受けて立つことも許されていない。
となれば誰にでも認められている、たった一つの方法――懇意にしている『戦士』に決闘の代理人を頼むしかないのだけど……それはそれでランボには屈辱だろう。
なんともなれば、まず自分が半人前の従士であると認めねばならない。
だけど、このランボの拗らせ具合では、形式的に頭を下げることすら難しそうだ。
「これは……進退窮まった?」と悩んでいたら、突然に――
「兄
と抱きつかれた。
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