上流階級であるということ
先頭の方が騒がしくなっていた。隊への激も聞こえる。ウルスの声だ。
でも、緊急事態といった様子ではない……かな?
「いらっしゃったようですね。吾子、この話は私が預かろうと思います」
「しかし、母上! できるのなら僕は、そのダニエル親子を――」
「なりません。よいですか、吾子? 我らの言葉は汗の如く。一度、それを口にしてしまえば戻すこと能わぬのです。また下々の者は、必ずや我らの言葉を約定と受け取るでしょう。そして我らもまた、名に懸けて成就させねばなりません。……それでドゥリトルの全て――付き従う将兵全ての命が喪われようともです」
……もう絶句するしかなかった。
良心に従って行動する。それだけの単純な話が、そこまでの大事に!?
いや、それでも……これは母上が全面的に正しい?
もしスペリティオの領主が頑として突っぱねてきたら? それこそ武力行使すら厭わぬ覚悟で?
自分から介入したくせに、喧嘩となりそうだったら折れる――すごすごと娘を引き渡すようなことはできない。
恥晒しもいいところだ、そんな弱腰は。それなら最初から無関係を通した方がマシだろう。
さらには、拳を振り上げればドゥリトルを黙らさせれる。そんな風評すら囁かれかねない。
つまり、母上が正しかった。
やるならば全力で、限度一杯まで。そうでないのなら、どこまでも妥協か。
「母は決して悪いようにするつもりではありませんよ? あの男の悪癖には、我ら全員が眉を顰めておりました。そろそろ誰かが首輪を掛けても悪くはありません。スザンナへの意趣返しも、まだだったことですし」
記憶に引っかかると思っていたけど、おそらくスザンナとは隣の領主夫人の――母上と喧嘩している人の名前か。
いまさらだけど母上は、この国の有力者なら殆どと顔見知りだ。
もう隣の領主夫妻など、色々な意味で深い付き合いがある……のだと思う。
「ありがとうございます、奥方様! きっとダニエルの奴も――」
「礼など言われる筋合いはありません。もはや話はドゥリトルの問題となったのですから。それに期待しているような結果になるとも限りませんよ?」
すげなく母上はジュゼッペに釘を刺したようにみえて……これ照れてらっしゃるのでは?
そこで隊列を組み直し終えたウルスが僕らの所へやってきた。この話はこれまでとばかりに、母上も話しかける。
「出迎えがいらしたのではなくて?」
「いえ、それが先に我らが支道へ着いてしまったようで。いまティグレの奴を先触れに出しました。待たれますか?」
僕らは正式な使者として訪問しているのだから、それなりに見当をつけて出迎えを派遣する。言われてみると当たり前の礼節かもしれない。
それに総勢百人程度な小集団とはいえ、紛れもなく軍隊だ。同盟関係にあろうと野放しで領内を歩かれたら拙いだろう。
「……妙ですね。行違ったのでしょうか? しかし、先触れを出したのなら構わないでしょう。進むべきかと。のんびりしていたら、日が落ちかねません。 ――よろしいですね、リュカ?」
最後に僕へ呼びかけたのは――それも正式に呼びかけたのは、この一団を率いる名代だからか。
応えて背筋を伸ばす。
「それでよいかと」
母上とウルスの二人も肯き、また進むこととなった。
神経質なほどにウルスは細かく兵士へ指示をだし、その異質感がピクニック気分を霧散させていく。
……どうしたんだろう? かなり本気で喝を入れている。
ウルスのような歴戦の
出迎えが無いから考えられるアクシデントって? ……プチマレ領が滅亡していて、それどころじゃないとか?
馬鹿なことを考えながら支道へと入ると、遠くに村が見えた。
切り拓かれた畑の中心に村があり、その規模は『北の村』と似たようなものだけど……大きな違いは壁で囲まれていることだろうか。
素材こそ先を尖らせた丸太に過ぎなかったけれど、立派に村を守る壁があった。これなら籠城すら可能か。
いや、でも……村? プチマレ領へ行くはずなのに、なぜ村なんだ?
「あ、そうか! 国境! じゃないや……領境だ! ということは……あれは関所の村?」
が、僕の閃きは大人達の微笑を買った。……失礼な!
難しいというか――やや呆れ顔な
「なにを言っとるんですか、若様」
「え? いや、そりゃ……あの村より向こうはプチマレ領で、その出入りを監視している訳でしょ? あの関所で?」
なぜか背後でブーデリカが変な咳き込み方をした! レトは顔を僕から隠すようにしてるし!
「プチマレ領の向こうは、またドゥリトル領ですじゃ」
「ああ、じゃあ……あの村から左手側がプチマレ領?」
「そっち側も――ついでにいうのなら右手側も、その先はドゥリトル領ですじゃ!」
……なんだって?
いまから僕はプチマレ領の村へいくけど、そこから先はどっちへ向かってもドゥリトル領? それはつまり――
「あの小さな村だけがプチマレ領ってこと!?」
飛び地というか……ドゥリトル領内に、ぽつんと他領の村が!?
「そのように言うものではありません。我らと同じく王に仕えし、誉れ高き王の
さすがに苦笑いな母上から窘められた。
僕や父上を
領地が小さな村一つだと、下手したら収入はウルスなどの方が高くなる。それでも王にとっては陪臣であり、家臣ではなかった。
これを身分と考えたら、プチマレ領領主と同格は父上だけだ。ドゥリトルに一人しかいない。
「……お教え致しましたぞ?」
もう老齢だというのに
でもね、たぶん僕がサボった日に予定だったカリキュラムか、それとも巧妙に脱線させた時だと思うよ。
一緒に授業を受けてるはずのサム義兄さんも首を捻っているし。
「しかし、関とは……御曹司の神算鬼謀には、唸る他ありませぬ」
とウルスに至っては、妙ちくりんなこと言い出す始末だ。
「そうですかの? 別段、プチマレは輸出に熱心という訳でも――」
「いえ、セバスト殿! 実は最近、領内で帝国による破壊工作が! あろうことか彼奴らめは、塩に毒物を混ぜておるのです! ここは関で厳しく検め、疑わしき塩は全て没収というのは……如何ですかな?」
……うわぁ。なんて人の悪そうな笑顔なんだ。
陸の孤島たるプチマレ領で塩の流通を止められたら、さぞかし困ることだろう。
でも、なんで? プチマレ家に含みでもあるの!?
「そうですな……いずれは王に嘆願されるでしょう。王も領内での混乱――とくに塩の売り上げ減少は嫌がるかと」
「ですが、この地と王都は、いささか距離が。使者の往復にも時間は掛かりますし……無事、使者が王都へ辿り着けるかどうかも
あっ! これ僕、知ってる! ようするに経済制裁だ! 貧窮させて相手から戦争を起こさせるやつ!
「おそらく先に、その破壊工作の証拠が必要かと。でなければ王前での申し開きに困るでしょうな」
「なに、そんなものはドル教の僧侶にでも金を掴ませるか……一神教の坊主を目撃者に、でっち上げるかすれば。奴らは拷問されても真実しか口にしないとの評判ですぞ。まあ彼奴等が真実と思うことを、ですがの」
だ、駄目だ、この老人達! 早く何とかしないと! ほっといたらプチマレ領との紛争を引き起こしそうだ!
また嫌味ったらしいにも程があるだろう!
僕は少し修練をサボったり、ちょっと授業を脱線させたりしただけなのに!
なのに日頃の態度へ報復する好機とばかり、当て擦りめいた悪巧みの相談を始めるなんて!
さすがに酷いと母上へ助けを求めると、しかし――
「そのように雑な方法が罷り通るはずもありません。第一、我が背と吾子は誓いに縛られております。もし盟約を踏み躙ったともなれば、我らと共に剣をとる者はいなくなってしまうでしょう」
と想定外の方向に駄目出しをされる。
……あれ? そうじゃないと思いますよ、母上?
いや、よくよく考えると領内に別の支配者がいる現状は望ましくない。それが目の前のプチマレ領程度――村一つの規模でもだ。
そして彼らが王の
同じ王国に所属といっても、それは同じ会社に勤める同僚のような間柄ではないからだ。どちらかといえば同じ親会社に出入りする同業他社程度か?
しかし、母上の仰るように盟約も交わしていて――いわば同業者組合に加盟していて、直接的な干渉は芳しくない。もし陰謀が露見したら、それなりの窮地へ追い込まれる。
でも、なにこれ? こういうのを『上流階級ジョーク』とでも呼ぶとか!?
「そうではないと思います、母上! それにやるなら塩の包囲と呼応し、内部で反体制勢力を樹立させるべきでしょ」
「……ほほう。興味深いですな、若様。して、その心は?」
「簡単な理屈なんだ、ウルス。困った人は誰にでも助けを求めるようになる。当の相手である僕らにも、ね。そうだな、この場合は……その反体制勢力にだけ塩を供給とか?」
「ふむ。さすれば労なく、その者たちの権勢は強まるでしょうな。しかし、その意義が解り兼ねまする」
「あとは処理させさせるだけさ、爺や。
そこで軽い感嘆の声が上がり、やっと失策に気が付く。
嗚呼、またやっちゃいました!
こんなのは『敵の敵は味方』の応用に過ぎず『敵の敵を作れば味方』でしかない。
現代人なら当たり前に閃けるどころか、古代から同じロジックの策略は使い古されてきた。
しかし、時代平均的な謀略
……兵士達ですら「よく解らなかったけど、さすが若様だ!」と喜んじゃってるし!
そして母上も――
「悪くはないのですが、しかし……母は、最期が気に入りませんね」
と唸ってしまっている!
謀略の終了段階をお察しになられたあたり、やはり隅へ置いておける方ではなく……さらには母上の教えとも一致していなかった。
これは架空の策略としても駄目だ。
なぜなら僕は「たった一日であろうと指揮下へ置いたのであれば、粗略に扱ってはいけない」と諭されている。
それはドゥリトル家にとって誇りの源泉であり、揺るぎない忠誠心を集約するバックボーンだ。曲げられる筋ではない。
……まあ指揮下へ置かなきゃよいともいえるけど。
「僕とて当て擦りにやられっぱなしではないぞ」と珍しく反骨精神を発揮するんじゃなかった。大失敗だ。
なんだか早くも出端を挫かれた思いになりつつ、僕はプチマレ領へと入った。
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