母上たち

 その夜から僕らは『北の村』の領主の館へ逗留することとなった。

 しかし、領主の館などといっても飾り気のない簡素な建物――木造二階建て、それも一階部分は床のない土間――だったりする。

 本館以外には小さな厩舎や倉庫があるっきりだし、特に塀などで囲まれていたりもしない。

 これは村自体もだから……有事の際には、この領主の館へ立て籠もる想定かもしれない。

 鄙びた村で、いかにもそんな風に使われそうな村一番に大きな建物。これで少しは規模が判って貰えただろうか?

 そして二階の一番に奥が僕ら――僕や母上、レト一家、護衛のブーデリカの割り当てだ。

 生活感のない広めの部屋には大きなベッドが一つ、他には就寝前の寝酒を嗜なまれてる母上やレト、ブーデリカが囲む小さなテーブルだけがある。

 子供組――サム義兄さん、ダイ義姉さん、僕、エステルは既にベッドだ。灯も配慮されていて、こちらへまでは届いていない。

 身体にも悪いし、本当なら僕も寝ていなきゃならないのだけど、いつものように寝付けないでいた。

 実のところ年齢に相応しく、できれば夕方の六時、遅くとも夜の九時には寝ているべきだったりする。

 児童の場合、理想の睡眠時間は十時間強だ……ったと思うし。

 え? さすがに六時は早い?

 だが、この時代は誰も彼もが日の出と共に起きるのが通例だ。現代社会より二時間は時計が早くなっている。

 朝五時に起きようと考え、成長のために十時間以上の睡眠を確保するつもりなら、夜七時には寝ていなければならない。

 睡眠時間を削るほど忙しい大人ですら、夜の十一時ごろにには就寝している。それが古代や中世とよばれる時代の常識だ。

 しかし、僕の場合はいくつか寝付きにくい理由があった。

 予め断っておくけれど、さすがに体力はある。

 実は長時間睡眠そのものが体力の必要な行動で、高齢者の睡眠が短くなるのは、体力低下が原因だ。

 中高生の頃は呆れるほど長時間寝られたというのも、それは体力に富むのも大きい。

 そして寝るのが仕事な子供の身体なら、何時間だろうと寝ていられる。体力に問題はない。

 けれど、別の意味で力を使い果たせてなかった。

 今日は慣れない長時間の乗馬で疲れたし、正直、身体の節々が痛いくらいだけど……それでも活力は使いきれていない。

 子供というのは無限の耐久力とガッツでもって、遊んでいる最中に寝落ちしてしまうほど限界まで動き回るものだ……ったと思う。

 それが僕にはできない。

 実際、サム義兄さんやダイ義姉さんは寝る寸前までソワソワと落ち着かない様子だったし、それでレト義母さんに叱られてもいた。

 エステルが質問攻めだったのも、姉や兄のように冒険をしたくもあり、ちょっと怖かったりもで、僕の傍安全地帯から離れなかっただけだろう。

 そして緊張と興奮と期待から三人は、自らのハイテンションに中って疲労困憊してしまい……いまでは熟睡している。

 実に年相応な感じだろう。健康で健全だ。

 でも、きょうだい達に比べて余力を残してしまった僕は、そう簡単には寝付けなかった。

 こんな精神こころと身体のが、地味に僕を悩まし続ける。いつかは気にもならなくなるように日が来るのだろうか?

 まあ、眠れなくて困っているといっても、目を閉じてベッドで横になっていれば叱られるようなことはない。

 ただ自然と意識は、母上たちの会話へ惹き込まれていく。



「久しぶりにアンヌの吃驚した顔を見て、あやうく大声で笑いだすところだったよ」

「あの人は全く変わらないようですね! ……ガサツなところも!」

 珍しく母上は憤慨されているけれど、どうしてだろう?

 アンヌとは代官の奥さんで、おそらく女衆のまとめ役だ。

 声の大きい小太りな小母さんで、口煩くも有能そうな印象を受けた。

 実際、いま僕らが寝ているベッドだってシーツは糊の良く効いた清潔なものだ。……シーツの下が藁というのは初体験だけど。

 夕食にどうぞと提供されたスープやパンだって、庶民なりに手間と工夫を凝らしたもの……だったと思う。

「いや、あの『抜けてるアンヌ』だよ? まあ失言ではあったけど、そこに裏のある人じゃないでしょ」

「それは私にだってっ! でも、『このような日が来るとは思いもよりませんでした!』って……じゃあ、! 『お嬢様』と呼ぶ癖も、いまだに直らないですし! 私が結婚したのは、もう何年も前ですよ!?」


 それで母上がお怒りになられてる理由が判ってしまった。

 いまと異なる未来予想図が、きっと様々な人々に思い描かれていたのだろう。

 なぜなら僕は長らく『魂が神の国へいった子供』で、それを理由に廃嫡も確実視されていた。……ドル教の神官など、殺害までもを仄めかしていたぐらいだ。

 そして嫡男の座から退けられば、ドゥリトル領からの援助は望めなくなる。

 僕自身が所有する『北の村』へ引き籠ることになるだろう。おそらくは母上も一緒に。

 母上と二人、この小さな村で細々と隠遁するのだ。……物言わぬ僕が死ぬまで。

 それが僕にも、母上にも……この『北の村』の人々にもあり得る未来だった。

 だが、僕が覚醒したことによって、それらすべての可能性は否定される。

 村人たちにとって今回の訪問は、輝かしい将来を予感させるものだったらしい。

 そんなこんなの色々もあってアンヌ小母さんは、ポロっと失言してしまったのだろう。

 「元気な若様に拝謁が叶う日が来るとは思いもよりませんでした(意訳)」と。

 言外の意味をも汲み取るのが上流階級の嗜みだろうし、生粋の貴族である母上が読み間違える訳がない。怒るなという方が無理まである。


 さらに習慣の名残で『お嬢様』と呼ぶということは、母上が独身の頃に二人は知り合っている……のかな?

 いや、それしかありえそうにない。そして恐ろしい事実にも気づいてしまった。

 城へ行儀見習いへ来る娘さんたちは、ほとんどが領内の出身だ。

 しかし、内訳は女官から女中に下女と、かなり幅広い。

 そして既に説明した通り、年頃ともなれば相応しい家へ嫁いでいく。

 これを細々と読み替えていくと、意外な真実が浮かび上がってくる。

 母上は嫁いでくるまで実家――若い頃は王都に滞在というから、その頃は王都の別館?――で、未来の女主人候補生として行儀見習いの女性たちを差配していたという。

 物心ついてからずっとで、ざっと十年くらい。さらに結婚してからは領都で数年だ。

 つまり、十数年分の行儀見習いに上がってきた娘さん達と顔見知りで、その彼女達も何処かへ嫁いで王国内に散らばっている。例えば「元ドゥリトル城女中、『北の村』在住のアンヌ」などとして。

 そして女性の常と思うのだけれど、たぶんネットワークは腐らせないで生かし続けているだろう。

 技術レベル的に果てしない伝言ゲームとなるも……例え王国の東端に居ようと、遠く離れた西端の情報すら入手可能かもしれない。

 これを背景とした女性の知恵は、古代の男達には魔法も同然に映ったんじゃないだろうか?

 いま現代ですら、女性が知り合いの知り合いから入手した情報に驚かさせられることは多いし。

 魔女として畏れたのも納得だ。個人や地域レベル止まりな男では太刀打ちできそうにない。

 前世だとキリスト教の愚民政策と女性弾圧で跡形も無くなってるけれど、この世界と時代では保全されている訳か。

 ……これは覚えておいた方が良いかもしれない。


 などと独り言ちてたら、突然、ブーデリカが激しく咳き込んだ。

「こ、この御酒は……その……炎のように熱うございますね!」

 ……うん? なんか変なこと言ってるぞ?

「夏頃まで寝かすと、リュカは申しておりましたから……それで、かもしれません」

「甘くて美味しいんだけど……野苺の酸っぱさが強いし、喉が焼ける感じも。寝かしておくと炎が冷めるのかな? 若様は何て?」

「知っているはずがないではありませんか。聞いておりませんのに」

 あっけらかんとした母上の言葉に、室内は静まり返った。

 目を閉じていても、レトとブーデリカが珍妙な顔しているのが判る。判ってしまった!

「帰ったら試飲などとリュカが焦らすものですから、少しだけ汲み分けてつまみ食い――いえ、つまみしているのです!」

 楽しくて堪らないといった母上に、寸でのところでツッコミを思い止まれた。

 ……寝ているはずの児童が起きては拙い。


 どうにも母上達は、出立間際に仕込んだ果実酒を内緒で試しているらしかった。

 水飴で作った酒――一番近いのは大麦焼酎だろう――に、糖分として龍髭糖を大量投入。

 そこへ適当な果物を――今回は春先でも入手可能な野苺を漬けただけだ。

 一応の無難な比率は「強めの酒が二に対して、糖分と果物がそれぞれ一」だけど、化学というより料理の範疇なので幅は広い。素人が適当でも上手くいく。

 実のところウイスキーを作るより遥かに簡単だ。

 妥協レベルで醸造するのすら結構な知識と技術が要るし、きちんとした品質とするには時間も器具も足りない。

 現在の密造焼酎レベルなら、素直に果実酒の方が確実だ。果物の味と糖分の甘さで、かなりの誤魔化しも利く。


「それに味など問題ではありません! いえ、リュカの申したように夏まで寝かせれば、野苺の爽やかな酸味に濃厚な甘みという……まさに神の国の美酒ともなりましょう! しかし、それすら些事なのです。嗚呼、なんと私は幸せなことか! この御酒は、吾子が私の為に造ったものなのです!」

 歌い上げるような母上の言葉は、僕の中の小さな不平を吹き飛ばした。

 ……うん。我ながら親不孝は否めない。

 数えきれないほどの切ない思いをされたに違いなかった。それを考えれば、つまみ飲みなんて些細なことだろう。

「さすがは若様。初めての贈り物でもがない。サムの時は、悲鳴を上げないので精一杯だったよ! あの子ったら『宝物を母さんにあげる』て……満面の笑顔でバッタを!」

「それでも良いではありませんか! いまも大切な宝物として仕舞い込まれているのですから!」

 母上の揶揄に、レトは黙る。なんだかんだいって嬉しかったのだろう。

 でも、バッタ!? サム義兄さん!?

 失礼にならぬようにと声を押し殺しすブーデリカが、かえって笑いを誘ってくる!

「女の子だとね、お花とか理解しやすいんだけど……どうして男の子は、虫とかトカゲが好きなんだか」

 呆れた感じなレトの追撃が加速する! た、助けて! 寝たふりしてるの厳しくなってきた!

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