冒険への誘い

 翌朝、僕と母上は部屋で代官のトマから報告を受けていた。

 開拓計画の推進、今年に植える作物の決定、村人の揉め事を裁定など……意外と領主の仕事は多い。僕のように業務の大半を代官任せでもだ。

 もう御飾り役を果たせているかすら怪しい。

 ほとんど母上のアドバイスに沿う形となったし、その母上も慣例に従うか、遠慮がちなトマの提案を受け入れている。

 結局、平和な村に領主の指図なんかいらないのだろう。

 皆も自分のやるべきことは心得ているし、そうでなければ平凡に生きることすら厳しい。

 本日の実績らしき事など、今年の税金免除に大賛成ぐらいだ。

 いくら領主様御一行だからって、村の人口と大して変わらない人数で来られたら負担が大き過ぎる。

 税金免除する第一の理由は、その補填としてだろう。でも、それが全てでもなさそうだ。

 これまで何かと苦労を掛けただろう領民たちへの労いというか、非公式ながら僕の初訪問を記念してというか……そんな恩赦めいた側面もあるようだった。


 ちなみにこれで奇特な良心的施政とはいえない。珍しくはあっても、割と普通のことだ。

 実際、凶作や戦争被害などを理由とした税金の免除は頻繁に施行されていて、もう枚挙に暇のないほどだったりする。

 なぜなら杓子定規な徴税をしてしまうと、容易く死人が出るからだ。

 そういう時代だし、そうならざるを得ない技術力しかなく、弱った共同体ごと滅ぶことすら珍しくない。

 結果、苛政のツケは統治者自身が払うことになる。……場合によっては、その命で。

 古い時代の施政者にとって臣民は自らの手足も同然であり、結局のところ酷使したら困るのは自分自身だ。

 やたらと税金ばかり搾り取る悪辣な君主像というのは、後世の過剰な創作と言わざるを得ない。

 どちらかというと共存関係に近く、どっちもどっちな側面も大きかった。

 ……古い時代の農民たちが――庶民が狡くはなかったとは、誰にも保証できなかったりもするし。


 そして体験してみたら思い知ったのだけれど、意外に御飾りのイエスマンも楽ではなかった。

 まず悟られては駄目だ。

 他人が自分の仕事を処理していてくれてるのに、あからさまに無関心だったらバレてしまう。

 判らないなりに興味を持たなければ――少なくとも真剣さが伝わるよう努力が必要だ。

 が、眠い!

 あの後もすぐには寝付けなかったし、それでも努力して眠ってはみたものの、慣れないベッドで熟睡には程遠く……もう欠伸を噛み殺すので精一杯だ。

 それでも必死に眠気と戦っていると、ふいに部屋の扉がそーっと細く開けられ……こちらを覗き込む誰かと目が合った。


 ………………サム義兄さんだ。


 僕が気付いたことに気付いたのか、その細い隙間からでも笑顔となったのが判る。義兄ちゃん、なにやってんの!?

 が、当然に視線での問いかけへ答えなどなく、いいから来いよとばかりに手招きの追加だ。

 抜け出てこい、ってこと? でも、いま僕は公務中なんだよ!?

 とりあえず義兄さんのことは放置し、横目で母上達の様子を窺う。


 …………うん、駄目だ。バレてる!


 扉を背にした代官のトマはともかく、義母かーちゃんは額を手に「このバカ息子!」な感じに呆れ顔だ。

 護衛のブーデリカだって「笑ってはならぬ! いまは任務中!」と顔に書いてあるし。

 母上も「あらあら、お迎えのようですよ? どうするつもりですか、吾子?」とばかりに微笑まれていた。


 ………………後でレトのお説教は覚悟かな。


「あっ! そうだ! えっと……と、トイレ! トイレに行きたかったのを忘れてた!」

 しかし、この完璧でさりげない偽装工作に、なぜか代官のトマはポカンとした顔だ。

 が、それは短い逡巡に過ぎず、どうしてかニマニマした表情へと変わる。

「ああ、これは気が利きませなんだ! えっー……休憩! しばし休憩といたしましょう! その……是が非にでも若様から御裁決を頂きたかった問題は、ほとんど解決しておりますし。 ――あっ! 全く関係ないことですが、西側の森は水捌けが悪うございます。あちらは避けた方がよろしいかと」

 なぜ西側の森について!? まるで出来の悪いロールプレイングゲームみたいじゃないか! 僕がそこまで用足しに行くとでも!?

 けれど、なぜか我が母上&乳母上は妥当な忠告と受け取ったようだった。

「お聞きになられましたか、若様! 西の森は――いえ、森へお入りになられたら駄目ですからね!」

「夕餉までには戻るのですよ、吾子」

 仕方がないので二人へ、もごもごと答えておく。

 とんだ貧乏くじだ。きっと顔が赤くなっているに違いない。この埋め合せは、必ずして貰わないと!

 軽く口笛を吹くと、昨日はベッドへ入れて貰えず不貞腐れていたターレムがのっそりと起き上がる。

 「まだ怒ってんだからな、まだ許してないからな。でも散歩か? リュカにしては気が利いてるな」とばかりに肩で軽い体当たりを繰り返す。

 ……どうして僕のきょうだい達は、手間がかかるんだ?



「遅いじゃない! いつまで時間かかってんのよ!」

 長めとなる予定のトイレ休憩へ入ると、開口一番、ダイ義姉さんに叱られた。凄く理不尽だ。

 しかし、僕に口答えをする権利はなかったりする。

 さすがに酷いと思って文句を言い返したら――

「リュカが喧嘩しようとしていて酷い! 私は絶対にリュカとは喧嘩したくないのに!」

 とガン泣きされたことがあるからだ。

 もう本当に悲しかったのだろう。あれは絶対に嘘泣きではない。

 義姉上の理屈だと「自分が何を言おうとリュカが許せば喧嘩とならず、いつまでも仲良し姉弟でいられる」らしかった。

 広く諸兄に問おう! 斯様にも姉なるは、理不尽なるものなのか!

 が、そんな不平はにもみせず、無意識に僕の髪を整える義姉上へ、とりあえずな返事らしきものを口にしておく。

 ……言われてみると僕だって、本気で喧嘩したい訳じゃない。


 そんな定番となりつつある掛け合いの中、エステルが当然の権利とばかりに僕とタールムの間を占める。

「すっごかったの! ウルスしゃまが『るぞー!』ってお叫びになったら、ばきばきばきーって!」

 なにか面白い見物でもあったらしく、エステルが僕へ抱き着きながら報告してくれた。

 「どういうこと? 何だから判らないけど、それを見に行こうって話?」と目でサム義兄さんへ問い掛けたのは、ちょうど領主館の外へ出たところだった。

「あっちの森の境界へ、皆が集まってるだろ? ウルス様が、フォコン様やティグレ様、それに暇な兵士を率いて、村の開拓を手伝ってらっしゃるんだ」

 いわれてみれば伐り倒された樹々の中に、とりわけ大きな樹が遠目でも確認できた。

 なんと推定樹齢数百年、幹の円周数メートルといった大物だ。

 しかし、これが原生林では小物もよいところだったりする。もう『四天王の中でも最弱』すら届かない。よくて士官程度か。

 それが本物の原生林だ。伊達に人類と無関係に何万年も生い茂ってはいない。

 だが、この士官クラスですら取り除こうと思ったら大仕事だったりする。

 僕ら一行から少なくとも五十名。村からも手隙の者が同数として、合計で百名。さらに荷馬数頭を動員し……おそらく午前中一杯は掛かっている。伐り倒すだけで。

 だが、伐り倒すだけでは終わらない。畑とするには、根も掘り起こして処分せねばならなかった。

 人手を駆り集めたのだって、これからが本番で――百人がかりで掘り起こすのだろう、樹齢数百年級な大樹の根を。

 もう村人にしてみれば万々歳で、望外の天恵にも近い。

 百人がかりで一日仕事ということは、一人でやったら半年かかる。五人でも一月だ。……それも一本の大木を取り除くだけで。

 昔は人海戦術しかなかったというけれど、それすら支配者階級の専売特許だ。基本、庶民には儘ならない。

 今回のようなレアな出来事の最中で、さらには指揮官が気まぐれでも起こさなければ、このような結果は発生しなかった。

 まあウルスは生徒や兵士を遊ばせておくのが嫌いな性格だし、これで宿泊費用に代えるつもりもあるだろう。

 もしかしたら原始的な身分の高い者の義務ノーブレス・オブ・リージュだったりも?

 僕も領主として、今晩は皆に普段より多くエールを振舞うように命じたり……するべきかな?

 あとで母上に相談してみよう。

 ともあれ事情は呑み込めつつあったけれど、しかし、午後にきょうだい四人と一匹で土木作業の見物をしようと?

 そんな疑問を込めて義兄さんを窺うと――

「違う、違う。いや、もしリュカが穴掘りを見物したいとか、自分も参加するべきと思うのなら、俺も付き合うよ? でも、それより……いまから村の人が蜂蜜の採取をするっていうんだ! そっちの方が面白いと思わないか? 蜂蜜の採取だよ! どうやって採るんだろう? 俺でもできるかな!?」

 と予想外の内容で返された。

 なるほど。それは大いに知的好奇心が擽られる! さすがはサム義兄さん!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る