河と下町

「河が見えてきた!」

 思わず口に出た言葉で、やっと無限に続きそうなブーデリカの御小言――要約すれば「君主たるもの女色に溺れてはなりません」なんだけど、僕には理想の旦那様像を語っているようにしか思えない――が中断された。

 同じく際限なく膨らみ続けそうだったダイアナ義姉さんとエステルからのプレッシャーも、雲散霧消していく。

 二人も僕と同じようにドゥリトル河の偉容に見入ってしまったからだ。

 結局のところ僕達きょうだい四人は、完全無欠に箱入りという他ない。これまでは全てが城内で完結していたのだから。……いや、正確には四人と一匹か。

 それに毎日城壁から眺めていたといっても、やはり川沿いからの風景とは感想も異なる。

 この問答無用なスケールを目前とすれば、さすがに絶句させられたし……文字通りに開いた口も塞がらない。

 遠目に小舟と思っていた何艘か浮かぶ船だって、実は結構な規模だったと分かるし……城壁の近くと違ってアレなことも判らさせられた。

 つまり、僕ですら『河屋』を作ろうと思うくらいだから、他の誰かだって似たようなことは思いつく。

 もう少しつっこんだ表現をするのなら……心は現代日本人の僕にすれば、ここで泳ぐのは覚悟がいる。

 実のところパリのように世界的な都市ですら、河川問題が解決するのは近世――ナポレオンの時代となってからだ。

 それまでは下水と上水がごっちゃとなっていて……母なるドゥリトル河のもたらすものは、決して水の恵みだけではない。

 まあ領内の皆は、特に気にしないで利用しているようだけど。


 ナポレオンを見習って、気が狂ったように井戸を掘るべきなんだろうなぁ。

 確か井戸というのは、理論的にはどこだろうと掘れたはずだし、技術的にも問題ないはずだ。この世界でも現物は城にある訳だし。

 ……ただ労働力が――つまりはお金が必要なだけか。

 それに散見できる釣り人達は、何を狙っているんだろう?

 この地の人々が積極的に食べているのは鮭や鱒、鰻など――ようするに遡河魚が中心だ。つまりはシーズンがある。

 年中無休に狙えるのは川魚となるが、それほど熱心に活用されていない。

 これは川魚が不味いからというより、危険だからだろう。淡水魚は寄生虫が多過ぎて、安全確認されてない種は口にしない方が無難だ。

 ……ドゥリトル河のように利用をされている河では特に。ましてや軽い食あたりで死亡もあり得る時代は尚更だ。

 それでも地元の知恵として、美味しい魚や調理法が伝わっている? まだ定住生活を――放浪生活狩猟民族を止めて千年も経っていないのに?

 でも、そんな料理を知らないうちに食していた可能性も――


「カサエーめの橋ですじゃ、若様」

 河を眺めつつ色々考えていた僕を、いつのまにか馬を寄せてきていたセバスト爺やが引き戻す。

 どうしてか苦々しい顔で指し示す方向を見やると、確かに橋は見えて――

 あまりの驚きに大声をだしかけた!

 なぜなら想定外なことに石造りの橋だ! それもギリシアとかローマとか国名の連想される立派な!

 ずっとテレビの時代劇で目にするような――川底へ打ち込んだ丸太へ板を渡したような代物を想像していたのに……まさか、ここまで本格的だったとは!

 いや、むしろ予想できなかった僕は抜けている?

 帝国の指導者カサエーが、この地へ遠征した時に建設した橋。それがドゥリトル橋だ。

 それを利用し、また守るべく設営された帝国の駐屯基地がドゥリトル城の前身だったりする。

 なぜか部分的に城は石造りで、城壁も立派だけど……もしかして止む得ず木造とした部分が、僕らで増築した部分だったり? 僕の想像は間違っていて……逆に石造りの部分が帝国製で?

 絶賛戦争中な現実敵国なのに、この地の人々は帝国に敬意というか……畏れとでもいうべきものを抱いているとは思ったけれど、さもありなんだ。

 数百メートルもの橋が、三百年以上もの歳月に耐えて現存している。それも否定のしようもなく目の前に!

 これほど彼我の差を痛感させる事実も多くはないだろう。

 さらにダメ押しとなるのが、自分達では建造できないことか。

 いや、もちろん国家プロジェクトならぬドゥリトル領プロジェクトとして着手すれば可能とは思う。

 しかし、その場合でも、おそらく帝国から技術者を招致がスタート地点となる。……完全にゼロからの出発だ。

 完成までに十年はかかるだろうか?

 そして実現させられれば、末永く名君として名も残る。……もしくは放蕩の馬鹿君主として。

 だが、カサエーは――帝国は違う。

 遠征先で必要に思ったという理由だけで、数百年もの歳月を耐え抜く立派な橋を架けてしまうのだ。

 それもほんの四、五年で!

 帝国の国力そして技術力は侮りがたい……どころか、この地の人々には理解不能にも近かっただろう。

 また似たような旧軍事拠点は数多くあり、うち一つは現在の王都だ。少なくともセバスト爺やは、僕にそう教えてくれた。


 もしかして帝国って……喧嘩相手として、甚だしく不適切なんじゃ?

 本当に帝国が前世におけるローマ帝国だとして、この地がフランスだとしたら……絶対に相手は領土的野心を思い止まらない。

 かの帝国は、拡大することが国家の成立要因にも等しいからだ。

 そして当然だけど僕らも負けられない。

 この時代に敗戦国となれば、莫大な賠償金を背負わされて借金漬け程度で済まされなかった。民族単位で滅ぼされる。僕ら全員が奴隷へ落とされてしまう。

 さすがに、それは駄目だ! どんな理由であろうと、容認しかねる!

 だが、ローマ帝国と全面戦争? あの強大な覇権国家と!?

 ……違う! まだ、絶望する必要なんてない!

 帝国と呼ばれていてもローマ帝国ではない可能性もある! その確認が先だろう!

 それに残念ながらローマ帝国だったとしても、この地がフランスではない可能性も残っている。

 この地がスペインかドイツ、ロシア……大穴のイギリスなどであれば、矢面に立つべきはフランス――ガリア地方だ。

 是非とも対ローマ戦争を頑張ってもらうべきだし……積極的に幻のガリア王国成立を手助けしたっていい。

 さらには合従軍を――フランス、ドイツ、スペイン、ロシア、イギリスの大連合軍を興す方法論だってある。

 ……史実の合従軍成功例に思い当たらないのがネックだけど。あるのかな?

 それに焦ることもない。

 カエサルですらガリア地方征服に九年もかかっている。戦国覇者信長にいたっては、桶狭間から本能寺まで二十年だ。

 この時代の戦争とは長期にわたるのが常な上、彼らですら成功例でしかない。

 後世の歴史書に「この両国は長年に渡って領土紛争をしていた」などと一行記されるだけなのに、それは数百年に渡る話なんてのもだ。

 おそらく僕が存命中に国境が書き換えられるようなことはないだろう。下手したら自身では戦争へ行かない可能性すらある。

 ちょっと雰囲気に――石造りの立派な橋を、小規模でも煌びやかな軍勢を率いて渡るというムードに流されていた。

 ……馬鹿なことを考えてないで、本日の任務へ集中しよう。



 軽く頭を振って気分を切り替え、再び営業スマイル?を顔へ張り付ける。

 やはり橋を渡った先では皆が――下町の人々が出迎えてくれていたからだ。

 こちらでも同じように好意を示してくれている。どうやら我がドゥリトル家の治世は、まずまずらしい。

 でも、城下町と比べたら反応は無邪気というか、やや荒っぽい……かな?

 子供達は集団となって騎士ライダーと並走しながら大騒ぎだし、悪戯小僧にターレムは尻尾を引っ張られかけたりと――つまりはだ。

 それに言うまでもないが服装はもちろん、街並みも城下と比べたら数段落ちるし……間違いようのない貧しさも伝わってくる。

 望んで下町に住んでる訳じゃないだろうし、その生活が苦しいのも当然か。


 この時代の基本防衛方針は籠城だ。

 といっても兵糧などの問題で、ドゥリトル城では五千人の収容すら厳しい。

 収容から漏れた者達は、有事に際して家を捨てて逃げ出す他なく……下町の人々とっては絶望的といえた。

 また将来的に城下町の城砦化が進んでも、カサエーの橋より先は防衛区画とはならない。

 当然に守るのは城下町だけとなるし、下町の防衛は全く考慮されない。敵勢力に利用されないよう、自ら焼き払うまであるくらいだ。

 なので少しでも余力のある住民は城下町へ移りたがるし、その前提で下町の人々も人生を設計する。……甘い立身出世を夢見て。

 結果として希望と諦めが綯交ぜとなった、その場しのぎな家々が下町には立ち並ぶ。なんとも不思議な雰囲気だ。


 そして遂にというか、必然的にというか、僕らは足を止めざるを得なくなった。

 ちょっとした広場――なにか寺院らしきものがあったので、その関連と思われる。どの宗教に縁な建物だろう?――で、期待する下町の人々に囲まれてしまったからだ。

 もちろん母上やセバスト爺やは判ったもので、予め用意していた施しを配らせ始める。

 現代社会における『富の再分配』に相当する……のかな?

 実のところ太古の昔から施しという形で、なにかと『富の再分配』は行われている。

 もはや常識というか――国や時代によっては、義務化しているほどだ。原始的な社会福祉と考えてもいい。

 実際、施しを配る兵士達へ群がるのは痩せ細った子供や老人が中心で、なるほど助けが必要そうだと一目で判る。

 そして感心なことに、早急の助けを必要としない者達は遠慮しているらしかった!

 いや、よくよく考えてみれば当たり前か?

 せいぜいが五千人もいないようなコミュニティで非道なことをすれば、その風評は一生ついてまわる。古代や中世で名誉を尊ぶ文化は、必然ともいえるのだろう。

 

 でも、何か別の方法を考えた方がよい気もした。

 これだって無駄ではないだろうが、効率が良いとも思えない。本当に必要な人に、必要なだけ行き渡っているかは疑わしかった。

 例えば先ほどから気になって仕方がないのだけれど、目をつむったまま杖を突いてる少年など、何度もパンや貨幣を受け取ろうとしているのに、それが果たせない。

 見ていてハラハラするし、心配で仕方がないのだけれど……口を挟んで良いものなのか疑問だ。

 下手に発言しちゃって、公的な叱責と受け取られたりやしないだろうか?

 しかし、やっと少年に気づいた兵士が、大きなパンと幾ばくかの貨幣を握らせた。少年も満面の笑顔となる。やれやれだ。

 こんな風に色々と配るのであれば、僕も水飴か龍髭糖で御菓子でも作っておくのだった。チョコレート的なものなら簡単だし。

 ……あれは油と炭水化物と糖分で錬成されているから、比率を合わせるだけで近いものができる。少なくともカロリー的には。

 うん、帰ってきたら『炭水化物バー』に着手しよう!

 などと結論付けたところで、面白そうに僕の顔を覗き込むブーデリカと目が合った。……ニマニマした表情してる!

 もう完全に手遅れな咳払いで取り繕いつつ、今後の課題にポーカーフェイスの練習を付け加えておく。

 ……くそー…………油断してた!

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