虚栄と失敗
「ジュゼッペ! ちょっと、きて!」
思わず大声を出してしまったし、我ながら悲鳴のようでもあったと思う。
その証明でもないけれど、目の前で跪くブーデリカは吃驚してしまっているし。
……順を追って話さないと、ちょっと伝わらない気がしてきた。
これだと僕は目の前のお姉さんを怖がって、臣下のおっさんに助けを求める変態幼児だ! この春からは児童となるのに!
まず目の前で跪く女性――ブーデリカは、なんと女性
この世界的にどこまで珍しいか判らないけれど、少なくとも我が家には一人しか在籍していない。
これは、まだ古代なのかと疑う論拠だったりもする。
封建社会――武家社会の全盛期ともなれば、女性に絶対の貞淑を求める必要性から、かなり厳密なルールで縛られがちだ。
なぜなら上級戦士は絶望状況下での特攻すら業務の内で、我が子への疑いは僅かだろうと受け入れられない。
男が笑って死ねる確信を、女側も与える義務があった。適齢期以上の女性は、閉じ込めてしまう文化すらあるほどだ。
よって女だてらに戦士の真似事など、以ての外な社会通念となるが……古代は、やや違うルールなので実例も散見できる。
子は母によって尊ばれる貴族社会において、貞淑にそれほどの意味はなかったからだろう。
そんな中世初期としたら絶滅危惧種ともいえる女性
貴婦人の護衛や付き添いだ。
母上が所用で出かけられる時など、専属といっても良いくらいにブーデリカを伴われる。
……これは同性なだけでなく、歳が近いからかもだけど。
しかし、だからとってブーデリカは張子の虎ではない。見紛うことなく本物の戦士だ。
いかり型でガッチリした肩幅は、下手な男よりも逞しい。
胸だって大きいのは大きいのだけれど……まず逞しい胸板があり、そこへ後付けの如くおっぱいが張り付けられている。御立派は御立派だけど、どう見ても意味が違う!
腕だって太いというより
ああ、これか。こういう
ブーデリカを見る度に、顔すらおぼろげな友人の言葉が蘇る。
「俺よりも背が高くて……肩は
……嗚呼、友よ!
僕はあの時、君が傷つかないよう、精一杯に自然な感じで「……そうか」としか返せなかった。
でも、いまなら判る。万感の思いを込めて言おう。「こういう
もう啓蒙を高めてくれるくらいにブーデリカは素敵な女性といえる。
いや、そもそもハンサムとすらいえる顔立ちだ。
その褐色の肌――言い忘れてたけどブーデリカは褐色の肌に
人妻なのにプリンセス・オブ・プリンセスの母上、職業婦人として城内最高峰である義母上、下手な男より精悍で強いブーデリカ……この三人が揃っていたら、黄色い歓声が上がるほどだ。
そのブーデリカが僕を前に片膝で跪いていた。
いや、それだけで驚くほど、もう僕だって初心じゃない。幸か不幸か領主の息子と生まれ、前時代的な礼節に慣れつつもある。
だが、ブーデリカは「どうぞ御御足を」とばかりに両手を組んで差し出してて、おそらく――
組んだ両手、立膝な片足、肩と……自らをステップに――踏み台にしろといっている!
確かに、それなら僕だって独りで馬に乗れそうだけど!
でも、まだ六歳児だぞ!?
誰か
なのに人を――それも女性を踏み台に!?
僕は僕が凄いから偉いんじゃない。父上が領主として立派に務められているから、敬意を示されてるだけだ。
時代的に当然かもしれなくとも、決して慣れてはいけない部類のことだろう!
そんな気持ちから大きな声となっていた。
「どうされたんでさぁ、若様?」
意外と厩舎の近くにいたのか、すぐにジュゼッペはやってきてくれた。
その装いは上から下まで旅支度だ。
といってもベースはいつもの一張羅で、それに雨具や防寒具を兼ねたフード付きマント、
なるほど。この世界の一般人は、こんな感じの旅装束なのか。
僕など上機嫌な母上から、新品な子供用の乗馬ブーツを渡されたりと……いまいち実情を把握しにくかったけれど、庶民は創意工夫が基本なのだろう。
靴一足ですら高級品な以上、職務上の出張だろうと旅行用ブーツが支給される訳もなく、かといって普段の編み上げサンダルでは心もとない。
よってサンダルの下に厚めな靴下を履き、その上から布の
……もしかしたら夜は、焚火の傍でマントに包まるだけ。それぐらいにワイルドな計画かもしれない。
しかし、そんな考察は後だ! いまは男のプライドがかかっている!
「何か縄――荒縄とか革紐とか……なにか丈夫なロープを持ってない? それでコレくらいの輪っかを作って欲しいんだけど?」
説明しながら両手で輪っかを示す。……我ながら小さな手だけれど、僕が使うんだから問題ない。
「手元にロープの類はコレしか……こんな感じですかい?」
懐からジュゼッペは革を編んだ紐を取り出し、注文通りの輪っかを結んでくれた。
これは『もやい結び』とかいうんだっけかな?
ロープ結びは、この時代では必須な一般常識だ。僕も覚えなければならないのに、いまいち習得が遅れている。
最低限度の結び方――『もやい結び』と『まき結び』だけ覚えればよく、あとは応用だけというが……それを理解できた試しがない。
ナイフと紐があれば、家ぐらいは楽勝で作れる。それが基準な世界は、現代っ子には厳しすぎだ。
「えっと……ここがいいな。鞍のここへ結んで……輪っかがこの辺へ来る感じに……――」
「こんな感じに――ですかい? その……ロープを切ることになりやすよ?」
「折をみて新品を買ってあげるから!」
ケチ臭い発言に涙が出てきそうだが、これでジュゼッペを非難するのは公平さに欠ける。
ロープのような日用品ですら高級品だし、切ってしまったら価値も激減してしまう。それなりに妥当な不平だ。
やや貞腐れ気味なジュゼッペのご機嫌取りは後回しとし、先にロープの輪を調べる。
……これなら全体重を載せても大丈夫そうだ。まあ幼児の力でだけど……使うのも僕なんだから問題ないだろう。
それにギリギリだけど足が届きそうな高さだ。これなら乗り降りの用にも足りる。
急造の
が、ジャンプ力が足りず、ひっくり返りそうになって……素早くブーデリカが支えてくれた。
「御無事でございますか、若様!?」
「だ、大丈夫! それに、ありがとう。ちょっと長さ調節を間違えたみたい。 ――待って、ジュゼッペ! ついでだから逆側にも! それと最初の奴も微調整して」
「御用が済んだのなら、あっしはこれで」とばかりに下がりかけたジュゼッペを引き留める。
なぜか
うーん……まあ、個性と認めるべきか。
ジュゼッペに求めているのは、公的な場での助けじゃない。また、いまのままでも十二分に有能な人材だ。
などと考え事をしながら作業したのが良くなかったのか、周囲への注意が散漫となっていた。
いつの間にやら注目の的だし、皆がシンと静かになっている。
あれ!? また何かやっちゃいました……よね、どう考えても。
プチマレ領への訪問は――その嫡男と交わす盟約の儀への参列者は、それなりの大所帯だ。
まず名代である僕。その後見を務める母上。貴婦人の介添え役としてレト義母さん。その小姓および侍女としてサム義兄さんとダイアナ義姉さん。文官の束ね役として
さらに留守居の
当然、各
そして、ここまでが移動に馬を用意されている者達だ。
……サム義兄さんとダイアナ義姉さんは二人で一頭、エステルは母親のレトと同乗だけど……それでも用意されているんだから、特別扱いな方だろう。
ジュゼッペのように徒歩で帯同する兵士や下級文官は、当然ながらさらに多い。
数えた訳じゃないけれど、下手したら百人近くとなるんじゃなかろうか?
しかし、戦時中だし近所の同盟領ということで、これでも簡略化しているそうだ。
いまさらながらにドゥリトル領の大きさを思い知らされる。決して裕福ではないけれど、所領の広さと人数だけは凄い。
そんなドゥリトル領御一行も僕が代表者な以上、最優先の中心だ。
判り易く言い直すと……徒歩の者は厩舎の近くで、騎乗の者も各自が手綱を持ち僕を待っていた。
そして僕が馬に乗ることで、やっと他の者も騎乗を許される。……なんと母上ですら僕より後だ。
よって最初から注目の的ではあったけれど――
その目の前で、選りにもよって『鐙』を作っちゃった!?
だ、大丈夫だ! 文明的に『鐙』は危険レベルの大発明だけど、一目で真価を理解できるはずがない!
その証拠として何事もなかったように、母上やレト義母さんも騎乗しはじめてるし――
嗚呼、駄目だ。
もの凄い形相なウルスが馬に飛び乗りながら近寄ってくる。
……どうやって胡麻化そう!?
「ブーデリカ! 御曹司に鞭をお渡しせよ!」
「えっ!? ウ、ウルス様!?」
命じられてブーデリカは戸惑うけれど、それでも僕へ乗馬鞭を寄越してきた。
ぐぬぬ……上官の命令に従順なのは軍事教練の賜物とは思うけれど、それが今回は裏目な気しかしない!
しかし、なぜ僕に?
だが、その疑問を考える間すら与えずウルスは――
「御曹司! 天の位で御座いまする!」
と自分の持った鞭を剣に見立て、天の位――上段に斬り下ろしてきた!
僕よりも先に馬が、ウルスの殺気に当てられ身体を強張らせる! ぎゃあ、これ
慌てて習った通りに手に持った鞭を、剣の代わりに合わせる。
嗚呼、でも駄目だろう。ウルスの本気なんて受けられる訳がない。
………………あり!? 止めれた!? どうして!?
「……右で御座いまする!」
「ちょっ! 待って! 稽古なら、いまじゃなくても――」
「左! そして天の位!」
「悪かった! 悪かったよ! これからは剣術の稽古はサボらないから!」
聞く耳持たぬとウルスは続けるも、どうやら僕に合わせて加減はしてくれていた。
まあ、でなければ一合たりとも撃ち合わせられるはずもないか。
しかし、その表情は驚愕に満ちていて――鐙の真価に気付いたことを如実に示していた。
それにフォコンとティグレの
「……お前、鞍の上で立てるようになったの幾つの頃だった?」
「俺は十一の頃だった。コツを覚えたら馬上教練でも落馬が減ってな。嬉しかったのを覚えている」
「マジか!? 俺とか十二の頃だぞ!」
などとヒソヒソ話し込んでいる。
………………うん、これやっちゃったね。
両足を鐙に鞍上で踏ん張りながら、僕は深く後悔した。
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