冬の終わり

「ところで何をお買い求めになったんですか、若様?」

 潮は変わったと判断――実際、母上と爺やセバストの連れてきた兵士や野次馬は、三々五々に散り始めている――したのか、レトが興味津々で訊ねてきた。

「えーと……どれかは蕎麦粉だよ。どれなのか判らないけど。残りは……雑穀の粉?」

 粉の入った袋が所狭しと並べられているも、残念ながら専門家でない僕には見分けられない。

 それでも一つひとつ調べれば判別可能と高をくくっていたら――

「ですが、若様……お申しつけのsobaなる雑穀は残念ながら……。領都で入手可能な限り網羅はしましたが」

 と不安になることをマリスは報告してくる。……マジで?


 そんな馬鹿なと片っ端から袋を開いて、よく判らないまま粉を舐めていく。

 ……駄目だ。僕でも判る。この中に蕎麦はない! 味はともかく、あの独特な香りは間違えようもなかった!

「えーっ!? なんで蕎麦ないの!? 今日のメインだったのに!」

 この地はヨーロッパじゃなかった?

 おそらくは北西部――フランスと思っていただけに驚きだ。イタリアとフランスは、ヨーロッパでも屈指の蕎麦食いなのに!

「でも、若様? あっしはちゃんとsobaって言いやしたぜ? とにかくsobaの粉。ついでに雑穀も、あるだけを全部! ――でしたよね?」

 非難されていると感じたのか、先回りしたジュゼッペが釈明してくる。


 ………………うん?


 正確な名称が判らなかったのでsobaと呼称してしまったけれど、よく考えたら皆に通じる訳がなかった。

 有名なフランス料理『蕎麦粉のガレット』は、横文字だと『ガレット・デ・サラセン』だっけ?

「サラセンの粉?」

「吾子……サラセンとは人種のことですよ? 駱駝の国に住む人々をサラセン人と呼ぶのです」

「ああ、駱駝の王様が、そんなこと言ってました! ――でも、人を粉にしちゃうんですか?」

 ……なんだかもの凄く猟奇的なことを口走ってしまったらしい。

「じゃあ……ガレットの粉?」

「何を言っているのよ、リュカ? どうしてわざわざガレットを粉にするの? この前、美味しい美味しいって食べたの……もう忘れちゃったの?」

 義姉上にツッコまれて思い出した。

 小麦粉などを水で溶いて鉄板の上で薄く焼いたお菓子みたいな料理がある。あれをガレットと呼ぶのだった。


 そして地味に異世界転生で困る事象だ。

 僕が日本語でしか名称を知らなくて、まだ今生で誰かが名前を口にしていない物は、とにかく説明に窮する。

 結局、このような連想ゲームを始めるしかなかった。


「えーと……蕎麦というのは穀物で……寒かったり痩せた土地でも育って……実がなるのに九十日ぐらいでよくて……でも、あまり高級じゃなくて……いわゆる貧民階級が主食に?」

「……まるで燕麦ですね? 燕麦粉なら、これですよ若様? ――でも、こんなに燕麦粉をどうするんです!?」

 レトは救荒食物としての説明で連想したようだが、残念ながら違う。

「いや、燕麦なら僕でも判る。オートミールに入っているあれでしょ?」

 基本、貧乏食であるオートミールは城の食卓で珍しいけれど、それでも時折は顔を見せる。また現代日本でもシリアルなどでお馴染みだ。

 

「ですが、若。そのsobaなる作物は素晴らしいですな! 凶作への備えとして申し分がありませぬ。下々へ推奨したいぐらいですぞ」

 唸るように爺やセバストは感想を漏らすし、尤もだとばかりに母上も肯く。

 ……二人がすぐに理解してくれたのは、嬉しいやら残念やらだ。

 飢饉や凶作への最も簡単な備えは、二つある。

 一つは何か特定の作物に頼り切らず、複数の品目をバランスよく育てる方法だ。そうすれば不測の事態に遭遇しても、全滅という最悪だけは免れることができる。

 もう一つが手間は掛からず、それでいて収穫の見込める品種の選択だ。生存戦略の観点で、味よりも確実性や成果重視となるのは仕方がない。

「うん、そうなんだ……とても捗るらしいんだ、蕎麦は。それにパスタ――麺にすると美味しいんだよ」

 しかし、蕎麦(植物)がないとなると、今生で蕎麦(料理)を手繰ることはなさそうだ。

 べつに大好物という訳じゃなかったけど、食べられないと判ると残念でならない。

「soba――その雑穀でパスタを……ですか? 確かに吾子の言う通りであれば、下々の者も大喜びでございましょう。しかし?」

 途中参加の母上は不審そうだけれど、時代平均的で普通の反応だ。



 なぜなら麺類全般は、実のところチートに相当する。

 人類は穀物を食べ始めるにあたり、まず煮るか蒸すかで料理をした。

 生のままだと、ほとんどの穀物は消化しきれないからだ。

 そうやって飢えを凌いでいるうちに、穀物を挽いてからの調理が発明される。

 事前に砕いておけば噛むのが楽になるし、素材に火が通るのも早くなるし、料理に必要な時間と燃料も少なくて済む。

 ……まあ必然の進化ともいえるだろう。


 その過程で粥を腐らせて醸造の技術を発見したりしつつ、最後には団子をも想起した。

 これは笑いごとでなく、真面目に大きなターニングポイントだ。

 粉を水で練って団子にすれば、煮たり蒸したりが楽になるだけでなく……焼く調理法が可能となる。

 もちろん食感や味の変化もあるけれど、それよりも長所は水分を少なくできること――長期保存可能となるのが大きい。

 これは劇的な進歩といえて、例を挙げるのであれば……「お粥はすぐに腐ってしまうけれど、煎餅にすれば何日も保存できる」だ。

 冷蔵技術のない時代にあって、これは革新的発見に他ならない。


 世界各地で散見できる無発酵パン――焼き団子や煎餅に近い主食は、ここで進化を止めたものだ。

 しかし、まだハッテンは止まらない。さらなる突然変異的大躍進を遂げる。

 偶然にも団子となってから焼かれるまでの間で発酵し、より食べ易く美味しくなった。

 つまりは発酵パンの発見だ!

 あらやる文化圏で人々を魅了したのが、その実力の片鱗といえるだろうか?


 また、同時発生的に団子を再成形する――粉もの文化も芽生えていた。

 最初は手慰みだったり、工夫の試行錯誤だったり、なんらかの偶然だったのだろう。

 しかし、いつしか麺類という金字塔へ発達する。

 これは地味に大発見だ。もう革命的といってもよかった。

 なぜならパンにできない穀物は存在するけれど、麺にできない穀物は定義上あり得ないからだ。

 もうコペルニクス的な発想の転換に留まらない。

 なぜなら――


 入手可能な雑穀全ての利用価値が高まる!


 難しい農業改革や技術開発も要らない。ただ料理法を教えるだけで、万単位の人民が救われる!

 これをチートといわずして、なんと呼べば!?


 それに今現在は古代末期から中世初期に相当と思われる。

 となると実のところ、パンですら最先端の技術だ。

 この地へ帝国から伝来して、よくて二、三百年といったところだろう。

 対するに麺類の一般化は、中世後期から末期だから……下手したら五百から千年先の技術だ。

 いや、雑穀パスタまで考えたら、もはや近代か?

 そんな麺類推奨でも、蕎麦は絶対確実な成功を見込めただけにガッカリだ。



「でも、若様? そのsobaが無くても……大麦で麺を作ればよいのでは? もしかしたら燕麦粉でもできるかも? それに若様の教えて下さったマカロニも?」

 落胆が顔に出ていたのか、レトが慰めを口にする。

 ……うん。十二分に可能性は認められる。

 それに、いつまでもクヨクヨしてたら駄目だ。

「あの……リュ、リュカ様! おそらくリュカ様は『ガレット・デ・サラセンサラセン人のパンケーキ』を召し上がりたいのですよね? でしたら……サラセン人に話を聞いてみたらいかがでしょう?」

 思案顔のポンドールに至っては妙案を授けてくれた。


 そして一考の余地もある。

 確かに料理や食材の名前が地名由来のことは多い。

 たとえば現代日本なら『じゃがいも』などだ。あれはジャルタの芋だから、ジャガイモと呼称された。

 ……まあ『イタリアン』や『ナポリタン』、『本場アメリカン』みたいに全く関係のないケースもあるけれど。

 それでも何か手掛かりを期待して、罰は当たらないだろう。


「うーん? 駱駝の国? サラセン国?」

「確か『中つ海』の南東です、若様。サラセン人の国へ行ったと主張する船乗りに、話を聞いたことがあります」

 やや食い気味にマリスは教えてくれたけど、これは商人の興味を惹く話かなぁ?

 まあ、それでも教えてくれるのは有難い。

「えーと……ざっくり南東に王都があって、さらに東へ行くと帝国との国境。そこからさらに南下して、やっと『中つ海』だったよね?」

「さようでございます。しかし、それでは北西部海岸となりますので……南東部沿岸まで行かねばなりません。……その男の言によれば」

 ……もの凄く遠くに感じる。

 凄腕のエージェントを派遣しても、行って帰ってくるのに数年はかかりそうだ。

「ってか、帝国の向こう側なんて行けるわけないよ! いま戦争中なのに! それに遠いんだよね!?」

「いえ、若様……何かを買うにあたり、必ず現地へ赴かねばならない訳ではありません。欲しい物――この場合はsobaなる植物の苗? それとも種でしょうか? とにかく、が手元にくれば良いのです。また商人とは、そのための用人でございますれば」

 どうしてかポンドールの主張は、屁理屈と思わせない風格を感じさせた。

 ……なるほど。

 これは傑出した合理的思考能力といえる。また、一を聞いて十を連想する力もあるようだ。

 父親マリスを尻に敷いているのは、それなりに才覚を証明した結果だったり?

 もしかしたら隅へ置いておけない――


 などと注視したのが拙かったのか、僕の視線に気づいたポンドールは再び顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 ……なんだか、やりづらいな! これが女の子ってやつなのか!?

 そして義姉上! そろそろ湯飲みを顔へ押し付けるのは止めてあげて!

 あとエステル! 知らない人が苦手なのは判ったから、抱き着く力を緩めて! ちょっと苦しい!


「まあ、若様! とりあえず、この粉を片っ端から麺やマカロニへ! ――そのおつもりなんですよね?」

 袋の中身を一つひとつ舐めたり嗅いだりしながらのレトに慰められた。

 呆気に取られていたのを、ショックで黙り込んだと誤解されちゃったかな?

 まあ結局、あるもので戦う他ない。

 ここは蕎麦がないと嘆くよりは、それなりな種類の雑穀が手に入ったと考えるべきか。

「うん、一通り麺やパスタ、マカロニにできないか調べて……あと混ぜ合わせるとかも? 足りなくなったら買い足すとして……えーと……僕の予算から? ――じい! 僕の予算ってあるの!?」

「もちろん、ございますとも! ですが、まさか最初のおねだりが雑穀となるとは……この爺めは、思いもよりませんでした」

 まあ、そりゃそうだろう。普通、男の子の欲しがる物なんて玩具やお菓子だ。

 ……ちょっと弾け過ぎたかな? とりあえず口笛でも吹いて誤魔化すか?


 などと思った瞬間、母上に抱きすくめられた。

「そんなに急いで大きくならなくとも良いのですよ、吾子?」

 ……どうしてだろう?

 母上は嬉しいような寂しいような、よく判らない不思議な表情をしておられる。

「でも、きっと城下では人々が困って……まてよ? 皆は困っているんですよね?」

 皆の生活向上とお題目を掲げてはいるけれど、実のところ建前に近い。

 久しぶりに僕は蕎麦を食べられる。皆はひもじい思いをしないで済む。その程度の軽い思い付きだ。

 なので実情は、よく判ってなかった。全ては想像に拠るのだけれど――

「ええ、吾子の考えている通り、毎年冬を越せない者すら大勢です」

 きっぱりとした母上の言葉で裏付けられた。

 遠い異国でなく、歩いて行ける距離に恵まれない人々がいる。それが僕の新しい現実だ。

「そりゃあっ! 僕だってっ! その……いや見た訳じゃないから実感はないけど……それでもいるって知っていれば……いや、知っているんじゃなくて……知識としてあるだけだけで……結局のところ、僕の理解を超えているんだろうけど……でも、それだって判るので!」

 ……拙い。この瞬間に気付かさせられた。

 誰一人として共感はしてない! 全員が不思議そうに!?

 いや、同じく心は痛めていても……なにかがズレて?

 特に母上やレト、爺やセバスト、マリス――つまりは大人達とが徹底的だ。

 解らないなりに例えてみるのなら……その悲しみの質?とでもいうべきものが、全く違うように思えた。

 でも、何が? そして何故だろう?

「……なぜ戸惑うのか判りかねますが、吾子? 悩んでしまった時には、自分の目と心に従うのです。吾子は健やかに育ちました。必ずや正しい道を見出すことでしょう」

 紛れのない確信と愛情を込めて、そう母上は仰るけれど……さすがに面映ゆかった。

 ニヨニヨと観察する視線も感じるし!

 ………………あ、相手は母上だから、恥ずかしくないもん!


 だが、さらに驚きは加速させられる。

「しかし、そうですね。百聞は一見に如かずと申します。やはり、名代はリュカに任せましょう」

 上機嫌で母上は宣言されるけれど、『名代』ってなんじゃらほい?

「爺やめの思う以上に若は大きゅうなられた! これなら御屋形様の御名代も、立派に果たされるに違いありませぬ!」

 賛成だとばかりに爺やセバストも深く肯くけれど……なんなの?

「きっと盟約の儀でございますよ、若様。東のプチマレ領のご子息が、この春に七歳となられますから」

 ……なるほど? レトの補足で、やっと話が想像できた。

 当然ながら他家の嫡男も、数えで七歳となったら『盟約の儀』を執り行う。

 それへは盟約の当事者――父上が参加するべきだけど、残念ながら未だ戦地より戻られてない。

 となれば母上か身分の高い騎士ライダー……もしくは僕などが代理となる。嫡男な訳だし。

 もちろん僕が行く場合は名目上な感じで、実務の方は皆が助けてくれるだろうけど――


 ……うん?


「え? それじゃ城下へ出掛けて良いんですか!? 違うな、プチマレ領?へ行くんだから……領地の外へ!?」

「ええ、そろそろ見分を広め初めても良い頃合いでしょう」

 大したことではない風に母上は仰るけれど、さすがに驚きだ。

「帰りしなには、御祖母上様のご機嫌を伺うことにしましょう! もしかしたら領都へお戻り下さるかもしれませんし。――そうそう! 御祖母上様の居られるゼアマデュノでは、温泉が湧いております。リュカの好きなお風呂に入りたい放題ですよ?」

 我ながら良いアイデアとばかりに母上は、満面の笑みとなられたけれど……意外過ぎる展開に、あんぐりと口を開ける他なかった。

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