赤い髪の女の子

 まず緋色にハッとさせられた。


 いや、その少女が内に秘めた生命力に圧倒させられたのかもしれない。

 この地では少数派な僕と同じ白い肌。それがボリュームのある赤毛と相まって、絶妙なコントラストを作り出していた。

 また、濃い碧色の瞳からは、強い意志を感じさせる。

 背格好は義姉上と同じぐらいだから……十歳前後だろうか?

 やはり女の子特有な感じで、手足ばかりがニョキニョキと長い。

 だが、これらの特徴よりも注目するべきは、その顔立ちだろう。

 確かに整っているし、紛れもなく美少女だけど……なによりも感情の豊かそうな印象を、まず与えてくる。

 そして謎の少女は、城の厨房へ颯爽と乱入してきて――

「ここに居られるんか? なら、邪魔するでぇ………………――


 あかん……王子様や……王子様がおる……」


 いきなり固まってしまった。さらに驚くほどの速さで顔も赤らめる。

 ……またか! またなのか!

 この時代特有なのか、この地方独特なのか……ちょっと女の子達は、人見知りが激しすぎやしないだろうか?

 何人かに一人は、こんな風に僕を見るや否や放心しちゃうというか……異性と身構えるのかフリーズしてしまう。

 え? おそらく勘違いしている?

 そんな訳がない。

 さすがに自分でも不安になって、ダイ義姉さんに相談もしている。つまりは客観的事実だから、間違いない。

 たまたま同席していたエステルだって「姉ちゃの言う通り」と請け合ってくれてる。

 二人が僕に嘘を教える訳がない。世界が砕け散っても、ある訳がなかった。

 よって、この地の女の子は人見知りが激しいのだ。


 しかし、誰だか判らないけど、さすがに内気な女の子を驚かすのは気が引ける。できる限りに優しく声を掛けてみた。

「誰だか判らないけど、大丈夫かい? 僕はリュカ。この城の子供だよ」

 さらに精一杯の笑顔をプレゼントだ。……引きつってないよな?

「はいっ! ああ、お優しい……ほんまもんの王子様やぁ……」

「……熱でもあるの? 平気? それに僕は王子じゃないよ? えっと……君は?」

 思わず額へ手を伸ばしちゃったけど……うん、これ拙いな。

 本当に熱が出てないか? 普通に熱いぞ!?

「ひぇえ……あかん……触ったりしたら、あかん……あっ! そのっ! うち……いえ! 私はポンドールと申し――」

 そう名乗った女の子は、慌てて貴人への礼をしようとするけれど……腰がフニャフニャになっていて、立っているだけでも大変そうだ。

 仕方がないので手近な椅子へ座らせる。

 その間もポヤーっと僕を見てるばかりで、まるっきり熱中症だ。


「はい! 冷たい水よ!」

 見かねたのかダイ義姉さんがポンドールへ湯飲みを……頬へ押し付けるようにしていた。

 ……うん。なぜか義姉さんは、ポンドールみたいに人見知りする女の子が嫌いだ。毎度のことながら当たりがキツい。

 そして同じように人見知りをしたのか、エステルが抱き着いてくる。

 いつものように「大丈夫だよ。怖くない。僕がいるよ」と頭を撫でるけど……しばらく離れてくれないかも。

 どうしてか人見知りする女の子にエステルは人見知りするらしく、そんな時は怖いのか僕にべったりだ。


 ……なんなんだ、いったい?

 しかし、考える間もなく事態は進行していく。なんというか……忙しいな!


「若様ーっ! 助けてくだせえ! こいつらがぁ」

 なんて情けない悲鳴! 一体全体、どこの誰だと思って見れば……まあ、ジュゼッペだ。

 街から戻らないと心配してたら、どうやら厄介ごとを持ち帰ったらしい。

 なぜなら母上に爺やセバスト、数人の兵士と……出掛けた時の何倍にも増えていた。これなら誰にだって問題発生と判る。


 さらに見知らぬ裕福そうなおっさんと、その使用人だ。

 一目でそう判断できる服装だし、城内へ使用人を伴うのも許されている。それなりに重く見られる立場だろう。

 そして微妙に顔立ちがポンドールと似ているから……二人は親族かもしない。

「お初にお目に掛かります、若様。手前はマリスと申す、しがなき商人でございます。御城下をお借りして、小規模ながら万買取の商いを」

 ……なるほど。

 領都にも数えるほどしかいない商家だったらしい。

 それに『万買取』というと、商社の遠いけれど直系な祖先? ……それなりに覇気と野心が要りそうだ。

「マリス達は帝国出身? 向こうで多い名前なんでしょ?」

「さすがリュカ様でございます! 娘はともかく私の出自を言い当てられるとは」


 ……凄いかな?

 おそらく僕にとって、この地の言語は第二母国語だからだろう。

 ここの言葉では『悪意マリース』だ。近い響きの『マリス』は、そうそう付けられるもんじゃない。

 ……なぜか『マリ』という名前の男は多いけど。

 さらに娘――ポンドールが酷い帝国訛りだから、察するなという方が難しいとすらいえる。


 しかし、我が国は現在、絶賛帝国と戦争中だ。父上の遠征も、そろそろ一年となる。

 ようするに敵国といえた。

 なのに帝国出身の商人が城を出入りしていいのかなと、母上と爺やセバストを窺ってみたけれど……特に問題は無いらしい。は。

 使用人を連れてるところを見れば、それなりに実力があって平民と同じ扱いはできない?

 かといって、こちらに弱みがある訳でも――例えば借金があったりもしなさそうだ。



「どうやら僕の臣下が、問題を起こしたみたいだけど?」

 マリスを観察しながら水を向ける。

 ……うん? いま驚いた? 本当に僕の家来と思ってなかった……のかな?

 しかし、ジュゼッペの性格からいって、それを隠すとも思えない。そもそも僕の使いとして出掛けたのだし、秘密にする意味もなかった。


 さらに、なぜかポンドールが会話へ入ってくる。

「そ、そうなんです! 王子様!」

「あのさ……僕は王子じゃないから。普通に名前で呼んで」

「えっ! ウチが――私がリュカ様とお呼びしても!」

 慣れてきたのかな? 引っ込み思案だけど……本来は明るくお喋り?

 とにかく元気付けようと笑顔を向ける。頑張れ!

 ……いかん! また顔が赤くなっていく! この子、本当に熱あるんじゃない?


「ほら、冷たい水よ! もっと飲んで!」

「お嬢ちゃん、そないに水ばっか飲めるもんやあらへん!」

「なにが、お嬢ちゃんよ! 私、これでも数え今年で十歳なんだから!」

「……ウチと同い年やんか。もう水は良いから! それに顔へ押し付けんといて!」

 なんで二人はギスギスしてるんだろう?

 怯えてしがみつくエステルの頭を、上の空で撫でながら考える。

 ……放置で良いの……かな? あれは?

 義姉上が同年代な女の子と絡むなんて珍しいし、それはそれで悪いことじゃない?

 などと考えたところで――


「若様! 助けてくだせえ! このペテン師の奴ら、あっしのことを盗人扱いするんでさぁ!」

 とジュゼッペに引き戻された。

 ……なるほど。

 話は九十五割がた理解できたかもしれない。でも、この展開は予想外だ。

「そうですよ、吾子。いましがた城へ、盗賊を捕まえてきたと……そこの娘が」

「若! もし不忠義を為しておれば、その命を以て贖いと!」

 ……爺やセバストのいうことも筋が通っている。

 考えてみれば城は高級品だらけであり、どれだろうと売れば一財産だ。当然、不心得な使用人による盗難も珍しくない。

 だが商人側にしてみれば、そのような浅い考えの素人との取引は勘弁して欲しいところだろう。

 まだ『善意の第三者』なんて考え方は、発明されていない。盗品を扱っているのが露見すれば一蓮托生だ。


「それで?」

「……ジュゼッペがお持ち込みになられたのは、どれもこれもが逸品でございまして。万が一があっては大問題でございましょう? 念の為に御照会をさせて頂こうと愚行した次第で」

 なかなか面白い男だ。抜け目なく保険を掛けてきた。

 そして妙な違和感もある。

 年の頃はジュゼッペと同じくらいで、広義に『おっさん』といえた。

 でも、リア充おっさんだ。

 それなりの独立商人。それも可愛い娘まで儲けているのだから、リア充に決まっている。

 なのにジュゼッペと同様な『おっさんシンパシー』を感じるのは、どうしてだろう?

「おとんは黙ってて! うちに任せてくれれば、ええから! ――ウチ――いえっ! わ、私共は……その……」

 またポンドールが会話へ入ってきて……それで判った。

 うん、このおっさん……娘の尻に敷かれてはる。家庭での立場の無さは、もう容易に想像できた。


 が、またしてもポンドールはモジモジとしはじめる。

 ……出しゃばりで引っ込み思案って、どんな!? 矛盾してるだろ!?

 そして心配した義姉上がガシガシと湯飲みを顔へぶつけ……また口喧嘩が再開された。二人とも、なにしてんの!?

 あと落ちついて、エステル! なにも怖いことはないから!


 話の進まなさ加減に頭が痛くなってきたところで、やっとマリスはジュゼッペが持ち込んだという品物を提示した。

 それは上質な紙が十枚、やっと固形化した石鹸を数個、粉にした『龍髭糖』を一掴みだ。

 ……どうしよう? 間違いなくジュゼッペに城下で売ってくるよう頼んだものだ。

 このまま――

「ああ、勘違いしちゃってるよ! あはは、ドジだなぁ!」

 と笑い話では済みそうにない。

 なぜなら母上が厳しい表情をしてらっしゃるからだ。ここで期待に応えないとガッカリさせてしまうだろう。

 でも、どう捌くのが最適解? 誰かヒントを!


 とりあえず悪者になってみるか?

「あー……悪かった。使いの者へ、指輪を渡し忘れていたよ」

 この時代特有なのか、それとも地方特有の習慣なのか……指輪が身分証明書として重視されていた。

 つまり、正式に僕の使者だったのなら、その証として指輪を託されているべき……らしい。

「いえ! 私共は万が一! 万が一にでも手違いがあってはと! しかし、どうやら私共の勇み足だったようで……」

 抜け目なくマリスは追従してきた。このまま上手くいくかな?

 ……駄目だ。

 母上の眉が徐々に上がりだしてる。なし崩しはNGらしい。

 でも、なんで!?


「うーん? まあ、僕が悪かったというのもあるけど……それよりもジュゼッペに謝るべきじゃないかな?」

「わ、若様!」

 探り探りの発言へ、感極まったジュゼッペの方が喰いついてくる。

 違う! いま重要なのは母上の方!

 だが、驚くべきことに母上はニコニコと微笑みはじめられた。

 こっちが正解だったの!? 本当に!? でも、どうして!?

「も、もちろん親方シェフジュゼッペには、不幸な行き違いの埋め合わせをさせて頂きたく!」

「なっ! だ、誰が親方シェフでい! こそばゆいじゃねぇか!」

 露骨なお世辞にジュゼッペは戸惑うも、満更でもない様子に見える。……チョロいな!

 対するにマリスの方はがなかった。畳みかけるように話をまとめ始める。

「そして親方シェフジュゼッペのお持ち込みになられた品物も、それ相応のお値段で! いずれも、こちらから取引をお願いしたいほどの逸品揃いですし!」

 横目で母上を窺うも、これで落着させてよいのか悩む風だ。

 となれば、ここは僕も煙に巻かれた体を装おう。

「細かい清算は後でも良いよ? 手元に現金がなかっただけだし。それより注文した品物は……持ってきてくれた?」

 が、まあ話の流れ的に駄目だろう。ほとんど諦めてだったのに――

「もちろんでございます! ご所望の品物は、ここに!」

 とマリスは連れてきた使用人の方を示唆する。

 これで意外と出来る男なのか? 娘(十歳)の尻に敷かれてても?



「ああ、ちゃんと粉に挽いたのを持ってきてくれたんだ? この瓶は?」

「これは機会があれば、ご献上させて頂こうと! 帝国産のワインでございます!」

 待ってたかのようなドヤ顔は気に入らないけれど……内心、マリスの点数を改めておく。この男、相当に抜け目がない。

「うーん? それじゃ今回は酷い目に遭ったジュゼッペにでも――」

 と言い掛けて、ジュゼッペの不満顔に気付かされる。ああ、この地の男達はワインが嫌いなんだった。

 どうしてかワインは心と身体を弱くすると頑なに信じていて、決して飲まない男が多かったりする。

 でも、ジュゼッペ! お前は帝国系の血筋なおっさんだろうに!

 そしてマリスの方もガッカリした顔となっている。

 ……うん。下方修正だな。こいつはこいつで、抜け目のないドジなおっさんだ。


 さらに気付けば視界の隅で、僕へ見えるように何かをテーブルを滑らす人が。誰かと思えば――母上だ。

 その小ぶりで特徴的な壺から中身は想像できる。おそらく蜂蜜酒ミードだ。城の男達が珍重しているので、酒を飲まない僕にすら価値が判る。


 ……いや、貴重品扱いされて当然か?

 酒類としてはエールが一般的だし、それで酩酊もできるけれど……やはり保存の利く大麦粥としての側面は残っている。

 仮に一升分の酒を飲もうとしたら、つまりはお粥を丼に数杯分だ。いかにこの時代の人々が健啖家だろうと難しい。

 となると飲み物や嗜好品としては、完全に液体である蜂蜜酒ミードの方が喜ばれるのだろう……たぶん。


「では、このワインは僕が受け取ろう。このような珍しき献上品、大儀であった? それとジュゼッペ。今回は大変だったね。労いとして、これを下賜する。今後も励む様に?」

 とりあえず『それっぽいこと』を言ってみたけれど……まあまあ正解らしい。

 でも、あと一押し必要か?

「そして母上! これなるマリスより、ワインを献上されました。しかし、まだ私には早いと思われます。なので母上の御口汚しにでも」

 少し過ぎか?


 ……いや、そうでもないらしい。

 現金なことにジュゼッペはお駄賃が蜂蜜酒ミードと知って大喜びだし、マリスも本命である領主奥方へ収賄の成功だ。

 そして母上は――

 どうしてか少し恥ずかしそうにワインを受け取ってくださった!

 ……なんだろう? 軽い背徳的な喜びすら感じる!?

 脈絡もなく「エクボ一つで城一つ」というレトの言葉が脳内でリフレインされるし!



 さらに見落としも感じた。

 まず客観的に考えて、蜂蜜酒ミードよりもワインの方が高価だ。

 それは驚くことに領内で葡萄の栽培はされてないからで、絶対確実に輸入品となる。

 ……この地は本当に北部ヨーロッパ? ヨーロッパといったら葡萄栽培の本場じゃないの!?

 そして見落とし掛けたけど瓶詰だ。

 当然、容器すら高級品と見做せた。飲み終えた空瓶すらも、高値で取引される。

 対して蜂蜜酒ミードは全世界的に偏在し、この地でも蜂蜜の採取は可能だ。……猛烈に高いけれど。

 以上を踏まえると『家来へ下賜しかけた超貴重品を、貴重品にすり替えて誤魔化した』となる……のかな?

 それで母上が、少し気恥ずかしそうにしていらした……のだろう。


 また『家来へ』という部分も重要視されたように思えた。

 どう考えていようと、ジュゼッペは僕の家来だ。

 その家来を使いに出したのに……どうしてか泥棒と間違えられ、逆に家にまで押しかけられた。

 これだと事の次第によっては、相手を生きて帰さないまで視野に入る。

 まるでヤクザの倫理観と思われる方もおられるだろう。

 けれど彼らが己に課した任侠道という教条は、武家を手本としたものだ。なので類似点が多いだけでなく、より厳密な掟すら本家には散見できる。

 今回の話を任侠道で考えると――


 僕は親分の長男であるから、ヤクザシステムでいうところの若頭だろう。

 そしてジュゼッペは、その若頭から直に杯を貰った子分に相当する。

 なのに不幸な勘違いから泥棒扱いされ、城――組事務所にまで押しかけられた。

 こんな場合に『落とし前』を求めないはずがない。あり得なかった。それこそ今後のにすら影響しかねない。

 よって僕は烈火のごとく怒るべきだったし、その義務もあったといえる。

 そして母上は『極道の妻』における主人公ポジ――姐さんであり、僕が下手を打つんじゃないかとハラハラしていらした……かな?


 おそらく全ては『帝王学』――殿さまの知っておくべき流儀なのだろう。

 長く人類は群れることに頼っていて、そのリーダーも全体への奉仕を求められる。具体的には『正しき王』となることを。

 そして親分の息子である僕は、このように幼少の頃から鍛え続けられる。群れを恙無く存続させる為に。

 ……なんというか想像以上に、貴族の息子というのは大変だ。

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