異世界食糧事情

 とかく異世界といったら絶望的な食糧事情に思われがちだけど……それは正しいともいえるし、大きな勘違いともいえる。

 よくあるパターンでは『美味しい料理が全くない』となるけど、語弊を恐れないのであれば――


 誇張し過ぎだ!


 なにか例を示すのであれば、判りやすい料理で鰻の蒲焼がある。あれは現代日本にも負けないレベルだった。

 え? 中世に? それもヨーロッパに鰻の蒲焼があるはずない?

 ……日本人特有の傲慢だ。美食への執念を燃やしたのは、当然に日本人だけではない。

 そもそも中世どころか、古代の頃から鰻の蒲焼は存在していた。

 ヨーロッパでも鰻は獲れるし、醤油によく似た調味料に魚醤――ガルムがあり、甘味料も蜂蜜がある。

 あとは甘辛い味付けを閃くだけで、もちろん古代ローマ人は成功していた。

 つまり鰻の蒲焼を美味しいと――美食のうち一つと数えるのであれば、この世界も似たような水準といえる。

 他にも『新鮮なレバーを軽くソテーして塩コショウ』なんて料理を想像してみればいい。それだけで一流レストランにも匹敵するだろう。


 ただし、この理屈は海産物やジビエの類に限る。

 

 残念ながら畜産系は劣っていた。それも非常に。

 僕のような貧しい食生活だった人間にすら、容易く判別できるほどだ。


 まず、食肉として専門的に生産しているのは豚と鶏程度で、それすら味よりも生産効率を重視している。

 ……食料生産力が低すぎるからだ。それも生死を左右するほど。


 さらに冷却技術がない。

 動物というのは死亡と同時に腐り始める――微生物が活性化するので、それらを死滅させるべく冷やす必要があった。

 これは速く冷やせれたら冷やせれるほど、温度も低くできればできるほど望ましく……そうできなかった場合、非常に臭う肉となってしまう。

 現代日本でも超特価品の安い肉が、驚くほど臭かったことはないだろうか?

 あれらは突然死した畜産などがほとんどで、屠殺直後に冷凍室と比べたら、どうしても微生物の繁殖を抑えきれない。結果として凄く臭う。

 しかし、文明が古代か中世レベルだと、万全の態勢ですら肉は臭くなる。冷却方法が冷水ぐらいしかないからだ。


 そして慣れられるかどうかで大きく変わるけれど――


 メインは羊だったりする。


 肉といったら羊! 次が豚か鶏。それから鹿や野鳥のジビエとなる。

 ちなみに牛も食べなくもないけれど、食用目的で飼育していないので酷い……らしい。

 これが伝聞なのは、転生してから一度も食べたことがないからだ。母上とレトか嫌がるので、僕の食卓には上がらない。

 つまり――


 穀物飼育もしていない


 と断定できる。

 実のところ牛も羊と同様に肉は臭い。それが自然だ。

 これは反芻する動物特有の特徴で、どうしょうも……なくもなかったりする。

 三か月ほどエサを穀物だけにすると、臭いを劇的に抑えることが可能だ。反芻の結果として肉が臭くなってる訳だし。

 逆にいうと、この世界の牛は「羊肉と同じくらいに癖が強く、比較にならないほど固い」となる。

 だから死んでしまった農耕牛を食べるぐらいなのだろう。

 ……穀物飼育の羊や子牛を始めてしまおうか? すこし美食に偏り過ぎかな?


 最後に冷蔵の技術もないのが止めだろう。

 生肉のままにはしておけないので、屠殺したその日のうちに全て処理する必要があった。

 多少は違っていても、生肉を料理したものは美味しい。……これは羊の癖に慣れられたのも大きかった。

 それにハムやソーセージも美味しい部類といえる。

 半分くらいは保存を最重視で、かなり刺激的な味だけど……残る半分は非常に美味しい。

 端肉で作る干し肉などだって、あまり僕は食べないけれどだろう。

 しかし――


 何としてでも無駄なく使い切るつもりな血や脂、雑多な内臓肉は……辛い。僕には厳しすぎる。

 ……しかも保存性を最重視した処理だし!

 いや、それらすら贅沢品なのは理解できるけど……それでも辛い。


 やはり現代日本と比べると肉類は、二級品から三級品と言わざるを得なかった。

 もしかして領主の息子に生まれてなかったら、とんでもなく苦労したんじゃなかろうか?


 そして農作物も良くはなかった。

 まず現代と同じ植物であろうと、その実情は全く違う。

 何もかもが品種改良前で――つまり、基本的に苦い。それも種類によっては酷く。

 なぜなら植物は、苦いのが標準の仕様だからだ。

 甘く変異したのを選り分けたり、もともと美味しかったのを他所から持ち込んだり、近代からは科学知識を駆使して交配したり……そうやって農業は発展してきた。

 けれど「ほんの数百年前まで農耕以前。ずっと狩猟民族してました」ではスタート地点もよいところだろう。

 つまり――


 育てているのは全て二級から三級品で、最初から限界も知れている


 という他ない。

 ただ、あらゆる作物は「完全無農薬有機栽培であり、何もかも旬に収穫」となる。

 もうこれだけでワンランク上の品質ともいえた。

 結果、農作物は――


 美味いのはビックリするほどなのに、不味いのは果てしない


 が素直な感想だ。

 なら、美味しいのだけ狙えとなりそうだが、それが許されるほど品目は多くなかった。

 芋類やトマトが無いのは有名だけど、さらに付け加えるのなら農産物の層は薄い。それも非常に。

 つまりは三級品でもレギュラー入りだ。……そういうのに限って生産性は高かったりもするし。


 総論すると「二級の肉と野菜なのでハンデは大きい」けれど「それでも美味しい料理はある」だろうか?


 それに悲観的な材料ばかりでもなかった。

 やはりヨーロッパ――この地はロシアかドイツ、フランス、スペインのどこかだ――特有なのか、チーズ作りが盛んなのは大きな救いだろう。

 ……まあ主力は羊乳のチーズで、やはり人を選ぶけれど。


 それでも慣れば重要性を、よく理解できる!

 チーズは日本料理におけるカツオ節に相当するからだ!


 どちらも蛋白質を発酵させて旨味を強め、あらゆる料理に味のベースや出汁として使われている。

 醤油、味噌、チーズ、魚醤、カツオ節……理屈は全て同じだ。発酵させる蛋白質の違いでしかない。

 よく「西洋料理は何にでもチーズを入れる」と的外れな非難をされがちだけど、それは当たり前の話だろう。

 日本料理に「とにかくカツオ節の味」と文句を言うようなものだ。


 そして茸! キノコ類も旨味成分の観点から外せない!

 当然に周囲の深い森は、豊富なキノコ類を育む。

 もちろん、どれでも均等に尊く美味しい。なかでもブラウンマッシュルームと呼ばれる品種は、ほとんど椎茸だったりするから驚きだ。


 カツオ節に匹敵するチーズ類、産地直送で美味しい茸、高級品ではあるが醤油も同然のガルム、二級品だろうと確かな旨味をもたらす肉類で――


 希望は感じられる! 少なくとも旨味材料は、足り過ぎてるぐらいだ!


 たとえば本日のメインデッシュは、僕の大好物だったりする!

 ごろんと角切りにされた豚肉――おそらくバラの辺りだと思う。

 そして現代日本と大きな差の見受けられない人参と玉ねぎ。

 よく判らないけれど、なにかの球根。説明されても何だか判らなかったけど……とにかく、この世界で最も芋に近い!

 さらに、まるで椎茸のようなブラウンマッシュルーム!

 それらの具材を塩コショウ、水飴を基調とした味付けで、チーズを出汁に使っての煮物だ!

 最後に隠し味として使われているガルムが嬉しい!


 え? なんだか『肉じゃが』みたいだ?

 ご指摘の通りで最も近いのは、どう考えても『肉じゃが』だ。それも隠し味にバターを使うようなタイプの。

 ガルムは高級品で、そうそう使ってくれなかったり……生肉がなければ――家畜を〆たばかりでなければダメだったり……気軽に甘味料が使われるのも、水飴の提供を始めてからだけど――


 『肉じゃが』レベルの料理なら、いくらでも存在するのだ!



 といっても毎日は無理な訳で、まあ御馳走に分類される。

 次に、この『レトの肉じゃが』へありつけるのは、いつの日となることか。食べながら残念な気持ちにすらなってしまう。

 でも、薄っすらとした記憶を引き寄せれば、僕は三食カップラーメンや牛丼、ファーストフード、コンビニ飯なんて生活だった気がする。

 なので朝夕の食事が自動的に用意される上げ膳下げ膳な生活は、もうそれだけで感涙ものだ。

 そして決まりなのか全員が食堂へ会して頂くので、賑やかさも加味される。……孤食に比較したら、天と地の差だ。


 ここで「全員で食堂へ」というと、首を捻られる方もおられるだろう。

 普通は領主一家の食事シーンを想像したら、余人を交えない家族だけなイメージだろうし。

 だが、そんな特別待遇ではなく、この世界では全員が同じ食堂で頂く。……時代では、だろうか? もしくは、この地方では?

 さすがにテーブルは領主一家用――乳母であるレトはもちろん、乳きょうだいも含めて――と分かれている。

 そして序列を示すかのように城詰めの騎士ライダー、さらに兵士達、次いで文官達と……明確に身分差はあるものの、それでも同じ空間だ。

 料理だってよほどの高級品――例えば母上が晩酌に嗜むワイン――でもなければ、基本的に同じだったりする。

 つまり、僕が食べるパンも、騎士ライダーが食べるパンも、兵士が食べるパンも全て同じ物だ。


 これは貴族と武家の違い……なのかな?

 そもそも王や貴族は、基本的に「庶民とは違うんです」な立ち位置だった気がする。場合によっては神々の末裔とか名乗っていたりで……もはや人間ですらない。

 対して武家の棟梁というのは、どこまで偉くなっても戦士階級のリーダーであって……つまりは皆の中から選ばれた人だ。

 それに封建社会といっても将校や兵士は同僚でもある。一緒に戦争へ赴き、平等に命を懸け、お互いの為に死ぬ関係性だ。

 なのに――

「俺だけ美味しいもの食べる! 美味い酒も! 当然に美人も独り占めだぁ!」

 とやらかせば、いずれは――

「べつにリーダーは、お前じゃなくても……他の奴でも良いんだぜ?」

 と三下り半を突きつけられるだろう。

 そこまで行きつかなくとも、やはり忠誠心を得るのは難しくなる。結果、武装集団としては弱くなり、最後には滅亡の憂き目となるだろう。

 まあ、まだ原始的な身分制度――王と戦士、庶民、ボーと呼ばれる奴隷的身分だけだからかもしれない。

 いずれは戦士階級内でも格差は開いていくだろうし、貴族という概念も再整備されるはずだ。

 ……貴族=代々の有力者を指す言葉ではなく、血筋によって確定される形式で。おそらくは爵位制度を伴って。


 そんな訳で兵士のテーブルを探せば、ジュゼッペが食事している姿も発見できる。

 ……ちなみに主君として臣下が食事にありつけているか、気を配っておく義務があるらしい!

 もしかして兵士のテーブルでイジメられでもしてたら、僕が仲裁しなくちゃいけないのだろうか? 相手はいい歳したおっさんなのに?

 兵士は薄給――週給わずか金貨一枚で、自然とエール争奪戦は激しくなる。もう違う意味で金貨の為にソル戦う人ジャー達だ。

 あの猛者達を相手にジュゼッペでは話になるまい。となると僕が、なにか補填を考えてあげるべき?

 ……六歳にして、おっさんへ酒を配給するか悩まさせられる。どうやら領主の息子というのも緩くない。


 そして僕の隣が指定席なサム義兄さんはサム義兄さんで……はやくも自分の分を食べ切ってしまい、物足りないのかクルミに取り掛かっていた。

「ちゃんと義兄ちゃんは、リュカの分も持ってきてやったぞ!」

 などと恥ずかしそうに言い訳を口にするけど、まあ……少しでも多く貰えるようにだろう。

 僕などはお代わりをしても断られない……どころか強制すらされるけど、サム義兄さんレベルだとストップされる。

 子供では僕に次ぐほど高い身分のサム義兄さんですら、飽食は許されない。成長期だというのに!

 ……この時代の生産能力が低いのを窺い知れる一例だ。



 しかし、『異世界リュック』でも言及されていたけれど、クルミというのはチート食材の一つだったりする。

 まず何より重さ当たりのカロリーが非常に高い! なんと木の実類は、グラム当たり四カロリーもある!

 カロリーメイトなど高度科学の産物でもグラム当たり五カロリー前後。カロリーの塊とされるチョコレートですら五から六カロリーだ。

 どれだけ高カロリーなのか判って貰えただろうか?


 さらに殻付きのままなら、なんと一年もの長期に渡って備蓄が可能だ!

 月単位ですら保存可能なら素晴らしい。時代平均でも優等生といえる。

 それが一年だ! 凄すぎる! 使い切らない限り、次の収穫まで保ってしまう!

 いや、これは現代的な表現でいうと賞味期限だから……味の劣化に目を瞑れば、さらなる長期でも!

 伊達に多産や繁栄の象徴とされていない。もう人類の原始時代を支えた立役者とすらいえる。


 そしてドゥリトル城では「料理が足りなかったらクルミでも齧ってろ」となり……親愛なる我らが腹ペコ義兄さんは、毎食のように大量のクルミを消費していた。

 しかし、これはサム義兄さんに不公平ではある。なぜなら大人は、エールを飲んでるからだ。

 エールというのはビールの祖先と見做されているが、実は『腐りにくい大麦粥』という性格も持っていた。

 ただの粥では半日も持たないけれど、どぶろくとすれば何日か保存も利く。

 それでいて栄養価も低くなり過ぎはせず、パンとは違って小麦が無くても製造可能だ。

 つまりは保存食であり副主食といえた。

 概算でどんぶり飯一杯に匹敵する大きなパンと、やはり同じぐらいにボリュームのあるエール。

 これを朝夕だから、この時代の男達はパンとエールが動力源といっても過言ではないだろう。

 だが、まだサム義兄さんは数えで十歳。さすがに飲酒は――それも習慣的な飲酒は許されていない。

 となればクルミで空腹を満たすしかないのだから、それを責めては酷というものだろう。



 サム義兄さんの動きに応じて、いつものようにダイ義姉さんとエステルも椅子を寄せてきた。

 ……クルミの殻は意外と堅いので、僕やサム義兄さんを専属のクルミ割り係にするつもりだろう。

 季節によっては果物などもあって、それをデザートよろしく頂くのだけど……冬ともなれば、やはり食材も少なくなる。

 手軽な甘味は春までお預けだ。……ドライフルーツなどは超高級品だったりするし。



 これも少し考えれば、すぐに理解できる。

 例えば生のリンゴなら、それだけで何の手も掛けず一食を賄えた。場合によっては命すら繋げられる。つまり――


 生産性の低い時代、リンゴ一つは最低限度な一食分と等価!


 これが現代日本人では、なかなか理解できない事実だと思う。

 つまるところ食料品は、なんであろうと高かった。そうでなければ餓死者が頻出したりしない。

 なのに――


 切ったり干したりの手間暇をかけ、さらには流通という大冒険まで!


 もう確実に一食分以上の価値が生まれてしまっている。干しリンゴ一つが数食分、下手したら十数食分だ。

 ……エンゲル係数が五十パーセントへ届きかねない時代なのに!

 そして驚くべきことにリンゴの栽培もされていない! この地は本当にヨーロッパなのか!?


 これなら胡椒の方が、まだ安い。

 同じ重さの金と交換などと称されたのも、それは恣意的な貿易関税を掛けられた結果という。

 日常的には銀と等価値程度が相場だ。

 そして一年の消費量を五十グラム程度と考えたら、銀貨十枚程度でしかない。倍で計算しても二十枚だ。

 つまり、生活必需品にしては高い程度。ギリギリ庶民でも賄える範囲だろう。

 だが、ドライフルーツは無理だ。自作品でもなければ、おいそれと口にできるものではなかった。


 ……水飴の量産をはじめようかな?

 少なくとも自分やエステル、サム義兄さんとダイ義姉さんの分くらい、お菓子を賄える程度に?

 もしくは食後のお茶に水飴を一匙?



 とにかく「今日もクルミを割る作業が始まるお」なので、夕食は切り上げてしまおう。

 二股のフォークに食べ切れなかった豚肉を突き刺し、さりげなくテーブルの下へ放る。

 抜け目のないタールムが足元でうにゃうにゃ鳴き始めた。

 静かに食べろ! レトに見つかる! ……というか、見つかった。

 だが――

「もっー! でも、今日は勘弁して差し上げます。半分だけでもお代わりされましたし」

 といった風だった。許されたらしい!

 その隣に座る母上は――

「あらあら、まあまあ! 吾子は悪戯っ子ですねぇ」

 な感じでニコニコだ。

 ……少しだけ愛が重い。もしかしたら母上は、僕が何をしようと全面肯定されるかも?

 いや晩酌のワインで、ご機嫌になられてるだけ!?

 なぜか赤面してしまったのを誤魔化すように、お椀に残っていた汁物を飲み干す。


 ここで『お椀』に首を捻られる方もいるだろう。いや、詳しい方なら『二股のフォーク』の時点から?

 しかし、驚くべきことに、この古代だか中世だか判らない推定北部ヨーロッパ地方では――


 食器が使われていた! つまり、食文化が手掴みじゃない!


 誰もが個人の所有物として『食事用のナイフ』『二股のフォーク』『お椀』を持っていた。

 さらに何とも不思議な習慣で……食事に使った後は各自で洗って、また懐へと戻して持ち歩く方式だ。

 そして西洋文化としては珍しく『お椀』へ直接に口を付ける。

 ……汁物に匙を使わない文化は、実のところレアだったような?


 それに中世ヨーロッパは、よく手掴みが基本と話のネタにされてしまう。

 しかし、それは間違ってないけれど、誇大表現でもある。

 確かに手掴みの時期もありつつ、定期的に食器文化は隆盛し……残念ながら定着しなかった。……中世後期まで。

 なので上ぶれ中と考えたら、おかしくはない。


 しかし、それよりもカーン教徒の存在が大きいようにも思える。

 このカーン教、どうやら戒律が厳しいらしく、色々な義務や禁忌があるようだった。

 ……それ故か毎食の前後に短い祈りを捧げるので、容易に識別可能だし。


 ちなみに食事の前に祈るだけなら、その人は唯一神教徒だったりする。

 食前食後に何もしなければ、それはドル教徒か無宗派だ。

 ……この場合の無宗派は無神論ではなく、『特定の神を信仰しない』程度の意味で。

 おそらく神の存在を否定したら、もれなくキチガイ扱いされる。そういう時代だから良くも悪くもいえない。

 だが、それでいて無宗派層が大多数だったりは、さすがに驚く他なかった。

 ……古代から中世にかけて、こんなに宗教勢力は弱かったのだろうか!?


 とにかく話を戻すと――

 カーン教において手掴みで食事は重大な禁忌らしく、絶対に見逃してくれない。

 具体的にいうとスープを入れた寸胴鍋へ、もし手を突っ込もうものなら――


 問答無用に鉄拳制裁だ!


 嘘じゃない! この目で僕は見たし!

 田舎から兵士として城へ上がって来たばかりの新人さんが、これぞ地方の流儀とばかりに鍋へ手を突っ込んで……本気で殴られていた!

 確かに『寸胴鍋からスープの具を手で』とか『寸胴鍋で直に回し飲み』などは歓迎したくない。

 だからといって殴るのはやり過ぎだろう。話せば分かると思うけれど、カーン教徒には容認できないらしかった。


 うーん? やっぱり宗教は近視眼的? それとも特殊例なのだろうか?

 だが、仲裁する者もいなかった! 親切な人でも理由を説明してあげるぐらいで……ある意味、最もズルい!

 カーン教徒でなくとも、少し乱暴と思っても……鉄拳制裁を黙認してれば、スープ鍋への素手攻撃を防いで貰える。

 ……なんとも後ろ暗いWin―Winだ。

 結果、手掴み派は徐々に排斥され、オフィシャルな場では『お椀』が必須となり、ついでに『二股のフォーク』も標準となった。

 これが僕の想像だ。……まだ地方では『手掴み・回し飲み』が通じるみたいだし、それほど見当も外れていないと思う。


 無宗派で通せるなら万々歳だし、食器文化も大歓迎だけど……疑問も残る。


 ドル教は、なんとなく想像できなくもなかった。

 やはり原始的な自然信仰や日本の神道と似通った要素が多い。また布教や民衆への干渉より、呪いや儀式が中心となっている。

 もう「なるほど普遍的古代宗教だ」という他ない。

 それでいながら政治的発言権を失っていて――というか母上に排斥されていて、かなり立場を危うくしていた。

 まあ僕にしたら「諦めて早々に殺すべき」と宣託されてたそうだし、こちらから配慮してやる必要は感じない。

 このまま程よく政教分離を推し進めれば良いように思える。……とある理由で文官達からも煙たがられてるし。


 そして唯一神教は……世界でもっとも有名な聖人が興した例のアレだろう。

 つまり、いま現在は紀元後だった?

 それ以外の情報は個人的に、どうでも良いというか――

「どうして覚醒したら話し掛けてくるように?」

 と皮肉な気分にさせられつつも――

「こんなに政治力も発言力もない集団だった?」

 と驚きを隠せなかった。

 蔑まれてはいないけれど、決して敬われてもいない。

 この地で一番有名な新興宗教。その程度の扱い、発言権、政治力といえる。……べつに悪い宗教でもないのになぁ。

 もしかしたら紀元後といっても、まだ砂漠の時代だったり?


 だが、この両者よりカーン教は謎が多かった。

 全階層に散見できるけれど、なかでもボーと呼ばれる奴隷階級に篤く信仰されている……のかな?

 かといって社会的弱者中心ではなく、騎士ライダーなどにも信者はいる。

 ……なんとも捉えどころがない感じだ

 そして僕の見分が狭いのか、地球での何某と同定できる宗教が思い付かなかった。強いていうのなら仏教に近い雰囲気か。

 ……一度は成立したものの潰えて、そのまま歴史の闇へ埋もれていった宗教は、数え切れないほど存在する。

 それらのうち一つだろうか?

 さらに特定はできないのだけれど……何か足りない気がする。それも重大な何かが。


 そんなことを考えながら、ぼんやりと騎士ライダー達のテーブルを――それもカーン教徒らしい子供が食後の祈りを捧げているのを眺めていたら――

「あいつらを呼ぶかい、リュカ?」

 とサム義兄さんが気を利かせてくれていた。

 ……その表情から窺えるのは保護者的父性が半分、歳相応の葛藤が半分だろうか?

 つまり――

「引っ込み思案な義弟を子供のコミュニティへ仲立ちするのは、自分の役目!」

 な意気込みに――

「どうしたらリュカは皆と仲良く!?」

 という不安だ。


 ……うん、こりゃ失敗だったね。油断してた。


 もちろんというか当然というか……僕達きょうだい以外にも、この城には大勢の子供がいる。

 城というのは、色々な人の家でもあるからだ。

 といっても半数近くは独身の住み込みだし、結婚していても家庭は城下だったりだけど……一部の者は、夫婦や家族ぐるみで城に滞在している。

 例えば留守居役の騎士ライダー達は、ほとんどが奥さんも連れてきていた。もちろん子供がいれば、子供も。

 騎士ライダーといっても領地へ封ぜられてなければ、つまるところサラリーマン――年俸給与制だ。

 そして城詰めを命じたのなら社宅――城に部屋を用意してあげなきゃならない。

 文官だって高給取りでもなければ、城下へ別宅を構えるのは不可能だ。やはり同じように城で家族と一緒に暮らす。


 よって軍事施設――城だろうと子供はいるし、当然にコミュニティも形成されている。

 そして実のところ僕は、ガキ大将として君臨を望まれていた。それもジャイアンとスネ夫を足して二で割らないレベルで。


 これは逆の立場で考えたら判りやすいと思う。

 騎士ライダーや文官の家系にしてみれば、いま近い年頃の子供がいるのは大チャンスだ。なぜなら――


 御曹司と幼馴染になれる!


 古代から中世にかけて、これ以上のコネがあり得るだろうか?

 確かに僕の右腕的立場は、サム義兄さんに予約されている。しかし、左腕的立場は?

 そしてチャンスは男の子にだけではない。女の子へも開かれている。

 家格的に正妻は望めなかろうと……誰でも側室となるのは可能だ。ましてや世継でも身籠った暁には、さらなる栄達すら!

 どれほど偉大な皇帝や王だろうと、会ったことない者と情を交わせやしない。血筋や見た目よりも、身近にいる方がチャンスはある。

 ましてや幼馴染ともなれば!

 ……モテモテのスーパーアイドルだろうと結局は、地元の同級生と結ばれがちだし。


 そして御曹司側にもメリットはある。

 男の子だろうと女の子だろうと……幼少の頃から忠誠心を育んだ、決して代替の利かない人材を得られるからだ。

 これは史実にも枚挙の暇がない。

 日本でも、かの戦国覇者信長などはガキ大将を頑張り過ぎて、後世に色々と言われちゃっている。

 しかし、その頃に得た人材は忠臣として大活躍もした。

 そもそも信長と秀吉ですら、出会ったのは二人が十九歳と十七歳の頃だ。

 つまりは大学二年生と高三な感じで……僕にいわせたら、まだ社会へ出る前の知り合いに思える。

 ようするに武家の棟梁には、幼馴染の子分が必要不可欠なのだろう。たぶん。


 が、そうと判っていても僕には厳しい。

 さすがに――

「どの石を引っ繰り返したら、より多くのダンゴ虫を捕まえられるか熱く議論」

「『うんこ』や『ちんちん』と連呼し合って果てなく大爆笑」

「誰よりも完全なセミの抜け殻を得るべく、飽きることなく城中を探索」

 などは無理だ。

 いや、そういう時期は僕にもあったので否定はしないけど……その輪に入り込むのは難門すぎる。

 ……向こうだって、こんな中身はおっさんに混ざられたら困惑するだろうし。


 しかし、サム義兄さんの立場では「はい、そうですか」と肯く訳にはいかない。

 おそらく「なんとかしろよ、お前の乳兄弟だろ?」と、各方面から圧力も掛けられている。

 城の男どもは、なんとしてでも僕をガキ大将に――子供世代のリーダーにさせたいからだ。

 それで僕の将器も量れるし、子供達はコネを獲得し、大人達も安心できる。

 結果、可哀そうなことにサム義兄さんは、中間管理職的苦労を背負わされていた。

 ……まだ数えで十歳なのに!


 僕を含めて大人は、自分の才覚で問題解決しろよと思わなくもないけれど……僕自身からにして、ジュゼッペと何か作っている方が落ち着くという体たらくだ。

 とてもじゃないけど、誰かを非難なんてできそうもない。

 そして――

「え? いや……べつに……あっちのグループ見てたんじゃなくて……ちょっと今日は食べ過ぎちゃって……少し胃もたれするなって……えへへ」

 などと誤魔化すのが常となっていた。


 ……すまない、サム義兄さん!

 きっと僕ら全員が十代となる頃には、自然と関係構築も進むような気がするんだ!

 もしくは子供グループの中へ入って『うんこ、ちんちん』と連呼する覚悟が!


 さすがに判ってきたのか仏頂面となっていたけど……僕には判ってる! サム義兄さんなら許してくれると!

 え? 年下の義兄に全開で甘えるのは?

 だが、ちょっと待って欲しい。それが許されるのが――


 家族といふもの! 僕は酷すぎやしない! 少しアレなだけだ!


 ……などと葛藤していたら、心配してくれたのかエステルが頭を撫でてくれた。どこか痛がってると思ったようだ。

 嗚呼、素直で優しい義妹は最高だ! こんなにも屑い義兄だろうと全肯定してくれるし!

 でも、どうしてエステルは、僕が本気で落ち込んでたり悩んでたり判るんだろう? ……謎だ。


 しかし――

「なにをボンヤリしてるのよ! さっさとクルミを割って頂戴! 待ちくたびれちゃうじゃない!」

 とダイ義姉さんはスパルタだ。

 ……どうせ一つか二つしか食べない癖に! そして自分でもできる癖に!

 なぜかダイ義姉さんは『僕にクルミを割らせて食べること』に喜びを見出している。

 もう意味不明でしかない! かくも姉なるは暴君!? ちょっと不公平だろう!

「……いま、やるところだったんだよ」

「そうだったの? じゃ、急いでね」

 と、ご丁寧にもクルミ割り器を手渡される。

 いくら義姉さんでも、さすがに屈辱的だ! 義弟は下僕じゃないんだぞ! ……ありがとうございます?!


 もちろん何も言い返さず、日課のクルミ割りを始めた。

 どうせダイ義姉さんは一つ二つで満足する。エステルだって似たようなものだ。

 さすがにサム義兄さんの分は多いけれど……親愛なる我らが長兄の為なら、この程度は労苦ですらない。


 それに家族団欒の時間ともいえた。

 きょうだい四人と一匹、食後は集まってクルミを食べたり、なにか娯楽――双六やチェスに似たゲームなど、それなりに存在した――に興じたり、誰かの奏でる音楽へ耳を傾けたりで、就寝までを過ごす。

 これは僕たち家族だけでなく、城の誰も彼もが同じだ。

 城の食堂は食後に談話室へと変わり、それぞれ思い思いに寛ぐ。


 さすがに最初は奇妙な風習にも思えた。

 しかし、素直に利点へ注目すれば、なるほど生活の知恵だと唸るほかない。もう当然すぎるほどの節約術だ。


 どうやって賄おうと光熱費は高い。それは技術レベルに由来するので、いかんともし難かった。

 ……母上のように松明を排して蝋燭中心だと、さすがに少し割高だけど。

 しかし、一つの蝋燭を――灯した明かりを何人かでシュアすると、かなり対費用効果は変わる。

 もし一人だけで恩恵を被るのなら、それは放蕩レベルの贅沢だろう。

 だが、数人では? いやさ、十数人でなら?

 そして当然に問題は灯だけで留まらない。暖房でも同じロジックは通じる。


 いま現在も城の食堂には、かなりの蝋燭が灯されていた。

 この経費を計算したら、とんでもない数字となるはずだ。……もしかしたら秒速での方が把握しやすいほどに?

 だが、それでも一人当たりの経費へ直せば安かった。

 数人で蝋燭一本程度な割合だろうから、当たり前といったら当たり前か。いくら生産性が低いといっても、そのレベルまで効率を良くすれば安くもできる。


 結局のところ人は――人類は群れるという戦術を、とことん利用して繁栄した生物なんだと思う。

 おそらく独居生活なんて近世となってから。早くとも近代から可能となった一時的流行に過ぎない。


 それに悪い光景でもなかった。

 ……パッと見は、蛮族の荒々しい宴と見間違えかねなくてもだ。


 早くも男達は本格的な酒盛りへシフトしている。

 そして飲みながら飽きもせず馬鹿話を繰り返したり、双六や盤上ゲームに興じたりだ。

 ……結局のところ男のアフターファイブは、何千年も変わっていないのだろう!


 対するに女の人達は暖炉の傍へ陣取りながら、手慰めとばかりに縫物やら編み物やらを始めていた。

 ……女性は長時間労働となりがちなのも、これまた何千年も続いているらしい。

 しかし、何とかするべきか母上に相談したら――

「あれは皆でお喋りをする口実なのです。放っておいてあげなさい」

 と諭された。

 なるほど。女性はお喋りでストレス解消するという。そういうアレか?

 よく観察していれば酒の好きな女性はエールを飲みながらだったりで、ギリギリ娯楽と見做せなくもない。


 もちろん子供達だって恩恵を被っている。

 男の子達は――

「うんこ!」

「ちんこ!」

「ゲラゲラ!」

 と傍から見たら、まるで宴会ゲームの真っ最中だ。素面なのに!

 ……本当に男の子は進化してない。現代日本の大学生すら同レベルだろう!


 女の子達は、母親達の真似なのか……なにかビーズのようなもので、なにやら熱心に作っていた。もしくは素材となるビーズ自体を。

 『女の子は最初から女に生まれる』は真実だった?

 手慰みとお喋り、それへオシャレの努力が追加されて最強に楽しい?


 やはり現代人の感性では、ひどく原始的で退屈に思える。

 そして放っておけば、おそらく百年経っても変わらない。百一年目の夜にも、きっと同じように集まってるだろう。

 だが、転生して――転生して意識を覚醒させて以来、文明と幸福の関係について考えさせられる。

 『昔は良かった』はずがない。

 これが絶対確実の真実だろう。その歩みが遅くて判り難かろうと、人は進歩し続けてきた。

 かといって、発展したら正されるとも断言はできない。それも事実だ。


 ……城の皆が野蛮に見えたとして、その文明人様とやらはお偉い?


 皆が団欒する様子を、軽視してはならなかった。

 なぜなら僕は、それを良くすることも……台無しとすることもできる。

 もし壊してしまったら元へは戻せない。決まりや習慣などは勿論、誰かの命も。

 となれば現代知識の導入には、繊細な注意が――



 そこでレトに話し掛けられ、思索から引き戻された。

「若様! お薬をお持ちしましたよ!」

 ……あれぇ、なに言ってっだ義母かーちゃんは? ちょっと話の辻褄が合わなくなるっぺよ?

 しかし、レトは愛用の薬箱を開けて――

「食べ過ぎのお薬は……えっと……――」

 と探し始めていた。

 ……嗚呼っ! はいっ! 確かに「食べ過ぎたって」口走りましたわっ!

「はい! 食べ過ぎのお薬ですよ、若様!」

 だが、そうレトが差し出したのは、やや黄色味を帯びた結晶にしか見えなかった。

 さらにサム義兄さんが――

「ゲップ石だ!」

 と嬉しそうで不吉すぎる。

 ああ、これ男の子受けする感じ? ………………嫌な予感しかしない!


 ぶっちぎりに信用できないものといったら、この世界の薬学と医学だ。

 これは決して偏見などではない! 事実だ! 信用してくれていい!


 例えば有名な治療法に瀉血というものがある。

 これは――


 体調不良や病気とは体内バランスの崩れが原因であり、故意に出血させて正す


 などという理屈で行われるが、もちろん医学的には出鱈目だ。

 無意味どころか、やらないほうがマシと立証もされている。まさに百害あって一利なしだ。

 しかし、科学が発展してない時代、とりあえずの理屈があれば受け入れられてしまう。

 ……それでいて否定するのには、問答無用レベルな説得力が必要だし。


 そして僕の立場になって考えてもみて欲しい。

 何処かを打ち身で腫らしでもしたら、「適当なところを切開して瀉血しましょう」と言い出されるのだ!

 あるいは頭痛だったら、こめかみの辺りを!


 薬学は薬学で恐ろしいことに人肉――『ヒトに由来する生薬』すら扱っている!

 これは全世界的事象だから、まさかの世界標準だ!

 最先端科学ですら活用しているので、全くの出鱈目ではないのだけれど……さすがに悍ましい。

 また九割方は薬効のない迷信に過ぎず、どちらかといえば調達手段の方が害悪だ。



 という訳で僕にとっての恐怖の象徴、レトの薬箱だけれど……そう馬鹿にもできない。

 まず柳の葉っぱに感心だ。

 これは煮出して鎮痛剤とするが、なんと科学的に薬効を認められる。アスピリンの主成分だからだ。

 そしてバターだろうか?

 なぜか食用してないバターも、薬箱では常連だ。

 あかぎれや手荒れ、火傷、唇のひび割れなどの治療に使う。現代でも代用されるくらいだから、まあ正しい部類か。

 ……民間療法でも、それなりに頼れる証拠といえる?

 他にも色々な草花を干したものが、大事に収められていたりで……薬効は期待できなくとも、大きな害はない……と思いたい。

 しかし、『イモリの黒焼き』や『蝙蝠の羽根』、『蛙の干物』なども見え隠れしている。正直、コワイ。

 もしかしたらキリスト教が躍起になって排除した魔女の、いわば原型に当たるのかもしれなかった。



 などと考えている間にも、サム義兄さんはハイテンションだ。

「ゲップ石だぞ、リュカ! うひひ……たくさん出るんだ! ゲップがいっぱい!」

 あー! もー! どうして男の子は、こういうのが好きで好きで堪らないの!?

 こうなったら『ゲップ石』で笑いを取っちゃうか? おそらく薬害は無いだろうし――


 ……うん? なんだろう? 引っ掛かるぞ?


・それは食べ過ぎの薬として使われる

・見た目は黄色みを帯びた結晶

・副作用として?ゲップがたくさん出る


 ……残念ながら思い当たらない。

 でも、喉元まで答えは出かかっている感じだ! おそらく僕は知ってる! でも、なにを!? 

 意を決し、少しだけ『ゲップ石』を齧る。

 ……微かに苦い? いや、しょっぱいか?

 だが、それよりも――


 口の中でシュワっと溶けた!? まるでラムネ菓子だ! これ……もしかしたら!?


 卓上へ置かれていたレモンを半分に切り、残った『ゲップ石』の上で果汁を絞る!

 すると――


 勢いよく泡が発生した!


 しかも、その頻度や泡の大きさに見覚えがある! 炭酸水の泡とそっくりだ!

 間違いない! これは重曹だ! それも天然物らしいから――


 トロナ石か!


 重曹を口にすれば、たしかに胃酸と反応してゲップが大量に出る。胃の中で二酸化炭素が発生するからだ。

 これは胃酸過多や胸やけなどの症状緩和に有効だし、必ずではないが大食いは胃酸過多を引き起こすこともある。

 ……薬学的には当たらずも遠からずで、ちょっと惜しい?

 いや、胃もたれ自体が口から出まかせだから、どのみち駄目か!?


「しかし、なんだって薬として……重曹なら消臭や除菌、柔軟剤として利用の方が……それに歯磨き粉も……重曹あるのなら重曹の方が良いのに。僅かながら再石灰化も促すし……――」

 と頭を抱えかけたら、逆に驚かれた。

「ええ!? 『ゲップ石』って……食べたらゲップがでるだけじゃ!?」

 ……なるほど。落ち着こう。

「もしかして『ゲップ石』を――この『トロナ石』を発見したのって、わりと最近?」

「そうなんですか? あたしは領内で採れるとしか――」

 とレトが答えかけたところで、時の氏神が現れた。

「若! 『ゲップ石』は『裂け目』が出来てからですぞ! なので――英霊様方がカサエーめを打倒した後、建国王の治世より前ですな!」

 と爺やセバストがエールを掲げながら教えてくれたけれど……うーん? まだ教わってない歴史の部分な気がする。

 それでも爺やセバストの授業を振り返れば――


 たしかカサエーは帝国の指導者で、この地方へ親征を試みた人物だ。

 ……攻め込まれた側が、いまだ名前を言い伝えるレベルに強大で強力な。

 しかし、手強い侵略者を前に御先祖達は一致団結し、このカサエー率いる帝国軍を退けた。

 負けたら全員が奴隷へ落とされる。どうにも帝国はそういう相手らしいから、もう共闘でもするしかない。

 そして勝利後は、お決まりの吸収や合併を繰り返して国へと発展し……そのうちの一つが我が国だったりする。

 つまり、ギリギリ歴史の範疇だ。伝説とか神話レベルに昔の話ではない。数字へ直すと推定二、三百年前程度だろうか?

 それを踏まえると――


 この地の人々は『トロナ石』を発見したものの、まだ有効な活用方法を手探りしている最中だった。

 そして人類が未知の物を前に、まず最初に試す対応をした――実際に食べてみた結果、制酸薬であると認識した……のかな?


 ちなみに人類は、ほとんど何でも一度は口へ入れている。

 たとえば漆喰の材料となる珪藻土は、食べられるので有名だ。……消化されずに出てくるのを、食べられるというのであれば。

 しかし、それが判っているのは、誰かが試した証拠でもある。見た目は完全に土な珪藻土を。


 が、転生者である僕としては、せっかくの『トロナ石』という僥倖なのだから、暢気に食べてる場合じゃない!

 例の定番なアレ! そして当然の権利としてアレを量産するに決まっていた!

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