2-2 アンラッキーウサギの受難


「んーっ、やっと陸地だぁ」

 背伸びをするように腕を伸ばしたら、左手の辺りから不満そうな声が掛けられた。


『アルってば、鱗族シェルクのクセに陸が好きだなんて変わってるシィ……』

「シィ、それ……船降りるたび聞いてるからっ」


 水属精霊の小海竜オーシャード。見た目は空飛ぶタツノオトシゴだ。本来は海に棲息する下位精霊だが、契約によりアルエスと旅を伴にしている。

 といっても、主従というより友人か兄弟みたいなものだ。

 イタズラ好きだが少し臆病で、海から離れるたびに言っている。アルエスもすっかり慣れっこになっているので、さらっと流して終わりだ。


「さてっと、ご飯食べようかなぁ。でもその前に、宿屋決めちゃおうかな」

『アルはいつでも気楽でいいでシィ……』

「シィが心配しすぎなだけだよーっ」


 くすくすと笑いながら歩き出す。

 港町シルヴァン。ライヴァン帝国の主要港で、国外便や交易船も大抵ここに来てここから出航して行く。

 八年前にこの国を発ったのも、この港町からだ。


 大通りに入って人が増えると、シィは気配を潜めてしまった。

 精霊たちは人の感情に敏感な性質を持ってるらしく、特に臆病なオーシャードは人混みが苦手なのだ。

 そろそろ空腹を感じてきたので、アルエスは手近な食堂を覗き込んでみた。昼近い時刻のせいか、店の中は結構混み合っている。


 むしろどこかで何か買って、広場や公園に行った方がゆっくりできるかもしれない。……と、いろいろ考えていたら、不意に背中をぽんと叩かれた。

 思わず振り返れば、そこには気さくげな雰囲気の獣人族ナーウェアの青年がいた。どうやら彼が入ろうとするのを阻む位置どりになってしまっていたようだ。


「あぁっ、ごめんなさいですっ」

 慌てて飛び退くと、彼は人好きする笑顔で首を傾げる。


「あ、ナニ? お嬢さんは入んないのー?」

「んー……、ちょっと混んでるかなぁって、迷ってたところなんですよぅ」


 えへへと笑って肩をすくめたら、彼はひょいと店内を覗き込み、ありゃと呟いた。


「ホントだ、混んでるなー。ここ人気の店だからしょうがないケドさっ」

「へぇ、料理が美味しいんですか?」


 つい聞き返したら、彼はにこにこ笑って教えてくれた。


「料理もいいけど、ここの女将おかみの歌がすげェ有名なんだぜー。ま、今日は入港のある日だから仕方ないっかなー」

「そっかぁ、残念だなぁ」


 アルエスは鱗族シェルクだから歌には興味がある。今度空いてそうな時に来てみよう、と心中決意を固めていたら、彼に話しかけられた。


「オレ、別にいい場所知ってるからそこ行くけど、一緒に来る?」

「え、えぇっ!?」


 突然のナンパにどきまぎしつつ、アルエスは青年を見返す。なんとも人の良さそうな笑顔だが、警戒すべきだろうか。

 久し振りのこの地で勝手が分からない現状、誘ってもらえたことは純粋に嬉しいし、ありがたいのだが。

 迷うアルエスを見て、彼は慌てたように言い添える。


「あー、イヤならいいんだぜ、見ず知らずで通りすがりのウサギにこんなこと言われても、アヤシイよなー? あははっ」


 その台詞に、ついアルエスは目を見開いて彼の顔をまじまじと見つめた。

 金茶の髪と明るいオレンジの双眸。へらりと垂れた茶色の長い獣耳。……垂れ耳?


「ウサギっ!?」

「あはっ、そこ反応する場所と違うぜー、でもホント、ウサギ。ワンコじゃないよー」


 人懐ひとなつっこく笑う彼の長い耳が、ひょこりと動いて持ち上がる。……垂れ耳のウサギが耳を立てられることを、アルエスは初めて知った。


「あはは、お兄さんなんか可愛いー!」

 思わず笑い出すアルエスにつられるように、彼もケラケラと笑いながら応じる。


「可愛いとか言われるとちょっと複雑だぜっ? ってかホラ、オレ、ハラ減ってるし? どーする?」


 ジャストタイミングでぐぅと鳴いたのはどちらの腹の虫か。

 思わず顔を見合わせ、どちらが先となくぷふっと吹き出した。


「えへ、ありがとです。お兄さんイイ人そうだし、お願いしちゃおうかなっ」

「おぅよ! ってコトでよろしくなー。オレはフリック、獣人族ナーウェアのウサギ」

「ボクはアルエス、鱗族シェルクですよぅ。よろしくですっウサギお兄さん」




 彼が連れて行ってくれたのは、そこから歩いて少しの酒場だった。

 自分ひとりなら確実にスルーしていただろうけれど、入ってみれば店内はこざっぱりしていて感じがいい。


「お兄さんも一人旅なんですか?」


 適当な軽食を頼んで、そのままの流れで一緒のテーブルに着くと、アルエスは改めて向かいの獣人族ナーウェア青年に尋ねかけた。

 大国なだけに領土も広いライヴァン帝国には人間族フェルヴァー以外の住人もたくさんいるが、彼の身なりは旅人のそれだった。


 軽装ではあるが丈夫そうな生地のジャケットと、ベルトに刺した短剣とポーチ。空いた椅子に置かれたリュックは妙に重そうだ。

 丸めた毛布がくくりつけてあって、その上にはなぜか、白い伝書鳩がぽてりと乗っかっていた。


「まぁね、旅人ってかトレジャーハンターだぜっ。うん、ほらなんて言うかな、ロマンロマン」


 へらへらと笑いながら答える彼の首には、不思議な光沢を放つ石のペンダントが揺れている。なんとなく視線を奪われつつ、アルエスは頬杖をついた。


「宝探しが稼業って、なんかカッコイイですねー。その石もキラキラしててキレイですよぅ」

「へへ、サンキュ。ってこれは、オヤジの形見なんだぜー。まぁさ、宝探しなんて当たればデカイけど、オレってばアンラッキーだからさ、あんまり向いてないかもなぁ、あっは」


 口調は軽かったが、色々と苦労があるのだろう。


「そうなんだぁ。それじゃお兄さんは、お父さんの分も頑張らなきゃないから、タイヘンですねー」

「あー、いや。どうせ一人だし? お袋はもうずっとちっちゃい頃に死んじゃってるからさ、兄弟もいないし……、オヤジ亡くなってからはテンガイコドク、って奴?」


 どくん、と心臓が跳ねた。

 無意識に指先で足首のアンクレットに触れながら、アルエスはうつむいたまま曖昧あいまいに笑う。


「そ……そうなんだぁ。ボクとおんなじですねー……」

「え? あぁぁゴメンゴメン、オレなんかヘンなこと話しちゃってるよなー?」


 アルエスの表情の変化に、焦った風でフリックが言った。

 彼女はえへ、と笑顔で顔を上げる。


「ううん、ボクの方こそゴメンなさい。ボクも、両親とか兄弟とかいないから……いろいろ思い出しちゃったっ」


 はにかむように笑って、白い真珠の足飾りを差し出して見せた。普通の真珠とは違い、光の加減で微かに青みを帯びて輝く。


「ボクもこれ、母の形見なんですよぅ」

「へぇ、……そうなんだ。うん、なんか……すげぇ綺麗だなー」


 えへへ、とアルエスは得意げに笑う。


「ボクのお母さん、すっごく素敵な鱗族シェルクだったんですよぅ。だから、忘れようとか思ってないし、今でもボクの自慢の母なんですっ」

「そっかー、そうだよなー。オレのオヤジも、すげぇ腕利きのハンターだったんだぜっ! ……ウサギだけど」


 つられたのか、フリックもにへらと笑ってそう言った。アルエスが目を丸くする。


「トレジャーハンターじゃなく、狩人ハンターだったのっ?」

「ほら、オレひ弱でハンター向いてないから宝探し、みたいな? オヤジはでかかったんだぜー! 森に入るとクマとか岩とかに間違えられてさー、ウサギなのにさっ、あはは」

「へえぇっ、クマみたいなウサギさんってなんかすごっ!?」


 アルエスが身を乗り出した、その時。

 がらんと入口が勢いよく開けられ、元気のいい怒鳴り声が飛んで来た。


「失礼ッ! 怪我人を運んで来たんだが、『かど岩狸いわだぬき』亭とはここで良かったのだろうか!?」


 逆光ではっきり見えないがすらりと背が高く、歯切れのいい男言葉。だが、その声は男性にしては少し高い。

 肩を貸すような格好で誰かを担いでいるのだろう、もう一人分の影が重なって見えた。


「ああ、そうだが……、おお? こりゃうちのバカ息子じゃねーかっ」

「近くの通りでケンカに遭遇したのだ。曲者くせものは追い払ったが怪我をしているので、応急手当てだけして連れて来た」

「すまないねぇ、礼がわりに何かおごるから、入ってくれねえかい?」


 店の主人が出て応じている。

 降って湧いた騒動に視線を釘づけられている二人に、かすかな声が届いた。


『アル、あのヒト……魔族ジェマだシィ』


 びくり、とアルエスが身を震わせるのを、フリックは見た。

 確信がよぎる。


「アルエスちゃん、もしかして」

 彼女はうつむいたまま、作り笑いめいてあはは、と笑った。


「お母さん、魔族ジェマにやられちゃったから」

「……そっかー、でもまぁ、ここは人間フェルヴァーの国だし、魔族ジェマってもいろいろいるしさっ……」


 慰めるべきかどうか分からず、中途半端に笑ってフリックが言う。

 アルエスはひきつった笑顔のまま、それでもこくりと頷いた。


「うん、分かってるんだー……。でも、ちょっとやっぱりまだ、もうちょっとダメ……かな」

「そっか、うんうんそゆコトもあるさね? まァほら、関わらなければいいだけだし」


 その時またも、入り口が乱暴に開けられた。

 今度飛び込んで来たのは、いかにもヤクザななりの男が複数名。


「オィっそこの魔族ジェマの娘っ子! てめーかウチの仲間ノシて行きやがったのは!!」

「なんだおめーら、話は後で聞いてやるからとっとと出て行きやがれ」


 店の主人に睨まれて、彼らは声を荒げる。


「そもそもテメーんちの若造がウチのショバ荒らしやがるからだろ!?」

「うるせえ。なんで正規の商売してるこっちが、おめえらの法外なショバ代に付き合わなきゃならねえんだ、ああ?」


 不穏な雲行きだ。指を刺された『魔族ジェマの娘っ子』は気圧けおされた様子もなく、肩越しに男たちをきつく見返す。


「あれはどう見ても、多勢に無勢でおまえたちの方が卑劣ではないか。店の中で騒いでは、客人に迷惑だろう? 私に用があるのなら、相手してやるから表へ出ろ!」

「てめっ、態度がエラソーででけえぞ!」

「嬢ちゃんも、そんなバカども相手にすんじゃねえ」

「バカって言うな!」


 主人の言に向こうがキレた。いきなり腰から刃物––––恐らくナイフ、を抜いて魔族ジェマ娘に斬りかかる。

 彼女はそれを身軽く避けて、腰ベルトに付けていた長い武器を外し言った。


「もう一度言うが、店内では無関係の客人に迷惑がかかる。表に出ないなら手加減はしないがそれでいいのだな!?」

「うるっせぇ!」


 叫んで突っ込んで来た男のナイフを、彼女は鮮やかな剣さばきで弾き飛ばした。

 勢い良く宙を舞ったそれが落ちる前に、武器––––長さからしてさやに入ったままの剣、を相手の鳩尾みぞおちに叩き込む。

 ぐふ、と変な声でうめいて、男はがくりと崩れ落ちた。


 まるで剣舞のような鮮やかさに、店内が水を打ったように静まり返る。

 すとんと落ちてテーブルに突き刺さったナイフを見やり、彼女は次いで茫然ぼうぜんとしている残りの男どもを見て、尋ねた。


「まだやるのか?」

「う、うわァァ覚えてやがれーーッ!!」

「おいっおめえら、この木偶でくの棒も連れて行きやがれ!」


 お決まりの捨て台詞を残し薄情にも仲間を見捨てて逃げていった男たちに、店のオヤジが怒鳴る。が、彼らは戻っては来なかった。


「やれやれだ」


 魔族ジェマ娘と主人がそれに気を取られ、外に視線が行った隙に。ぴく、と気絶していたはずの男の手が動いた。––––途端。


「うっわー、すげー! 姫ちゃん強いなー!!」


 いきなりお調子者風にフリックが叫んで手を叩き、彼女と主人が思わず振り返る。

 男が身体を起こして、彼女の武器をつかんだのとほぼ同時だった。


「何をする離せッ!」


 もう一瞬遅れていれば、剣を奪われていただろう。

 単純な腕力ならば人間フェルヴァーの男の方がはるかに勝るため、彼女は焦った風に両手で剣を握った、瞬間。


「てめえまだ懲りてねえのかッ!」

 主人が、地響きみたいな一喝をして両手を振り上げた。



 ガコ……ッ!



 組み合わせた拳を渾身こんしんの勢いで男に叩きつけ、弾みで男は剣から手を離して吹っ飛ぶ。それはなぜか、フリックとアルエスがいた席の方向で。


「う、わぁぁ!?」


 頓狂とんきょうな声を上げたフリックの右手がテーブルに触れ、強く押し出す。

 それに押されてバランスを崩したアルエスの真横に、ちょうど線上にいたフリックを巻き込んでヤクザ男が突っ込んで来た。


「きゃ、きゃあぁっ! ウサギお兄さん、大丈夫ーッ!?」

「あはっ……オレってば今日もベリーナイスにアンラッキー……」


 へらりと笑ってフリックは、男の下敷きになったままかくんと気を失う。


「や……、お兄さんっ!?」

「大丈夫かッ!?」


 焦るアルエスの側に、先ほどの魔族ジェマ娘が駆けて来た。

 一瞬びくっと身をすくませるが、向こうは気づいた様子なく、しゃがみこんでフリックの首筋に指を当てた。


「あぁ、良かった脈はあるな。でも、打ち所が悪いと大変だ、医者に連れて行かねば!」


 フリックの上で気絶している男を退かそうと四苦八苦している彼女の横で、どうしたものかと思いながらアルエスは、ひとまず彼の荷物を持ってこようと引っ張って、……あきらめた。

 なんだこれ、見かけ以上に重いのだが。

 仕方ないので鳩をよけて毛布だけを外し持っていくと、店の主人がヤクザ男を退かしたところだった。アルエスから毛布を受け取り、彼の頭の下に敷く。


「すまねえな、嬢ちゃん。久々過ぎて加減間違っちまったよ。まァ、でっけえタンコブできたぐれえで心配はいらねえ」

「あ、はは……、それはラッキー、なのかなぁ……?」


 この期に及んでラッキーも何もあるかと思いつつ、何やらフリックの口癖がうつったのだろうか。

 魔族ジェマ娘は泣きそうな顔で主人を見上げる。


「御主人! それでも椅子の角に当たったのだから、やはり医者に診せた方がいいと思うのだ。どこか近くで良い医者はないだろうか!?」

「まあ落ち着け魔族ジェマの嬢ちゃん、あんた名前は?」


 問われて彼女ははっとしたように立ち上がった。


「失礼、名乗りは最低限の礼儀だというのに、焦り過ぎて失念していたようだ! 私はジークリンド……リンドと覚えてくれればそれでいい。……えぇと、そなたは?」


 彼女にまっすぐ見られて、アルエスの心臓がどきんと跳ねた。


「あ、……ボクは、アルエスって言います。こっちのお兄さんは、フリックさん。トレジャーハンターしてるそうなので、定住所はないのかも」

「そうなのか。なんだかわくわくするような職業だな……ッて、それよりも医者だっ」


 彼女の口をついて出た感想が自分のと同じで、アルエスはふっと気持ちが軽くなるのを感じた。

 その、親近感に近い感情に後押しされ、少しだけ、さっきよりしっかりと彼女の横顔を観察してみる。


 意志の強そうなサファイアの目と、晴れた日の海に似た鮮やかな蒼い髪。

 綺麗というより凛々りりしい印象だが、その瞳はまっすぐで真剣だ。不意に、くすぐったいようなおかしさがこみ上げた。


「……あはっ、リンドさん、焦り過ぎですよぅ?」

 隣で吹き出したアルエスに、彼女は困惑したような顔を向ける。


「そ、そうか……? でもやはり、こういう場合は一刻を争うものだろう?」

「へへ、ボク、精霊魔法使えるのでヒールウォーター召喚しますねっ。リンドさんは、怪我ないですか?」

「なるほどっ! 考えてみれば外傷が著しくなくとも、魔法は有効なのだよな!? 本当に、焦り過ぎていろいろ忘れ過ぎだ……ッ」


 リンドはそう言って安堵あんどしたように笑った。

 アルエスも一緒に笑いながら、得意の治癒魔法を唱える。


 ––––なんだ、おんなじだぁ。

 ならず者相手に怒ったり、真剣に誰かを心配したり、焦ってパニックしたり、失敗したり。

 改めて考えれば当たり前のことなのだが、アルエスにとってはものすごい発見だった。そしてただそれだけの発見が、なんだかとても嬉しかった。


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