2.出逢いは偶然に、はじまりは突然に

2-1 出逢いは偶然に


「生きて、何があっても。この世界でたくさん学んで。愛しているわ」


 ––––それは母の、最期の言葉。

 突き動かされるように走り出し、消えない悲しみを抱いたままそれでも生き抜くため、進み続けてきた。




 +++




 世界はその昔、強大な力を持つひとりの竜によって創られた、と言われている。

 光を統べるというその竜は、一つの世界に二つの大陸、無数の島を置き、数多あまたに散らばる諸要素を六つの属性に分けた。

 そしてそれぞれの元素から六つの種族を創り出した。


 炎の民、人間族フェルヴァー

 風の民、翼族ザナリール

 水の民、鱗族シェルク

 土の民、獣人族ナーウェア

 光の民、妖精族セイエス

 闇の民、魔族ジェマ


 各種族には長が立てられ、彼らは互いが互いの権利を犯すことなく協調し、平和を保って生きていくことを定めた。

 しかしその平和は、魔族ジェマの王の離反によって突如とつじょ終わりを告げられることとなる。

 魔族ジェマには、他種族にはない特殊な能力と衝動があった。他の種族の者を喰らい、それを自身の力に換える魔性の力が。

 彼らは魔物ではなくあくまで人族であり、喰らわずにも生きて行けるとは言え、その欲求は肉食獣の本能に似て彼らを強く突き動かすものだった。


 闇の王の真意はいまだ、解らない。

 彼は協調の盟約から離反し、魔族ジェマの独立を宣言した。それはつまり、殺戮さつりくと戦乱の時代の幕開けを意味する。


 多くの者が狩られ、殺され、魔族ジェマと他種族の間には憎悪に近い確執かくしつ穿うがたれた。それから幾代か時代は過ぎて、いつしか戦乱は鎮まり、今は国家同士の盟約によって世界は仮初かりそめの平和が保たれている。

 それでも一部の魔族ジェマはいまだに、人を喰らうことを辞めてはない。

 彼女の母や仲間たちも、その離反による犠牲になったのだ。




 +++




 荒い息遣いを間近に感じながら、アルエスは自分が旅立った日のことを思い出す。

 これまでも危険なことは幾度もあったが、そのたびなんとか切り抜けてきた。

 だが、今回はもう絶体絶命だ。何せ相手は人ではない。飢えて凶暴になっている野生の獣なのだ。


(あぁ……っ、早くあきらめてくれないかなっ……)


 魔法で姿を隠しているといっても、これはあくまで幻覚の域。人には有効だが獣の嗅覚までは誤魔化ごまかせない。

 運良く香木こうぼくを見つけてその根元に隠れられたのは、不幸中の幸いだったが……それもいつまで保つか。


 不意にがさりと茂みが揺れて、アルエスはびくりと身をすくませた。動くと魔法効果が切れてしまうので、目だけ動かしそちらを見、息を呑む。

 人間族フェルヴァーの若い男、だ。白に近い青みがかった髪と、鋭い紺碧こんぺき双眸そうぼう。魔法の効果は続いているはずなのに、目が、合う。


 何か言わなきゃ、と思った途端、彼は茂みの中に引き返していった。––––直後、身の毛のよだつような絶叫が響き渡る。

 思わず耳をふさいでしまい、それで魔法が解けてしまってアルエスは焦った。水音が弾け、彼女の契約精霊が同じく焦った風で現出する。


『アル! 集中切れちゃったシィっ、逃げるでシィ〜〜!』

「え、……ああっ、きゃあぁぁ」


 慌てて駆け出そうとして木陰から現れた影にぶつかりそうになり、アルエスはパニックして悲鳴を上げた。

 水精がアルエスを落ち着かせようと彼女の顔に水を吹きかける。


「ちょ、シィ冷たっ」

海の精霊オーシャード?」


 影が、声を発した。

 釣られて見上げ、その背の高い人物がさっきの人間フェルヴァーだと気づく。


「もう大丈夫。君を追ってたヤマネコはもう殺したから」

「えっ」


 ならばさっきの絶叫は、獣の断末魔だったのか。

 絶体絶命のピンチを、この見ず知らずの男性は危険を冒して助けてくれたのだ。




 彼はアルエスを近くの街で送ってくれて、その途上で少し話もしてくれた。

 あの森には聖域があって、彼は産まれたばかりで病弱な娘のため、精霊の祝福を祈りにきたのだと。


 この街も、聖域のある森も、ライヴァン帝国という人間族フェルヴァーの国の一部だ。鱗族シェルクを母、人間族フェルヴァーを父に持つアルエスにとって、訪れてみたかった場所でもある。

 せっかくの機会だ、ここにしばらく留まるのも悪くない。


 彼は結局自分の名を明かしてくれず、そのまま別れて再び会うことはなかったけれど、その出逢いは印象的に彼女の胸に焼きついた。




 そして、この時から数年の巡りを経て。

 アルエスは再び、ライヴァン帝国の港町に降り立ったのだった。


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