12.かみ合わぬ心の在処
12-1 仲間をさがして
ざざぁ……、どぅん……。
ざざ、ざあぁ……、どぅぅ……。
巨大なトンネルが彫り抜かれた崖の際に立ち尽くし、少女は洞内に響く波音を聴いていた。船舶が通過できるよう人工的に彫られた洞窟の水路には、人が歩ける幅の岸も造ってある。そこを通って行けば、辿り着く先はひとつしかない。
「ルベルちゃん」
穏やかな声が耳に届き、少女は黙って振り返る。何かの罰ゲームみたいに重そうな荷物を幾つも抱えた保護者が、柔らかく笑んで自分を見ていた。
「一人で先に行っては、危ないですよ」
「ごめんなさい」
神妙な顔で謝るルベルに、セロアはゆっくり頭を振る。
「危険がないのを、知っていたんでしょう?」
少女は答えなかったが、セロアは静かに言葉を重ねた。
「『番人の門』を通らずにここへ来ることは出来ませんから。こんな狭い岩場じゃ、大型の獣や魔物は棲息できませんしね。みんなを捜していたんでしょう?」
ルベルはわずかに眉間に力をこめ、小さく頷いた。そしてセロアのいる場所へと駆け戻る。
「セロアさん、ルベルも荷物はんぶん持ちます!」
「あ、……っと、ちょっと待ってくださいね」
セロアは一息入れるように、肩からフリックの荷物を降ろし、手に抱えていた毛布のカタマリを地面に置いた。見覚えのないそれを不思議そうにルベルが覗き込むと、カタマリが動いて毛布が解け、下に落ちた。
「……よォ」
中から出てきた猫目の子どもに、ルベルの目がまんまるに見開かれる。
「ゼオくん?」
「アタリだちくしょ、やってらんねー」
可愛らしいナリで口悪く毒づく炎精霊を、少女は凍りついたように凝視したが、セロアは構わず抱えていた荷物を岩場に並べていく。
自分の荷物は自分で持つとして、フリックの荷物、リンドのエストック、ルベルの
ルベルに持たせるといっても、意外に配分が難しい。
「ルベル、ゼオくん抱っこします」
邪魔にならぬよう武器類を縛って纏めていたら、少女が目を輝かせて言ってきた。
ゼオが遠くに視線を彷徨わせたまま、ぽそりと呟く。
「ぜってー却下」
「えー! だってセロアさん大変そうだもんっ」
「てめーで歩くゎ」
「どーしていつも、そうやってワガママ言うですかっ」
随分と久々のような気がする二人のケンカを聞き流しながら、セロアは細かな袋類を纏めて自分のバッグに押し込んだ。
ゼオはいいのだ、どうせ重さなんてないようなものだし。
「ルベルちゃん、これ持ってもらっていいですか?」
「――ぁ、了解ですっ」
外套を巻きつけ一本の太い棒みたいにした武器類をルベルに持たせ、フリックの荷物を背負いなおして、セロアはゼオに三枚の紙を手渡す。
「ゼオは、旅渡券と地図と、似顔絵を持ってください」
「……おぅ」
渋々といった風にそれを受け取るゼオの傍ら、ルベルが敏感に反応して瞳を向けた。
「パパの絵、あるですか?」
「ん、」
ゼオは一瞬ためらったが、何も言わずに紙を手渡す。
線が溶けて消えかけたそれを、少女は受け取り黙って見ていたが、おもむろに紙を持ち替え、真ん中から引き裂いた。
「お嬢、いいのか」
ゼオの問いに首肯し、紙を重ねてさらに細かく破っていく。やがて小さな紙片になった絵を海にばらまいて、ルベルは振り返り明るい表情で笑った。
「パパの顔ならちゃんと覚えてるもん、大丈夫です」
「そうですね」
つられるようにセロアも笑った。ゼオが炎の混じらぬ溜め息をつき、二枚の紙を持って立ち上がる。
「行くぜ。リンドとウサギとアルエスを捜さねェと」
「歩けるんですか、ゼオ」
答えず歩き出してしまった小さな背中を追い掛け、セロアとルベルも後に続く。
左の水路から聞こえる波音がトンネル内に反響し、声が聞き取り難いので、自然に三人とも無言のまま道を進んでいった。
そうやって黙々と歩き続けること数刻。不意に前を行くゼオが立ち止まった。
「手紙だ、お嬢」
「え?」
反射的に聞き返したルベルの頭上に、パタパタと何かが飛んで来る。
こんな場所では余りに不似合いな空色の小鳥――きょとんと見上げる少女の隣、セロアが右手を差し伸べた。
「【
小鳥はセロアの手に止まった途端、緑の葉っぱに変化した。それにはさすがの賢者も一瞬目を瞠ったが、表面に刻まれた文字を見て、驚きが安堵の表情に取って代わる。
「アルエスからです。『リンド・フリック・アルエス、ムルゲア同伴にて入島済み。至急門を通って合流されたし。』……三人とも無事みたいですね、良かった」
「ムルゲアに逢ったんですかっ!?」
ルベルが目を輝かせて、セロアを見上げる。
「そうみたいですね」
アルエスの機転と努力に頭の下がる気分になりつつ、セロアは葉っぱを手に持ったまま再び歩き出した。心持ち足を速めるゼオに合わせて、二人も早足になってゆく。
「ムルゲアから離れてなけりゃいいが」
波音に紛れてゼオがぽつりと漏らした言葉が、やけに不安げで、セロアは手元に視線を落とした。手掛かりがないか表裏と見比べる表情が、険しさを増していく。
「イワドノオオバの葉ですね。日当たりの良い岩場に多い植物ですが、塩気に強いわけじゃないですから……どの程度足を伸ばしたのか、心配です」
文字の刻まれた反対側には、無数の細かな傷と土埃がついていた。波に洗われるような場所の土ではないから、もうムルゲアと別れて自分たちを捜しているのかもしれない。
常ならば好奇心の塊なセロアでも今は、ムルゲアを見る機会を逸する心配より三人の安否の方が気懸かりだった。
彼らの思いに反して、通路は長く道は遠かった。本来なら船で航行する場所だから仕方ないとは知りつつも、焦燥が募るのは抑えられない。
ずいぶん長く岩の道を歩き、さすがのセロアも足首に痛みを覚える頃になってようやく、ぽっかり口を開けた出口に光が差し込んでいるのが見えてきた。
「隠――セロア、コレはおまえが持ってろ」
ゼオに旅渡券を手渡され、セロアは頷いてそれを受け取る。ルベルが一瞬何か言いたげにこっちを見たが、ゼオに睨まれ肩を竦めて口をつぐんだ。
セロアもこんな場所でヤブヘビは勘弁な気分だったから、さりげなく気づかぬ振りをして旅渡券を広げ、目を落とす。
券の表面には、共通語で古文詩のようなものが書かれていた。これが、いわゆる開門のキーワードになるのだろう。
券を持つ者が文面を読み上げるだけで発動する、実に単純な仕掛けだ。
だからこそ、覆し難いが抜け道も多い。島に入ってしまえば、券を持っていることを誰にも悟られないよう、奪われないよう、細心の注意を払わなくてはならない。
「セロアさん、航路の門ですっ」
沈みかけた思考は少女の声で引き戻された。セロアは顔を上げて、いつの間にかだいぶ先に行ってしまったルベルの方へ足を速める。
出口を抜ければそこは岩天井がなく、水路が池のように広くなって終わっていた。
視線を巡らせば石階段が
「行きますか」
階段はうんざりするほどに長く、高い。だが焦ったところで結局、道はここしかないのだ。
「はいっ」
ルベルが点呼に応えるような勢いで応答し、ゼオは無言で階段を登りだした。幼児化した身体には少々高さのある石段を初めは両手も使いつつ登っていたが、途中で仔トラの姿に変じて爪を立てつつ登っていく。
ルベルも長い荷物を杖代わりにしながらバランスを崩さぬよう真剣な表情でその後に続き、セロアはフリックの重い荷物を背負い直すと最後に続いた。
石段を登り切ってようやく辿り着いた石扉の表面には、魔法陣が刻まれていた。通常なら一緒に描かれるべき魔法文字は見当たらず、一見すればただの装飾にしか見えない。だが、鍵穴も取っ手もないところ、人力で開く物でないのも明らかだった。
息を整える間も惜しむように、セロアが旅渡券に書かれた文章を読み上げる。
息を詰めて見守るルベルと、子どもの姿に戻って座り込んでいるゼオの前で、刻まれた魔方陣がぼんやりと発光した。
同時に
「さ、いくぜ」
ゼオが立ち上がり、二人を振り返って言った。ルベルは頷き、ゼオの後について歩きながら、セロアが纏めて縛った荷物を器用に解きだした。後ろを歩きながらセロアもまた、旅渡券を仕舞って代わりに鉄扇を抜き出す。
「ゼオくん、リンドちゃんの剣持ってくれませんか?」
「おぅ」
小さな身体に長すぎるエストックは地面を引きずって歩くしかなかったが、誰もそれを咎めはしなかった。
門を抜ければもうそこは無法領域、何が襲って来てもおかしくはない。ゼオの力が弱っている今、いざという時は自分で自分を守るしかないのだ。
薄暗い石造りの通路はそれほど長くなく、すぐに出口の明かりが見えてきた。先頭を歩いていたゼオが立ち止まり、振り返る。
「出ればすぐに『番人の門』だ。魔獣が見張ってるが何もしねぇから、それより周りに気をつけろ」
セロアが頷き、ルベルを追い越して先に外へ出た。
明るい陽光の下、すぐ前には石の門柱。その傍らに直立不動で立つ巨大な獣を見て、さすがのセロアも危うく悲鳴を上げるところだった。
すぐ後を来た少女が同じように魔獣を見上げ、息を飲んでセロアにしがみつく。
ドラゴンに似た毛深い獣は、その長い前髪の間から覗くルビーの瞳でじっと三人を見ていた。
「……思った以上に、大きいですね」
息を吐き出すようにセロアが呟く。ゼオだけはさほど動じた様子もなく、先立ってすたすたと門柱の間を抜けて行ってしまった。慌ててセロアもルベルの肩に手を添えたまま後を追う。
魔獣の瞳は三人の動きを追っていたが、ゼオが言った通り襲ってくることはなかった。門から先はなだらかな坂になっていて、磯のある入り江が下方に見えている。
見渡す限り人の姿はなかったが、ゼオは丘へ一歩踏み出したところで、眉間にしわを寄せ立ち止まった。
「魔法の残り香だ。……アルエス、
「えっ」
ルベルが聞き咎めて声を上げる。ゼオは難しい顔で辺りを見回していたが、ふとセロアを振り返って尋ねた。
「アルエスの手紙には、ムルゲアと一緒だって書いてあったよな?」
「えぇ、そうです。ここからは見えませんが、磯の岩陰とかに隠れてるんですかね」
不安そうに見上げる少女の頭を軽くぽんぽんと撫で、早足で歩き出したゼオの後を追う。草地に血の跡や大きな魔法の痕跡は見当たらなかったが、誰も何も言わない。
歩き難い岩場に降り、岩の間から海を覗いてみたが、人の姿は見当たらなかった。
「もう、ここを離れてしまったんでしょうか」
セロアの呟きに、ゼオはんーと唸って考え込む。
ルベルは槍の柄でコツコツと岩を叩きながら、波が被る海の際まで岩を伝って行っていた。危なっかしいながらもさすがは子どもの身軽さだ。
「ルベルちゃん、行き過ぎは危険ですよ」
それでもこれ以上は危険だと思ったセロアが声をかけたが、返ってきたのは盛大な悲鳴と水音だった。思わずセロアとゼオは身構えたが、次に目に飛び込んできた光景に目を瞠る。
少女が足を滑らせて落ちた場所に、唐突に黒い獣が現れていた。
アザラシに似た頭がゆっくり動き、ルベルを岩に押し上げる。少女も茫然と自分を助けた海獣を見ていたが、不意に歓声を上げてその黒い頭に抱きついた。
「ムルゲア、ですか」
「あぁ、だな」
飛沫が掛かる位置へは行きたくないのだろう、ゼオがその場を動かないので、セロアはフリックの荷物を降ろし、岩伝いにそちらへ向かった。
ルベルはムルゲアと向かい合うように岩に座り込み、真剣に三人の行方を尋ねている。セロアが辿り着くとムルゲアは黒い瞳で彼を見上げ、ゆっくりと瞬いた。
途端、周囲が突然の闇に閉ざされる。
次々繰り出される未知との遭遇に、
薄暗い星明りの下、横たわる人の影。後方にいたゼオが近づいてきて、ぽつりと呟く。
「星闇の聖域だ」
「やはりそうですか」
短く言葉を交わし、不思議そうに見上げるルベルの頭を撫でて、セロアは床に伏して眠っているフリックとリンドの傍に行き膝を着く。
肩に手を当てそっと揺り起こすと、リンドはびくりと飛び起きて、驚いたような表情をセロアに向けた。
「セロア、いつの間に」
「今ようやく着きました。フリックは衰弱ひどいですね。……アルエスは?」
静かに問われた言葉の意味するところを知って、リンドの顔から血の気が引く。
「会わなかったのか?」
「えぇ。手紙は受け取りましたが、私たちが通って来た道にはいませんでした」
やはり、何かあったのだ。
自責と後悔に言葉を失って俯くリンドの前に、小柄な影が近づいて、エストックを差し出した。
「悩むのは後にしろ、リンド。さっさとマトモに泊まれる宿を借りねーと、ウサギもヤバイだろが」
「あ、あぁそうだな――ッて、ゼオ! 無事だったのか――……?」
眼前に立つ、きんいろ猫目の幼い子ども。リンドはたっぷり十数秒はフリーズして、そしていきなりぎゅぅっと両腕でゼオを抱き締めた。
「ああこんなに可愛らしい姿になってしまうなんてッ! でも無事でよかった……今後は私がしっかり守ってやるから安心しろっ」
「オレぁイイてばよ放ッとけよ! てか可愛い言うなー!!」
じたばたと全身で抵抗して腕の中から抜け出すと、ゼオは全員から距離を取った場所でイライラと続ける。
「とにかく、水辺だとオレの魔力が削られてくんだよッ。だからさっさと行くぜ!」
「そうなのか! それは大変だッ、とにかく場所を移そう」
髪を逆立てるゼオと、真に受けて慌てだすリンドを、きょとんと見ていたルベルが首を傾げた。
「ゼオくんて、ちっさいころから気が強くって意地っ張りだったのかな」
「……どうでしょうね」
コメントしづらい振りにセロアはただそう答えて、曖昧に笑った。
ムルゲアに礼を言って別れ、五人はすぐに移動を開始する。アルエスが心配なのは共通した思いだったが、今は手掛かりがなかった。
せめてゼオだけでも回復すれば、行動可能な選択肢がぐんと広がる。そのためには、しっかり休息を取れる場所が必須だった。
聖域を発動した時の状況をリンドから聞いて襲撃も警戒したが、近くに人の気配はなかった。
良くも悪くも可能性は様々考えられるが、今はあえて思考に蓋を被せる。時間が惜しいのは本音だが、無理できる状態でもない。
「テレポートで行こう」
丘の高みから遠目に街を見、リンドが意を決したように言った。いまだ意識を失ったままのフリックを、セロアが背負っている。フリックの荷物はリンドが持ち、毛布や外套といったその他の物はルベルが抱えていた。
「テレポートって確か、行ったことない場所は行けないんですよね」
セロアに問われリンドは頷く。
「あぁ。だが、視界に見える場所であれば、行くことはできる。もっと高さがあって全貌を見渡せる場所なら確実なんだが、距離が短いから大丈夫だ。向こうに煙を盛大に吐いている煙突があるんだろう? おそらくあれは民家でなく宿泊所だから、あの真下を目指そう。弱っているフリックには負担が大きいが……この状態で街中を通って、絡んでくる悪漢を撃退するよりは、マシに思うんだ」
「リンドちゃん、魔法力だいじょぶですか?」
「オレはカウントに入んねーから大丈夫だろ」
心配げに見上げるルベルにゼオが返して、リンドは頷く。
「最悪、移動した先に悪い奴が――って可能性もある。目をつぶっても、気は緩めないでくれ」
「解りました。それじゃそうしましょう」
セロアはフリックを草地に降ろして、自分は片膝を着くと彼の上体を抱え込んだ。
ルベルがその傍に立ち、リンドはセロアとルベルの肩に手を掛けて立つ。
「十秒後に発動する。目を閉じて呼吸を合わせてくれ」
カウントダウンが始まる。目を閉じ意識を集中する三人の前に立って、ゼオだけは目を開けたまま、リンドの声に耳を傾けていた。
全身の血が引く感覚と、足場が失せるような無重力感。
一瞬の間に彼らは、草に覆われた丘のてっぺんから薄汚れた街の片隅へと、場所を移動していた。
幸いなことに危険との遭遇はなく、一行はすぐ近くの宿で部屋を借りた。危険回避のため全員一緒の少々高めの部屋を。
値段が張るだけあって風呂も着替えも簡単な日常品も備えられていたから、それぞれが交替で風呂に入り、海水の染みきった衣類を洗って干し、一息ついた頃にはもう夕方になっていた。
みな疲れ果てて何をする気にもなれず、部屋で夕食を取った後はベッドに潜り、朝まで泥のように眠った。
ゼオだけは眠らず、火を入れた暖炉の前でじっと座り込んでいたが。
深夜に襲撃などの危険に見舞われることもなく、こうしてバイファル島初日は、怒涛のように過ぎ去ったのだった。
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